ナイフと眼鏡

「小説家になろう」時代。

 心臓が強いほうで良かったと思う。
「ねえねえ」
 と、ショートカットで、露になった首筋が冬でも眩しい級友が駆けてきた。そのまま勢い込んで、手にしたCDを掲げてみせる。
「このバンド知ってる? あたしがイチ押ししてるんだけど、サヤたちったら、知ってる人がいる訳ないとか言っちゃって」
 残念なことに、私も知らなかった。いかにも自主作成な同人CDに、私は首を横に振る。彼女は「そっかあ」とCDを後ろ手に隠した。
 その、間隙を縫って。ざっくりと、彼女の控えめな胸元に、カッターナイフが突き刺さった。黄色いプラスチックの()が、どんな仕組みかは知らないが半分以上彼女の胸に(うず)もれる。それは見ていて心底気分の悪い――それはそれは、奇っ怪な光景だった。この上なく致命傷な深度に至っているというのに、彼女の血は一滴も、露ほども、(こぼ)れはしていないから。
 何だ、その程度の落胆なのか、と拍子抜けしながら、それでも気分の悪いものは悪い。仕方なしに、私は『気遣い』を顔に貼り付けた。
「あまり音楽詳しくないから。でも、そんなに良いなら聴いてみようかな」
 見え透いたお世辞。彼女も分かっていたのだろう。
「そっかあ」
 ともう一度言ってから、それでも、
「いいアルバム出たら貸すよ!」
 と笑って答える。それと入れ替わるように、彼女の胸元からカッターナイフは薄らいだ。
 ぱたぱたと遠ざかる上履きの音。無意識に耳が拾う周囲の雑談。目を巡らせて、心臓の強さにニヤリと笑いを浮かべかけた。あちこちで飛び交うカッターに包丁、物騒なものではサバイバルナイフから、(なた)まである。こうして皆が、ちょっとした言葉に隠した刃物をぶつけ合うだなんて他に誰に見えているのだろう。どんな色眼鏡を私一人が掛けているというのだろう。
 耳が、ショートカットの彼女が滑り込んだ女子の一団の会話を聞き取った。
「――だから、本当に優しいよね、彼女」
 見習ってよ、と彼女が続けるのを聞いて、「ああ」と。ざらりと肺を何かに撫でられるような不快感。ちらりと自分の胸元を見下ろせば、そこには大振りの刀が突き刺さっていた。
 血も出ない、痛みもない、ただの光景。心臓が強くて良かった。

ナイフと眼鏡

ナイフと眼鏡

世の中には知らないほうが良いこともある。もちろん、見えないほうが良いこともね。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-10

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