記憶のGestalt

こんにちは、久々に小説を載せます。一久一茶です。今回は、少し暗い話になってます。が、是非読んでください。

記憶の〜Gestalt〜


最初は、ほんの些細なことだった。
一人暮らししていた僕。大学の近くに下宿していて、家族とは遠く離れた所に住んでいた。はじめは寂しさも感じることもあったけど、友達が増え、彼女ができて・・・いつしか寂しさは消え、毎日が楽しくなっていた。
そんなある日のことだ。僕は何気なく大学に行き、教室に入ると生徒たちがザワザワと騒がしくしていた。何かあったのだろうか。気になりながらも席に着くと、仲のいい友達が
「なあ優、プリント貸してくんね?」
と話しかけてきた。僕は「いいけど、何で? 」と返すと友達は驚いた顔をして
「今日小テストだぜ?」
と言った。忘れていた。今日は小テストなのか。そんなことを思いながら鞄からファイルを取り出し、友達に手渡した。
「お、ありがとう。それにしても珍しいな、しっかり者のお前が小テスト忘れるとか」
友達はそんなことを言い、教室から出ていった。
それから二日後。その日も同じように大学に行き、教室に入った。程なくして教授が入ってきた。そして教壇に立つなり
「こんにちは。授業を始める前に、前回出していた課題を提出してください」
と言い、教壇の近くの机に提出用のカゴを置いた。
・・・え?
僕は咄嗟に隣に座っていた友達に「課題って、何かあったっけ?」と聞いた。すると友達は
「へ? 今日はレポート提出だよ? 」
と、これまた驚いた顔で答えた。忘れていた。いや、もっと言えば、記憶になかったという方が正しいかもしれない。僕は教授にレポートを忘れたことを伝え、席に戻った。
疲れているのかな、最近物忘れが多いな・・・その時の僕はまだそのくらいにしか考えていなかった。
でも、その考えが甘かったと気づく出来事が起こる。
その日もまた、何気なく大学に行き、教室に入った。その日はテストの日。今回は忘れず勉強してきたぞ。そんなことを考えながら席に着いた。そしてテストが始まり、鉛筆を取った僕は、驚いた。
・・・学籍番号を忘れた。
少なくとも一年以上、ことあるごとに使って来た学籍番号が思い出せない。おかしい。使い慣れているはずなのに・・・いや、きっと気のせいだ。書き始めれば思い出せるはず。 そう自分に言い聞かせながら紙に鉛筆の芯を置くが、思い出せない。何桁の数字だったのかも思い出せない。どうしよう・・・こっそり隣の友達に聞いてみるか? いや、学籍番号を忘れただなんて恥ずかしくて言えない。じゃあ、名前だけ書いて提出するか? でも、マークシート式であるこの用紙は番号を書かないと採点されない。では、どうするか・・・
考えに考えた結果、隣の友達に聞くことにした。恥ずかしいなんか言ってられない。そう思い話しかけようとしたその時・・・再び驚愕した。
隣にいる友達の名前が思い出せないのだ。
・・・嘘だろ。何かがおかしい。いつも呼んでいるのに、昨日も喋っていたはずなのに。思い出せない。思い出せる気配もない。僕は一体どうしたのだろう? どうしたのだろう・・・
結局僕はそれでパニックになり、ほぼ白紙の状態でテストを提出した。
これは尋常じゃない。僕はどうしたのか。絶望感に飲まれそうになりながらも何とか家に帰った僕は、ベッドに身を投げ、眠りについた。
しばらく寝ていただろうか。僕はスマホの着信音で目を覚ました。時計を見ると午後七時。電話の主は、彼女だった。
『もしもし! 優、今どこ? 』
彼女の第一声はそれだった。僕は「家だけど・・・何? 」と返すと彼女の声が一段と大きくなった。
『何で? 今日の約束忘れちゃったの? 今朝もメールしてたじゃない! 』
部屋にかけてあったカレンダーを見た。今日の日付は・・・あれ、今日って何日だっけ?
『「今日は半年記念だからお祝いしよう」って、優が言ったんだよ? 何で? もう私二時間も待ってるんだよ? 』
彼女は泣きそうな声でそう訴える。ここでもまた僕は、こんな大事なことを忘れていた。
泣き出しそうな彼女に、とりあえず謝らないといけない。そう思い僕は彼女に話しかけた。
「ごめん。本当にごめん」
「何かあったの? もしかして私のこと忘れちゃったの? 」
「そんなはずないよ・・・! 」
そう、忘れるはずがない。忘れるはずないんだ。だけど、だけど、だけど・・・
『どうしたの? 』
驚きのあまり、僕は次の言葉が出なくなった。彼女の名前は、彼女の名前は・・・
『どうしたの? 具合でも悪いの? 』
彼女の名前・・・一番大切な人の名前・・・この電話の相手の名前・・・約束を破っても怒らず、僕を心配してくれている人の名前・・・
僕は思わず、叫んでいた。きっと僕はどうかしている。何も思い出せない。大切なことを覚えていない。そのせいで、大切な人に心配をかけている。なのに、その人の名前すら思い出せない。僕はどうかしている・・・
『ねえ、大丈夫なの? ねえ、ねえ? 』
僕はスマホを投げていた。壁にぶつかり床に落ちたスマホは、僕を心配する声を発していた・・・




電話の途中、急に優が叫び出した。
「ねえ、大丈夫なの? ねえ、ねえ? 」
電話越しに聞こえる優の声はどんどん悲痛なものになっていく。私が何度呼びかけても、その声は届いていないようだ。どうしたんだろう?
突然、ドンと大きな音がマイク越しに聞こえた。
「ねえ、ねえ? 大丈夫? 今からそっち行くから! ねえ、聞こえてる? 」
優が明らかに変だ。几帳面な優が約束を忘れることも初めてだし、何より、優が取り乱して叫ぶ声なんて聞いたこともない。優に何かあったんだ。絶対何かあったんだ!
私は自転車を必死に漕いで、優の住むアパートへ急いだ。
数分後、アパートに着いた私は優の部屋まで走った。ドアノブに手をかけると、鍵は開いていた。
「優! 」
部屋に入るなり、私は優に駆け寄った。優は床にぐったり横たわっていた。肩を持って身体を起こした私は驚いた。
手首から、血がどんどんと出ているのだ!
「ちょ、何してるのよ! 」
急いで鞄からタオルを取り出して、手首に当てた。
「何があったの? ねぇ? 死んじゃ嫌だよ! 」
ピンクのタオルが瞬く間に紅く染まっていく。駄目だ、救急車を呼ばなきゃ!
タオルを傷口にくくりつけ、私はスマホの画面を急いで叩いていた。

幸い、優は一命を取り止めた。でも、しばらくは意識は戻らないと、お医者さんから聞いた。優のご両親は急いでこっちに向かっているそうだ。
私は泣いた。優は何で自殺なんてしようとしたのだろう? 私が何が悪かったのかな・・・
病院の廊下で、ひとり悩んでいると、看護婦さんが私の隣に座った。
「あなた、藤倉優さんの彼女さん? 」
「・・・はい」
「あのね、藤倉さんのズボンのポケットに携帯が入っていたんだけど、これ、あなたに渡しておくね」
「ありがとうございます・・・」
ブルーのスマホを私に手渡すと、看護婦さんは「大丈夫、きっと藤倉さんは目を覚ますわ」と私に言って、立ち去っていった。
何となく、私は優のスマホの電源を入れると、画面にメモ帳が表示された・・・え? 一番上に私の名前がある。
それに触れると、それは私宛の手紙だった。
それを読んで私は、また泣いた。
ーーー物忘れが酷くなっていったこと。それのせいで、私との約束を忘れるだけでなく、私の名前さえも思い出せなくなったこと。きっと優は、私の名前を思い出せなくなったことで絶望してしまったのだろう。最後には、こんな文面が記されていた。
『僕はいずれ、君のことを完全に忘れてしまうかもしれない。ごめん・・・もう耐えられない』
「バカ・・・」
ぼんやり光る画面が、少し濡れた。

後でお医者さんから聞いた。
ーーー優はかなり進行した若年性アルツハイマーだったこと。今回の自殺未遂で更に脳に負担がかかり、それが進行したかもしれないこと。次目が覚めた時は、私の存在さえも覚えていないかもしれないこと・・・
辛いだろうに、そうお医者さんは私を励ましてくれた。
でももうその時には、私は泣いていなかった。
優を支えるって決めたから

記憶のGestalt

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一久一茶
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記憶のGestalt

主人公に襲いかかる「物忘れ」 果たしてそれは疲れからか、はたまた別のことからか・・・

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-10

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