水面の空

⒈出会いは彼方に

空を見たことのない少女、少年は空とは何か、必死に語りかける。
両手を広げ、瞳を輝かせながら、少年は語った。
しかし少女は言った。

「そんなに大きくて、そんなに広かったら、私達は飛んで消えちゃう。」

少年は、躊躇いを覚えながら、少女の手を引いて街へ出た。

~水面の空~

時は5年後へ飛ぶ。

「地上プレートの下側、下層プレートの非適正民族に感染性のウイルス、9-275が流行しています。医療機関は...」

少年、月野 翡翠は、テレビから流れる情報を耳にし、5年前のことを思い出した。少女と過ごした淡い時が、彼の脳裏に再び焼け付く。
切ない思いに浸る翡翠を余所に、彼の母は淡々と感想を述べた。

「非適正民族だから、そんな罰があたるのさ。」

翡翠の住む土地では、思考能力によって、階級が区別される。生活に弊害のないレベルと思われるものは、地上に、弊害の出るものは非適正民族として地上の下の下層プレートに振り分けられる。ある意味差別とも取れる方針を国民に納得させるため、政府は情報操作と教育を施したのだ。

翡翠は悲しげな顔をし、母の方を向いてぼそりと呟いた。

「彼らだって、なりたくて、なってるわけじゃないんだよ。」

翡翠は少女の顔を思い浮かべた。またいつか会おう、その時は空を見せてあげよう、そう約束したあの夜。思い出が彼の胸を締め付けた。

翡翠はいつものようにフードのポンチョ、黒いスニーカーを履いて街を歩いた。街は活気と知性に満ち溢れていた。しかし、どんな所にも、裏の顔というものは存在する。翡翠は時々、そのような光景を目にするのであった。
今日はその光景を目にする時だったらしい。見れば檻に閉じ込められた少女が売り飛ばされようとしている。翡翠は、最初は無視をしようと決め込んでいたが、ある異常に気付いた。

(あの顔は...あの時の...?)

見れば、少女がその檻に入っている。体が疼いた。行っては駄目だという本能の危険察知。しかし、本能以上に体中に駆け巡る救いたいという願い。翡翠は戸惑いを隠せなかった。

(ぼ、僕はどうすれば...)

その時、少女がこちらを振り向いた。もう、大人の女性に近づいたその少女の眼差しにはどこかあどけなさを感じる。とろんとした瞳でこちらを見つめ、微笑むその姿に、翡翠は正義以外のなにか本能に近いものを感じた。

(守らなきゃ、彼女は、僕が守らなきゃ。)


そう思ってしまえば行動は一瞬で、翡翠は地を蹴って駆け出し、下卑た笑みを浮かべる男たちに手を掛ける。
幸い、翡翠は武道を心得ており、華麗なまでに男たちを投げ飛ばした。

檻の施錠を確かめると、鍵は掛かっておらず、翡翠は少女の救出に成功した。少女は乾いた瞳を翡翠に向け、先程よりもさらに柔らかい微笑みを作った。

「ありがとうございます...」

少女は細く、しかし凛とした美しい声でそう言った。その時、翡翠の推測は確信へ変わっていった。

(間違いない、あの時の子だ。)

気付けば、翡翠は自分の願いを少女に伝えていた。

「僕のことを覚えてるかどうか分からないけど、僕は君を覚えてるよ。行くあてもないなら、僕の家に来なよ。」

少しばかり羞恥を感じながら声をかけた翡翠に、少女はクスリと微笑んだ。

「あの時、海のことを熱心に語ってくれた男の子、だよね。確かに行くあてもないし、お言葉に甘えたい、でも。」

そこで少女は言葉を切り、息を吸い込んでこう言った。

「私は、非適性民族。しかもさっきまで売り飛ばされようとしていた、汚い小娘。いいの?」

翡翠は胸が締め付けられた。これほどまでに自尊心を傷つけ、差別されるために、階級区別があるのか、と。
翡翠は少女を慰めるかのように抱きしめ、彼女の耳元に囁きかけた。

「非適性民族だからなんだっていうんだ。僕が助ける。それに、君は汚くなんかない。むしろ美しいんだ。もっと自分に自信を持つんだ。」

決してそれは哀れみや惨めに思って発した言葉ではなく、翡翠が純粋に彼女のことを思う心だった。

そして翡翠は最後に、彼女への決意表明を示した。

「君のことは、僕が守るよ。ずっと、ずっと。」

水面の空

水面の空

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-10

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