38、亜季・・・大人になれなくて

強さを非情に変えてはいけません

38、強さを非情に変えてはいけません

 ある種の決断はたとえそれが一時的であっても人を輝かせる事がある。特に夢を叶えたいという熱い思いは強さを与える。

昨日までの自信のない弱々しい表情は影を潜め、生まれた事さえ呪ったこの世の中が突如素晴らしいものに思えたり、うっとうしい人間関係さえも自分の成長を促す大切なものと感じたり。多くの事がプラス思考を導く。それは悪い事ではないが・・・プラスもマイナスも行き過ぎれば自信過剰、または自信喪失に辿りつく。かと言っていつも可もなく不可もない人生なんて退屈を踏みしめて生きるようなものかもしれない。


今、亜季の目指す先には大きな希望が見え隠れする。
音楽の世界で生きて行く夢を見る若者はいつの時代にも多い。アイドルから一流を目指しステップアップしていくものもいれば始めから自分の実力に自信を持ちながら謙遜を武器にそこそこのプロの賞賛を集め階段を上っていくものもいる。

亜季はどちらのタイプなのか・・・多分無理やりどちらかにわければ後者。

つまり亜季の心の深いところは意外にシンプルで力強い。ただ、これまでその部分は閉ざしていた。何故ならなんの勝算もないところで見せる自信に世間は冷たい事を感じていたから。そしてそんな自分を演じている間に亜季の弱さ、純粋さに磨きがかかりいつからか亜季の周りの人は亜季が傷つき易い性格でとても世の中の荒波にもまれてひとりで生き抜いていくなんて無理に決まっていると思い込み出した。

 その亜季が自分の心のおもむくままに走りはじめた。この先何が起きるだろう?

やがて周囲は驚きの感情を抱き、亜季自信の中で湧き上がるある種の傲慢さがぶつかり合う。それは人が変化していく時にありがちな風景。特に若い時は。

ただ、この時周囲の多くの人も、亜季自身も実は変化の前の自分とその後の自分のどちらも嘘ではないという事を置き去りにする。
だからこそそのどちらも受け止めてくれる存在、時に激しい思いを冷ましてくれる人は大切だ。あなたの身近にそんな人はいるだろうか。


 亜季はあのライブの日から自分を揺さぶる心の変化を毎日感じていた。それに伴い亜季の中で様々な戦いが始まる。自信にあふれた日、今にも倒れそうな程自分をあざ笑いたくなる日。その変化の早さがいっそう亜季に強くなれとささやきかける。誰もが経験する事だが自分の中で起きる摩擦ほど疲れるものはない。無造作にこみ上げる感情の何を受け入れ、何を排除すべきなのかその真っ只中にいる時はわからないのだから。
ただ、亜季の中では希望をここで立ち切るわけにはいかないという思いだけが走り抜けていく。


 朝香の結婚式から一週間が過ぎた。亜季は母にわからぬ様にひっそりとニューヨークへ旅立つ準備を始めていた。もちろん日本を出る事で何かが約束されるわけじゃない。ただ自分の可能性を諦めたくない。大きな成果がなくても無駄ではないはずという思いに支配されたように。

聞く人によってはなんとも頼りない甘い筋立て。でも、緻密な計算だって時には大きく裏切る。

今日も亜季は昼間からライブのリハ、夕方には海外から戻った友人から話を聞き、さらにあちらで暮らすのに受け入れてくれる人を紹介をしてもらい着々と準備を重ねた。


 家に着くともう日付けが変わっていた。いつも遅くまで起きているエリカの部屋の灯りも消えていた。
(なんで?・・・ああ、そうだ。エリカは今日淳のところだと言っていた。パパは出張。・・・んん、ママだけかぁ。)

そして時計を確認。

(12時20分・・・ママは寝るのが遅いからまだ起きているかな?あの人の事だから私が何かを考えているのは気が付いているはず。でも、今はあまり聞かれたくないし・・・というより話すのが面倒。寝ているといいんだけど。)

亜季は静かに鍵をまわす。細心の注意を払い音をたてないようにドアを閉め二階へと足を運んだ。父と母の寝室から小さな灯りが漏れている。

(やっぱりまだ寝てないか。でもきっとベッドには入ってるはず。)

自分の部屋へ足を踏み出す。少しすると母の小さな声が寝室から聞こえてきた。そのまま通り過ぎようとした瞬間母の声が嗚咽のように亜季の耳元に届いた。
(えっ!私の聞き違い?だってあのママが・・・泣くなんて。それもこんな風に。)


亜季は何もなかった様に通り過ぎようとした。足を引きずるように前へ。するとまた小さな母の声。

僅かにあいたその部屋のドアを少し開け中を覗いた。ビデオを見ていたのだろうか小さく歌が流れる。それを目の前に母の横顔に涙が光っていた。
これまで亜季が見た事のない少女のような母の姿。それは亜季にとってあまりに優しく、寂しい衝撃だった。

親も子供の事を半分もわかっていないのと同様子供も親のことを殆どわかっていない。それが親子というものだ。

亜季はその母の姿に誘われるように静かに母の側に行き隣にすわった。
暫く母も亜季も黙ったまま。ただラストに近付く画面を眺めていた。

(これ、なんだっけ?・・・なんか1度見た記憶がある。)

次の瞬間あのテーマが歌と共に流れだした。

(ああ、そうだ。追憶。以前母の部屋にあったのを内緒で見たんだった。70年代にヒットしたラブストーリーとかいう言葉に引かれて。
でも中学生の私にはこの終りがよく理解できなかった。・・で、それを見て母が今涙を流している。)
そんなことを頭の中でめぐらしいると母がポツリと言った。

「この映画、見た事ある?」
その声はとても穏やかで亜季の困惑と警戒心を包み込むようだった。

「・・・うん。昔、ママがいない時に内緒で。」

母はうっすらと微笑む。
「どうして・・・内緒?言えばいいのに。」

「だってママの事だから中学生にこれは早過ぎると言うかと思って。」
そう言って母の顔を見るとまたその目から涙が流れ出した。

「そう。・・・そうかもしれない。いつからか物事を決め付ける人になっていたわね。亜季は信じないかもしれなけど昔はそれが一番嫌いだった。
だからパパと結婚したのに。この映画パパと見に行ったの。もう昔のことだけど。本当にこの映画の通り何もかも今は追憶。」

「へえ、パパと。・・・そういえば私の小さい頃はよく家族でドライブしたり、夜の元町にお茶を飲みに行ったりしたよね。・・・案外パパと仲良かったんだね。」

「そうよ。あんな事があった後もいい家族でいたかった。ただ、あれからはいつもあの人に負けまいとする気持ちとパパへの怒りがいつも交錯してた。その意味では子育ても素直じゃなかったかもね。」


亜季は母が始めて自分に本音を見せている気がした。これまでそういう母を望んでいたのにいざそうなるとどんな風に接っすればいいのか戸惑う亜季。

そんな亜季に母が優しく問いかけた?
「驚いてる?・・・無理もないわね。でも、亜季、やっぱり人は変わらないとね。無理にじゃなく、誰かとの競争でもなく自分らしくていいのよ。
それが悲しい結果を生むことはあるかもしれないけど気持ちは自由でいられる。いつも何かと戦うのは自分を辛くするし、醜い思いで頭をいっぱいにすることになる。私はもう一度パパとやり直すわ。こんどは私達を本当によくする為に。老後は真近。もう過去に振り回されるのは馬鹿げているものね。
エリカをここにおけば亜季があの人の本性に気付いて望んだ道を諦めてくれるんじゃないかなんて。パパにもお返しできるし。
でも・・・この家にもうすぐ二人の時間が来そう。エリカはあの人と暮らすでしょう。エリカはもしかしたら音楽を捨てる気でいるのかもね。エリカが本当に望んでいたのは多分家庭。そして・・・亜季・・あなたももうすぐ遠くに行くきがするわ。」
そういう母の表情は静かで穏やかだった。

「・・・で、パパにお返しできた?」

「どうかしらね。この世に理想の夫婦なんてきっとないわね。でもなんとかかんとかどちらかが命を終わるまで一緒にいられたらそれでいいわね。きっとそこそこ頑張った夫婦っていえるのかも。・・・エリカももう心を楽にしてもいいのよね。その点亜季はあまり人と争うのが好きじゃないから心配はあまりなかったけど・・・これからは亜季も変わりそうね。でも、負けず嫌いで、人よりいい暮らしを貪欲に求めた私からの一言。
亜季、どんな夢も上を望みなさい。ただ、羨望や嫉妬や勝ちたいという自分の中の悪魔には注意をしなさい。」

亜季はただ静かに母の話を聞いていた。最後に追憶の歌が流れ二人は黙ったままエンディングロールを見つめていた。

ビデオが終り亜季は立ち上がり母に「おやすみ」の言葉を静かに贈った。

そしてドアの前で振り返ると母に言った。

「確かにすべてが勝ち負けじゃない。でもねママ、神様はこの世にはいない。運なんてもっとわけがわからないものだし。やっぱり自分で勝ちたいと思わないと。誰にじゃなくて思い描いた人生にする為には。」

弱々しい亜季にしては力強い言葉だった。だだ母にはどこかゆがんで聞こえた。亜季の今始まったばかりの強さが悲しい。
「これからあの子は眠っていた強さをいくつも引き出していくんだわ。それが冷たさに変わらなければいいけど。」
亜季が出て行った後、母の小さな呟きが寂しい風となり部屋を通りぬけて行った。

38、亜季・・・大人になれなくて

38、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-14

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