甘い空を胸に

まるでイチゴシロップをかけたかき氷みたいだな、と彼女は思った。
電車に乗った帰り道、日が沈んだ空は薄い青にピンク色が残る淡いグラデーションになっている。

今日のお昼は随分暑かった。夏がもうすぐそこまできている感じだった。その暑さの中で笑った、彼の笑顔を思い出す。



「本当に、変わらないね。」
「そうかな?」
「うん。」

にこにこと笑う彼が変わったのか変わっていないのか、私には分からなかった。それでも貴方も変わってないとかなんとか言えば良かったのに、相変わらず私は彼の前だと上手く話せない。

「早起きが苦手になったよ。」
「昔からでしょ?」
「え…そうだったかな?」
「うん、朝はいつも眠そうだった。」

平日にもかかわらず公園には大勢の人がいた。色とりどりの花が見頃だからだろうか、大きなカメラを首にかけている人も多い。
キラキラ光る木漏れ日の中で風は爽やかに吹いていて、手の中のオレンジジュースの缶はじんわり汗をかいていた。



たった一年だった。私と彼が同じクラスで学んだのはたった一年で、卒業してから連絡を取ったことも一度もなかった。
取りたいとは何度も思ったけれど実行できなかったし、私だけがこんなに考えて想ってしまっているのが嫌でとうとう連絡先も消してしまった。
何かあれば向こうからアクションがあるだろうと思ったけれど、それもなかった。それで良かった。
いつも傍にある鉄の塊から名前が消えただけで、重さも記憶も随分軽くなっていった。それほどには時間も流れていた。
忘れた頃に偶然出会うとは思ってもみなかったな…。卒業して間もなくは、無意識に彼に似た姿を捉えては振り返っていたものだ。



「その時計、まだ使ってるんだね。」
「え、うん。お母さんからもらったやつなの。」
「うん、知ってるよ。」
「あれ、話したっけ?」
「うん。」
「よく覚えてるね…記憶力いいなぁ。」
「うーん、記憶力はよくないと思うよ。」
「そうかな?」
「あぁただあの時凄く嬉しそうに話してくれたから、よく覚えてるんだよ。」


そんなことばっかり覚えてるんだと彼は笑って、私は俯いた。
机も壁も白い教室で、斜め前に座る彼の少し跳ねた髪を見ていたあの日々が胸を駆け抜けた。


「あ、もう行かないと。」
「あぁ、うん。」
「会えて良かった。」
「うん、お仕事頑張ってね。」
「ありがとう。じゃあまたね。」

白いシャツが眩しいくらいの光に溶けていくのを見ながらわたしは手を振った。
「会えて良かった。」も「またね。」も私は言い返せなかった。きっとこの先何度も思い出してしまうだろうこの言葉は聞かない方が良かったかもしれない。それでも当たり前のように言ってくれた事実に、じわりと気持ちが滲み出す。
最後に彼とした約束を私は今でも覚えている。果たされないまま消えたから、私の胸にこびり付いてしまった。きっと約束は果たされるためにするものじゃないのだ。



電車が停車してはまた走り出す。
閉じた目を夢に入らないように開いた。うっかり眠ってしまったら無意識の記憶が溢れてきてしまいそうだ。それも、縋りたくなるほど懐かしいやつ。
結局何も聞けなかったし聞かれなかったな…。ぼんやりと思う。
何の仕事をしてるのかも付き合ってる人がいるのかも、連絡先も、何も。でもそれで良かった。何も始まっていなかったし、何も終わってはいない。ただ彼にもう一度会えた。それが全てだ。

少しずつ意識が薄くなり、柔らかな温かさに包まれる感覚に陥る。いつの間にか外は蒼色が濃くなっているけれど、かき氷の空はもう胸にしまった。記憶の奥に、そっと。

甘い空を胸に

甘い空を胸に

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-14

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