髪隠し

髪隠し

 武士の魂と言えば刀であるが、マゲも武士にとっては命と同じぐらい大事なものなのだ。もし、マゲが結えないほどに髪が薄くなる、あるいは禿げてしまった場合は、家督を嫡男に譲り、隠居しなくてはならなかったのである。もしくは、主君の許可を得て「付けマゲ」を着用し、そのまま役職をつづけるこもできたという。もちろん、カツラを着用していたのは武士だけではない。女性でも付け毛を着用していた者は少なくなかったのだ。
 この作品は、そんなヅラびとを主人公にした、いままでにない時代劇なのです。一応コメディなので、時代劇に興味のない方でも十分楽しめる内容になっています。初期の作品なので文章は下手ですが(いまもだけど)、どうぞお楽しみくださいませ!


***** 金曜ロードショー「髪隠し」 *****                                         
 https://www.youtube.com/watch?v=wCDiRGUTfq0

・オープニング
 https://www.youtube.com/watch?v=MFgdm0VvX0c
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm24467855(予備)

マゲはいずこへ……

マゲはいずこへ……

 時は将軍良伸(よしのぶ)治世(ちせい)。武士の間では髪が薄く、マゲが結えない者も少なくなかった。しかし、マゲは刀と同様、武士の命。したがってヅラをかぶらねばならない。そのヅラは〝つけマゲ〟といい、あたまにのせるだけの簡単なものなのだが、それを着用するには主君の許可が必要であり、どうしても自分がハゲであることを白状しなければならなかった。世間では、そんな彼らのことを「ヅラびと」と呼び(さげす)んでいるのであった。
 ところがある日、そんな世間を驚愕させる、ある奇妙な事件が起こった。

 ――江戸・浅草。
 八月の、ある蒸し暑い晩のことである。深夜、寝ている間にマゲをキレイに剃り落とされ、坊主頭にされるという奇妙な事件が江戸中のいたるところで起こった。しかも、どういうわけか侍ばかりが狙われ、女、子供の被害は一切なかった。昨夜一晩の被害は五十人と意外に多く、しかも驚くことに、彼らは武士でありながら誰ひとりとして朝まで気がつく者はいなかったのである。まさに武士の面目丸つぶれである。と言うより、下手人(げしゅにん)は只者ではない、と(かぶり)鏡之助(きょうのすけ)は考えていた。
 はたして、下手人の目的は何なのか。世間では、この下手人を〝髪隠(かみかく)し〟と呼んで恐れるのであった。
「む?」
 鏡之助が東橋(吾妻橋)近くをぶらついていると、奇妙な行列に出くわした。その行列をなしているのは頬っ被りをした侍たちで、人数はおよそ五十人。ゆうべの被害にあった侍たちと、ほぼ同じ数であった。
「あの行列はひょっとして……。よし、ちょいとつけてみるか」
 鏡之助は行列の後をつけてみた。いったい、彼らはどこへ向かおうとしているのか。蔵前(くらまえ)近くまでつけたときである。行列の先頭が、ある一軒の小間物問屋に入っていった。
「ここは……桂屋(かつらや)、か」
 この桂屋という小間物問屋は、三代続く大店(おおだな)の老舗である。このあたりでは唯一ヅラを取り扱っている店であった。ただ、つけマゲなどは髪結いなどでも取り扱っていたのだが、桂屋のヅラは精巧に出来ていたので評判がよかった。もちろんヅラだけでなく、爪楊枝(つまようじ)から(かんざし)など、さまざまな物を扱っていた。さて、この侍たちは何を求めて桂屋へやってきたのか。
 鏡之助が遠巻きにながめていると、そこへ三代目の主人・桂屋(かつらや)清兵衛(せいべい)が店先に姿を現した。丸い顔に厚い唇、険しい目つき。まるで、絵に描いたような悪人面の太った男だ。この桂屋清兵衛という男は、裏ではヤクザや地回りなどを使って同業者に嫌がらせをするなど、いろいろとあこぎなこともやっているというウワサがあった。
 やがて店から出てきた侍たちは頬っ被り姿ではなく、立派なマゲのヅラを頭にのせて、満足そうに帰っていくのであった。しかも、なかには高価な毛生え薬を買う者までいる始末。
 人の弱みにつけ込みやがって。鏡之助は忌々しく思った。だが、ヅラびとにはヅラはなくてはならないもの。桂屋のような店がなければ、ヅラびとたちは生きてゆくことはできないのだ。
「そこがヅラびとのつれぇところ、か」
 とか何とか言いながら、鏡之助は立ち去って行くのであった。

 桂屋を後にすると、鏡之助は両国橋近くの、ある一軒のだんご茶屋で足を休めた。
「おやじ、白湯(さゆ)をくれ」 
「へい、ただいま」
 帯から刀を外して床几(しょうぎ)に腰を下ろすと、茶屋の主人が白湯を運んできた。七十近い痩せた男で、少ない髪で結ったマゲは、ほとんどが白髪である。
「ダンナも聞きやしたかい? ゆうべの話」
「ああ。そのマゲを剃られた連中を、さっきそこで見かけたよ。桂屋でな」
「ヅラを買いなすっていたか」
 茶屋の主人が気の毒そうに相槌を打った。
「まったく、世知辛い世の中で」
「だが、いくら寝ているとはいえ、(さと)られることなくマゲを剃り落とすなんざぁ、並の人間にできることじゃねえ。しかも、相手が(さむれ)ぇとなりゃあ、尚更だ。そうは思わねえかい?」
「へえ。でもまあ、ダンナが剃られる心配(しんぺ)ぇは()えでしょうが」
 去り際に、鏡之助の生え際をチラリとみて主人が呟いた。
「おやじ。いま、なにか言ったかい?」
 鏡之助に油断はない。茶屋の主人の言葉を、けっして聞き逃がしてはいなかった。実は、鏡之助のムシリ頭はヅラなのである。七年ほど前から(にわ)かに生え際が薄くなりはじめ、この浪人髷のヅラも四、五年ほど前から被り続けているものであった。
 うっかり口を滑らせた茶屋の主人は、うろたえた様子で額に冷や汗を浮かべていた。
「え? いや、なぁに、こっちのことで。ハ、ハハハ……。あ、いらっしゃいやし」
 客がひとりやって来た。旅の薬売りのようだ。
「お茶とだんごを」
 注文しながら、薬売りの男が鏡之助のとなりに腰掛けた。しかし、油断のない鏡之助はけっして見逃さなかった。この薬売りの男が、座りながらヅラを二度見した瞬間を。
 どうもおかしい。鏡之助は恐る恐る白湯の入った湯呑を覗き込んだ。
杞憂(きゆう)であればいいが……」
 白湯にマゲを映し出し、確認する。額の生え際、前後左右の傾き加減、どこも異常はなかった。
「なんでえ。どこもズレちゃいねえじゃねえか。脅かしやがって……」
 ひとりぶつぶつ言いながら湯呑を覗き込んでいると、その様子を訝しそうに眺めながら、薬売りの男がだんごをかじっていた。
「お、おお。茶柱が……」
 とかなんとか言ってわざとらしくとぼけると、鏡之助は〝白湯〟を一息に飲み干すのであった。
「おやじ、ここ置くぜ」
 なんとなく気まずくなったので、鏡之助は勘定を払って店を後にした。
「なあに、鳥黐(とりもち)でしっかりとネバつけてあるんだ。ズレる心配(しんぺ)ぇはねえさ」
 ズレるどころか外れる心配すらない。鏡之助には自信があった。だが、なにか妙な違和感を感じていた。なぜか道を行く人々が、すれ違うたびにチラリと自分を振り返るのだ。たしかによくあることではあるのだが、しかし、それは自分がいい男だからであって、けっしてヅラに気づいた訳ではないのだ、と都合のいい解釈をして自己満足する鏡之助なのであった。
 長屋に戻ると、鏡之助はさっそく手鏡を覗いてみた。
「……おかしい。どこもずれてはいないし、生え際すらわからない。なのになぜ……」
 街ですれ違うたびに、なぜかみんな自分を振り返るのだ。やはり、原因はこの大きなマゲのせいなのだろうか。このマゲは、通常の三倍の太さはある。よく見ると、この大きなマゲは確かに、いや、かなり不自然だった。
「過ぎたるは(なお)及ばざるが如し、か」
 とかなんとか言って高笑いする鏡之助なのであった。

 翌朝。
 井戸端で、長屋の女たちがうわさ話に花を咲かせている。
「やあ、おはよう。みんなでなにを話してるんだい?」
 鏡之助が声をかけると、おなじ長屋のとなりに住む大工の女房が、茶碗を洗う手を止めた。
「あ、(きょう)さん。ゆうべも出たんですってよ。髪隠し」
「なに、またか」
 大工の女房の話では、被害者はおなじく五十人前後。やはりいずれも侍ばかりのようだ。それにしても、ヒマさえあれば井戸端会議をしているだけあって、さすがに早耳だ、と鏡之助は感心するのであった。
「まあ、鏡さんが剃られる心配はないけどねぇ」
 井戸の陰で、だれかが小さく(ささや)いた。しかし、油断のない鏡之助は、けっしてそれを聞き逃すことはなかった。
「だれか、なにか言ったかい?」
 すると、みんな首を横に振り、うつむいたまま無言で茶碗を洗いはじめるのであった。どうもおかしい。もしや、みんな知ってるのだろうか。さては、あの茶屋のジジィが街中に言いふらして……と疑心暗鬼になりつつも、鏡之助は街へでかけて行くのであった。
 鏡之助は一日中、街をぶらぶらしていることが多かった。そして、俗に傘張り浪人などと呼ばれているが、傘張りのほかにも玩具作りや障子貼りなど、さまざまな内職もしているのだ。
 広小路を東橋方面へ歩いていると、ある一軒の小料理屋の店先で、なにやら町人たちがウワサ話をしていた。おそらく長屋の女たちと似たような話しをしてるのだろうが、とりあえずどんな話をしているのか気になったので、鏡之助は近くを通りかかった風鈴売りの棒手振(ぼてふ)りを呼び止めると、品定めをするフリをして町人たちのウワサ話に耳を傾けてみた。
「聞いたかい? ゆうべ、また出たらしいぜ」
 まず左官職人らしき男の声が耳に入ってきた。
「物騒だねぇ。まだ下手人は捕まらないのかねえ」
 小料理屋の女将が鬱陶(うっとう)しそうに言う。
「私も、ついさっき聞いたんですがね」
 と、商人(あきんど)風の男がみんなの顔を見渡しながら語りはじめた。
「なんでも、マゲを剃られた小普請組(こぶしんぐみ)のお武家様がひとり、お腹を召されたとか」
 鏡之助は風鈴をひとつつ手に取り、軽く音を鳴らした。
町方(まちかた)は、一体(いって)ぇ何をしてやがるんでぇ!」
 町人の男が忌々しそうに吐き捨てた。もちろん、忌々しく思ってるのは彼だけではない。特に武士は、枕を高くして眠れない日が毎晩のように続いているのだ。
 しかし、この不可解な事件には奉行所も手こずっているようで、まだ下手人の見当すらついていという話だった。
「とうとう死人まで出ちまいやがったか……」
 鏡之助がその場を立ち去ろうとしたとき、棒手振りの男が彼を呼び止めた。
「ダンナ、お勘定!」
 うっかり風鈴を返すのを忘れていた鏡之助なのであった。
 それから鏡之助は蔵前のほうへ行ってみた。当然、目的は桂屋である。おそらく今日も行列ができてるはずである。
「やはり」
 案の定、桂屋には頬っ被りの行列が並んでいた。
「やはり……ひとつ買ってみるか」
 と、なぜか行列に並ぶ鏡之助なのであった。
 実は、油断のない鏡之助は懐に予備のヅラをひとつ忍ばせ、いつも持ち歩いているのだ。ヅラびとにとって、ヅラはいくらあっても邪魔にはならないのである。
「む?」
 鏡之助は、ひとりの怪しい男に気がついた。通りを挟んで向かい側の路地の陰から、薄ら笑いを浮かべて行列を眺めている。目つきの鋭い、いなせマゲの怪しい男。いなせマゲとは、頭にのせたちょんまげを少しよこに垂らしたマゲのことである。
「気になるな……」
 しばらく店の様子をうかがうと、怪しい男はその場から立ち去って行った。鏡之助は、すぐに怪しい男の後をつけてみた。
 しばらくつけると、怪しい男は鏡之助の気配に気づいたようで、素早く路地に逃げ込んで行った。鏡之助も慌てて後を追う。が、怪しい男が逃げ込んだ路地を曲がろうとしたとき、そこからひとりの按摩が飛び出してきた。鏡之助と出合い頭にぶつかった按摩は、杖を落として尻もちをついた。
「おっと、すまねえ。ケガはなかったかい?」
 と、鏡之助は立ち上がろうとする按摩に手を差し伸べながら詫びた。
「アッシのほうこそ、とんだご無礼を。なにぶん、目が見えねえもので」
 立ち上がると、按摩は尻についた砂を払いながらペコペコと頭をさげた。
「いや、ケガがなくて本当によかった。それじゃ、気をつけてな」
 鏡之助が杖を拾ってやると、按摩はまたペコリと頭をさげた。
「へい。ありがとうございやす。それじゃ、ごめんなすって」
 すでに怪しい男の姿はどこにもない。鏡之助は、残念そうにため息をついた。
「見失ったか……」

 昼近くになると、だんだんと陽射しが強くなってきた。
「蒸れるな……」
 町外れの、とある川のほとりを、鏡之助はひとり、ヒマそうにぶらぶらしてた。
「あの怪しい男は、いったい何者なのか。そして、桂屋とはどんな関係があるのか。ひょっとしたら、髪隠しの一件となにか関わりがあるかもしれねえな」
 ひとりでぶつぶつ言いながら歩いていると、川のほとりに小さな地蔵が三(そん)、まるで鏡之助に微笑みかけるように、穏やかな笑みをたたえているのであった。
「フッ……」
 鏡之助は、地蔵の前にひざを折って手を合わせると、(まぶた)を閉じた。と、そのときである。近くで釣りをしている男が、竿を大きく振りかぶった。そして、まるで狙いすましたかのように鏡之助のマゲに釣り針をひっかけるのであった。
「あっ」
 弧を描きながら飛んでゆくヅラに、鏡之助は手をのばした。だが、もう遅い。釣り人は、容赦なくヅラを川の中へと叩き込むのであった。
「ひえっ!」
 川に浮かぶヅラを見た釣り人が、尻もちをついて悲鳴を上げた。
「どっ、土左衛門だーっ! だだっ、だれか~っ!」
 と、ヅラを土左衛門と勘違いした釣り人が腰を抜かしながら振り向くと、そこにはすでに鏡之助の姿はなかった。かわりに、三つ子地蔵の傍らで大きな大仏が座禅を組んでいた。
「たっ、たすけてくれ~っ!」
 大仏、いや、鏡之助は片目を開けて、釣り人が逃げ去るのを確認する。
「やれやれ。行ったか」
 鏡之助は、辺りをキョロキョロと警戒しながら、予備のヅラを懐から取り出した。
「まったく。人騒がせな奴だ」
 ヅラを被ると、鏡之助は安堵のため息をもらした。今日はもう疲れたので、鏡之助は長屋に帰ることにした。
「うん? あの男は……」
 濃毛屋(こいけや)という舟宿を通りかかったときのことである。見覚えのあるひとりの男が濃毛屋からでてきた。桂屋清兵衛である。桂屋は、すでに用事を済ませ、駕籠に乗って帰るところのようだ。ひょっとしたら、なにかつかめるかもしれない。そう思った鏡之助は、濃毛屋の番頭に桂屋のことを尋ねてみた。
「桂屋さん……ですか? え、ええ。よくお見えになりますよ」
 この番頭は四十過ぎの恰幅(かっぷく)のいい、愛想笑いのうまい男である。
「ここで、だれかと会っていたのかい?」
「え? え、ええ。まあ……」
一体(いって)ぇ、だれと会ってたんだい?」
「申し訳ありませんが、わたくしの口から申し上げることは、ちょっと……」
 客商売は信用が第一。言うはずもねえか。
「そうかい。じゃましたな」
「い、いえ。こちらこそ、お役に立てず」
 濃毛屋の番頭は顔中に脂汗を浮かべながら愛想笑いをするのであった。
 さて、どうしたものか。ただ闇雲に歩き回ってもしかたがないので、鏡之助はとりあえず長屋にもどって策を練り直すことにした。
「それにしても、あの濃毛屋の番頭。やけにひとのマゲをジロジロ見てやがったな。まさか……」
 ――バレたか!?
「いや、たかが舟宿の番頭ごときに見破られるはずはない。ちゃんとズレることなく完璧にハマっているのだからな」
 と、相変わらず根拠の無い自信を抱く鏡之助なのであった。
 長屋に帰ると、鏡之助は柄杓で一杯水を飲み、それから草履を脱いで部屋に上がった。
「やれやれ。ヅラをひとつ損しちまったぜ」
 帯から刀をはずしたときである。鏡之助は、ふと壁に映った自分の影に目をやった。
「――?! なっ……!」
 大きく丸いマゲ。それに、脇のあたりがやけにふっくらしている。
「まっ、まさか……」
 慌てて押し入れから手鏡を取り出す。
「なっ、なんてぇこったいィーー!!」
 手鏡に映ったマゲを見て鏡之助は目玉を飛び出しながら飛び上がった。
「こりゃあ、島田髷(しまだまげ)ざんす!!」
 島田髷とは女の髪である。
 このヅラは去年の暮れに長屋の衆と飲んだとき、余興として使ったものだった。
「ちっ、ちくしょう。なんで持ち出すときに気づかなかったんだ……」
 長いため息とともに全身から力が抜けていく。鏡之助は畳の上にへたり込むと、手鏡の中の自分を「ふっ」と鼻先であざ笑った。
「出家して坊主にでもなるか……」
 半分本気で考えてみる鏡之助なのであった。

 それから二日が経った。
 あれからマゲを剃られた者はいなかったが、奉行所は下手人の目星はおろか、手がかりひとつ掴めずにいた。
 鏡之助はひとり、川で釣りをしていた。今日は念のため深編笠を被っている。そして、その下には浪人髷のヅラを被っていた。
「ええい、蒸れやがる」
 そう。夏場に二つも被り物をすると、やけに蒸れるのだ。ただでさえ頭皮に汗疹(あせも)ができて、かゆくてたまらないというのに。だが、そこは油断のない鏡之助。いつぞやの釣り針の一件のこともあり、やはり安全性を優先せざるをえなかったのである。だが、彼の悩みはそれだけではなかった。
「それにしても、わからねえなあ」
 鏡之助は(うな)った。
「なぜ(さむれ)ぇばかりが狙われるのか。たしかに、(さむれ)ぇにとってマゲは命。それを剃られたとあっちゃあ、ヅラを被るしかあるめえ。まあ、そこにつけこんでのことだとは思うが。となると、やはり桂屋が怪しい。だが、桂屋は下手人ではない……」
 たとえ寝ているとはいえ、侍のマゲを気づかれずに剃り落とすなど、とても桂屋ひとりにできることではなかった。しかし、この一件で桂屋が儲けているのも事実でなのである。そして、桂屋が舟宿で会っていたのは誰なのか。それに、あのいなせマゲの怪しい男はいったい何者なのか。
「下手人は一人なのか。あるいは複数いるのか」
 昼近くになると、ますます蒸し暑くなってきた。鏡之助は近くの木陰で、しばし涼むことにした。そして鏡之助が深編笠を脱いだとき、事件は起こった。笠の頭台、つまり、頭に乗せる輪になってる部分にヅラがひっかかり、脱げ落ちてしまったのだ。
「しまった!」
 素早くヅラを拾い上げようとしたとき、再び事件は起こった。たまたま近くを通りかかった野良犬が、鏡之助のヅラをくわえて、そのまま走り去ってしまったのである。
「あっ、こら! 待ちなさい!」
 鏡之助は慌てて駆けだし、野良犬を追いかけた。
「戻って来い!!」
 だめだ。とてもじゃないが、人間の足では到底追いつけない。いったい、どうすりゃあいいんだ。鏡之助は走りながら頬被りをしつつ、なにか良い手はないかと必死に思案を巡らせた。
「そうだ!」
 鏡之助は閃いた。名前だ。ヤツの名前を呼べば止まってくれるかもしれない。
「シロ……シロ、か」
 ヤツの毛は白い。だから、きっとシロという名前にちがいない。
「シロ! まつんだシロ! もどってこい!」
 鏡之助は試しに名前を呼んでみた。しかし、野良犬は止まるどころかふり向きもしない。
「くそっ! 忌々しい野良犬め」
 このままでは街に逃げ込まれてしまう。もはや一刻の猶予もない。
「止まれー、ギン! リキ! 蝉丸(せみまる)! タロー!」
 鏡之助はいくつか適当に名前を叫んでみた。きっとどれかに反応してくれるはず。そう考えたのだ。
「タロー、止まれーっ! タロー、伏せ! お座り!」
 タロウ。鏡之助は命名した。
「タローッ!!」
 おそらく太郎と言う名の男であろう。鏡之助が呼びつづけると、ちかくの畑で野良仕事をしていた百姓の男が、「へーい!!」と返事をするのであった。

 やがて野良犬は、ヅラをくわえたまま人通りの多い街の中へと消えていってしまった。だが、街中(まちなか)で自分のヅラをくわえた野良犬を追い回すわけにもいかない。もはや鏡之助には、これ以上ヤツを追うことができなかった。
南無三(なむさん)!」
 走りつかれた鏡之助は、道端にへたり込んだ。もう予備のヅラはない。
「ヒゲは、剃っても剃っても生えてくるのになぁ……」
 鏡之助がアゴ先をさすると、短い無精ヒゲがジョリジョリと音を立てた。
 ヅラを買えば貯えが底をついてしまう。かといって、毎日頬っ被りをして過ごす訳にもいかない。
「当分、のんびり過ごすことはできねえか」
 なにかうまい儲け口はないものか。そんなことを考えながら歩いていると、そこへひとりの若い同心がやってきて、鏡之助を呼び止めた。見た目は普通の着流し姿の素浪人だが、頬っ被りに深編笠、というのが気になったらしい。
「失礼。御用の筋でちと尋ねるが、ここ数日、(ちまた)をさわがせている髪隠しの一件を、貴公も存じていよう?」
 若い同心が疑うような眼で尋ねた。
「ああ。それで? その一件とオレと、一体(いって)ぇどういう関係が?」
 鏡之助は平静を装って答えた。
「あ、いや、べつに貴公を疑ってるわけではないのだ」
 若い同心は相手を警戒させないように表情を和らげた。
「ただ、下手人に心当たりはないかと思ってな。たとえば夜道、だれかにつけられた、とか。最近、なにか変わったことはなかったか?」
「べつに」
 不愛想に答えると、鏡之助はそっぽを向いた。そのときである。いつぞやのタロウ、いや、野良犬が、突然ふたりの前に現れたのである。しかも、鏡之助のヅラをくわえたまま。これには、さすがの鏡之助も目玉を飛び出しながら驚くのであった。
「では、怪しい奴は見ておらんのだな?」
 そう言った若い同心の視線は野良犬の口元に注がれていた。それからチラリと、鏡之助の頬っ被りを訝しそうに睨みつけた。
「くどい! このマゲにかけて、けっしてウソ偽りは申さん!」
 と、ありもしないマゲに誓う鏡之助なのであった。
 若い同心が野良犬の口元をよこ目で見ながら何度かうなずいた。
「ならばよいのだ。いや、手間を取らせたな。どうか気を悪くしてくれるな」
 そう言いながらも、若い同心は鏡之助の頬っ被りをチラチラと気にしているのであった。
「では、御免」
 軽く会釈をすると、若い同心は去って行った。
「くっ……!」
 鏡之助は拳をふるわせながら歯噛みをした。あの若い同心は、自分を下手人ではなくヅラびとではないか、と疑っていたからだ。ヅラびとでなにがわるい。ヅラを被ることで、だれかに迷惑をかけてるとでもいうのか。じつに不愉快である。神も仏もあったもんじゃあねえ。
「髪(神)に見捨てられた、か」
 頬を涙が伝う。だが、鏡之助は笑っていた。

 翌朝。
 鏡之助は、とある料亭で仕事をしていた。新しいヅラを買ったおかげで、蓄えが底をついてしまったのである。
「それにしても、この見事なはまり具合。さすがは桂屋のヅラだ」
 とか何とか言いながら鏡之助が障子を張り替えていると、部屋の前を通りかかった女将が足を止た。
「ああ、そうそう。それが終わったら、薪割りもお願いしますよ」
「はいはい」
 かったるそうに鏡之助が返事をすると、女将がジロリと睨んだ。
「返事はひとつ!」
「はい!」
 鏡之助は背筋を伸ばした。そして、心の中で――このクソババア――と、つぶやいた。
「それにしても、あの女将。やけにひとのマゲをジロジロ見てやがったな」
 ――バレた?!
 いや、たかが料亭の女将ごときに見破られるはずはない。悲しい(かな)、現実逃避するしかヅラびとが救われる道はないのである。
 障子貼りが終わると、鏡之助は薪割りを始めた。
「それにしても、さすがだ」
 桂屋のヅラは、少しぐらい激しい運動をしても、けっしてズレることはなかった。
「まてよ」
 鏡之助はふと思いついた。下手人は侍ばかりを狙う。そしてオレも一応は侍。
「よし! ここはひとつ、囮になってみるか」

 そして次の日。
 鏡之助は自ら囮になって、髪隠しをおびき出そうと朝から街をぶらついていた。
「これなら目立つだろう。髪隠しめ、剃れるものなら剃ってみやがれってんだ」
 街を行く人々が、すれ違うたびに鏡之助を振り返る。それもそのはず。鏡之助が被っているのは、〝大百日鬘(だいひゃくにちかつら)〟とよばれる、石川五右衛門の頭のようなヅラなのだ。言わば浪人髷の特大版で、見た目はイギリス近衛兵の熊毛帽にそっくりだった。そして、これだけ大きいと重い上にはずれやすいので、鏡之助はヅラの内側に生麩糊(しょうふのり)や漆を混ぜた(にかわ)など、さまざまな糊を混ぜ合わせて作った強力な接着剤を塗り付けていたのである。
「にしても、これは少しやりすぎたかな……」
 このままでは髪隠しより先に自分が役人に捕まってしまうかもしれない。鏡之助は、今更のように後悔し始めた。
「む!?」
 そのときである。鏡之助は、背後に怪しい気配を感じた。
 ――(やっこ)さん、おいでなすったか――
 だが、鏡之助は決して振り向くことなく、ワザと気づかないフリをした。しかし、さすがにこの格好で長屋まで戻る訳にはいかないので、鏡之助は旅籠の二階に部屋を借りることにした。
 怪しい気配は、旅籠の近くまで追ってきたようだ。鏡之助は後ろを振り返ることなく、気づかぬフリを続けた。
「どうやらうまくいったようだ。おそらく、今夜あたり来るかな」
 その夜、鏡之助は大百日鬘を装着したまま床についた。刀も布団の中へ忍ばせてある。果たしてヤツは現れるのか。しばらく狸寝入りしていると、鏡之助は天井裏に怪しい気配を感じた。
 ――来た!――
 怪しい気配が天井裏から音もなく降りてきた。灯の消えた暗い部屋の中を、ヤツは見事に気配を消しながら近づいてくる。そして、ヤツが大百日鬘に手を伸ばしたときである。ふいに、鏡之助がガバッと飛び起きた。と、同時に刀を腰の脇に構え、鯉口(こいぐち)を切った。すると、頬っ被りをした髪隠しらしき怪しい男が、サッと一歩、後ろへ飛退いた。さすがの髪隠しも、不意をつかれて動揺した様子だ。鏡之助は、髪隠しの顔を見定めようとした。だが、髪隠しは頬っ被りをしている。しかも、部屋に灯はない。顔を確認するのは無理だった。
「チッ」
 髪隠しは舌打ちをすると、天井裏へと逃げて行った。鏡之助も急いで旅籠を飛び出し、後を追う。
「ヤツは何処へ?」
 辺りを見回すと、屋根の上に怪しい人影が月明かりに照らし出された。ヤツだ。屋根伝いに、髪隠しが慌てて逃げて行いく。鏡之助は、そうはさせまいと、髪隠しに向かって小柄(こづか)を投げた。 
「ぐあっ!」
 髪隠しが右腕を押さえた。手ごたえはあった。ヤツは足を滑らせ、通りの反対側へと落ちていった。鏡之助は、髪隠しが落ちたほうへ急いで向かった。
「おっと」
 路地を曲がると、ひとりの男と肩がぶつかった。
「ん? おまえさんは、あのときの……」
 鏡之助がぶつかったのは、いつぞやの按摩であった。
「あの、ダンナはどちらさんで?」
 鏡之助がいつかのことをはなすと、按摩は思い出したようにうなずいた。
「へい、へい、思い出しやした。ダンナはあのときの……。そうでやしたか」
「ところで、おまえさん。つい今し方、この辺りで妙な男を見かけなかったかい?」
「ダンナ」按摩が可笑しそうに笑った。「アッシは見ての通り、目が見えねえもので」
「そうだったな。いや、すまねえ」
 鏡之助は苦笑した。
「ですが、向こうのほうに、誰か急いで走って行ったような気がしやした」
 按摩は目が見えなくとも、音は聞こえていたのだ。
「そうか。いや、ありがとうよ」
 鏡之助は按摩と別れると、急いで髪隠しの行方を追った。が、すでに奴の気配はどこにも感じられなかった。
「見失ったか」
 やみくもに探したところで見つかるものでもない。それに、この頭で夜分に街をうろついていては、役人にいらぬ詮議(せんぎ)を受けるやも知れない。鏡之助は旅籠へ戻ることにした。
 その途中、彼は袖が濡れていることに気がついた。
「……血だ。しかし、これはオレの血ではない。一体(いって)ぇどこで……まさか!」
 そのときである。
「む!」
 鏡之助は頭に激しいかゆみを覚えた。どうやら(にかわ)に混ぜた漆でかぶれたらしい。
「くっ!」
 しかし、ヅラを外そうにもなかなか外れない。糊が強力すぎたのだ。
「だが、これだけ刺激をあたえれば、いつか必ず生えてくるはず……!」
 逆境にもめげず気丈にふるまう鏡之助なのであった。

 翌日。
 桂屋の通りを挟んで向かい側にある飯屋に入ると、鏡之助は格子窓のある壁際の席に座った。
「酒をくれ」
 下働きの(むすめ)に注文すると、鏡之助は格子窓から桂屋の様子を(うかが)った。髪隠しには逃げられたが、あのいつぞやの怪しい男は桂屋、そして髪隠しとも、なにか関係があるにちがいない。とにかく、あの怪しい男を捕らえることが出来れば、なにかわかるはずだ。鏡之助は、そう考えたのだ。
 酒が運ばれてきた。鏡之助は手酌で一杯やりながら、桂屋を見張りつづけた。
「それにしてもあの按摩、()ぇした役者だぜ」
 そう。あの按摩は髪隠しが変装した姿だったのだ。そしてあの見事な変わり身は、やはり忍びの術を心得ているようであった。しかし、髪隠しの正体がわかったものの、ヤツの行方は依然、掴めなかった。 
 鏡之助は、格子窓の隙間から桂屋を見張りつづけた。が、つい飲みすぎたらしく、いつの間にか寝てしまっていたようで、目が覚めたときにはすっかり日が暮れていた。 
 翌朝。
 鏡之助が長屋を出ると、例のごとく、長屋の女たちが井戸端会議をしていた。
「あっ、鏡さん」
 大工の女房が駆けてきた。
「どうした?」
「また出たんですよ」
 髪隠しである。
「それで、今度は何人やられたんだい?」
「それがね……」
 今回の事件はいつもとは違い、被害者はただ一人であった。
「なに、床山(とこやま)和泉守(いずみのかみ)忠光(ただみつ)!?」
 なんと、被害者は南町奉行・床山和泉守忠光だったのだ。不覚にも、賊にマゲを剃り落とされた忠光は、当然御役御免。だが、忠光は事が公になる前に、恥を忍んで切腹していた。 
「えらいことになってきたな」
 さすがの鏡之助も、このような展開は予想してはいなかった。髪隠しは、右腕に小柄のキズを負いながらも左腕一本だけで忠光の髷を剃り落としたのだ。やはり、髪隠しは只者ではなかった。そして、忠光に代わって新しく南町奉行に選ばれたのが、作事奉行(さくじぶぎょう)剃田(そった)若狭守(わかさのかみ)真円門(しんえんもん)であった。
 鏡之助は、昨日とおなじ店で桂屋を見張った。
「桂屋が一枚噛んでると見たが、見当違いだったかな……」
 鏡之助が格子窓の向こう側を睨みながら酒を飲んでいると、数人の客がやって来た。見たところ、渡り中間(ちゅうげん)のようだ。
「まったく、剃田さまもアコギなお方だ」
 中間のひとりが言うと、彼らは酒を飲みながらグチをこぼし始めた。その内容からして、どうやらこの中間たちは剃田の屋敷に奉公しているようであった。そのグチの内容も興味深いもので、剃田は以前から幕府の要人に対し多額の賄賂をばらまき、出世を目論んでいたのだ。おかげで中間たちの給金も安く、挙句の果てに毎夜屋敷で開かれる賭場の上がりも八割近く剃田が懐に入れてしまうため、そろそろ別の屋敷に鞍替(くらがえ)えでもしよう、というものだった。 
 しかし、たかが作事奉行の剃田に賄賂としてばらまくような大金などあるはずがない。果たして、剃田をウラで援助するのはいったい何者なのか。
「剃田若狭守、か」
 鏡之助が五本目の徳利を空けたとき、桂屋の前に駕籠が止まった。
「お?」
 鏡之助は格子窓に顔を近づけた。店の中から出てきたのは桂屋清兵衛である。どうやら駕籠で、どこかへでかけるらしい。
「よし、()けてみるか」
 店を出ると、鏡之助は桂屋の駕籠をさりげなく尾けてみた。が、やはり少し飲みすぎたようで、足元はおぼつかない。
「くっ。め、目が回る……」
 千鳥足で桂屋の駕籠を追いかける鏡之助なのであった。

 やがて三味線掘りまでつけると、桂屋を乗せた駕籠が旗本屋敷の前で止まった。なんとか見失わずに済んだようだ。鏡之助は塀に寄りかかり、肩で荒い息をした。
「ここは……剃田の屋敷か!」
 やはり、桂屋と剃田はつながっていた。覚られぬよう、鏡之助は路地の陰から様子をうかがった。
 桂屋が駕籠から降りると、正門脇の(くぐ)り戸が、内側から開いた。門を開けたのは剃田の家来ではなく、いなせマゲの遊び人風の男であった。
「あの男は!」
 おどろいたことに、その男はいつぞやの怪しい男であった。桂屋が屋敷へ入ると、怪しい男は警戒するように通りを見渡した。怪しい男が潜り戸を閉めたときである。
「む!?」
 油断のない鏡之助は、けっして見逃さなかった。怪しい男が潜り戸を閉める瞬間、右腕に包帯が巻かれているのが袖の下からチラリと見えたのである。
「まさか……」
 なんと、怪しい男の正体は髪隠しでもあり、按摩でもあったのだ。そして、あのいなせマゲはヅラだったのである。つまり、鏡之助が追っていた三人は、すべて同一人物だったのだ。
「そういうことだったか。だが、これで役者はそろオェェ……」
 やはり飲酒後の運動は控えるべきである。

 ――数日後。()(はん)(午後八時ごろ)。
 例の濃毛屋という舟宿の前に駕籠が止まった。桂屋である。そして、その傍らには按摩に化けた髪隠しの姿があった。 
 ほどなくして、もうひとつ駕籠が到着した。駕籠から降りてきたのは覆面頭巾をした侍、剃田若狭守である。
「ささ、こちらです」
 濃毛屋の番頭が三人を屋形船へと案内する。
「船頭さん、出しとくれ」
 三人が船に乗り込むと、桂屋が船頭に声をかけた。
「へーい」
 船頭が船を出す。そう。この船頭は、変装した鏡之助なのである。頬っ被りに菅笠(すげがさ)姿の船頭が鏡之助であるということに、三人はまだ気づいていないようだ。 
 鏡之助が船を出すと、剃田の声が聞こえてきた。
「どうだ、桂屋。商売のほうは」
「はい。おかげをもちまして。これは些少ですが、当座の小遣いに」
 どうやら、桂屋が剃田に賄賂を渡したようだ。屋形船の中は、障子が閉まっているので見えない。鏡之助は船を漕ぎつつ、桂屋たちの会話に耳をそばだてた。
「うむ。そちのおかげで、ワシもようやく町奉行の座を手に入れることができた。そしてゆくゆくは老中に……。頼りにしておるぞ? 桂屋」
 剃田と桂屋が、低い声で静かに笑っている。
「ところで剃田様。くどいようですが、かねてより申しております大奥御用達の鑑札の件、くれぐれもお忘れなきよう」
「わかっておる。だがな、桂屋。それには、まだまだ幕閣の連中にカネをばらまかなくてはならんのだ。そちには、もう少し稼いでもらわんとな」
「そして大奥御用達の鑑札が下りたあかつきには、アッシを一番番頭として召抱える約束も、忘れてもらっちゃ困りやすぜ? 桂屋のダンナ」
 按摩の声だ。
「まったく。おまえという男は、抜け目のないやつだ」
 桂屋が言うと、三人は高笑いをした。
「だが、例の仕事はここらが潮時だな? 杉田」
 剃田の声だ。
「へい。どうも妙な野郎がしつっこく嗅ぎ回ってるようで」
 杉田。どうやらそれが按摩の名前らしい。
「しかし、気になりますな。この杉田(すぎた)洗頭坊(せんずぼう)を追いつめるとは。もし、公儀の隠密だったら……」
 桂屋が不安そうに言うと、剃田が大きな声で笑った。
「案ずるな。証拠は何ひとつないのだ。ところで桂屋。今日は何の用で呼び出したのじゃ?」
「え? わたくしどもをお呼びになったのは剃田様ではありませんか」
「なに? ワシはこの手紙でそちに呼ばれたから、わざわざこうして参ったのだぞ」
「そんな。わたくしどもも、剃田様に手紙で呼び出されて……」
 剃田と桂屋が手紙を確認しているようだ。
「ワ、ワシはこんなものを書いた覚えはないぞ! 第一、これはワシの字ではない!」
「た、たしかに。言われてみれば、剃田様より字がうまいような……」
 桂屋が言うと、剃田が不愉快そうに咳払いをした。
 この辺でいいだろう。鏡之助は川岸に船をつけた。
「てめえらを呼んだのはこのオレよ!」
 鏡之助の声が轟くと、障子戸が勢いよくピシャリと開けられた。
「てめえ……濃毛屋の船頭じゃねえな?」
 杉田である。
「こっちを向きやがれ!」
 杉田に背を向ける格好で不敵に笑い、鏡之助がスッと立ち上がった。そして、菅笠をサッと脱ぎ捨て、三人のほうを振り向いた。
「あ! てっ、てめえは」
 杉田がうろたえる。
 鏡之助は右手で頬っ被りをスパッと脱いた。杉田のうしろで、桂屋が座布団の上で膝を折ったまま、マヌケ面をしてこちらを見ている。剃田は、さすが大物の悪党だけあって堂々とした様子だ。座布団の上にあぐらをかいて、訝しそうな目つきでこちらをうかがいながら、杯を呷っていた。
「こいつだ! こいつが邪魔を」
 杉田が指をさすと、鏡之助は不敵な笑みを浮かべた。
「おう、そこのツルッぱげ。ヅラってのはなあ、止むに止まれぬ事情があって被るもんだ。てめえで剃った頭に被せるもんじゃあねえ!」
「きさま……何者じゃ?」
 剃田が鏡之助を睨みつける。
 鏡之助が一歩、前へ踏み出した。
真平(まったいら)鏡視郎(きょうしろう)禿忠(はげただ)!!」
 と、満月を背に堂々と名乗りを上げるのであった。真平鏡視郎禿忠。それが鏡之助の本当の名前なのだった。
「なぁにぃ~? 真平鏡視郎……ハゲ……た?」
 杉田が顔をしかめた。
「真平鏡視郎……まさか!」
 剃田が慌てて立ち上がった。が、そのときである。
 ――ゴン!
 鈍い音が屋形船の中に響いた。うかつにも狭い屋形船の中で急に立ち上がったので、剃田は思いっきり天井に頭を打ちつけたのであった。剃田が頭をかかえて(うずく)る。
「剃田様、おケガは?」
 そう言った桂屋の表情は、笑いを堪えてるようにも見えた。剃田が痛みに耐えつつ、鏡視郎を仰ぎ見た。
「まさか、鏡視郎(ぎみ)!」
 真平鏡視郎禿忠。父は、良伸(よしのぶ)と将軍の座を争っている最中(さなか)、不覚にもヅラびとであることが露見。失意の中、無念の病死を遂げた鶴田(つるた)大納言禿親(だいなごんはげちか)卿である。こうした権力争いに嫌気が差した鏡之助は、名もなきひとりの浪人として生きる道を選んだのであった。
「おう剃田!」
 鏡視郎が剃田を指差した。
「てめえってやつァ、仮にも公儀要職の身にありながら、それなる桂屋、ならびに杉田と結託し、罪もねえ(さむれ)ぇたちのマゲを剃り落とすとは言語道断! 御役御免、いや、切腹は免れんものと覚悟しやがれ!」
「おのれぇ~……ええい、構わん! 杉田!」
 剃田が血迷い、開き直った。
 杉田が按摩の杖を構える。しかしそれはただの杖ではなく〝仕込み杖〟であったのだ。鏡視郎は、船頭に変装しているので丸腰だ。杉田が鏡視郎に斬りかかる。が、油断のない鏡視郎はそれをなんなくかわすと、杉田のハゲ頭をピシャリと平手でひっ叩いた。
「ぐあっ」
 後頭部を叩かれた杉田は、そのままつんのめるようにして川へ落ちた。しかし、そこは河岸近くの浅瀬。足がつくほどの深さしかなかった。杉田が岸へ上がろうとしたときである。河岸の暗い茂みの中から、ふいに無数の御用提灯が飛び出した。杉田は川から上がると、数人の()(かた)に取り押さえられ、あえなく御用となった。
「剃田様、これは……!」
 桂屋がうろたえる。河岸には、御用提灯がズラリと並んでいた。
「鏡視郎君! 薄井(うすい)出雲守(いずものかみ)頼総(よりふさ)、只今これに!」
 北町奉行の薄井である。そう。これは、鏡視郎と薄井が仕組んだ罠だったのだ。
「おのれぇ~、もはやこれまで!」
 乱心した剃田が刀に手をかけ、立ち上がった。
 ――ゴン!
「あっ!……ぃ……」
 またしても天井に頭を強打して(うずくま)る剃田なのであった。
「剃田若狭守、桂屋清兵衛、御用である! 神妙に縛につけぃ!!」
 屋形船に薄井が乗り込んできた。
「恐れ……入りました」
 桂屋が両手をついてガクリとうなだれた。
 こうして事件は無事、解決したのであった。

 翌朝。
 鏡視郎は、再び鏡之助として長屋で目を覚ました。久しぶりのすがすがしい朝である。鏡之助は表へでて、両手のこぶしを高く突き上げ、気持ちよさそうに背伸びをした。抜けるような青空、小鳥のさえずり、そして、いつもより空気が新鮮に感じられた。
「やあ、みんなおはよう」
 井戸端に集まる長屋の女たちに鏡之助が挨拶をした。すると、まるで時が止まったかのように、女たちは動きを止めた。みんな目を点にして、キョトンとしている。そして、その視線は鏡之助の額より少し上に注がれていた。
 これはどうしたことだろう。鏡之助は不思議に思った。が、すぐに頭が涼しいことに気がついた。
「あっ」
 ハゲ頭に、スズメのフンが落ちてきた。

  ―― おしまい ――

髪隠し

 と、いうわけで、登場人物の名前はすべてダジャレでつけました!
 たとえば杉田洗頭坊(これは、あたまを洗いすぎてハゲた、という意味でつけました)は、信長を狙撃したことで有名な鉄砲の名手「杉谷 善住坊(すぎたに ぜんじゅぼう)」をヒントに考えたものです。ちなみに主人公の名前は長七郎っぽいですが、顔は桃太郎侍(どちらかというと「ぶらり信兵衛道場破り」の松村信兵衛に近いかも)をイメージしながら書いてました(笑)。


・エンディング
 https://www.youtube.com/watch?v=-vo0N_4bWzc
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm1968910(予備)
 
【映像特典】
 ・本編放送時のCM集
  https://www.youtube.com/watch?v=Mr797KuXdRw
  https://www.youtube.com/watch?v=CNjBwpMxExI
  https://www.youtube.com/watch?v=RvLp-s3ERSA
  https://www.youtube.com/watch?v=cBywHO0bBoQ
  https://www.youtube.com/watch?v=tbyjJUOS6PE
  https://www.youtube.com/watch?v=X-QuxQr9x5Q
  https://www.nicovideo.jp/watch/sm3026757

髪隠し

時代劇コメディです!

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-11

Copyrighted
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  1. マゲはいずこへ……
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