34、亜季・・・大人になれなくて

気がつけば救い人はいつも同じ

34、気がつけば救い人はいつも同じ

 夜、6時。亜季とエリカは母の言葉をそれぞれ抱えたままライブハウスの前に立った。昼間あれほど晴れ渡っていた空から雨が二人の肩に落ち始めていた。

「雨・・・お客さんの出足が鈍るかも。」と亜季が呟く。

「この程度の雨なら大丈夫でしょう・・・?」とエリカ。

たわいない会話が二人の間を力なく行き交う。その時亜季がふと見たエリカの表情は普通の二十代の女性の面立ち。亜季は内心驚いた自分が不思議だった。
(そういえば・・・エリカとどうでもいいようなたわいない会話をした事がなかった気がする。はるかに大人に感じたエリカも実はさほど私と変わらないんだっけ。)

 ニューオリンズのどこかさびれた味わいを意識してデザインされた扉の電光色。
南青山という場所にはけして似合うとは思えないこの店が「Wind Jazzy」
近頃は意外にも若者が連日押し寄せる。はっきりした理由はわからないが50年代のアメリカの金属的な外観と一方で内装は温もりと粗野な雰囲気を併せ持つ気取らないカントリーテイスト。それが若者の足を呼び寄せているらしい。


 無言のまま扉を開け二人は中に。亜季は丈がまだ来ていない事に少しがっかりしていた。

「もうすぐ来るでしょう。」隣でエリカがささやいた。
(この人はどうしていつも私の気持ちを読もうとするのだろう・・・そんなに私が気になる?)

亜季は黙ったままピアノへとむかった。軽く指をならす。
(本当にママは来る?・・・雨も降ってきたし、あまり来てほしくはない、特に今日は。)

エリカはカウンターで早くもビールを片手に店の人との雑談に物憂げな笑い声で応えていた。
(そうなんだ・・・私にはあれができない・・・人見知りというのか、臆病なのか。それで誤解を生む。とっ付きにくいとか、お高くとまっているとか。最初の関わり方がひどく苦手なだけなのに。)


そんな事を思いながらも指が勝手にBlue Moon を奏でる。それもかなりスローなテンポで。
(何だろうこのテンポは?指が・・・重い?それとも気持ち?淳に会ったらどんな顔しよう・・・はあぁ!)

その亜季の溜息の終わりと共に丈が来た。そしていつもの軽快な言葉を亜季に送る。
「おい、おい。かなり引張ってるね。ていうか引張りすぎだろう。今にも落ちそうだよ、月が。」

「そうかもね。」
思わず微笑みを浮かべた亜季。丈の瞳が優しい。その一瞬、何か見えない心地よさが二人の間に存在するかのような感覚が亜季を包んだ。でもそんな一瞬はまばたきをする間に消えていた。エリカがグラスを手に二人のもとに来る。

「雨、ひどくなってない?」

「ポチポチだね。大丈夫だろ。この程度の雨に負けるエリカの魅力じゃないだろう?」

「ああ・・・ニューヨークに行ってもその皮肉は治らないのね。そういうの、向こうで受ける?」

「まあまあかな。ただ、まだ英語力が俺のジョークに追いついていないわけ。でも勝負はこれだから。」
そう言って丈はベースをいとおしげに見ていた。

店には少しずつ客の声が周りだしている。

「じゃあ、そろそろ音あわせに入りましょうか。ああ、今日の選曲はほぼ丈さんだから・・・何か注文はある?」

「いや。ただ・・穏やかに平和に行こう。」
エリカは首をかしげ肩をすぼめてとりあえずの了解。亜季は黙って丈に笑みを返した。


 ファーストステージは亜季にとってはさんざんなものだった。丈のラテン風にアレンジしたナンバーは切れがよくジャズがあまりという人達にもすんなりと体に入る。そんな中で振られるピアノソロは亜季にとっても挑戦と冒険を味わうようでけして嫌いではない・・・そう、いつもの亜季なら。

ただ、今はどうにものれない。時間の経過にも見捨てられたのか気持ちと指は最後までギクシャクしたままだった。エリカは何もなかった様に楽しんでいるというのに。

時折厳しく亜季を見つめるエリカの視線が冷たい。曲の合間に亜季とエリカの隙間を埋める様に放つ丈のジョークになんとか救われ、やっと最初のステージが終わった。
店内にはかるくサウンドが流れ、客達の会話があちこちから響き渡る。


 本来なら次のステージにむけて気持ちをリフレッシュできる時間なのに亜季はなんとか立て直さなければという思いで自分で自分を追い詰めている。エリカは何も言わない、ただ気にいらないという空気の波を亜季に送っていた。冷たく、突き刺すような空気。亜季は情けない思いに打たれていた。そこに丈がそっとカクテルをさしだす。


「俺にはエリカと亜季に何があるかわからないけど・・・気にするな。亜季とエリカは水と油みたいだな。ただ、曲をこなすという意味では妙にいい掛け合いもある。それだけでいいんだよ。一緒に音楽をやっている時だけの関係というのもある。音楽をのぞいたら多分交わる事ないだろう?亜季とエリカは。ふたりは別の時間を生きてきたし多分これからも生き方は別。ただたまにこういう時間を共有する。それともエリカは亜季にとって特別な存在?」

「そういうわけじゃ・・・ただ、ちょっと複雑。」

「・・・そうか。でもエリカと自分の人生は切り離せ。自分の中のエリカを解き放て。そしたらもっと楽に付き合える。ああ、なんか変な事言ってるな、俺。またやっちゃったよ。よくみんな言ってたよな。的外れの丈って。まあ・・・仕方ないな、癖だから。ほら、飲んで酔っちゃえ!そしたら次のステージはのれるぞぉ。」

そう言いながら丈は軽くベースを叩き、可愛い子供の寝顔を見るようにうっとりとベースを眺めた。
亜季はそんな丈の姿に自分の心の波が静かに引いていくのを感じた。

「自分の中のエリカを解き放つ・・・」

丈の言葉がまたひとつ亜季の気持ちを軽くしていた。

34、亜季・・・大人になれなくて

34、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-12

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted