すーちーちゃん(1)

一 四月

「みなさん、席に着いて」
 担任の川崎先生が教壇に立っている。その横には、見知らぬ女の子がいる。髪はおかっぱで、目が大きい。肌の色は白い。いや、白いと言うよりも透明だ。血管が青く浮き出ている。でも、見た目は普通の女の子だ。
「みなさんに紹介します。転校生の龍野子すーちーさんです」
 名前を呼ばれた女の子がお時儀をした。
「龍野子すーちーです。よろしくお願いします」
 女の子は首をかしげるようにして頭を下げた。にこっと笑った口元からきらりと光る物が見えた。八重歯だ。可愛い。でも、噛まれたら血が出そうにくらい、とがっている。
「それじゃあ、龍野子さん。鈴木さんの隣に座ってください」
「はい」
あたしは急に名前を呼ばれたものだから、起立して、思わず返事をしてしまった。
「鈴木さんは返事をしなくてもいいのよ」
「はい」
 また、返事をしてしまった。教室中から笑い声が上がる。あたしは顔を真っ赤にして俯いて座った。
「よろしくね」
 すーちーちゃんがあたしの隣の席に座った。やっぱり、八重歯がきらりと光った。彼女の魅力だけど、あたしにとっては何だか少し怖い。
「よろしく。あたしは鈴木さやか。さやかって呼んで」
「さやかちゃんね。あたしもすーちーと呼んで」
 すーちーちゃんの目が悩ましい。あたしの顔は見ないで、あたしの首筋を見ているような気がする。思わず。首筋を手で触る。それに気づいたのか、すーちーちゃんはあたしの首筋から目をそらし、前に向いた。あたしも先生の方に目を遣った。
「さあ、教科書のページを開けて」
 川崎先生が黒板に向いた。
 あたしは机の下から教科書とノートを取り出す。隣を見る。すーちーちゃんの机の上には何もない。転校してきたばかりだから、まだ、教科書がないのだろう。
「一緒に見ようか?」
 すーちーちゃんに声を掛ける。
「ありがとう」
 あたしは机を横にずらし、すーちーちゃんの机に引っ付ける。椅子も横にガタリと寄せた。教科書を真ん中において、二人で見る。先生が黒板に説明を書く。あたしはノートに写す。ふと、横を見る。すーちーちゃんはノートを出していない。ノートも忘れたのか。
「ノートも貸してあげようか?」
「ううん。いらないの」
「いらないって?」
「全部、頭の中で覚えるから」
「すごいんだ」
「だって、その方が面倒くさくないの。その代わり、教科書をちょっと貸して?」
「いいよ」
 すーちーちゃんは教科書を両手で持つと、顔に近づけた。そして、おもむろに、教科書にキスをした。あたしはびっくりした。
「何をしているの?」
「キスをすると、教科書の中身があたしの頭の中に滑り込んでくるの」
「ほんと?」
「ほんとよ」
 すーちーちゃんは真面目な顔でうなずく。でも、本当だったら、すごいし、楽だ。授業に出なくても、ノートを取らなくても、全て知識が入るのだったら、復習しなくてもいい。
「ちょっと、貸して」
 すーちーちゃんがあたしの筆箱から鉛筆を取り出した。鉛筆を口に咥えた。キスをしている。ちゅうちゅうしている。
「この鉛筆。さやかちゃんのおばあちゃんに買ってもらったの?」
 あたしは鉛筆を受け取った。普段は、お母さんが買ってくれるけれど、この鉛筆は違う。おばあちゃんの家に行った時に、おばあちゃんがくれた鉛筆だ。
「どうしてわかるの?」
「鉛筆がそう言っているの。ちゅうちゅうしたら鉛筆が教えてくれるんだ」
 あたしはすーちーちゃんから鉛筆をもらい、同じようにちゅうちゅうしたけれど、鉛筆の味がするだけだ。何にもわからない。鉛筆は何も語ってくれない。
 すーちーちゃんは、あたしをからかっているんだ。鉛筆の件は、偶然に当たっただけだ。それなら・・・。
「じゃあ。この消しゴムは?」
 すーちーちゃんはあたしから消しゴムを受け取ると、口を引っ付けて、ちゅうちゅうしだした。
「これ、さやかちゃんのお兄ちゃんのものじゃないの。お兄ちゃんが、困って探しているよ」
 そうだった。あたしは消しゴムがないからおにいちゃんの筆箱から勝手に持って来たんだ。
「どうしてわかるの?」
「わかるんじゃなくて、消しゴムがそう言っているの」
 不思議なことを言うすーちーちゃんだ。あたしも、消しゴムの臭いを嗅いで、キスをするけど苦い味はしても、消しゴムは何もしゃべってくれない。
 「誰?授業中に、おしゃべりをしているのは」
 川崎先生が黒板から振り返った。あたしとすーちーちゃんは頭を下げて、ノートを取るまねをした。すーちーちゃんは謎の女の子だ。 
 午前中の授業が終わり、給食の時間だ。同級生たちは立ち上がり、机を向かい合わせにする。あたしは給食当番だ。白いかっぽう着を被り、おかずを配る。今日のおかずはシャケのフライだ。みんなの皿にひとつひとつ配っていく。
 すーちーちゃんの前に来た。にこっと笑った。八重歯が光る。
「どうぞ」
「ありがとう」
 赤い切り身がすーちーちゃんの目の前の皿に置かれた。一瞬だが、すーちーちゃんの目が大きく開き、口から、あの八重歯が飛び出したかのように見えた。
「あっ」
 あたしは驚いて、シャケの入った箱を落としそうになった。
「大丈夫?」
 すーちーちゃんが箱を支えてくれた。
「ありがとう」
 すーちーちゃんの顔が真近に見えた。目も普通の大きさで、口から八重歯が飛び出してはいなかった。あたしの見間違い、勘違いだ、のはずだ。
 すーちーちゃんは椅子に戻った。あたしは何事もなかったかのように、シャケのフライをみんなに配った。
「いただきます」
 川崎先生の声に続いて、みんなの「いただきまあーす」の合唱が教室に響き渡った。
 あたしは箸を持ったまま手を合わせる。あたしの横は橋本君。あたしの前はすーちーちゃん。すーちーちゃんの横は山本君。四人が一緒に給食を食べる。給食のメニューは、コッペパンと牛乳とバナナとシャケのフライとサラダだ。
 あたしは最初に牛乳を飲む。口の中が乾いていると食べづらいからだ。いつも、そうする。あたしの習慣だ。癖だ。
 いつからだろう、そんな癖は。多分、小さい頃、おばあちゃんの家で、いつも、おばあちゃんがおまんじゅうを食べる前にお茶を飲んでいたので、子ども心に、食べ物を食べる前には、ひと口、何かの飲みものを口に含む癖がついたのだ。そんなことを思いだしながら、ごくと喉を鳴らす。何か視線を感じた。すーちーちゃんの目だ。
「何か、あたしの喉に何かついている?」
「うううん。そんなんじゃないの。さやかちゃんは、美味しそうに牛乳を飲むから」
「あたし、いつも、パンやおかずを食べる前に、牛乳をひと口、飲むのが癖なの」
「そうなの。でも、美味しそうに飲むのね」
 すーちーちゃんは、今度は、あたしの隣の橋本君、そして、横隣の山本君を見た。食べている姿を見ているようだが、すーちーちゃんの目は、明らかに二人の喉を見ている。パンやサラダが口に放り込まれ、口の中で動き、喉を通る様子をじっと眺めている。
「ごちそうさま」
山本君が食べ終わった。でも、シャケが半分残っている。
「全部食べないと、先生に怒られるよ」
 あたしが山本君に注意する。
「そうだよ、山本。早く食べ終わって、ドッジボールに行こうとしているんだろうけど、俺も早く食べ終わるから、待ってくれよ」
「そんなんじゃないんだ。このシャケ、きれいに焼けていないから、少し生なんだよ。俺、魚の生は苦手なんだ」
「へえ、そうなんだ」
「山本は、ぜいたくだぞ」
「嫌いな物は嫌いなんだ」
「先生に、注意されるわよ」
「ドッボールに行けなくてもしらないぞ」
 あたしと橋本君が山本君に脅しをかける。
 すると、突然、すーちーちゃんが
「じゃあ、あたしが食べる」と、手でシャケのフライを掴むと口の中に放り込んだ。あっけに取られる三人。
「美味しいじゃない。何でも、生のほうが、特に、血がしたたるほうが美味しいのよ。ごちそうさま」
 すーちーちゃんは、続いて、自分の給食を全てたいらげると、空になった食器を片づけに、席を立った。
 あたしと橋本君と山本君は、お互いに顔を見合わせる。
「おっ、助かった」
山本君は、すーちーちゃんに続いて、席を立った。
 休憩時間になった。橋本君や山本君を始め、男の子たちが教室を飛び出して行く。
「すーちーちゃんも行こう」
 あたしは誘う。
「どこへ?」
「運動場。みんな、ドッジボールをやっているの」
「ドッジボール?」
「ドッジボールを知らないの?相手に向かってボールを投げて、ボールを取れなければアウトになるゲームよ」
「知っているわ」
「じゃあ。行こう」
 あたしとすーちーちゃんは教室を出した。運動場のあちこちでは、上級生や下級生、他のクラスの人たちが、所狭しとコートを引いて、ドッジボールを楽しんでいる。
「いた、いた」
 運動場の北側のプールの近くで、山本君がボールを投げ、橋本君がそのボールを受けている姿が見えた。
「あそこよ」
 あたしたちは走った。
「仲間に入れてよ」
「いいよ。こっちにはいってくれよ。こっちの方が人数は少ないんだ」
 ボールを持った山本君が顔を向けた。
 あたしはコートの中に入ろうとした。でも、何かが足りない。そう、すーちーちゃんがいない。後ろを振り返る。すーちーちゃんがよたよたと走りながらやってくる。すーちーちゃんは走るのが苦手なんだ。
「大丈夫?」
「大丈夫。あたし、あんまり日光に当たるのが苦手なの」
 確かに、すーちーちゃんは、顔は色白だ。色黒のあたしと反対だ。その白い顔に青みがさしている。
「ドッジボールできる?」
「できるよ」
「じゃあ、やろう」
 あたしとすーちーちゃんは山本君のいるチームに入った。ボールは相手チームが支配している。内野から外野、外野から内野にパスが行き交う。その度ごとに、あたしたちはコートの中を前に進んだり、後ろに下がったりする。
 シュー。相手チームの橋本君があたしに向かってアタックしてきた。顔面の高さだ。やばい。あたしは頭を下げた。バシ。あたしの後ろで音がした。誰かが当たった。でも、ボールは近くに転がっていない。後ろを振り向いた。すーちーちゃんだ。すーちーちゃんが顔面でボールを受け止めている。すごい。走るのは苦手かも知れないけれど、ボールをキャッチするのは上手い。でも、顔面では受けたくない。
「ナイス、キャッチ」
 あたしが声を掛ける。でも、すーちーちゃんは顔にボールをくっつけたまま動こうとしない。その姿を見て、あたしたちは一瞬凍りついた。やばい。どうなって何が、いや、何がどうなっているのか、わからない。
「すーちーちゃん?大丈夫?顔が痛いの?鼻血がでたの?」
 ようやく、あたしはすーちーちゃんに近づいた。
「ボゴボゴボゴ」
 何を言っているのかわからないけれど、何かに必死に取り組んでいるように見える。何に? あたしはさらにすーちーちゃんの側に寄った。ボールと顔の隙間から覗いた。
「何しているの?」
 すーちーちゃんはようやく顔面からボールを離すと
「ちゅうちゅうしているの」としゃべった。そう、 すーちーちゃんは顔面のボールの中の空気を吸いこもうとしていたのだ。
「でも、なかなか吸いこめないの」
 あたしは立ち止ったまま、再び凍りついた。昼休みの終了の音楽が流れ出した。
「みんな、いこ。鈴木、後は頼んだぞ」
 山本君たちは、あたしたちを置き去りにすると、一斉に教室に向かって駆けだした。あたしとすーちーちゃんだけが運動場に取り残された。すーちーちゃんは相変わらずボールの中の空気を吸い続け、あたしはその様子を固まったまま見つめていた。
 いつものことながら、給食を食べ、昼休みに運動をした後は、眠たくなる。目は、お客さんの多いスーパーの自動ドアのように、開いたり閉じられたりが繰り返され、先生がしゃべっている声が遠くになったり、近くになったりして聞える。頭は、こっくりこっくりの永久運動をし始めた。もうだめだ。あたしは教室にいながら、魔法のじゅうたんで眠りの宮殿に飛んで行く。その絨毯がある音で地面に落ちた。
「ガリリ、ガリリ、ガリリ」
 何の音?音のする方、それは左側から聞える。左側には、すーちーちゃん。寝ている。机に顔を伏せている。その音は、いびき?歯ぎしり?いや、歯で机を齧っている音だ。すーちーちゃんの八重歯が、前歯が、横歯が、奥歯が、机の角を噛んでいる。
「ガリリ、ガリリ、ガリリ」
 その音に、クラス中の視線が集まる。
「すーちーちゃん」
 あたしは小さな声で呼んだ。
 だが、「ガリリ、ガリリ、ガリリ」の答えが返って来るのみ。ダメだ。起きない。すたすたすたと足音がした。先生だ。先生がすーちーちゃんの机の横に立った。
「龍野子さん。起きなさい。今は、授業中ですよ」
 優しい声だが、怒気を含んでいる。
 その声に対しても、「ガリリ、ガリリ、ガリリ」と返事するすーちーちゃん。
「龍野子さん。起きなさい」先生山が噴火した。溶岩が流れだした。
「龍野子さん!」
「ガリリリリ」
 その声に驚いたのか、すーちーちゃんが突然、先生の手を噛んだ。
「ひえー」
 先生は驚きのあまり、卒倒しそうなった。あたしは、すーちーちゃんを先生の手から引き離し、あたしの前の席の山本君と橋本君が崩れ落ちる先生を支えた。すーちーちゃんは眠ったままで、再び、机の端をガリリと噛んでいた。

すーちーちゃん(1)

すーちーちゃん(1)

ある日、転校してきた少女が吸血鬼だった。一 四月

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-11

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