35、亜季・・・大人になれなくて

隣に誰かいますか?

35、隣に誰かいますか?

 たとえば職場、またはサークル、そして家庭の中、そういった限られた場面で特定の人との間に起きた摩擦を解決するには確かにいくつかの手段がある。
直球を投げて決裂を覚悟に真っこう勝負を挑むか、またはいっさいを無視してひたすら逃げを決め込み別の世界に心地のいい場所を見つけるか。もちろんこの二つの中間を漂いいずれくだされる天の判断を待つというのもある。
ただそのどれを選ぶにしても相手を理解する気持ちと許す心がないと自分の心の平和は訪れない。ただしこの場合自分を偽る程の理解や許しはいらない。こみ上げる感情を鎮め人生を楽しむこつを身につければいい。でも、これが考える以上に難しい。

今を生きる生身の人間は起きているその一点が過去より未来より優先されるものだから。そんな時に別の視点を吹き込み、煮詰まりつつある感情に新たな風を吹き込んでくれる人の存在はありがたい。
あなたにはそんな人がいるだろうか。あなたの近くに、または隣にそんな人がいたらそれが新しい世界への案内人になるかもしれない。

 もちろん丈は亜季にとってけして重要な意味を持つ存在ではない。そう・・・ここまでは。ただ丈が亜季に送った風は亜季の中のエリカという厚い壁の僅かな隙間でヒューヒューと音をたてはじめていた。

「自分の中のエリカを解き放つ。」

(解き放つ・・・?)

今、亜季はエリカの存在と自分が妙に絡まってしまっている事に気付きだしている。

(何故か距離がうまくとれない。私がエリカに入り込みすぎるのか、それともエリカが私の中に踏み込んでくるのか・・・考えて見れば私は彼女の事ほとんど知らない。しかも自分には何の落ち度もないのにどこか罪悪感すら感じていた。

何故?もしかしたら自分と母の正体不明の溝の間に明確な理由が欲しかったのかも。
家族という密接な関係の中で自分をそのまま出せないという事実は年月をかけて根を張り心を締め付ける。わかってくれないという反発の感情を抱きながら一方で母と娘という思いも捨てきれない。

割り切れない感情をいだいたままの長い年月。それでも幼い頃の記憶には母との優しい時間が刻まれている。それがいつからか私は母をまったく合わない人だと感じていた。
そんな不安定な心にエリカという存在が飛び込んで来た。納得のいかない母との関係をエリカという存在で自分の感情の答えを埋め合わせようとしていたのだろうか。エリカは父と母の歴史の中に刻まれた人で私の人生のなかではまったく空白のページに等しいのに。何かがおかしい。)

頭の中で思うひとつ、ひとつが亜季のからだの中を通り抜け店の喧騒の中に亜季の小さな溜息とともに散っていく。

「また溜息?」

ふと顔上げた亜季の前に智香子が立っている。その隣に母の姿。

「智香ちゃんを誘ったのよ。ひとりで来るのも少し気がひけて。」

「そう。」

そう言って亜季は苦笑いを浮かべた。

「エリカさんはどこにいるの?」

「ああ、多分その辺のお客さんの中に埋もれてる。」

「・・・で、あなたはここでひとり?」

「まあね。私はこの方がいいから。」

そこに二つのワイングラスを手に丈があらわれた。
「ああ、お母さん。お久し振りです。相変わらず綺麗で。どうぞ、ワインお好きですよね。で・・・こちらは確か亜季の従姉妹だったかな?」
そういうと智香子にもう一つのワイングラスをさしだした。

「本当にお久し振りね。今はニューヨークとか?大病院の御曹司なのに・・・ご両親はきっとがっかりよ。いつまでやるつもりなの?」

「いやぁ、まさかここでそんな話がでるとは。さすがお母さん。でも・・・多分御曹司よりもっといい暮しをするかもしれない。夢には勝てなくて。まあ、もうすぐセカンドステージです。亜季のステージなかなかですよ。ゆっくり心を癒してください。」
そう言うと丈は亜季の肩を軽く叩き母と智香には笑みを残しカウンターへと戻っていった。

「相変わらず調子のいい人ね。世渡りがうまいんだかへたなんだかわからない。」

その母の言葉に亜季を通り越して智香が答える。

「というより案外深くものを見てる人かも。初めて会った時はなんかやな奴と思ったけど・・・なんかいい味でてるよね。豪快と繊細の融合!・ ・・うん、顔もそう悪くないしね。」
智香子は自分の言葉に酔いしれたようにうなずく。それを 見てて母は溜息をもらす。そして亜季はそんな二人をみて思わず笑っていた。


「あ、いたわ。エリカさんに声をかけてくるわね。」

母がいなくなり智香子が亜季の隣に腰をおろした。
「それにしても叔母さん、凄いね。ライブにさそわれた時は断るつもりだったけどエリカがいるって聞いてこれは行かなくちゃってね。しかも今 亜季のところにいるんだっていうからもうびっくり!私のママならあり得ない。ママと叔母さんが姉妹なんてね・・・わからないもんね。」

「そうね。」
亜季はただ力なくポツリと一言。

「何?全然元気ないけど。」

「別にそういうわけじゃないけど・・・。」

どこか気の抜けた亜季を暫く見つめた智香子が口を開いた。

「あのさ、亜季ってなんでいつも憂鬱そうなの?見た目だってそこそこ・・・まあ、私ほどじゃないけど。環境もまずまず整っているのに。 人生を楽しむ事、忘れてない?
そんなフーフー言ってる間に歳を取っちゃうから。繊細とか、デリケートとかそれもいいけど程度問題だよ。亜季は本当、そこのバランスが悪い。叔母さんのあの逞しさしさは受け継いでいないのかな?もう少し強くならないと。エリカに食べられちゃう。
それにさ・・・さっきの丈さんの亜季を見る目、気がついた?」

「何を?」

「ああ、これだからね。やっぱり亜季はまだ幼い。丈さん亜季の事好きよ。絶対!」

その自信が亜季には少し羨ましい。ただ心の中ではこう呟いていた。
(思い込み恋愛音痴の智香子の絶対なんてあてになるわけない。)


その時店内の灯りが少しずつおとされセカンドステージがまじかに迫る。エリカが亜季のもとに来る。

「お母さん来てるわ。今度はちゃんとやってちょうだい。今から代わりなんて無理なんだから。」

亜季は何も言わずステージに。そしてピアノの横ピッタリと寄り添う様に丈が。そして亜季を見て微笑み一言。
「大丈夫。」

その声が亜季を優しくつつんでいった。

35、亜季・・・大人になれなくて

35、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted