風の精霊使い

第01章『炎の魔導師ルニア強襲』01話

「はあ、はあ……。なんてしつこい野郎なんだ」

 おれは森の大木に身をひそめて呼吸を整えることにした。あわよくば、このままやりすごせると助かるのだが……。

 冬の終わりのある日の夕暮れ時のこと。やるべきことが見つからず山に引きこもって暮らしていたおれは、食いもの目当てに川で魚釣りをしていたところ、突如あらわれた精霊使いから火球を投げつけられ、釣った魚を焼け焦げにされた文句も言えぬまま、命からがら森へと逃げ込んだのである。

 ……そしていま。

「ありえねえ、ありえねえだろ。悪い夢に違いないぜ、こいつは」

 見ると、法衣の裾が焼け焦げて、あんよが丸出しになっている。

「ああ! ちくしょうこんな大穴開けてくれやがって! これじゃあ、冬を越す前に風邪ひいちまうだろうが! 絶対に弁償させてやるからな!」
「そこか! セティ・ファルクス!」
「あ、やばっ。見つかった!?」

 やっぱり弁償するのはこんどでいいから、今日のところは見逃してくれないかな……。

「フレイム・ウォール!」

 森の奥から女の甲高い呪文詠唱が聞こえた。
 あの女、また呪文を唱えやがった。
 あいつのエレメントは『火』。森の中だってのに、おかまいなしに唱えやがって。森の住人さんたちが丸焼きになったらどうするつもりなんだ。責任とっていただきます出来るんだろうな!
 地鳴りのような重い響きとともに、逆巻く炎の柱がおれの周囲に並び立ち、燃え盛る炎の壁をつくりあげる。真っ赤な火柱は見上げるほど高く、すべてを焼き尽くさんとばかりにゴウゴウと唸りをあげている。

「囲まれた。獲物は逃がさんってわけか」

 魔防障壁を張って突っ込めば無理矢理抜けられるかもしれないが、炎の壁は分厚く、火力も見た目通りあるだろう。下手に突破しようとするのは自殺行為だ。
 さて、どうしたものか。
 ふたたびあの女の声がする。

「そんなところに隠れたまま焼かれてしまうつもりか。そのような最期を迎えてしまえば故郷の人たちが悲しむことになるぞ。観念して出てくるんだ!」

 説得しているんだか、脅してるんだか。女はまるで、立てこもり犯でも相手にしているかのように言い放った。

「そこにいるのは分かっている!」
「はいはい、わかったよ。しつこいなあ……」

 こうなっては隠れていても仕方がない。おれは木の影から抜け出し、追っ手に姿をさらした。

「とうとう捕まえたぞ。セティ・ファルクス」

 女は不敵な笑みを浮かべながら、腕組みをしてふんぞり返っている。
 褐色の肌に、赤くて長い髪の毛。セパレートタイプのヘソ出しレザーアーマーに黒マントを羽織り、腰にショートソードを差している。中性的な顔立ちをしていて、薄気味悪い笑みを浮かべていることをのぞけば、だいぶ整っている。
 美人と言っていい、その女の第一印象は、

「このルニア・エルリアナから逃げ切れると思ったか。愚か者め!」

 なんか偉そう、だった。
 それにしても、ルニア・エルリアナ……ルニア・エルリアナ……。人の顔や名前を覚えるのは得意じゃないが、脳内をいっくら検索してもまったく引っかからないのだから初対面のはずだ。
 やっぱり聞いてみるしかないか。初対面からいきなり火の玉を飛ばしてくるようなやつとは、あまり関わりたくないんだが……。

「そんで、そのルニアさんがなんでおれを追い回したりするんですかね。新手のストーカーだとしても熱烈すぎるんじゃないか?」
「だれがストーカーだ。好きで貴様なんぞを追いまわしたりするものか」
「ほほー、だったら、そうか。おまえ追い剥ぎだな? 残念だが当てが外れたな。おれは無一文だ。叩いても埃しか出ないぜ」
「アホ。貴様のような貧乏づらに金銭を期待する追い剥ぎなどおらん」
「なーにーそーれーっ! 探せばいるでしょ一人ぐらい……っていうか、そんなこと聞いてんじゃねえ! あんた何者なんだよ! そもそも、なぜおれの名を知っている!」
「ようやく聞く気になったか。これを見ろ!」

 ルニアはそういうと、右手を前に突き出し、とくとご覧あれといった様子で召喚術を詠唱した。

「我に使えし炎の精霊サラマンダーよ。我が命に従い精霊界よりその姿を現世に映し出せ」

 褐色のほそい腕を炎が伝い、仰いだ手のひらから火の精霊サラマンダーが現れた。
 ルニアは自信たっぷりのドヤ顔で、

「どうだ?」
「は? いや、どうだ、といわれても……」

 とつぜん呼び出された火トカゲは、まだ眠いといった様子で大あくびをし、黒煙を吐き出した。やたらと演出にこだわっているものの、なんてことはない、精霊使いならだれでも従えている下級の使い魔だ。やたらと息巻いてる主人に比べて、使い魔からはまったくやる気が感じられない。手の上で二度寝しようとしてるし。

「その子、まだ眠いんじゃないの?」
「なに? おい、寝るな! 起きろーっ!」
『ギェエエエエエッ!』

 サラマンダーは主人に首根っこをつかまれて奇声をあげた。小さな翼をばたつかせて驚きと苦しみにもがいている。

「いつもいつも……。なぜ私の命令が聞けないんだお前は! さあ、紋章をやつに見せるんだ!」
『ギェエエエッ! ビェエエエッ!』

 ……カオス。
 なんなんだ、これは……。おれはいったい何を見せられているんだ……。

「待てよ? あれは……」

 よく見ると、サラマンダーの胸の鱗に、青白い光の紋章が刻まれているのが確認できた。グリフォンを型どったあの紋章は、この国ではお馴染みの、

「アルタニア王立国騎士団の紋章……」

 ……それが使い魔に刻印されているということは、

「国王軍の魔導士! お役人かよ、あんた!」
「はあっ、はあっ……。そ、そういうことだ。やっと分かったか」

 ルニアは使い魔との争いで息を切らしていたが、理解されたことがうれしかったみたいだ。サラマンダーの方はぐったりとしてしまい、主人の手によって印籠のように突き出され、なすがままにされている……。

「私はアルタニア王立国騎士団に所属する炎の魔導士、ルニア・エルリアナ。他の魔導師から『火炎竜の使い手』として恐れられている!」

 ……よくもまあ、自分で自分のことを恐れられているとか言えたもんだ。しかし、ここは……、

「ほんまですかー。そ、それで、お役人がなんの御用で?」

 おれは平静を装ったが内心ハラハラしていた。
 食い逃げがばれた? それとも、踏み倒した借金を取立てにきたのか? まさか、嫌な貴族の情報を暗殺ギルドに売ったことがばれたんじゃ……。

「セティ・ファルクス!」
「はい!」

 修行時代以来の良い返事が出てしまった。

「わけあって貴様の精霊使いとしての実力が知りたい。立ち会ってもらうぞ」
「立ち会い?」
「魔法での決闘がのぞみだ」
「おとがめに来たんじゃないの?」
「そのような命は受けていないが、なぜだ?」
「……ぷはーっ、そんなことかよ。なんだよ決闘って、脅かすなよな」

 冗談じゃないよ、まったく。

「そんなこととはなんだ! 手加減するつもりはないからな!」

 ルニアは真面目に決闘を望んでいるらしい。なんて前時代的な精霊使いなんだろう。
 それはそうと、アルタニア王国軍がおれの実力を知りたがっているって? その実力というのは、どうやら精霊使いに対するおれの戦闘力のことらしいが、いったいなぜ?
 ルニアは不幸せなサラマンダーを精霊界に送り返すと、両手を合わせて詠唱態勢に入った。

「待て待てっ! なに勝手に呪文唱えようとしてんだ! おれは決闘を受けるとは一言も言ってないぞ!」
「私はアルタニア国王の命令によって動いている。アルタニアの国民である貴様に戦闘を拒否することはできない」
「善良な国民に喧嘩売るとか、どんな国王だよ……」
「べらべらとやかましい! 覚悟を決めて戦えっ!」

 ルニアはそう叫ぶと、合わせた手のひらをじわじわと解いていった。手と手の間に無数の火球が生まれている。火球は発動の瞬間をむかえたことがうれしいのか、勢いよく飛び回っている。
 間違いなく攻撃呪文だ。
 問答無用かよ。やるしかなさそうだ。
 おれは頭を切り替えて、戦闘態勢をとった。

「火の国の忠実なるしもべ達、出でよ! バーン・ファミリア!」

 ルニアが詠唱を終えると、手の中の火球が弧を描いて彼女の前方に散らばる。火球は着地すると同時に形を変え、その一つ一つが全身に炎をまとう犬へと変貌した。
 その数、なんと十頭以上! 目の前に番犬の群れが出現した。

『グルルルルル……』

 炎の獣はくぐもった唸り声をあげ、おれを威嚇している。
 メラメラと燃え盛る毛並みをした地獄の番犬どもは、よだれの代わりに口から火の粉を垂らしている。すでに獲物がおれであることを察知しているらしい。一瞬たりともこちらから目を離そうとしない。

「なに見てんだ、帰れ帰れ。しっ! しっ!」

 とうぜんおれの言うことなど聞きゃあしない。かわいくない犬どもだ。
 ルニアは嫌がっているおれを眺めて、愉快愉快といった様子である。

「くっくっくっ、犬は苦手だったか?」
「犬が苦手なんじゃねえ。火のついた生き物全般が苦手なんだよ」
「そうか、私とは趣味が合わんようだな。だが、容赦はしない。私が合図を出せば、こいつらが貴様を八つ裂きにするぞ。さあ、どうする。貴様にこの状況を覆すだけの力はあるのか?」

 ルニアはこの一方的な状況が楽しくて仕方ないらしい。
 なんて高飛車な態度! よーし見てろよ。その鼻っ柱をへし折ってやる!

「まずは小手調べだ。行け!」

 ルニアは号令をかけると同時におれに向かって指さした。

『ガァウッ!』

 それに呼応した番犬が、一頭、おれに向かって飛びかかってくる。
 さすがにものすごいスピード。地面に炎の軌跡を残しながら、弾丸のように一直線に突っ込んでくる。

「きやがったなっ! だったらこうだっ!」

 おれは地面に転がっている木の枝を拾って、向かってくる犬に突きつけた。
 案の定、犬は警戒してその場に立ち止まる。

「そーら、そーら」

 ゆっくりと枝を左右に振ると、犬もつられて首を右へ左へ振ってしまう。
 ……勝った。

「よーし、良い子だ。そら、取ってこい!」

 おれは枝を思いっきり遠くへぶん投げた。
 しかし、投げた枝は炎の壁にはばまれ焼失。それどころか、問題のワン公が投げた枝にまったく反応せず、じっとおれの様子を見ている。

「取って……こない……?」
「なにがしたいんだ貴様は」

 ルニアは不味いものでも食ったかのように顔をしかめてこっちを見ている。

「そいつは腹をすかしているんだ。飢えた獣が獲物を前にしてくだらん遊びに興じるはずなかろう」
「あらそーお?」
「かかれ! 馬鹿は食ってしまってかまわん!」

 火炎の獣が待ってましたとばかりに大口を開いて、おれの喉元めがけて飛びかかってきた。

「うわっ、やめろ! 危ねえだろっ!」

 とっさに身をかがめて、飢えた獣の恐ろしい跳躍をかわす。

『キャイン!』

 食らいつく対象を失った番犬は背後の大木に激突。よほど強くぶつかったらしい。頭をふらふらさせてその場から起き上がれずにいる。

「あーあ、言わんこっちゃない」

 おれは手についた土をパッパッと払いおとして言った。

「…………」

 ルニアはただぼーぜんと眺めている。期待した結果とはだいぶ違ったのだろう。
 とはいえ、おれに余裕はない。番犬はすぐに立ち直って攻撃してくるはずだ。ならば、こういう場合にやることといえばひとつ……。

「じゃ、そういうことでっ!」
「なにっ?」

 敵がいない方向へ猛ダッシュ! 敵前逃亡はおれの得意技である。

「セティ・ファルクス! 貴様いつまで逃げるつもりだ、往生際が悪すぎるぞ! 貴様も精霊使いなら、魔法を使って戦わんかっ!」

 ルニアの怒声が背後からひびく。
 勝手なことばかり言いやがって。突然あらわれて、あいさつもなしに火炎をぶっ放し、猛獣をけしかけ、今度は手の内を見せろだと? それも何から何まで一方的な命令口調で。騎士だかなんだか知らないが、いい加減うんざりだ。

「……にしても、この壁がよお……」

 いくら走っても、周囲に連なる炎の壁に終わりは見つからなかった。
 そびえ立つ火柱を前にして走ることをやめたとき、それが一点の隙間もなく逃げ道を塞いでいるのだということを理解した。

「はあ……はあ……きれいに囲んでくれちゃってまあ。なんて律儀な女なんだ」

 あのルニアとかいう魔導師、尋常じゃねえ。この巨大な炎壁を維持しながら、大量の魔物を余裕で使いこなしてやがる。よほど化け物じみた魔力を持っていないと、こんな芸当は不可能だ。

「あの威張りくさった態度にもうなずける部分があるってことか……」

 見上げると、炎は相当な高さまで渦巻いている。森の樹木を軽く凌駕する大きさだ。だが、上限がないというわけではない。てっぺんより先にはいつもとおなじ、冬の夜空が見えている。
 こいつを飛び超える方法がないわけじゃねえ。
 だが、なにかが……。
 揺らぐ炎には得体の知れない魅力があって、見つめていると妙に心が落ち着く。それに、あのルニアとかいう女魔導師も……。

〈覚悟を決めて戦え!〉
「なにっ?」

 なぜか、あの女の声が頭の中で再生された。

〈セティ・ファルクス! 貴様いつまで逃げるつもりだ!〉
「冗談だろ。やめろよな!」

 あんな戦闘狂の言葉をフィードバックするなんて、どうかしてる。

「だいたい、逃げちゃ悪いのかよ。戦いからなにが生まれる? 人を傷つけてなにが楽しい。無駄な争いは避けるべきだろうが! おれはなにも間違ってねえ……」

 だけどよお……。
 逃げるっていったって、どこへ?
 おれは知っている。この壁の向こう側にはなにもないんだということを。

『グルルルルル……』

 ……きやがった。
 振り返ると、番犬がすぐそばで威嚇の唸り声をあげていた。まとう炎を執念にたぎらせ、屈辱を舐めた怒りが全身を一回り巨大化させている。

「そんなに暴れたいか、ワン公」
『ガウッ! ガウッ!』

 悲しいほど本能に忠実な飼い犬。さっきと同じ手は通じないだろう。退路は炎にふさがれ、もはや戦闘は避けられそうにない。
 なんたる厄日。こうなったらやけくそだ。

「いいぜ、付き合ってやるよ」

 どうなっても知らんぞ。なにもかもみんな、あのルニアとかいう女のせいだからな!

「かかってきな、アホ犬っ!」
『ガァァウッ!』

 番犬はその場から勢いよく飛び上がると、くるくると回転しながら高々と宙を舞い、はるか頭上からおれめがけて急降下してきた。鋭い牙と爪、燃え盛る全身その全てをつかっておれを消し炭にするつもりだ。
 おれは右手で左の手首をつかんで詠唱する。

「大気の中を飛翔する遊び屋の精霊たちよ。我が体内に宿りし魔法の源を糧に、逆巻く突風となれ……」

 大気が凝縮する際に生じる心地よい風の音。左手にやわらかな光が灯り、らせん状の風がまとわりつく。
 敵のジャンプが高い分、速度が落ち、狙いはつけやすい。

『ガァアアアアッ!』

 左手を対象に向け、呪文をはなつ。

「吹き荒れろっ! エア・ブラスト!」

 怒り狂った番犬が、発動した呪文に目を丸くする。
 耳をつんざく爆裂音とともに、掲げた手のひらから強烈な爆風が発生し、番犬を巻き込んで、さらにその向こう側にある大木もろとも吹き飛ばした。番犬はテニスボールのようにはじき返され、全身にまとう炎を突風によってはがされる。

『アォオオオオン……』

 最期は吹き消したロウソクの炎のように、夜の空にはかなく散った。

「つぎからはもう少しおだやかな主人に飼われるんだな」

 突風が過ぎ去り、あたりに静けさが戻る。魔物を始末したあとにはいつもこの静寂だけが残る。

「…………」
「見たぞ、風の精霊使い!」

 びくりとして声がしたほうを振りむく。すると、炎の壁からルニアが残りの番犬を引き連れてあらわれた。絡みつく炎が、女の肩や足、マントの裾や長い髪を燃やしているのに、それをものともしていない。火炎に対する耐性が異常に強いのだろうか。たいした魔防障壁も張っていないのに、業火のなかを平気で歩いている。
 妙な感慨に浸っている場合じゃない。こうなったら、災いの元凶がなんなのか、この放火魔から問いただしてやらないと、安心して眠れやしねえ。だが聞いたところであっさり答えるか? あの女はどう見たって戦闘を楽しんでいる。ここで戦闘を終わらせるつもりはないだろう。だったら……。
 だったら、満足させてやればいい。

風の精霊使い

風の精霊使い

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-11

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