花の毒

「小説家になろう」時代。

 おい、と声をかけられる。
 目は開けなかったけれど、充分誰なのかは分かっていた。
 おはよう、と言おうとして道路に投げ出した足を蹴られる。
「嫌でも職質かけなきゃならんだろが、止せ」
 ひどい、と寝起きで掠れた声を返すと刑事が嘆息する。
「だったらこんなところで寝るな。死体かと思ったぞ」
 縁起でもない。
 ただ、目立たないように一夜を明かそうと思っただけなのに。
 閉じられたシャッターにもたれて、傍らの自販機で暖を取った。
「演技でもないんだろうが」
 若干うまい、と返してようやく瞼をこじ開ける。
 白み始めた空を背景に、刑事は立っていた。
 野暮ったいコートの襟まで立てて、寒そうにしている。
 どうしたのかと問おうとしてやめた。
 理由は自分にある。
 案の定、
「またやってくれたな」
 刑事の視線が、無意識だろうが隣を走る大通り――その向こうの住宅街に向かった。
 俺も、そこから来た。
「築十七年の木造アパート、そこの大家が殺された」
 刑事はいたって事務的に事実を述べ立てた。
「前も後ろも関係なしの滅多刺しだ」
 ちらり、と。
 今度は刑事の視線が俺のパーカーのポケットに向けられる。
 俺はそっと、突っ込んだ左手の中の柄を握った。
「――一応訊くぞ」
 全部見通した上だろうが、刑事は面倒くさそうに言うだけだ。
「怪しい人間がこっちに来なかったか」
 ――知らない、と。
 俺は困り顔で返す善良な一市民だった。
 嘘は一切吐いていない。
 そんな人間がやって来るのは見なかった。
「だろうな」
 刑事も、白い息を吐くだけだ。
「ったく……やってくれるぜ」
 不機嫌さは足取りのつかめない犯人にある訳だが。
 少々そのピントはズレているようだった。
「大晦日の忙しい時に遊んでくれやがって」
 遊ぶとは大した言い草だが、俺に言うことはない。
 新年を目前にして惨殺された中年男性の死に半端に首を突っ込むのは失礼だろう。
「散々な元旦だ」
 娘も寝ずに待ってたのに、と言うときばかりは。
 刑事の表情が少し和らいだ。
 ――お疲れ様、と俺が言うと途端に柳眉を逆立てたが。
「お前がっ……」
 そう言いさして、結局は止める。
 はあ、と一際大きく息を吐くと、刑事は空に目をやった。
 視線の忙しい大人だ。
「――明けたな」
 その言葉につられるように空を仰ぐ。
 さっきよりも明確に明るくなった空。
 ぼんやりとした俺に、刑事は投げやりに言った。
「明けましておめでとう。今年は捕まっとけよ」
 ――そんな改まった言葉は、刑事らしくない。
 噴きだすのをすんでのところでこらえて、俺は左手で口を押さえた。
 指先の赤さを見咎めて刑事が声を上げようとしたところで機先を制す。

「明けましておめでとうございました。捕まる予定はないから、今年もよろしく」

 刑事が口を開けたり閉じたりして、結局は嘆息したのがようやく彼らしい仕草だった。

花の毒

花の毒

祝い事には向かない花がある。新年の挨拶なんか特に、だ。

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-07-10

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