蓮向かひ

「小説家になろう」時代。

(からす)を殺したね」
 珈琲に垂らしたミルクの滴のような問いに、僕はつられて彼女と同じ方向を見た。色の足りない冬の公園に、ぽつぽつと真っ黒な烏が二、三羽居た。
「いつ?」
 覚えが無いので訊き直すと、彼女は悪戯な笑顔を口の端に乗せた。
「小学生の時に。先生が、奴らは害鳥だなんて教えてくれたものだから」
 言われて初めて、思い出した。脳裏に蘇るバタバタと暴れる太った手足に、ああ、と息を吐く。
「思い出したよ。正義の味方を気取った良い思い出だね」
「まさに若気の至りというのかな。あまり後味も良くなかった気がするよ」
 隣に立つ彼女から視線を逸らすと、一層彼女の声はよく聞こえた。
「思いの外、大きな騒ぎになってしまったから」
「褒めてもらえると思っていた分、何とも居心地が悪くて」
「泣いていたから。誰がこんな酷いことを、とまで言われてしまってはもう言い出せなかった」
「良い先生だった」
「うん」
 身体の前でショールをかき合わせた彼女の首を、白い真珠飾りが揺れる。揃って着ている喪服が烏の羽根にも思えた。
「早すぎるよ」
「まったくね。早すぎる。白状できないまま逝ってしまうなんて」
「後悔してもし足りない」
 彼女の横顔に目を戻すと、背中で烏が鳴いた。
「殺したことを? 言わなかったことをかい?」
「言わなかったことを。殺したことを、後悔なんてするものでしょうか」
 冬の渇いた風が彼女の黒い髪を、広げた鳥の羽根のように巻き上げる。
「していないね」
「でしょう」
「嫌いだったからね。我が侭で、傍若無人で、暴力的で。何度も痛い目を見た」
「私もね。髪を引っ張られて、蹴られて、何度も嫌な思いをした」

「「だから、殺した」」

 重なった声に、彼女は呵呵呵(かかか)と嗤った。
「先生だって、あれには手を焼いていたはずなのに。死んで悲しんでやるなんて、とても優しいとしか言えないよ」
「親の剣幕も凄かったけれどね。うちの子を殺した犯人を捜せと迫っていたから」
「ああ、先生には苦労をかけたね。せめてと言ってはなんだけれど、墓前に報告をしようか?」
「良いと思うよ。行こうか」
 僕が足を踏み出すと、彼女の喪服の裾が大きくはためいて、艶やかな一対の翼になった。そして僕を先導するように飛び立つと、あっと言う間に空高く小さな点になって消えた。
 ああ、先生に会いに行ったんだなと分かって、訳もなく悔しくなった。せっかくの手柄は、揃って言わせてくれれば良いのに。

「先生、彼を殺したのは私たちです」

蓮向かひ

蓮向かひ

思い出話に花が咲く。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-07-10

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