▼欺は狭い宇宙で虚愚を笑う
▽
サイコポップに鬱で毒塗れ。
血腥い。
やけに旧校舎が赤く見えてしまって――血塗れに見えてしまって、これは夢ではないのかと自分の思考をを疑う。
あまりにも有り得ない状況だから。
舎校旧
私が入学した頃には既に新校舎が使われていた。
旧校舎は木造で、校舎自体が老朽化していて危険性が高いからと立入禁止になっている。危険性と日照の関係で旧校舎内は暗く、それによって生まれた変な噂のせいか生徒は勿論、教師でさえも近付かない。余程のことがない限りは誰も入ろうとしなかった。
今はその旧校舎が赤黒く染まっていた。
窓から見える教室の中には、とてつもなくグロテスクな姿で倒れている数百人の生徒。教師も紛れていた。
――?
新校舎の渡り廊下を通って、旧校舎に向かった。
やけに大きく立てられた立入禁止の看板は乗り越えるまでもなく、既に薙ぎ倒されていた。それもまた、当たり前のように赤黒いもので塗り潰されている。血腥い。
見たままを言うならば。
4階建ての旧校舎内の全てに人が散らばっていた。
文字通り、散らされたように至るところに生徒や教師が倒れていたのだ。窓から見たのと変わらず、どんなスプラッター映画よりもグロテスクな姿で。
血腥い。
どうしようもなく血腥い。
絵の具を撒き散らしたように辺りは赤黒く、染み付いたように血の匂いがする。グロテスクな光景と血腥さで吐き気を催す。精神的ダメージに加えて、肉体的ダメージまで喰らってしまった。
――?
一通り旧校舎を回って見たところで、4階の教室で立ち止まった。
冷静に考えてみれば、この状況は明らかにおかしい。
これで逃げ出さない私もおかしいけれど。
状況から察するに虐殺とでも言おうか――惨殺とも。
何がどうなって、この状況に至るのか。
時間的には、一晩しか経っていない。その間に生徒と教師が殺されたと考えるのが妥当だろう。
――誰が。
1人で数百人を殺すなんてできないことだと思うけれど、然しながら、ここで1つある事件を思い出した。
ここ1ヶ月の間に、私が住む都市では数百人ほど殺されている。
殺人鬼が現れたとかなんとか。
1日で数十人が殺されていて、近所からは殆ど人がいなくなってしまった。
殺されているのは年齢や性別等は関係ないようで、赤子や子供、果ては老人までも、遺体が発見されている。
被害者は決まって滅多刺しで死んでいる。
遺体はとてつもなく、この上なくグロテスクな姿を晒すように道端に捨てられていたり、隠すように家のクローゼットに押し込まれていたりと様々だと言う。
こんなことが毎日ニュースや新聞で報道されるのは当たり前になっていて、未だに警察機関等も犯人を特定することが出来ていないらしい。
さて。
ここまで言って、分かる人は分かってしまうのだろう。
これも、その殺人鬼がやったのではないか、と。
疑ってしまう。
昨日まで殺人鬼のニュースを聞かされていて、翌日学校へ行ったら数百人が死んでいるなんて、そうとしか考えられないのだ。常人ができるようなことじゃない。あまりにも悍ましくて、気味の悪い話だ。
報道される殺人鬼ではなく、他の誰かだったとしても、それが新しい殺人鬼にもなり得る。
考えたくもない。
がたがた、と。
私が立ち止まっていた教室の掃除用具入れ、隅に備え付けられたロッカーから物音がしている。
中に誰かいるようだ。中にいるのが生徒であれば、きっと殺人鬼から逃れるために隠れていたのだろう。
ばん。
勢い良く開いたロッカーの中には、血塗れの男子生徒。
ああ、こいつは。
同じクラスの、隣の席の男子生徒だ――榎本とか言ったか。特に会話をしたこともないので、よく知らない。女子生徒がよくこいつのことを話しているから、それなりに人気はあるんじゃないか。
知らないけど。
この状況について知っていることがあるかもしれないと、私は口を開く。
「ずっと隠れてたのか?」
「……」
にこり。
榎本は、明らかに今の質問に似合わない笑顔を見せた。有り得ない状況に気が狂ったのか、今にも笑い声を上げてしまいそうだった。
質問には答えない。答えたくないと言わんばかりに沈黙していた。
もう一度、口を開く。
「……答えろ。ここにいたのか?」
「……」
黙沈
睨みつけようが高圧的な口調で話そうが榎本は動じなかった。それどころか、くすくすと笑い始めた。
不快感を覚えたけれど、それ以上に血腥いので、精神的ダメージが増えていった。頭痛や吐き気が襲ってくる中で、会話をしようと試みていた。
「誰がやったんだろうな、これは」
笑顔を崩さずに、榎本は背に手を回す。何をしているのか――問うけれど、答えるはずもなく、何かを掴んだ。
そして、一言。
「俺がやった」
▽
飲み込めない。
おかしい――発言が。
発言どころじゃない。榎本の笑顔も、状況も、私の思考も。
榎本は背に隠していたのか、裁ち切り鋏を掴んでこちらに向けた。
鋏の刃を見なければ良かったと後悔する。
刃全体に赤黒い血がついていた。血は乾いていないため、床にぽたぽたと滴り落ちた。疎らな模様を作り上げていた。
変わらない。
笑顔のまま、榎本が口を開く。
「まだ理解できねえよな。俺だってお前だったらもう一度聞き返すくらいはする。だから聞かれる前に答えてやるよ、俺がやったんだ」
話している間にも、榎本は距離を詰めてくる。鋏の刃を私に向けたまま、にこにこと気持ち悪いほどに笑顔を浮かべて。
一方私は。
危機を察知できない。
呆気にとられてしまって、ただ一方的に話す相手を見つめて立ち尽くしたまま。
無意識の内に恐怖を感じているのかは分からないが、足が棒のようになってしまって動かない。脳から目を背けるなと命令を下されたように、視線さえも固定されてしまっている。
じりじりと、ゆっくりと、のらりくらりと榎本は近付いてくる。いつの間にか鋏に付着した血は乾いていて、滴り落ちることもなかった。
自分の口元に違和感を感じて。
「……俺よりお前の方が狂ってんじゃねえの」
榎本は立ち止まって、恐怖と怒りが入り交じったような表情になった。それどころか暴言すら吐いた。
まあ、一理あるけれど。
確かに、おかしいかもしれないな。この状況で逃げ出さないなんて、冷静過ぎて、自分で自分が怖くなる。
が、相手は顔を顰める。
「顔、笑ってるよ。狂ったか?」
――は?
私が笑っている?
本来ならば、私の表情は恐怖に怯えた小動物のようなものになっているはずだろうに。この状況で笑っているなんて、目の前の男よりもおかしいじゃないか。
ひとりで考え込んでいれば、その間に榎本は歩みを進めていた。鋏を持ち直して、完全に刺すような持ち方にして。
「まあいいか。この学校の生徒と教師はお前以外殺したんだ、あとはお前が死ねば全員殺したことになるんだよ。俺の目的は学校にいた人間の全てを殺すことだ。俺の目的の為に死んでくれ」
ぐちゃり。
左目から、嫌な音がした。
酷い痛みと共に、どろどろと溢れ出る生温い液体。旧校舎で見たような、赤黒く、血腥いものだった。
ぐちゃり。
また嫌な音がして、左目から何かが引き抜かれた。
覚束無い視界でそれを見れば、短時間で見慣れてしまった鋏だった。そこでやっと、鋏を左目に刺されたのだと理解した。
榎本はげらげらと大きな笑い声を上げていた。狂気的な笑い声と、左目から襲う痛みで吐き気がした。
「……痛えな」
「あ?」
「痛いんだよクソ野郎……」
近くに落ちていたバットを構えて、思い切り振りかぶった。
▽
バッターだったからな、振りかぶるのは得意なんだよ。
からん。
鋏が、私の足元に落ちていった。
思い切り振りかぶったバットの先には、呻き声を上げて蹲る榎本。武器は既に失われ、榎本は舌打ちをして鋏を拾おうと動いていた。手を踏み付けると、また呻き声を上げた。
蹲る榎本を見て、口元の違和感は違和感でなくなった。
にやり。
勝機を掴み、私はこの状況を楽しんでしまっている。確かなことだった。
「……あー、痛い」
左目から垂れる血が制服に染み付いたけれど、そんなことどうでもよくなっていた。
そんなことより。
怒りに任せて榎本の腹部にバットを叩き込む。
鈍い音と共に、榎本が吐血した。やり過ぎだなんて思わなかったし、寧ろ嗜虐的になっていたから、もっと殴りたいと感じていた。殺しそう。
徐々に強くなる高揚感に身を任せて、もう一度、思い切りバットを叩き込む。鈍い音と骨が折れたような音に心地良さを覚えた。榎本がしていたように、私はげらげらと大きな笑い声までも上げていた。
「今だけお前の気持ち分かるよ。人を殴るのがこんなに楽しいなんてな」
ばきり。
肋骨でも折れたのか、胸部から骨が崩れたような音がした。またしても榎本は血を吐く。咳き込んで、それに混じって血が流れていて、気持ち悪い、と思ってしまった。自分の行為のお陰なのに。
榎本は床に蹲ったまま、掠れた声で何かを呟いていた。ぶつぶつと、耳障りな声で。
「す……殺……殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「……うるせえな、黙れよカス」
暴言を吐いて、また大きな声を上げて笑った。嬉しくて、楽しくて堪らない。
蹲る榎本の横に屈んで、完全に折れたであろう肋骨があった場所に拳をぶち込んだ。榎本は悲鳴も上げずに、呻き声を出さないように唇を噛み締めていた。
「悔しいか? 惨めか? 恥ずかしいか?」
「……畜生……殺す……」
悔やむように、惨めで恥ずかしいと言ったように榎本はただひたすらに暴言を吐く。げらげらと笑えば、舌打ちをして呻き声を上げる。
オーバーキル。
的な。
「悔しくて惨めで恥ずかしいよなあ? 殺すつもりが気付いたら瀕死とかクソみたいな話だよな。世間に名を馳せていたほど強かったのに、ただの高校生に殺されかけるなんて恥ずかしい話だよな、私なら今すぐ自殺してるよ」
ぐちゃり、ぐちゃり。
骨がないからか、腹部を殴ると直接臓器に触ったような感覚に陥った。
榎本は既に息も掠れて、まともに声を出すことも不可能なようだ。喉から、声にならない声だけが発せられていた。
「……ころ……す……」
「……おい」
「し……ね……クソが……」
「……」
「俺、が……こ、ろされる……ありえない……さつじんき、なのに……」
なんだ。
今の発言で理解した。
こいつは自分が殺人鬼であることが自分を存在させるものだとでも思っていたのだろう。殺人鬼である自分に酔っていただけだ。それ故に、こんなことになるなんて想像していなかったのだ。
傲慢で、自分を過信していて、殺人鬼であるということに偏執していた。
それだけだ。
「自分を過信するなよ、一般人。お前がどれほど強かろうが、自分の存在を確立させることはできねえんだよ。寧ろ誰にも見てもらえないし、お前が人を殺すことで確実にお前を見る人は減ってる。ますます見てもらえなくなるだろうよ」
ぐちゃり。
ナイフで腹部を一刺しすると、榎本は呼吸を止めた。……心臓を刺している訳じゃない。すぐに見つかれば、死ぬことはないだろう。
私はげらげらと笑い声を上げることもなく、手にしているバットをもう一度握り締めた。我に返ると、左目の痛みも精神的ダメージも酷いもので、体が震えてしまって立つこともままならない。頭痛と精神的に来るものがあったようで、突然、というか必然的に意識を失った。
当たり前か。
▽
談日後
目覚めた。
病院だった。
あれは夢だったのではないか――どうしても、なにを根拠に語られようとそう思ってしまう。
現実は。
左目に巻かれた包帯から、あれは夢なんかじゃなくしっかりとした、現実に起こったことなのだと分かった。知らされた。
知りたくもない事実だったけれど。
結果として。
榎本は死んでいなかった。
あの後、近所の人が通報していたらしい。発見が早かったからか、榎本は瀕死ではあるけれど一命は取り留めたようだ。肋骨が砕けようが、内蔵が潰れるまで殴られようが彼は生きていた。化け物か。
私の左目は回復しないようだ。
目が覚めていちばん初めに言われたことだ。
硝子体やら網膜やらがぐちゃぐちゃになってしまったと言われたけれど、私に医学的な知識はないので詳しいことを言われても分からなかった。
どうせもう回復しないのなら、硝子玉でもなんでも突っ込んでおけばおかしくはないと思う。友人からドールアイでも貰えるし、その気になれば穴のままだって良かった。
まあ、そんなところで。
しばらくはドールアイを入れて過ごすつもりだ。
それにほら、硝子玉って綺麗だし。
それから。
退院して初めて榎本に会った。
対峙した時と変わらず、にこにこと気持ち悪いほどに笑っていた。やけに飄々とした態度で、質問したこともなにも答えないため、少しだけ苛立った。
問疑
「……どうして学校を狙ったんだ?」
「……」
答えない。
睨み付けても、威圧的な態度をとっても、答えない。
まるでこいつと対峙した時と同じじゃないか――榎本は答えるはずもないと分かってはいたけれど。
再
「答えろ。別にあの時みたいに瀕死にするわけじゃない。純粋な疑問だよ」
「うん、まあ、気分だよ、気分。特に理由なんてない。民間人を襲うのと学校を襲うのとに違いはないからな」
「うわあ……」
まとめ。
私があの時、学校の生徒や教師の仇を取りたかった訳ではなく、ただひたすらに、痛みを与えられたことに対して怒りを覚えていただけだった。逆上して、やり過ぎただけ。
榎本の正体については明かされていない。状況から見て、殺人鬼だとは判断されなかったようだ。あれだけ大怪我を負っていたら、殺人鬼だと思われないだろうけれど。
学校の事件については、殺人鬼の犯行であると断定された。既にニュースや新聞なんかで報道されていて、世間に事実は浸透している。事実だから、今更変えることも隠すこともできないだろう。
バット。
あの時榎本を思い切り殴ったバットは、今も持っている。血塗れでとても表に出せたものでは無かったので、ある程度汚れは落として使っている。
昔は野球をやっていたんだよ、私は。
殺人鬼を殴るくらい、なんてことないよ。
△後序
後書き的なもの
とりあえず読んでくれたことに感謝して。
解説とこれからの話
序章。
と言うか、前置きみたいな話です。
大虐殺が起こった学校は陥落、学校としての機能は失いました。取り壊す資金も人もいないので、廃墟として残っているつもりです。
あくまで私の中で作っている世界なので、学校については想像にお任せします。
榎本とか主人公は別だけど。
主人公は女子高生。口悪いサディスみたいな子。野球やってた。
榎本は主人公のクラスメイトの男子高校生。頭おかしい。
まあ、そんなところで。
次の話も読んでもらえれば嬉しいです。
▼欺は狭い宇宙で虚愚を笑う