31、亜季・・・大人になれなくて

信じる強さありますか?

31、信じる強さありますか?

  あなたは本当に人を信じた事があるだろうか?と言うより信じる事ができる人だろうか?

「信じていたのに」という失望感を何度味わうのか。でも実のところそう言ってる本人でさえ突き詰めれば何を信じていたのかと問われれば曖昧な返事しかできない事に気が付くだろう。

言い替えれば自分が思う様な人であってほしかったというだけかもしれない。

それがそうでないと知った時裏切りという言葉で心の整理をつけ自分を聖人におしあげる。そもそも心の底から真に相手を信じているならばおそらくそこに裏切りなど存在しないはず。疑いを抱いた時点で信頼はすでに揺らいでいる。何故なら相手がどんな行動に出ようとただその人を信じていられる自分の心に従えばいい。でも人はそれ程強くない。

結局信じる、信じないは自分の中である人間に抱いた理想と現実の戦いから始まる。そしてその戦いは時に予想を超えた苦しみを人に与える。


 亜季は今そんな中にいた。これという根拠のない信頼に振り回されている。結婚の約束をしたわけじゃない。それどころか大人の恋愛というにはまだ程遠いとも言える淳との距離。

なのに何故か裏切られたと言う感情が湧き上がる。自分でも不思議だった。前の恋愛は心も体もどっぷりと浸っていた。彼がいなければ自分の人生も存在もまるで意味がないと思う様な恋愛。でも結果は亜季に大きな傷だけが残った。

だからなのか柔らかく、のんびりと時間の中を流れていく淳との関係は心地よかった。ただ、いつのまにか淳の口から出る亜季を自分の人生の中の特別な存在として置く言葉を当たり前の事して位置付けていた。あまりにも淳の目が綺麗だったから?それとも大きな失恋の後には信じたい気持ちが欲しかったから?
(わからない・・・そんなのわからない。淳のプローズかもしれないという言葉にも曖昧な返事を繰り返してきた。だって・・・まだ早すぎる気もしたし。
いいえ・・・それは都合のいい嘘かもしれない。本音は多分相手の気持ちを探る必要のない心地いい時間がもっと続いてほしかった。
でも、だからと言って何故エリカ?ふたりはいつからそんな風に?・・・淳は何も話してくれなかった。自分だけが知らなかったという事実が妙に大きくひっかかる。)


亜季は今3日後になったライブのリハでピアノを弾きながらそんな事を考えている。同時にエリカと知り合ってから多くのものが失われていく感じが込み上げていた。

亜季がこれまで抱いていた平凡な家族というイメージが揺らぎ始め、父と母が嘘を重ねても守り通した幸せな夫婦の姿が悲しくも見え、そして淳。ふと朝香の言葉が頭をよぎる。

「エリカの望みは亜季の家庭を壊すことじゃないの。」
(いつだったかそんなことを言ってた。でも・・・なんの為?母がエリカのお母さんから父を取り戻したから?。それはつまりエリカに当たり前の家庭を与えなかったということ。だから・・・今度はエリカが私を壊していく?)

 ピアノを弾く手が気持ちと絡まり小気味いいはずのラテンナンバーが重い。いまや亜季の指と頭がまるで別世界を走っているのを丈は気付いていた。

だから幾度となく亜季の方を見ては様子を探る。ただ丈はめったな事では怒らない。でもエリカはそんなに甘くはなかった。

突然エリカが声を止め、亜季をジッと見た。それに応える様に亜季の指が止まり二人の視線はまっすぐな細い光となりふたりの距離の中央で激しくぶつかり合う。

「何か悩み事?・・・それとも私の歌が気にいらないのかしら?」

「そういうわけじゃ・・・。」

「それならちゃんとやってくれなくちゃ。大学の学園際じゃないんだから。プロという自覚がないなら趣味で遊んでいればいいのよ。それは悪い事じゃないし。そう・・・あなたにはその方が合っているのかも。せっかく丈が帰って来てる合間に久しぶりに組めるライブなの。来週にはまたニューヨークに行ってしまうのよ・・・わかってる?」

そう言いながらエリカは丈の言葉を求めた。突然舞い降りた質問に丈は困った顔と共に亜季を擁護する。

「まあ、そんなにカリカリしなくても。プロと言ってもその意識に到達するにはそれなりに時間が必要だ。大人になるのと同じ。子供から一足飛びに大人にはなれない。それにさ・・・この仕事真面目にやっていてもある種の人には遊んでいるようにしか見えないという事もあるし。肩の力抜いた方が聞いてる人にすんなり入っていける事もあるよ。」

「へぇ・・・」というエリカのスタジオを駆け巡る大きな溜息。丈の亜季への擁護がエリカの心を硬くさせ、ヒステリックな感情を生んでしまった。

「丈は亜季さんに甘いんだから。それにしても羨ましい事!いつも誰かが後ろで支えてくれるなんて。私はずっと一人。確かに母はいたけどバカな人だから。
実るはずのない恋なんかに一生をかけるなんて。おかげでわたしまでとばっちりを受けた。私があなただったら思う存分自分の環境を糧にはばたく。
あなたは『本当の自分は』なんてつまらない屁理屈を並べてあっちの世界にフラッ、こっちの世界にフラッて。そういう人見てるとイライラするの。そういう人はね詰まるところどこの世界にもなじまないのよ。あるのは自分だけの世界。多分・・・淳の事が気になるんでしょう?でもね、あなたの気分で人は自分の人生の大事を決めたりしない。
淳はあなたの曖昧さに嫌気がさしただけ。私はどんな事にもリスクがあるのを知ってる。過去の失恋で信じるのコワ-イなんてぐずぐずしない。今は淳が必要。彼なら私は私の仕事に打ち込める気がする。だから結婚する。でもそれが一生続くかどうかわからい。終わる時にはどうあがいても終わるんだから。」

その言葉に亜季の繊細さが反応する。
「なんだか都合のいい人生観。」

「あら、そう?でも誰も自分に都合よく生きたいでしょう?自分を信じていられれば別れは恐くないものよ。まだ人が信じられないなんていうお嬢様のそれこそ都合のいいたわごとで振り回される淳が気の毒。局をやめて報道カメラマンとして一人立ちする彼には安定が必要。私の仕事にもね。たとえそれが紙切れ一枚でもそれなりのメリットがあるのよ。外から見た時の自分の立つ位置を安定させておく。それで世間の信頼を少しは得られる。他にやる事がなかったうらぶれたジャズシンガーなんて思われたくないしね。
まあ、今のところ世間からみればそこそこの成功者である親というバックがしっかりしているあなたにはわかるはずないけど。」

その最後の言葉にどれだけの意味が込められていたか亜季には到底想像できない。ただ、エリカの言葉にいくらかの真実が含まれていたとしても亜季に届いた言葉の波はエリカが抱える幸せという幻想への羨望、そして執着としてきざまれていた。一方で二人の複雑な関係をよくは知らない丈はただエリカの長い吐き出した言葉がどれほど亜季を揺るがせているか気になっていた。

(このまま亜季を残してニューヨークに行っても大丈夫なのだろうか?)

丈の繊細な優しさが亜季にむかい開き始めた。

31、亜季・・・大人になれなくて

31、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted