ドラードの森(16)
おれは好奇心を押さえ切れなくなった。
「あの、すみません。お二人はお知り合いなんですね」
「ふん。知り合いと言うより、腐れ縁というやつだな。こんなところで会うことになるとは、思いもしなかったよ」
「ほう。わしがいるとは知らずにここに来たのか」
「当たり前だろう。わがはいが、何の為にわざわざおまえに会いに来なきゃならんのだ。たまたま息子が旅行のチケットを譲ってくれたからだ。だが、どうも度々話題にのぼる『天狗さま』という人物が気になったのだ。『天狗』というあだ名の男を一人知っているからな」
「なるほど、そういうことか。おまえのような大企業の会長さまがパックツアーに参加するとは珍しいことじゃと思ったが、そうか、チケットを只でもらったのか。昔からおまえは大金持ちのくせにケチじゃったからな」
そういえば、『黒田運輸』という大手運送会社の名前を聞いたことがあるが、まさか、この人物が。
「何を言うか。会社を譲るというのを断り、スキ好んで貧乏な絵描き暮らしをしている息子が、珍しく親孝行をしたいと言うから、少々窮屈でも我慢して団体旅行に参加することにしたんだ。それに、わがはいは、もはや会長ではない。相談役という、体のいい隠居にすぎん」
「かっかっか。まあ、そう怒るな、冗談じゃよ。それより、わしも久しぶりに旧友たちの消息などが聞きたい。幸いこのアゴラにわしの座所がある。そこで少し話そうではないか」
「ふん。いいだろう」
黒田氏はそのまま行こうとして、ふと立ち止まった。
「おお、そうだ。中野くんも一緒に来ないか」
「えっ、しかし」
どうしよう。ものすごく興味はあるのだが。
「ふん。遠慮なんぞいらん。なあ、荒川」
「ああ、わしはかまわんよ。お孫さんの友達かね」
「いやいや、絹代のボーイフレンドさ」
黒田氏は自分でウケて笑った。
パーティーの準備のため、一旦、グリーンシャトーに戻るというモフモフに、ほとんどのメンバーはついて行った。おれたち以外に別行動をとるのは、例の黒レザーの女と髭男だ。どこに行くとも言わず、サッサと立ち去った。まあ、いいさ。
さて、ここはグリーンシャトーのあったアゴラよりもさらに広かった。歩いていると、樹上であることを忘れそうになる。短い草が生い茂った地面に、ケモノ道のような細い道が続いていた。その道をしばらく行くと白木の鳥居があり、そこをくぐり抜けると、大昔の高床式住居のような建物があった。これが、いわゆる『天狗さまの御座所』なのだろう。
「今は乾季だからいいが、雨季になるとこの辺りまで雨雲が上がってくる。結構水嵩が増すので高床式にしたんじゃ。まあ、マムスターたちは水に濡れることを気にしないからいいが、人間はそうはいかんからな。ささ、上がってくれ」
はて、マム何とかと聞こえたが、何のことだろう。
荒川氏に促されて階段を登って中に入ると、見かけよりもずっと広々としている。正面に床の間のような場所があり、なぜか巨大な金魚すくいのポイのようなものが安置してあった。モフモフが使っていた伝声器と同じ用途のモノだろうが、直径が優に1メートルある。
荒川氏は背負っていた笈とかいう箱を下におろし、小さな帽子のような兜巾も外すと、その巨大な伝声器に深々とお辞儀をした。
「森の精霊よ、今戻ったぞ」
すると、驚くべきことに、その『森の精霊』から返事があった。
《天狗殿、声を聞くのは久しぶりだな》
森の精霊の言葉は、おそらく教師役を務めたであろう荒川氏より達者な日本語だったが、不思議な響きをしていた。一人の声ではなく、何人もが同じ言葉をしゃべっているように聞こえるのだ。大勢の人間が同じメロディーを歌うのをユニゾンとかいうらしいが、そういう感じの声だった。
「あちこち飛び回っておったのじゃよ。それより、これからしばらく客人と四方山話をするが、いずれおまえさんたちのことにも触れねばなるまい。そのまま聞いておってくれ」
《了解した》
荒川氏は振り返ると、何事もなかったようにおれたちを奥に招いた。
「さてさて、とりあえず座ってくれ。コーヒーでも淹れよう。もっとも、原料は例によってドングリじゃがね」
おれとしては先に森の精霊の秘密を聞きたいところだが、しばらくは成り行きを見守るしかない。おれもリュックをおろし、床の間に向かって軽く頭を下げた。
居間の中央には囲炉裏が切ってあり、黒田氏とおれは勧められるまま周囲の円座の上にあぐらをかいた。それを見届けて、荒川氏は火打石で薪に火を点けた。
「この惑星で一番難儀するのが、火の取り扱いでな。なにしろ周りは燃えるものばかりだ。もっとも、樹木の本体部分はたっぷり水分を含んでいるので、万が一ボヤを起こしても大して拡がることはない。それでも用心のため、こうして完全に石で囲った囲炉裏を使っておるのじゃよ。これだけの石を集めてくるのが、また一苦労での」
「ふん。くだらん話をペラペラしゃべりおって。よほど人恋しかったのか」
言われて荒川氏はニヤリと笑った。
「あいかわらずじゃな。しかし、その減らず口がまた懐かしいわい」
荒川氏は自在鉤にかけてあったヤカンを火にかけた。やけにキラキラしたヤカンだと思ったら、これまた純金製のようである。
「金は火の通りは抜群じゃが、とても素手ではつかめん。触らんようにな」
荒川氏は奥にある石臼のようなものに煎ったドングリを何粒か放り込んで、ゴリゴリと挽きだした。香ばしいニオイが漂ってきたが、やはり、本物のコーヒーとは微妙に違う。
「まあ、代用品としては上物じゃよ」
ちょっと弁解するようにそう言うと、荒川氏は分厚い木の皮で包むようにヤカンをつかみ、折り曲げた紙のフィルターにのせた代用コーヒーにお湯を注いだ。その下には、いかにも手作りという感じのコーヒーカップが置いてある。考えてみれば、これがドラードで見る初めての陶器である。
「いずれはこういう焼き物の技術もマムスターたちに伝授しようと思っておるのじゃが、なかなか良い粘土層が見つからんのじゃよ」
おれはたまらず、尋ねてみた。
「あのう、先ほどからマム何とかと言われているのは、何のことですか」
「おお、そうか。まだ、説明しておらなんだか。マムスターとは、この惑星の現在の住民、つまり、きみたちの言うところのドラード人のことじゃよ」
「現在の、と言いますと」
「ふむ。実は、この惑星には先住民がおる。それがつまり、森の精霊じゃ」
(つづく)
ドラードの森(16)