憑いてくる
大学の夏休みも半ばに差し掛かった日。
私は、バイト仲間の瀬奈と一軒の廃屋の前に立っていた。
瀬奈と私は同じ時期にバイトを始めて、最近は二人でシフトに入ることが増えて急速に仲良くなった。
友達がお世辞にも多いとは言えない私の、唯一の気の置けない友達。
夏が近付く頃には、バイトが終わった後はお互いの家が近いこともあり、どちらかの家にしょっちゅう遊びに行くようになっていた。
その日もバイトが終わった後、一緒に御飯を食べに行ってから私の家でゴロゴロしていた。
夏休みに入ってからは午前中から夕方までにシフトを変えたので、まだ外は少し明るいくらいだ。
「ねえ、芽依って霊感あったっけ?」
スマホをいじりながら瀬奈が不意に問いかける。
「ないよー。むしろ零感。何で?」
同じくスマホでゲームをしながら返事をする私。
「夜勤のさー、山野さんいるじゃん?昨日あの家行ったんだって!」
瀬奈の言う、あの家とは私の家から徒歩10分程の距離にある曰く付きの廃屋の事だ。
その家には昔に一家心中があったという噂や、家に押し入った強盗に家族全員惨殺されたという噂がある。
他にも借金を苦にした父親が家族を殺した噂や、狂った娘が両親と兄弟を撲殺した噂など…とにかく噂に事欠かない廃屋である。
本当のところは分からないが、確かにあの家の前を通ると昼間でも何だか異様な雰囲気がある。単に人が住んでいなくて、手入れがされていないからというだけかもしれないが。
やはり色んな噂があるだけに、何となく不気味に感じてしまう。
「でさ、これ見て!」
瀬奈が私に見せたスマホの画面には、山野さんの某SNSのつぶやき。
「やっべー!廃屋行ったらこんなん撮れた!」という言葉と一枚の画像。
廃屋をバックに山野さんが写っているが、顔の部分に白いモヤのようなものがかかっている。
「うわ、何これ。山野さんの顔モザイクみたいになってる。」
満面の笑みを浮かべてピースをする山野さんにかかる白いモヤがその時は可笑しく見えてしまった。
「ちょ、そこじゃないって!ここ!」
思わず噴き出しながら瀬奈は山野さんの背後、廃屋の窓を指差す。
そこにはボンヤリとした人の顔が写っていた。窓から写真を撮る山野さんを見つめているように見える。
「げ、山野さん呪われんじゃない?」
今まで、金縛りや心霊現象とは無縁で心霊写真なんてテレビでしか見た事なかった。
だからこそ身近な人が心霊写真に写っていることは、私にとっては非常に恐怖心を煽るものであった。
「でもさ、これフラッシュのせいとか懐中電灯が反射してるとかじゃない?」
「あ、そっか。瀬奈は心霊現象否定派だっけ?」
「うん。この写真だってやっぱり光の加減か何かでしょ。心霊写真を心霊写真だって先入観で見るから、そう見えるんじゃない?」
確かに瀬奈の言う事にも一理ある。
「言われてみると、確かにそう見えなくもないけど…場所が場所だけに、心霊写真ぽいってなっちゃうよー。」
「じゃあさ、うちらで今日行ってみない?さっき調べたら、ここ行った人ほとんど何か起こるらしいよ。」
「え、行くの?危なくない?これ昨日のつぶやきだよ?」
「昨日も何も…こんだけ有名なら毎日誰か行ってるでしょ。今日行こうが明日行こうが変わらなくない?」
「そりゃそうだけどさ…。」
「真相を確かめてみたいってのもあるしね。ま、変な噂と廃屋って場所のせいで何でもかんでも心霊現象にしてるだけでしょ!」
「瀬奈は変なところポジティブだよね…。言ってる事は分かるけども。」
「じゃあ行こうよ!零感な芽依も何か見えるかもよー!」
「えー!別に見たくないよ!けど、明日バイト休みで暇だしね…最近暑いからちょっと涼むつもりで付き合うよ。」
「よし、決まり!じゃあ早速夜に備えて準備ね!」
正直、気は進まなかったけど瀬奈が一人で行って危ない目に遭うことを考えると私も行った方が良いような気がしたから誘いに乗った。
遠足前の小学生みたいにウキウキしながら、瀬奈は懐中電灯や虫除けスプレーを用意している。
あの廃屋は確かに「出る」って、私もよく聞くけど…何もないと良いな。
そして夜も深まり、俗に言う丑三つ刻に私達は廃屋に向かった。
道中は廃屋についての噂よりも、バイトの愚痴や新商品の何が美味しいか、とか肝試しに向かう前とは思えない下らない話をしていた。
しかし、それは廃屋の前に到着した途端にピタリと止まった。
「お、やっぱり夜だと迫力満点だね。」
能天気な瀬奈が羨ましい。
目の前に建つ廃屋は、まるで私達を拒むかのような威圧感と雰囲気を醸し出している。
ブロック塀にはスプレーで多数の落書き、外壁は所々崩れている箇所があり色んな意味で危なそうだ。
流石に霊感のない私でもこれは何か見てしまうかもしれない。
「芽依、行くよ!普通にここ開いた!」
私の不安を他所に、ギィ…と軋んだ音を立てて門を開けて瀬奈はもう敷地内に入っている。
「え、待ってよ!置いてかないでー!」
慌てて追い掛けて、瀬奈の隣に並ぶ。
門を抜けて数歩で玄関に辿り着く。インターホンは破壊され、玄関は建て付けが悪いようで既に少し開いている。
「んー!開けにくい…」
ガタガタ音を立てて玄関を開けようとする瀬奈。
少し開いた隙間から、荒廃した家の中が徐々に見え始める。
ふと、瀬奈の腕の下辺りから足元までの間の空間に白くふわりと揺れるモノが見えた。
「え!」
思わず声を洩らし、目を擦ってもう一度見るとそこにはただ夜の闇が広がっているだけだった。
「何?てか、玄関マジで建て付け悪い。これ通れるよね?」
私達は三分の一ほど開いた玄関に何とか体を滑り込ませ、いよいよ廃屋内に入って行った。
廃屋内は予想よりは荒らされていなかった。
けど夜中という事もあり、暗くて不気味である。なるべく離れないように、瀬奈と私はあちこち懐中電灯で照らしながら見て回る。
二つの丸い光が交差したり、時折重なったり。
これは一人では絶対来れないな…と思っていた時、不意に服の袖を引っ張られた気がした。
袖が広がった服を着ていたから、何かに引っ掛けたかと振り返ったけど引っ掛かるようなものは何もなかった。
「ん?どうしたの?」
ほぼ同じタイミングで瀬奈も振り返って暗闇で視線がぶつかる。
「あれ?」
怪訝そうな声を上げて瀬奈が首を傾げる。
「今、背中触った?」
「ううん。私こっち側向いてたよ。」
「あれー?何か背中トントンってされた気がしたんだけどなー。」
「瀬奈は、私の袖引っ張ったりとかしてないよね?」
「出来るわけないじゃん。ほら。」
瀬奈の片手には懐中電灯、もう片方の手には分厚い本のようなもの。
「だ、だよねー。私も気のせいかな…」
カーン
反射的に二人ともビクッと体が震える。
「な、なんか落ちた?」
持っていた本を元に戻し、瀬奈が小声で囁いてくる。
「いや、落としてないよ。あっちから音聴こえた。」
私も思わず小声になり、音が聴こえた台所の方を指差す。
「え?どこ?」
「あの辺?かな?」
さっきより何だか屋内が寒くなった気がする。来る時は汗が出るほど暑かったのに。
「せーの、で照らすよ。」
「え、マジで?」
「せーの…」
私の返事も待たずに瀬奈は音がした場所を照らす。
少し遅れて、私もその場所を照らす。ならぶ二つの光。
そこには恐らく引っ掛けてあったであろう、お玉が落ちていた。
「なーんだ…びっくりした。」
ホッと胸を撫で下ろした私は見てしまった。
私達の懐中電灯の光が丸くない。何かが円を分断するように影を落としている。
「せ、瀬奈…」
パタパタパタパタ
私の言葉を遮るように、ちょうど頭上の二階から子どもが走る様な音が聴こえる。
「えっ…」
瀬奈も聞いたようで、二人の間に沈黙が流れる。
屋内は肌寒いはずなのに、変な汗が背中を伝っていく。
「ね、ねずみ…だよ、ねずみ!」
そんな訳ないのに、どちらからともなく手を握り合い、瀬奈が言った。
確かめる為に、そっと台所を出て玄関脇にある階段へと向かっていると、
ガシャーン
「ひゃあっ!」
また台所で何かが落ちたような音がした。
「ちょっと…瀬奈、さすがにやばいよ!」
私が情けない声を出した瞬間、二人の間を何かが通り過ぎた。
あ、玄関で見た…
そう思った瞬間その白いワンピースの少女は二階へと風のような速さで半ば潰れかけている階段をふわりと昇って行った。
「び、びにーるぶくろ…!」
「いや、違うでしょ!」
心霊現象否定派の瀬奈はどうしても信じたくないようだけど、今はそんなこと言ってられない。
「ここヤバイよ、帰ろう?」
ギシ…
「う、うん…」
ギシ…ギシ…
私の判断があと数秒速ければ。
見たくない、そう思っても二人の視線は自然と階段の方に向いてしまう。
潰れた階段を四つん這いで下りてくる全身血塗れの女。長い髪で顔は隠れているが、その髪の奥から血走った目で私達を睨み付けている。
「っっ!ひっ!」
人は本当に恐怖を感じた時、上手く声が出ないものなんだと私達は知った。
喉が締め付けられたような息苦しさで、悲鳴なんてとても上げられなかった。
足が動かない、でも目も離せない、徐々に迫り来る恐怖の塊。
女が階段の半ばに差し掛かり、その全身から流れるビチャビチャという気味の悪い血の音が聞こえる距離にまで近付いた時、私の手をグイッと瀬奈が引っ張った。
お陰で足は動くようになったけど、開けておいた玄関が何故か閉まっている。
「アアァ…」
地の底から響くような声とはこの事だろう、ゆっくりだけど着実に背後に女は近付いてくる。
「なんで!もうっ!」
二人で玄関の扉を引っ張る。重い上にキィキィと嫌な音を立てるばかりで、なかなか開かない。
ギシ…ギシ…
「ゥア…アア…」
声が大きくなってきた。それだけ近付いて来たということだろう。
「瀬奈!ヤバイよ!」
「分かってるよ!もっとそっち引っ張って!」
私達の願いが通じたのか、辛うじて体を滑り込ませられるくらいに玄関が開いた。
先に瀬奈が体を滑り込まる。
瀬奈が階段の方を見た瞬間、顔を引き攣らせ悲鳴を呑み込んだのが分かった。
「芽依!早く!」
私の手を強引に引っ張って隙間から無理矢理外に引き摺り出そうとしたと同時に、
ダンッ
という音が後ろから聞こえた。
「え、」
思わず階段の方を見ようとしたけど、瀬奈が物凄い力で私をそのまま外に引き摺り出して重い玄関を閉めた。
ドンッ…グチャ
玄関の扉の内側には、階段から私に向かって飛び掛ったであろう女がへばりついて磨りガラス越しにこっちを見ていた。
「立てる?走るよ!」
瀬奈の言葉よりも早く私たちは駆け出していた。
門を抜けて二人とも全速力で走っても、たった10分の道のりが果てしなく遠く感じる。
私の家に着いて、オートロックを解除する。エレベーターになんて乗ってられなかった。何だかアイツが追ってくるような気がして。
階段で私の部屋がある三階まで駆け上り、震える手で鍵を開けて部屋に転がり込んだ。
「はぁ…はあ…」
肩で息をしながら、何とか施錠をして靴を脱ぎ捨てる。
「な、何だったの…」
「分かんないよ…でも、」
ガンガンガンッ
会話を遮るように、目の前の扉がけたたましい音を立てノックされる。
「ひゃああ!」
「え、なになに!?ちょっと、チェーン!」
掛け忘れてたチェーンを瀬奈が慌てて掛ける。
ガンガンガンッ ガチャガチャガチャガチャ ガンガンガンッ ガンッガチャガチャガチャガチャ
扉が破壊されるのではないかと思うほど、乱暴な音が続く。
「ひぃい!もうやだっ!」
私が目を閉じると同時にザザッという音と共に見たくもない玄関モニターの映像が映し出される。
そこには髪を振り乱し一心不乱に扉を叩きドアノブを回す廃屋で遭遇した血塗れの女が映っていた。
映像をまともに見てしまった瀬奈は、
「きてる…」
小さく呟いて腰を抜かしたようにへたり込んだ。
「と、とりあえず部屋に…」
もう気付かれているだろうけど、なるべく音を立てないように二人で這いずるようにしてリビングへ。
ガンガンガンッ ガチャガチャ ガンガンガンッ
まだ音は続いている。
「ど、どうしよ…」
「どうしようって、私たち零感だし…」
「そうだ、塩撒こう!塩!」
「え、アイツに!?無理だよ!」
と、私たちはパニックになって小声で軽く言い合いをしていた。
いつの間にか扉を叩く乱暴な音は止んでいた。
ピンポーン
「え?」
唐突に鳴らされたインターホン。言い合いをしていたにも関わらずお互いに縋り付く。
ピンポーン ピンポーン
「さっきの女?」
「でもなんで?」
ザザッという音と共に玄関モニターの映像が映し出された。
「警察です!大丈夫ですか?」
そこには二人組の男性警察官が映っていた。
「お宅の玄関に血の跡が続いているという通報がありまして…」
不思議に思いながらも私が応対する。
「え?血の跡ですか?えーと…」
バンッ
「キャー!」
瀬奈の悲鳴で振り返るとベランダの大きな窓に女がベッタリと張り付いて睨んでいた。
その瞬間、遠くに警察官の声を聞きながら私たちは意識を失った。
目を覚ましたのは、瀬奈と共に病院のベッドの上だった。
悲鳴をインターホン越しに聞いた警察官が部屋に突入したところ、私たちは血塗れで倒れていたらしい。
暗かったのと、必死だったので気付かなかったけど、廃屋で遭遇した時にあの女の血が服にかなり付着していたようだ。
私達はもう二度と、肝試しはしないでしょう。
霊感がなくても、霊を信じていなくても、遊び半分で心霊スポットには行かないようにしておいた方が身の為です…
憑いてくる