アイアムヒーロー
「小説家になろう」時代。
私の席の隣人に特徴はない。右利き眼鏡に全体的に中の上。気弱な男子生徒A。
自分の身体よりも大きな武器を振り回す主人公。そんな奴らに憧れて生きてきた。オタクの妄想とでも、中二病とでも、お好きなように。それでもせっかく授かった機会を、活かさずしてどうするのか。
夜の学校なんて知らない。非常灯と月明かり以外に光源を失った校舎や、廊下がどうなるのかなんて。ドラマやPVで見たことがある程度の俄知識だ。だから正確には、そこがどんな場所かなんて、俺に掴めるはずはないのだ。だからこれは虚構なのだろう。確実に、曖昧なのだろう。
そんなことをだ。そんな取りとめのないことを、大きな得物を背負って、全速力で夜の学校の廊下を駆け抜けながら考えるあたり、もう現実離れしている。そんな余裕があってなるものか。狩るなら全力を掛けろって話だ。
いやにリアルな、廊下を空虚に反響する二人分の足音と、荒い息遣い。――もう、了いだと。息巻いたらば一挙に獲物との距離が狭まった。目の前に現れた、汗が滲んでいるのを見て取れる学校指定の白いシャツを、空いている方の手で掴む。一瞬自分の体重を失った感覚になってから、二人折り重なるように、もんどり打って、それで、止まった。
組み敷かれた彼は、それでもなおもがいて、俺の下から逃げようとしていた。それを、左手に握っていた大きな大きな、それはそれは大きな剣を軽々と振りかぶって、手首ごと打ち止める。ぎゃあっ、という悲鳴が新たに廊下を反響した。耳をつんざくそれはとても不愉快で、その報いに剣を抜いてもう片方の手首を落としてやった。ひぐっ、とみっともない嗚咽を喉から洩らすので、次はそこに狙いを定めようとしたら泣き顔の彼は必死に声を張り上げた。
「こんなことしてどうするんだよ!」
「お前の居場所を俺に頂戴。全員見返してやる」
「できるもんか! そんなこと!」
「できるよ。俺が一番お前のことを知ってるんだから」
「そんなの過大評価だ、僕には何もできない」
「いいや、できる。俺がやる」
「今の生活で充分だ、何も変わらなくて良い」
「俺は嫌だ」
「現実問題できないことだ」
「できるよ」
どうせ僕なんて、という喘鳴を、それ以上は聞かずに断ち切った。
ぴくりとも動かなくなった――とは行かず、ひゅうひゅうと苦しげな息継ぎを繰り返す鏡映しの『僕』の瞼を、俺は優しく閉じてやった。眠るみたいな顔があどけなくて、自分の寝顔を見るのは初めてだなといやに感動した。そして感動というのはその一瞬の儚さに味があるのだろう。白み始めた学校の外を見やって、また膝に目を戻したときには、そこには何もなかった。
アイアムヒーロー
いつの間にやら彼は左利きになっていた。