雨の河

恋愛ものの短編です。
久しぶりの投稿なので、気軽にみてやってください。

7月7日、七夕。織姫と彦星が一年に一度だけ愛を語り合える日。そんな記念すべき日の翌日、7月8日。梅雨の雨が重くのしかかる夜に私は、甘川(あまかわ)商店街にある「質」の字の暖簾をくぐった。


「・・・いらっしゃいま―」
優しそうな店主がカウンター越し腰掛けて声をかけてきた。本から顔を上げて私を見て、言葉が止まったらしい。そりゃそうだ、こんな格好なんだもん。
デート用に綺麗に着飾った髪も服も全てびしょびしょに濡らしていた。メイクに至っては自分の顔を見なくても、目元を中心に崩れていることがわかる。それでもこの雨の中こんな気持ちで家路につくことはできなかった。
誰でもいい、独りになりたくなかった。
そんな傍迷惑な客に察したかわからないが、いつの間にか店主はカウンター向こうのスタッフルームに消えていた。
「・・・お邪魔しました・・・。」
近くにタクシー拾える場所ないかな、と考えながら、先ほど入ったばかりの暖簾がかかったスライド式のドアを開いた。
「開けてると冷えますよ。」
振り返ると、店主が優しい顔で微笑んでいた。カウンターの上には真っ白なタオルと、抱いていた質屋のイメージに似合わないティーカップが湯気を立てていた。


「そこであいつが言ったんです、『ごめん、タイプじゃない』って。だったらなんでデートまでしてるんだっていう話ですよ!」
木製のカウンターを力強く叩くと、アールグレイの入ったティーカップがカタカタと震えた。それでも彼の笑顔を崩れない。今の今まで「ふぅーん」「ほぉー」「あらあら」と相槌を使いこなしていた。そんなんされたら全て出し切っちゃった。
私はカウンター前に差し出された丸椅子に座ったまま店内を見回していた。部屋の一角を腕時計や貴金属類、ブラドバックが並べられたガラスケースが大きく陣取っている。そうかと思えば逆側の棚には、中・小型の電化製品や小物まで並んでいる。
「質屋さん、って初めて入りました。色々あるんですね。」
はい、と店主はまたにこやかに返事をした。なんとまぁティーカップと文庫本が似合うことか。
「うちは基本なんでも受け入れているので、リサイクルショップみたいな感じですけどね。」
そういえば―
「質屋さんとリサイクルショップってどう違うんですか?」
「それはですね、」
リサイクルショップは商品を買い付けて、すぐに売るのに対して質屋は一時的な預かり期間ののち、持ち主が買い戻せなければ売るという違いらしい。
「読んで字のごとく、人質ならぬ物質でお金を貸す場所ですからね。」
お金が絡むディープな話をしているはずなのに、目に入ってくるのは紅茶と本と休日を嗜む男性だから頭が混乱しかけた。
「じゃあ、なんで質屋さんなんですか?リサイクルショップでもいい気が―」
私の声を遮るように綺麗な五本の指が顔の前に現れた。目の前の指の付け根が僅かに窪んでいた。
「もう甘川駅の最終電車出ちゃいますよ。ご帰宅は大丈夫ですか?」
そう言われて慌てて携帯を取り出した。確かにもう12時を回っている。
「あぁ!明日も仕事!!!」
そそくさとカバンを持って出入り口の方へ駆けていく。振り返るとカウンターの向こうで彼は立っていた。
「またきますね。今度はちゃんとお客として!」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」
スライド式のドアを開いて暖簾をくぐると、いつの間にか雨は上がっていた。


質屋に何を持っていけばいいのか、そんな私の人生に一度あるかないかの長考の末、貰い物の腕時計(親戚の恰幅のいいおばちゃんのお古だが、趣味が合わなかった)を紙袋に入れてまたあの質屋の前にやって来た。一週間ぶりだ。『有田屋』、前回は看板なんて気にせず入ったので初めて店の名前と、おそらく彼の名字であろう名前がわかった。携帯を見ると13時を示していた。日曜の昼間なので前回とはまた違った雰囲気を感じたが、この商店街の閑散具合はそう大差なかった。でもなんだか心地いい。
「いらっしゃいませ、今日は濡れていないんですね。」
不意に後ろから声を掛けられて、思わず声が出かけた。振り返ると彼が箒を持って立っていた。店先の掃除中だったらしい。
「いやですねぇ、私は河童じゃないんですよ。」
「こんな美しい河童なら大歓迎ですよ。」
さらっとあの笑顔で返された。むむ、やっぱり強敵だ。


「なるほど、時計ですか。」
前回同様、カウンター越しに向かい合う。今日はカモミールを出してくれた。おしゃれだ。
彼は差し出した時計はまじまじと鑑定している。Pica picaというブランド品、質屋に持ってきても問題ないはずだ。文字盤のガラスも傷ついていないし、バンドの汚れもほとんどない。そんな真剣な作業をカモミールを飲みながら眺めていた。口内を火傷しかけた。
「でもよろしいんですか?前の持ち主の方に相談されたんですが?」
彼の顔はそのまま、独り言のような質問を投げかけてきた。何を聞かれたのか訳が分からず、ティーカップを置く手が止まった。顔をあげると、眉を下げて困り顔になった。
「申し訳ありません。余計なお世話でし―」
「何でわかったんですか?これが貰い物だって・・・」
やっと繋がった考えを思わず声に出していた。心臓がばくばくと鳴っている。彼は最初目を丸くしていたが、再び優しい目に変わった。
「『この子』を見ればわかりますよ。」
この子、という言葉にアクセントをつけながら、手元の時計を優しく撫でている。
「ベルトの穴が僅かに一箇所大きくなっているでしょ?これは持ち主の手首の太さを覚えた証です。」
掲げたバンドの穴の一つが、よく見ると言われた通り少し大きい。そのまま手首を通さずにバンドを輪にする。そっとカウンターに置いた私の手を取り、その輪っかを通す。するりと手を通過して腕までたどり着いた。
「ね?大きさが一回り違う。それに今日も前回もあなたは腕時計をせずに携帯で時間を確認していた。だから貰い物かなぁと。」
最近は腕時計をつけない方も多いですからね、そう付け加えた。
心臓の鼓動が鳴り止まない。
「す、すごぉい!!!」
「いえいえ、すごくないですよ。僕の癖です。」
そう言ってまた時計を優しく撫で始めた。
「この子はどんな人の役に立って、どんな仕事をしてきたのか。それを見抜くための癖です。」
まるで本当に息子や娘の頭を撫でるように、その子を優しく撫でていた。


結局この子は持ち帰り、テレビラックの前にひっそりと立てかけてあげるようにした。私にとって、ふとした瞬間に時間を確かめたい時、そして彼を思い出したい時に眺めることが、この子の仕事になった。
それから何度か有田屋を訪れた。でも時折入る興味のある物を買うぐらいで、大半は彼とのおしゃべりをしに店に通っていた。
ダージリンティー、ウバ、フランボワーズ、オレンジペコー・・・
質屋の仕事内容や買い取った珍しいものと一緒に、紅茶の味と種類も覚えていった。
「なんでリサイクルショップじゃなくて質屋さんなんですか?」
何度目かの会話の時に、あの夜に聞きそびれた質問を投げかけた。その時は確か、ジャワティーを飲んでいたと思う。
カウンター越しに彼は少しだけ、ほんの少しだけ目に力を入れた。彼が芯を話す時だ、となんとなく察知した。
「僕はモノとヒトにも赤い糸みたいなものがあると思っています。」
持つべきヒトが、本当に必要なヒトがそのモノを持つ。
「だけどこんなにモノが溢れている時代、その赤い糸は幾重にもこんがらがっていると思っています。」
昔お母さんの裁縫箱で遊んで怒られたことを思い出した。黒赤青茶、いろんな色が絡まって解けなくなった塊。
「質屋は先ほども言った通り、お客様のモノを預かりお金を貸す場です。そのお金を返せるヒトは元々モノと結ばれる運命だった、売りに出されたモノは結ばれるヒトと出会える。」
一口ジャワティーを飲んで口を潤した。唇の湿りをハンカチで拭う。その指先からも唇からも目が離せなかった。
「僕はここを、糸のほつれを直す場所、と考えています。それが、ここで働く理由です。」
そうまた微笑む顔からも、全く目を離すことができなかった。


この一ヶ月、とても有意義な週末を過ごしている。同時に、後半の半月はとても憂鬱な週末でもあった。
ある時、甘川市主催の花火大会の案内チラシを持って行ったことがあった。
「あれはとても絶景です。誰か素敵な方と行ってきたらいいですよ。」
といつもの笑顔で返された。
またある時は、さりげなく「カキ氷食べたい」と呟いてみた。ちょうど商店街のお祭りの日だ。
彼はそそくさと冷凍庫の氷でカキ氷を出してくれた。いや、そうじゃなくて。
そんなやきもきした気持ちのまま、それでもどきどきの毎日が過ぎたある日。それは夏の暑さもピークを過ぎた、8月の下旬。ちょうどあの日と同じ、嫌な雨が降っていた。
「有田さん、お願いがあるんです。」
彼が入れてくれたばかりのアッサムの湯気がクーラーの風に靡いていた。
「・・・なんですか?」
いつもの声でいつものようにそう返事が返ってきた。でも、いつもと違ってその笑顔はぎこちなかった。
「・・・私と、」
今声が出ているかどうかもわからない。
「私と、一緒に、」
彼の顔から目を話すことができなかった。いつもと全く逆の意味で。
「ごは―」
「河部さん、言いましたよね。」
目に一瞬だけ力が入ったのを私は見逃さなかった。
「僕はモノとヒトにも赤い糸が繋がっていると信じていると。」
やめて。
「そのほつれた糸を元に戻すには、『すべての糸を無傷のまま』なんてできないんです。」
やめて、わかったから。
「ここにいる子供達だって、いつかは死ぬ時が来る。あるいは本当に必要としていないヒトの元に行くこともある。」
この関係が続けばいいと、一夏の思い出で終わらなければいいと、そう願ってしまった。
「大事な一本の赤い糸を守るために他の糸を切らないといけない。」
本当は気づいていた。左手薬指付け根の窪みも、紅茶に関する知識の発信源も、このカウンターが天の川だということも。彼ほど頭が切れなくても、私は女だから。
「僕にとって大事な一本は、天国に伸びている一本なんです。だからあなたの―」
気づいたら立ち上がって振り返っていた。またメイクの落ちた顔を見られたくなかったから。トボトボと出入り口に向かった。
「・・・ありがとうございました。」
またのお越しをお待ちしております。
耳に残った彼の声を聞いて、暖簾をくぐった。重苦しい雨が私の目元を流れていった。



知ったことか。
勢いよくドアを開ける。ティーカップを片そうと持ち上げていた彼の目が面白いほどまん丸だった。
狭い店内を思いっきり駆けていく。腰ぐらいしかないカウンターをハードルに見立てて飛び越えた。
少し狭い空間に着地。体を起こして顔を見上げると彼と向かい合った。
こんなに背が高くて、こんな匂いだったんだ。しばらく無言が続いた。
はぁ。
彼が見たことない呆れ顔をして、大きくため息をついた。
「濡れてると冷えますよ。」
そう言って、冷えた私の手を握って温めてくれた。

雨の河

久しぶりの投稿でした。
今回は知人から「恋愛」×「7月8日」
とテーマをもらったので書いてみました。

私事が忙しいので、また期間が開くと思いますが
時間をかけて投稿していきたいと思います。
一人でも楽しみにしてくださる方がいると嬉しいです。

雨の河

7月8日、七夕の次の日から始まった恋。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-13

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