ありがとう!(Ⅲ完結編)

谷川に沿って、川原を歩きながら、沢蟹とタニシを獲って来た建一は、帰りは、近道の、崖の上を通って行く事

  ありがとう!(完結編)Ⅲ
 {フィクションに付き、内容は架空で、
  事実とは、異なる処があります}
谷川に沿って、川原を歩きながら、沢蟹とタニシを獲って来た建一は、帰りは、近道の、崖の上を通って行く事にした。建一は、崖の上に繋がる獣道を、上り始めた。モンタが、建一の背中に飛び付いた。「モンタ、重いよ、歩いて」と、言い、モンタを背中から降ろした。モンタは、建一の先を、崖の上の方向に登っていった。モンタが、崖の上で、激しく叫び出した。何事かと思い、建一は急ぎ、崖の上に登った。そこには、水色の軽乗用車が、止まっていた。ナンバーは10-12で、キーは付いた侭だった。幸世さんの車だ。傍に靴が、揃えて有った。モンタも、幸世の車を覚えていた。建一は、急ぎ元の川原に下りた。川原を見渡した。何も見当たらなかった。自分達は、谷川の上流から来たが、何も無かった。おそらく、谷川の下流に流されたと考え、建一は下流に向かって川原を走り出した。少し走ると、数十メートル前方を走っていたモンタが、幸世の居場所を教えるかの様に、激しく叫び始めた。幸世が、川原の大きな石に引っ掛かり、水に浸かって倒れていた。建一は無我夢中で、幸世の胸に耳を当てた。息は有る。手首に親指を当てた。脈も有る。集落は無医村だった。建一は、必死で幸世を背負い、崖の上に登った。幸世の軽乗用車の助手席に、幸世を乗せ、猛スピードで自宅に向かった。自宅に着き「父ちゃん、父ちゃん」と、大声で叫んだ。後部席からモンタが飛び降り、総一郎の仕事場に走って行った。建一は幸世を担ぎ、自宅の囲炉裏端に寝かした。仕事場で、白河夜船で居眠りをしていた総一郎が、目を擦りながら起きてきた。総一郎は幸世を見て、驚いた。「父ちゃん、囲炉裏の火を燃やして、早く、早く」と、建一は叫んだ。総一郎は、自分の仕事場から、木工製品や木くずを持ち出し、火を付けた。建一が、総一郎の仕事場や自分の部屋から、ストーブを持ち出し、火を付けた。幸世の衣服は、ずぶ濡れだった。総一郎が「早く、着替えさせないと」と、言った。建一が「女の人だから、男が着替えさせは、駄目だよ」と、言うと、総一郎が「馬鹿野郎!早く、着替えさせないと、冷えて死んでしまうぞ!」と、怒鳴った。二人の家には、衣類は男物しか無かった。建一はガタイ大きく、中肉中背の総一郎の衣類を着せる事にした。二人掛かりで、敷布団の上で、寝間着を二着と丹前を重ねて着せ、湯たんぽを入れ、上から毛布と掛布団を被せた。モンタが心配そうに、幸世の顔を撫でていた。建一が、車の中に置いて有った幸世のバックを、持って来た。幸世の昏睡状態は、一昼夜続いた。建一は寝ずに看病した。モンタも起きていた。総一郎だけは、囲炉裏端で居眠りを、してしまった。翌朝の9時頃、幸世のバックの中の携帯電話が鳴った。建一が、躊躇しながら電話に出た。「霊園の者ですが、高木幸世さんの携帯電話ですか?」と、言った。「はい」と、建一が答えた。「高木幸世さん、居らしゃいますか?」と、言った。「居ません」と、建一が答えた。「お宅様は、どちら様ですか」と、霊園の人が言った。「親戚の者です」と、建一が答えた。「では、高木さんに伝えて下さい。霊園の規則が変わりましたので、一度霊園に、お越し下さい」と、言った。「分かりました」と、建一が答え電話を切った。幸世が購入した霊園からの電話で、建一も集落の近郊だったので場所は知っていた。携帯電話の画面を見た。幸世の携帯電話の画面は、モンタを抱いた自分が写っていた。建一は、嬉しさで涙が出た。保存写真の中に、家族や交友関係の写真が一杯有ったが、赤子の写真が一番多かった。赤子の着ている衣類は、全て揺子の文字が有った。最後に、墓石と白い建物の写真が写っていた。電話とメールの履歴を見た。送信(リダイヤル)履歴は数多く有ったが、受信・着信履歴は、殺害事件の有った日を境に途絶え、警察や葬儀社や司法書士などの数件のみが、残っていた。事件以後の送信(リダイヤル)履歴は、通信時間が微かな通話が多く、相手に受信拒否をされている様に感じた。孤独な幸世の胸の内を、垣間見た。事件前の交信記録に、支店長・久保信雄のメールが目に止まった。建一は、その内容を、読んでしまった。幸世と支店長の関係を知った。幸世が身動きした。瞬時に建一は、幸世の携帯電話を、バックに戻した。
「父ちゃん、父ちゃん」建一は囲炉裏端で、うたた寝をしていた総一郎を起した。「高木さん、高木さん」と、言い、幸世を揺り起こした。モンタも、幸世の腹の上で跳ねた。幸世が目を開けた。「此処、何処?」と、幸世が言った。「俺達の家だ、もう大丈夫、良かった」と、建一は安堵の気持ちで言った。二人は、胸を撫で下ろした。二人の顔は喜びで満ちていた。「私、如何して此処に居るの?・・・あれ?早川さん?」と、幸世が言うと、建一は頷いた。モンタが、幸世の胸の上に飛び乗った。「モンタちゃん?会いたかった。早川さん、有難う」幸世の目は、涙で溢れていた。モンタが、幸世の顔に頬擦りをした。幸世が起き上がり、気付いた。「これ、誰のパジャマですか?」総一郎が「俺のだ。ずぶ濡れだから、着替えをした」と、言った。「私の衣服は?」と、幸世が聞いた。「洗濯して庭に干してある。もう、乾いていると思う」と、総一郎が言って、庭を指差した。「誰が、私の着替えをしたのですか?」と、幸世は恥ずかしそうに小声で聞いた。総一郎が惚けて「建一が、一人でやった」と、言った。建一は面食らって「モンタがやった」と、言った。幸世が、両手を抱いて俯きながら「恥ずかしい。でも有難う御座いました」と、言った。建一が庭に出て、幸世の衣服を取って来て、幸世に渡した。幸世は、隣の部屋で着替え、寝間着と丹前を綺麗に畳んで、改めて「有難う御座いました」と、言って、総一郎に返した。「如何して、俺に連絡して呉れなかったのですか?俺、随分探しました」と、建一は言った。総一郎が「高木さんが居なく成ってから、相当、建一は落ち込んでいた」と、言った。幸世が「御免なさい。誰からも相手にされなくて、始めは、早川さんに縋ろうと思いました。でも、早川さんの電話番号も住所も、知りません。銀行では御客様の個人情報を、自分達は見る事が出来ません。NTTの電話番号案内に問い合わせたのですが、登録が無かったです。道の駅に行けば、分かると思ったのですが、自分の様な他人が、早川さんに頼れば、迷惑が掛かると思い諦めました」と、言った。「ごめん、家には固定電話が無い。俺も父ちゃんも携帯電話だ。でも、水臭い、人の繋がりは、そんなものでは無いよ。困った時は、助け合うのが人間だ!」と、建一が言った。「その通りだ」と、総一郎が言った。幸世の目から、涙が流れた。「高木さん、今、他人と言った。他人で無くなれば良いのだ。建一と結婚しなさい。建一、嫌か?」総一郎が言った。余りに突然な発言に、建一は狼狽えた(うろたえた)が、同時に首を激しく横に振った。幸世が「お父さん、冗談はやめて下さい」と、言ったら、総一郎が「冗談で、こんな事が言えるか」と、怒鳴った。幸世が「私の様な汚れた女は、早川さんの御嫁さんには、相応しく(ふさわしく)無いです。最、素晴らしい女性は、一杯います」と、言った。総一郎が「何処が汚れているのだ。肝心は、心が綺麗な事が一番大事だ。高木さん、建一では不足か?建一の事、嫌いか?」と、言った。「好きです。以前から好きです」と、幸世は言った。総一郎が「歳を取ると、耳が遠くなって、高木さん、もう一度、言って呉れない」と、言った。幸世は少し大声で「大好きです」と、言った。「建一は?」と、総一郎が言った。「大好きだ!」と、建一は大声で叫んだ。総一郎は上機嫌で、台所から焼酎とコップを三つ持って来て「決まった、祝杯だ」と、言って、コップに焼酎を注いだ。総一郎が「一気・一気」と、叫んだので、三人で一気飲みをしたが、殆ど酒が飲めない幸世は、咽た(むせた)。建一が「父ちゃん、強引だから。大丈夫?」と、聞くと、幸世は「大丈夫。でも、本当に私で良いの?」と、聞き返した。「高木さん、無骨者ですが、宜しくお願いします」と、言って、建一は床に頭を付けた。「此方こそ、不束者ですが、宜しくお願いします」と、言って、幸世も床に頭を付けた。頭を上げた二人の顔に、笑みが毀れた(こぼれた)。総一郎が幸世に「さっき、高木さんが[お父さん]と、言って呉れた。もう一度[お父さん]て、言って、呉れないか?」と、言った。幸世が「お父さん」と、言った。「お父さん。良い響きだ」と、総一郎が満足気に言った。「モンタも祝杯だ」と、総一郎が言って、モンタを探した。モンタは、庭の墓石に合掌していた。建一は、墓石の事を幸世に話した。三人は、母猿の墓石に合掌して、婚約の報告をした。「我が家は、人が集まるので、居間は、先日、増築して広くした。けれども、寝室は建一と俺の二部屋しかない。もう、婚約したから夫婦だ。夫婦は一緒の部屋が当たり前だ。既に建一は、高木さんの臍(へそ)の下のホクロも、見ているし」と、総一郎が言った。「お父さんも、私の着替えを手伝ったのですか?」と、幸世が聞くと、「ごめん、バレタか」と、両手を合わせ詫びた。幸世は、口をヘの字にして、軽く総一郎を睨んだ。すると、幸世は「大好きな早川さんと、同じ部屋が良いです」と、建一の手に触れ、今度は微笑みながら言った。建一は照れた。幸世に、支店の窓口のブリッ子さが、少し戻ってきた。
夕食は幸世が作った。何時もの男所帯の味とは、比べ物にならなかった。テレビを見てから、建一と幸世は建一の部屋で、総一郎は自分の部屋で床についた。部屋で幸世は「本当に私で良いの?私の戸籍は、汚れているよ。私は他の男性」と、言い掛けたら、建一が幸世の口を塞いだ。「全て、分かっている。大丈夫」と、言って、幸世を強く抱き締めた。幸世は体に、優しい建一の温もりを、感じた。二人は布団に入った。幸世は泣いていた。[如何して、こんなに心が温かく、優しい親子なの]幸世は、他人から、こんなに優しくされた事が、無かった。嬉しさで、涙が止まらなかった。暫くして「お父さんは、私達の愛のキューピットね」と、幸世が言うと「随分老けた、愛のキューピットだな」と、建一が笑って言った。「駄目よ、そんな事を言っては」と言って、建一を嗜めた(たしなめた)。「私、お父さんにプロポーズされたみたい」と、幸世が笑顔で言うと「ごめんね、俺、奥手だから」と、建一が苦笑いして言った。「此れから、早川さんの事、建一さんと呼んで良いですか?」と、幸世が言うと、建一は少し考えて「建ちゃんが良いよ、俺も幸ちゃんと呼んで良い?それと、俺に敬語を使うのは、やめてね」と、言った。幸世は頷き「建ちゃん」と、言うと、建一が「幸ちゃん」と、言い返した。二人は笑った。その夜、建一は緊張の余り、幸世の体に全く触れる事が出来なく、幸世は、若干心配になった。翌朝、幸世が目覚めた時には、建一は、未だ、眠っていた。起き上がり、建一の机の上を見ると雑誌が三冊、重ねて置いてあった。一冊目は野生動物の雑誌、二冊目は農作物の雑誌だったが、三冊目はエロ雑誌だった。幸世は、その雑誌を見て[建一さんも、まともな男性ね]と、思い、安心した。以前、弟の昌五の部屋にも、料理の本に混じり、数冊のエロ雑誌が有ったが、男なら当然だと、認識していた。建一が目覚めた。幸世は「お早う」と、言って、建一の手を、自分の胸に押し込んだ。二人は、その朝、始めて交わった。総一郎は、朝になっても中々起きて来ない二人に、少々、苛立ちを感じていた。モンタは、既に、部屋の中を飛び回っている。建一の部屋の、物音は聴こえた。[若い者は元気が良いな]と、総一郎は感じた。総一郎は、三人分の朝食を用意して、二人を待った。時間が過ぎ、やっと二人が部屋から出て来た。「お早うございます。すいません、遅くなって」と幸世が言い、「父ちゃん、お早う」と、建一が言った。「今、朝食の支度をします」と、幸世が言って、何気なくテーブルを見たら、既に、三人分の朝食を用意して有った。「御免なさい、初日から、お嫁さん失格ですね」と、幸世が決まり悪そうに言った。「今日は、大目に見る」と、総一郎が言った。流しで朝食の食器を洗っている際、幸世は、大好きな建一との交わりの余韻に浸り、含み笑いをしていた。二人は部屋に戻った。幸世は、机に置いて有るエロ雑誌を手に取り、笑いながら「建ちゃん、私が居るから、この雑誌、要らないでしょう。捨てるよ」と、言った。建一は、気恥ずかしい思いで、苦笑いをしながら「良いよ」と、言った。幸世は、微笑みながら、雑誌をゴミ箱に捨て、建一の手を自分の胸に当て「また、今夜ね・・」と、耳元で囁き、建一の口に軽くキスをした。建一は[夢を見ているのでは?]と思い、自分の頬を、つねった。朝食を終えた総一郎が、庭先で花を取り、花束を二つ作っていた。建一は「幸ちゃん、早く、出発するのが遅れる」と、幸世を急かせた。幸世が「建ちゃん、待って」と、言って、台所から出て来て「お父さんの昼食、冷蔵庫に有る物で作って、テーブルに置いて有ります。口に合わないかも知れませんが、食べてみて下さい」と、言い、庭にでた。「幸ちゃん?俺も、幸世さんを幸ちゃんと呼んで良いか」と、総一郎が幸世に聞いた。「はい、良いです」と、幸世が答えた。総一郎が「花束を二つ作ったので、お墓に御供えして」と、言って、幸世に渡した。今日は、買物も有るので、幸世の水色の軽乗用車で、行く事にした。モンタは、二人と一緒に行きたがって居たが、市役所やホームセンターは建物が大きく、動物は中に入れないので、総一郎と一緒に留守番させた。建一と幸世は、母猿の墓石に合掌した。墓石には既に、総一郎によって果物が供えられ、左右の花立てには、花が一輪ずつ差して有った。そして建一と幸世は、総一郎の作った花束を後部席に乗せ、出発した。建一は運転をしながら、朝の交わりを想いだし、ほくそ笑んでいた。幸世は「変な建ちゃん」と、言って含み笑いをした。まず、往路に或る霊園に立寄った。霊園内は閑散していて、人影は全く無かった。高木家の墓石に花束を供え、合掌して結婚の報告をした。事務所に行ったら[規約が変わり、霊園の中も、車の乗り入れが可能になったが、一方通行です]と、言われ、霊園内の地図を渡された。建一が「今日、婚姻届を出しますので、墓地の所有者の名前が変わります」と、言った。霊園の人が「分かりました。おめでとうございます。こちらに新しい名前・住所・電話番号を記入して下さい」と、言って書類を渡された。幸世は書類に、始めて早川幸世と書き、集落の住所を書いたが、携帯電話の番号は以前と同じなので、書かなかった。次に、二人は、以前、幸世が家族と住んでいた、市役所の戸籍課に向かった。途中の車の中で、幸世はバックからサングラスとマスクを取り出し顔に、付けた。幸世は、人目の多い所は、避けていた。幸世は、知り合いと遭遇するのを、極力、恐れていたのだ。市役所に着いた。車から降りた幸世は、建一の手を強く握り締めた。二人は手を繋ぎ、戸籍課に行った。それは彼が、盲人を引率しているかの様にも見えたが、建一は幸世に頼られている事を自覚し、嬉しかった。幸世の戸籍謄本を貰い、二人は、ホームセンターに向かった。この店は、市内でも随一の大型店で、全ての物を揃えていた。しかも、この店は、建一が常日頃、農作業に必要な物や、総一郎の木工製品作りに必要な物を、調達する店でもあった。今日はウイークデイで客は疎らだったが、幸世は絶えず、建一の手を、握り締めていた。二人は、食料品と幸世の衣服と野菜の種を買ったが、女性の下着売り場だけは、建一は近くで待機した。ホームセンター内のレストランで昼食を摂り、店の出口に差掛った時、幸世は立ち止った。卓上電動ミシンの実演販売をしていた。メーカーの社員が「新商品のキャンペーン中なので、通常価格より三割安い」と、力説していた。幸世は、じっと、実演販売を見詰めていた。建一は「欲しいの」と、聞いた。幸世は頷いた。建一には、あいにく、金の持ち合わせが無かった。カード払いでも可能かメーカーの社員に聞いたらOKだった。食料品と幸世の衣服と卓上電動ミシンで、ショピングカートは一杯になった。幸世は、建一の手を引っ張り、別の売り場に連れて行った。そこは、生地と毛糸の売り場だった。幸世はサングラスを、外しては掛け、外しては掛け、夢中になって生地と毛糸を見た。そして、数点の品を買った。ショピングカートは、山積みになった。購入した品物を、軽乗用車の後部席とトランクに積み、道の駅に向かった。運転中の建一は、助手席の幸世に、自分の携帯電話のアドレスから、道の駅の居る集落の老人に、電話する様に頼んだ。幸世は、建一の携帯電話から電話しようと、画面を見た。画面には、銀行時代の自分の写真が有った。幸世は驚いて「いつ撮ったの?」と、聞くと、建一は「二度目に銀行に行った時の、盗み撮り」と、照れ笑いで答えた。道の駅の老人に幸世が電話したら、老人は建一の携帯電話からの声が、女だったので驚いていた。道の駅では、集落の三人の老人が、帰り支度をして、待ち焦がれていた。「建一さん、遅いよ」と、老人が言った。約束の時間より、大幅に遅れていた。建一は、急ぎ軽乗用車のトランクから、野菜の種を降ろし老人達に渡した。「ごめん、ごめん」と、建一は謝った。老人の一人が、気付いて「助手席に乗っている女の人は誰?さっきの、携帯電話からの女のひと?」と、建一に聞いた。「俺の嫁さん」と、建一は答えた。老人達は口を揃えて「へえー、ぶったまげた、見せてよ」と、驚いた口調で言った。建一が、幸世に手招きをした。幸世が、車から降りて、建一の横に立って、会釈をした。老人が「顔を見せてよ」と、言った。幸世は躊躇った。建一が「大丈夫」と、言った。幸世が、サングラスとマスクを外した。「ふぃあ!別嬪さんだ」と、老人達が絶賛した。老人達の中に、以前、昌五と道の駅に来た時に会った、老人が居た。一瞬、幸世は、老人との目線を逸らした。老人は、思い出した様に「以前、道の駅に、弟さんと来た娘さんだ。何処かで会った様な気がしていた。大変だったでしょう。心配だった」と、言い、微笑みながら、握手を求めてきた。幸世に取って、想定外な反応だった。幸世は、人の温かさを感じた。建一は「これから、町役場に行くから、また後で」と、言って、幸世を乗せ、道の駅を後にした。町役場は市役所とは異なり、規模が小さく、町民課が戸籍の業務を併用していた。市から貰ってきた戸籍謄本を提出して、二人は婚姻届を出した。町役場が閉まる間際で、町民は居なく、職員は帰り支度を済ましていて、不機嫌だった。二人は待合シートに座った。建一がトイレに行く為、待合シートから離れた。職員が幸世を見て「早川幸世さん」と、呼んだ。幸世は返事を、しなかった。再度、「早川さん、早川幸世さん」と、呼ばれた。幸世は自分の事だと悟った。「はい」と、返事をして、慌てて窓口に行った。丁度、建一がトイレから戻って来た。建一も、自分の戸籍謄本を取ってみた。建一は唖然とした。もう一度、戸籍謄本を食入る様に見た。建一は、総一郎の養子だった。実母は総一郎の妹で、二十歳前に他界し、総一郎には結婚した形跡が、全く無かった。建一は[自分の母は、建一が幼い頃に死んだ]と、総一郎から聞いていた。建一は[結婚もしないで総一郎は、男手一人で、妹の子供を育てて呉れたのだ]と、思った。幸世が「如何したの?」と、聞いた。建一は戸籍謄本を幸世に見せた。幸世は「お父さん、凄いね。神様の様ね」と、言って涙ぐんだ。婚姻届を済ませ、既に日没時間は過ぎていた。
二人は家路を急いだ。運転中の建一は、無口で表情が硬く、何かを見詰めている様で、朝とは一変していた。建一は、総一郎の部屋を、はたと思い出していた。部屋には、総一郎が作った厨子の中に、位牌が飾って在り、二人は常日頃、拝んでいた。位牌には、早川礼子と書いてある。[位牌名前は、総一郎の妹の名前で、妹が実母だったのだ]と、自覚した。車の中で幸世は、建一を、和らせる為に「町役場で[早川幸世]と、始めて呼ばれたの。今日から私、早川幸世だね。慣れないと」と、言った。少し於いて「お父さん、遅くなって、怒っているかな?帰ったら誤って夕食、作るね。建ちゃんも、誤って」と、言った。「今までも、父ちゃんと生活していて、俺も仕事で、遅くなる日が時々有ったから、大丈夫」と、建一が言った。自宅に7時頃に到着した。家には灯りが、全く点いていなかった。「お父さん、怒って寝てしまったの?」と、恐る恐る幸世が言った。二人は、物音を起てない(たてない)様に、玄関を開けたら、一斉に灯りが点灯した。「おめでとう」と、声が入り乱れて飛んだ。居間には集落の人が全員、集まって居た。道の駅で会った老人達が、集落の全員に、事前に連絡したのだ。集落の人達が持ち込んだ料理が、座卓に一杯、並べて有った。長老が挨拶に立った。「建一さん、幸世さん、おめでとう。幸世さんの悲しかった事、寂しかった事、全員が解っている。集落の人達は一蓮托生だ。これからは何でも相談して下さい」と、述べた。別の村人が、乾杯の音頭を取った。「御両人の前途を祝して、乾杯」全員から「乾杯」の合唱が鳴り響いた。思うもよらぬサプライズに、二人は感激した。幸世は、集落の絆に涙し、考えても無かった、優しい場所に、自分が居る事を実感した。建一は、村仲間と冗談を言い合い、笑っている総一郎を、見詰めていた。総一郎が善人の塊(かたまり)の様に見えた。建一は、自分が養子だった事実を知ったが、総一郎には決し口に出さなかった。その夜、遅くまで二人の祝宴で、早川家は大いに盛り上がった。
翌日、二人は朝一番で、町役場を回って警察署に行った。昨日は、町役場が閉まる時間だったので、婚姻届だけで、住民票の発行までは、して貰えなかった。町役場で住民票を取り、警察署の運転免許証の窓口に、
運転免許証と住民票を提出した。係官が幸世に「名前と住所の変更ですね。本人確認の為、サングラスとマスクは外して下さい」と、言った。幸世は、サングラスとマスクは外した。係官が運転免許証に載っている旧住所を読みながら、上目づかいで、幸世を凝視した。咄嗟に幸世は、目を背けた。二人は、昼前には自宅に戻った。幸世は、昼食に、三人分のグラタンと、小盛りのモンタ用のグラタンを作った。モンタは、幸世の膝の上で、冷ませ(さませ)ながら、スプーンで少しずつ、幸世に食べさせて貰った。建一と総一郎は、舌鼓を打った。美味しかった。昌五の部屋の料理の本で、幸世は料理を覚えた。料理の本は、日本料理は元より、多岐に亘っていた。幸世は家事が好きで、特に裁縫と料理は、得意だった。午後、総一郎が仕事場から出て来て居間に入ると、幸世が電動ミシンで、何かを作っていた。総一郎が「幸ちゃん、何を作っているの?」と、聞いたら、幸世は「お父さんのパジャマを、作っているの。この前に借りたパジャマ、二着とも、ボロボロだったから。明日には出来るから」と、言った。次の日、総一郎のパジャマは出来上がった。赤色と黄色の二着のパジャマで、胸にはS・Hのイニシャルが縫い付けてあった。総一郎は「随分、派手だな。SはスケベのSで、HはエッチのHか?」と、言った。「違います。Sは総一郎のSで、Hは早川のです。お父さんには、老けないで欲しいから、敢えて、派手な色で作りました」と、幸世は答えた。「あ!そうか!幸ちゃん、有難う」と、総一郎は笑って言った。傍に、モンタの新しい猿服が有った。幸世の町場仕込みの、現代風の料理と洋裁は、集落で評判となり、女性の村人が幸世に、教わりに来る様になった。とりわけ、年寄り女性は町場まで行く足が無く、幸世に仕立服を頼んだ。高齢化が進む集落では、幸世は久しぶりの、若い女性の住人であった。ブリッ子特有の、あどけなさが有る幸世は、集落の天使的な存在になっていった。男性の村人の中には、幸世が目当てで、総一郎の家に来る者もいた。二人が婚姻届を出してから一週間過ぎた夜、建一が幸世を、居間に呼び寄せた。そこには、総一郎も同席して居た。建一は幸世の手を取り、自分のポッケットから、金の指輪を取り出し、幸世の左手の薬指に填めた。幸世はビックリした。今度は総一郎が、自分のポッケットから金の指輪を取り出し、幸世に渡し、幸世に向かって頷いた。幸世は、建一の左手の薬指に填めた。指輪は、器用な総一郎が、急遽、地金から、手作りで作った物で、婚姻届の日付も刻んで有った。幸世は、建一の家に来てから、嬉し涙の連続で、涙も底をつく程だった。幸世は、幸せの絶頂だったが、揺子の事だけは、心配の種だった。しかし幸世には、それを、自分の秘密として、心の奥へ、仕舞う術しか無かった。
在る日、幸世は、総一郎を買物に誘った。足の不自由な総一郎は、自宅に閉じ籠った侭で、外出する機会は殆ど無かった。それは、総一郎の気分転換の為の、幸世の気配りだった。例の如く、幸世はサングラスとマスクを付け、総一郎を助手席に乗せ、水色の軽乗用車で、ホームセンターに向かった。ホームセンターに着き、幸世は車椅子を持って来た。始めは車椅子を躊躇っていた総一郎だが、歩行に時間が掛かっては、幸世に迷惑が掛かると思い「幸ちゃん、有難う」と、言って、車椅子に乗った。起伏が多い山村では、車椅子は無用の長物で、自宅では、松葉杖だけが頼りだった。幸世は主として、仕立服で頼まれた生地と、自分が必要な生地と、食糧品を買い求めた。総一郎は、会計の都度、店員達に深々と頭を下げ、「有難う」を連発していた。頭を下げられた店員達は、一瞬、狼狽えた(うろたえた)が即、店員達の顔は、笑顔に一変した。相手を気遣う、総一郎の、和やかなワンシーンだった。買物を終え、時刻は昼時だった。幸世は駐車場で、買物を軽乗用車に積み、車椅子を、ホームセンターの出入り口に戻した。総一郎が「幸ちゃん、腹減った。何か食べよう」と、言った。「お父さんは何が良いですか?」と、幸世が聞いた。「そうだな、久しぶりに、蕎麦が食べたいな」と、総一郎が答えた。幸世は辺りを見回した。駐車場と道路を隔てて、一軒の蕎麦店が見えた。「あそこに、御蕎麦屋さんが有りますが、松葉杖で、大丈夫ですか?」と、幸世は聞いた。「大丈夫」と、総一郎は答え、松葉杖を使って歩き始めた。歩行者専用の一時停止信号に、辿り着いた。ボタンを押した。左右の車が停止した。総一郎が松葉杖を使って、ゆっくり渡り始めた。横断歩道を渡る途中で、総一郎は、停止中の左右の車の一台一台に、深々と、お辞儀をした。幸世も釣られて、お辞儀をした。停止中の車を運転していた人も、釣られて、お辞儀をした。又しても、幸世は、総一郎の心温まる光景に、遭遇した。1
丁度、昼時で、店内は混んでいた。席が一つだけ、空いていた。二人は、相席を余儀なくされた。幸世は、まず総一郎のみを、座らせ様とした。四人掛の席で、母親らしき女性と、幼い兄妹の三人が、座っていた。女性が、年少の女の子を、自分の膝に移し、席を一つ空けた。幸世と総一郎は「すいません」と、言って、二人は席に着いた。親子は、みすぼらしい身形(みなり)だった。店内は、客の熱気で暑かった。二人は、天ザルを注文した。親子の注文した品が、先にきた。素うどんが、一つだった。幼い兄妹が、素うどんを、美味しそうに分け合って食べ、母親は食べずに、見ているだけだった。二人が注文した、天ザルがきた。素うどんを食べ終った兄妹が、天ザルを見詰めていた。「どうぞ食べて下さい」と、総一郎は言って、対面の席に天ザルを差出した。釣られて幸世も差出した。母親は「見ず知らずの人に、こんな事をされても困ります」と、言った。「どうぞ、どうぞ、私達は朝飯が遅かったので、未だ、腹が空いていません。な、幸ちゃん」と、総一郎は言ってから、幸世の顔を見た。幸世は面食らった顔で、咄嗟に頷いた。兄妹は「お爺ちゃん、小母ちゃん、有難う」と、言って天ザルに、むしゃぶり付いた。「お母さんも、どうぞ」と、総一郎は言った。母親が「でも」と、躊躇って言ったら「どうぞ」と、総一郎は再度、言った。では、お言葉に甘えて」と、言って、兄妹と一緒に食べ始めた。三人を見て、総一郎は満足気な顔をしていた。別の客が、総一郎の、テーブルに立て掛けてあった松葉杖を、倒したが、その客は、直しもしないで、店を出ていった。兄妹の男の子が、即座に、松葉杖を拾って、テーブルに立て掛けた。「有難うね」と、総一郎が言うと、男の子は、照れ笑いをして「小母ちゃんは、さっちゃんて、云うのだね。さっき、お爺ちゃんが、云っていたよ。お爺ちゃんは何て言うの?」と、言った。「総一郎。坊やは?」と、総一郎が言った。「健太(けんた)。妹は真喜(まき)」と、男の子は答えた。「ケンちゃんと、マーちゃんか」と、総一郎が微笑みながら、言った。幸世は、女の子を、揺子と照らし合わせて、見詰めていた。女性は「今日は、持ち合わせが有りません。後日、払いますので、名前と住所を、教えて下さい」と、言った。「私達の気持ちですから、気にしないで下さい。お子さんが、可愛かった。私も二人兄妹で、妹がいた」と、総一郎は言った。「でも、そんな訳には?」と、女性が言うと「○○集落の総一郎です。猿も鹿も狸もいますから、暇な時、お子さんを連れて、遊びにいらっしゃい」と、総一郎が言った。二人は蕎麦店を出た。二人の後ろ姿に、女性は深々と、お辞儀をした。二人は道の駅に向かった。幸世は[今まで、教わった事が無い勉強を、した]と感じ、胸が熱くなった。車の中で「幸ちゃん、腹減ったな」と、総一郎が言うと「そうですね、お父さん、道の駅で、何か食べましょう」と、幸世が言った。幸世は、携帯電話で道の駅に居る、建一に連絡した。道の駅では、建一とモンタが、ファーストフードを持って出迎えた。二人は、出入り口の横のベンチに座って、ファーストフードを食べた。道の駅から、集落の老人が数人、出て来た。「幸世さん、弁当有難う。家(うち)の婆さんより、数段美味いよ」と、言って幸世を誉めた。「今度、皆さんの奥さんにも、教えるから」と、幸世が笑って言った。
家路の車の中で「自分達が、お客さんなのに、如何して店員さんに[有難う]と、云うのですか?」と、聞いた。総一郎が静かに話し始めた「俺も二人兄妹で妹がいた。家は貧乏で二人とも、殆ど学校に行って無い。俺は、小さい頃から、大工の修行に出された。俺は、あの様な子供を見ると、自分の事の様に思える。妹は、もう、この世には居ない。人間は、人から悪口を言われたり、注意されたりして、嬉しい人間は、いない。親からでも、上司からでも、先生からでも、友達からでも同じだ。人間は、自分も事を悪く言う人間は、いない。みんな、「自分は悪くない」と、自己弁護をする。自分の事を悪く言うのは、うつ病の患者だけだ。アリガトウを言われて、嬉しくない人間は、いない。人間は、アリガトウを言われると、嬉しくなって、また、やる気を起こす。親でも、上司でも、先生でも、友達でも、みんな、同じだ。アリガトウを言われると、言った相手が、好きになる。今日、道の駅で会った集落の人達にアリガトウを言われると、嬉しくなって、幸ちゃんは、また、弁当を作りたくなるだろう。建一から、アリガトウを言われると、建一が好きになるだろう。銀行でも同じだろう。お客さんにアリガトウを言われると、その御客さんが、好きになるだろう。反対に今日、道の駅で会った集落の人達に悪口を言われたり、注意されたりすれば、彼らが嫌いになるだろう。建一が悪口を言ったりすれば、建一を嫌になるだろう。俺は、人に好かれたいから、アリガトウを言っている。そうすれば、人は俺を親切にしてくれる。人はアリガトウを貰えば、自分が宛にされていると思い、やる気が湧く」幸世は、総一郎の考えに、感動した。その夜、幸世は「お父さんの考え素晴らしいね。尊敬しちゃう」と、建一に話した。「昔からだ。俺も、父ちゃんを誇りに思っている」と、言った。庭に、夜行性の狸の親子が、餌を求めて遣って来た。狸の親子は、総一郎の家には、全く警戒心が無く、夜間に、頻繁に来る様になっていた。建一と幸世とモンタは、食い物を与えた。狸の子供達が、食い物を取り合っていた。
相変わらず幸世は、居間で、電動ミシンを使って、裁縫をしていた。総一郎が覗くと、幸世は、作っている衣類を、素早く、段ボールに隠した。衣類は揺子の物だった。先日、蕎麦店で会った女の子を見てから、幸世は、揺子の衣類作りに駆られた。揺子の服は乳児服から幼児服に変わり、胸には例の如く、揺子の名前が刺繍してあった。揺子の衣類は、十数枚に及んだ。幸世は衣類を段ボールに詰め、特定郵便局から匿名で、揺子が居る児童養護施設に送った。最近、午後の長時間、幸世が家を留守にする様になった事を、建一は総一郎から聞いた。建一は不安になった。建一は、幸世に気付かれない為に、村仲間から紺色の軽トラックを借り、幸世が乗った水色の軽乗用車の後を追った。暫く走って、幸世の軽乗用車が、児童養護施設の前に停まった。庭で、施設の子供達が遊んでいた。幸世は、じっと子供達を見ていた。幸世の目は、一人の幼児を追っていた。その幼児の胸には、揺子の文字が、刺繍して有った。二時間位して子供達が、施設の中に戻って行った。幸世は、子供達が遊ぶ時間帯を、既に会得していた。揺子を見終えた幸世は、軽乗用車を始動させ、児童養護施設を後にした。途中にスーパーに立ち寄り、食料品と洗剤やトイレットペーパーなどを買った。一方、建一は、借りた紺色の軽トラックを戻しに、村人と共同作業をしている農園に向かった。そして、自分の白色の軽トラックに乗り換え、自宅に帰ったが、幸世は未だ帰っていなかった。建一は総一郎に、児童養護施設の事を話し、「暫く静観したい」と、言った。総一郎も納得した。夕方前に幸世が戻って来て「建ちゃん、今日は早いね。ごめんね、いまから夕食の支度、するから」と、言った。建一は、幸世を尾行して、児童養護施設に行った事を隠す為に「幸ちゃんと、したくて、早く帰って来た」と、冗談で答えた。幸世は「解った」と言って、微笑みながら、建一の体を軽く押し、自分達の部屋に入った。暫くして、部屋から出て来た幸世は、台所に入って夕食の準備を始めた。幸世は、自分を求めてくる建一が嬉しく、含み笑いをしていた。かつて、銀行に勤めていた幸世は、経理に明るく、集落の人達の帳簿を任される様になり、料理教室・洋裁教室の他に経理業務も増え、多忙を極めた。1
在る日の土曜日の昼頃、蕎麦店で会った、女性と幼い兄妹が、菓子折りを手にし、お金を返しに尋ねて来た。総一郎「この集落は、乗合バスも通って無いから、麓から歩いて来るのは、大変だったでしょう」と、言った。女性が「結構、距離が有りますね。午前中の早くに、自分達のアパートを出たのですが、こんな時間になって、しまいました。すいません。今日は子供の学校が、お休みで、私も、パートの仕事を休んで来ました。先日、お借りした、お金を御返しします」と、言って、3000円を総一郎の前に出した。総一郎は、少々怒り調子で「私の気持ちを、無にしないで下さい」と、言った。女性は俯いて「有難う御座います。せめて菓子折りだけは、受け取って下さい」と、言い、菓子折りを出し、3000円を自分のバックに戻した。総一郎が「御主人は?」と聞くと、女性は「離婚しました」と、答えた。総一郎は「差支え無かったら、もう少し詳しく話して貰えますか?」と、聞いた。女性は「見ず知らずの方に、私共の身の上話など、聞いて貰う訳には、いきません」と、言って、バックを静かに、手に取った。「大変、お世話になりました。有難う御座います」と、言い、深々と頭を下げてから立ち上がり「健太、真喜、帰りますよ。お礼を言いなさい」と、兄妹に言った。幼い兄妹が口々に「お爺ちゃん、小母ちゃん、有難う」と、言って、靴を履き始めた。幸世が「待って下さい。お父さんは、人生経験豊かな優しい人です。是非、話を聞かせて上げて下さい」と、言って、女性を引き留めた。女性は暫く躊躇った(ためらった)が、再度、居間に上がった。女性は話し始めた。「夫はギャンブルに填まり、会社のお金に手を付け、解雇されました。サラ金にも、多額の借金が有りました。[私や子達に、これ以上、迷惑は掛けたく無い]と、言って、離婚届に印を押し、郵送して来ました。私は、仕方なく離婚届に自分の印を押し、市役所に提出しました。夫は現在、業務上横領の罪で服役しています。今は、市内のアパートで、三人で暮らしています。保証人もいなく、増して二人の子持ちの私を、正社員として雇ってくれる所は、何処にも有りません。保育園にも空きが無く、思った様に働けません。今は、パートとして、アパートの近くのお店で働いています。子供が居るので、遠方に勤めるのは不可能です。生活保護は今、受けていますが、生活は厳しいです。先日、息子の誕生日で、子供が、うどんを食べたいと云うので、一年ぶりに、御蕎麦屋さんに行きました。そこで、お会いしたのが、お二人です。先日は、有難う御座いました。子供に欲しい物も買って上げられず、いつも[我慢しなさい]の連続です」との、彼女の窮状だった。幸世は、世の中には似た様な境遇の人も、いるのだなと、思ったが、同じ身内の罪でも、横領罪と殺人罪では、雲泥の差が有ると思った。庭で遊んでいたモンタが、腹を減らし居間に飛び込んで来た。兄妹はビックリした。総一郎が、モンタにバナナを与えた。モンタは、女性と兄妹に、一本ずつバナナを渡してから、自分も食べ始めた。兄妹が口々に、モンタを「可愛い」と、言った。「あ、そうか。お昼、未だだったよね。話しに夢中で、お昼を作るの、忘れちゃった。御免なさい」と、幸世は言って「お名前、未だ聞いて無かったよね、教えて下さい」と、女性に聞いた。「山本一枝です。息子は健太、娘は真喜です」と、女性は答えた。「我が家は、お父さんの早川総一郎、今は農場に仕事に行って留守だけど、主人の早川建一、子猿のモンタと私、早川幸世です。私の御主人様、カッコ良いよ。話しは、昼御飯を食べながら、しましょう。ね、お父さん」と、幸世は微笑みながら言った。「そうだ、そうだ」と、総一郎は幸世に同調した。女性は「お世話になった挙げ句に、昼食まで頂いては申し訳ないです」と、言うと、幸世は「山本さん、遅くなったから、昼食、作るのを一緒に手伝って下さい」と、言って、女性を台所に引き入れた。台所で幸世は「山本さんの事、一枝さんと呼んで良い?」と、女性に聞くと「は、はい」と、目を丸くして答えた。幸世は「私の事は幸世???幸ちゃんと呼んで」と、言った。何時しか二人は笑い合って昼食を作っていた。出来上がった昼食はオムライスだった。モンタも、小盛りオムライスを作って貰った。兄妹は夢中で食べた。食べ終って、兄妹もモンタも、ケチャップで、口の周りが真っ赤だった。兄妹は、互いの顔とモンタの顔を見て、笑いこけた。幸世が、台所からおしぼりタオルを持って来て、二人の顔とモンタの顔を拭いた。総一郎が、口を開き「山本さん。この集落に住まないか?集落は、年寄りばかりで、子供が居ない。自然は豊かで、家は広いし、食い物は困らない。車で行けば、町まで遠くない。不自由は感じない。何より、集落には強い絆がある。私も、元は町場の人間だ。今は、此処に、住んで良かった、と思っている。住めば都だ。ただ、子供が住んで居ないので、学校だけは遠い」と、言った。一枝は戸惑い「仕事は、有りますか?」と、聞いた。総一郎は「農作業で、始めは慣れないと、大変かも知れないが、慣れれば大丈夫。どの仕事も、最初は未経験が、当たり前です。子供の近くで、仕事が出来ます。運転免許証は、有りますか?」と、言った。一枝は「はい、免許証は持っています」と、答えた。総一郎は「隣の滝沢さんの婆ちゃん、御主人に先立たれて、今は一人暮らしです。子供も居ない。優しい人だよ。寂しくて、毎日の様に私の所に遊びに来ます。会って見ますか?」と、言った。一枝は戸惑って「はい」と、答えた。隣の滝沢家とは、地続きで、境は何も無かった。総一郎と幸世は、親子を滝沢家に案内した。家の裏には、大きな果樹園が在った。庭には中規模の、地鶏の養鶏場が在り、シルバー色の軽トラックが一台と、白色の軽乗用車が止まって居た。幸世は「お昼のオムライス、ここで貰った卵で作ったの」と、言った。「トヨさん、滝沢さん、居るかい」と、総一郎は呼んだ。家の奥から、人の好さそうな、老婆が出て来て「あら、まあ、総一郎さんと幸世さん」と、嬉しそうに言い、「此方さんは?」と、訊ねた。総一郎は、一枝に話しても良いか念を押し、親子の名前と、親子の事情と、自分が一枝に話した事柄を、トヨに話した。トヨは、寂しそうに笑いながら「おたく達が、こんな婆ちゃんでも、差支えが無いなら、是非、一緒に住んで欲しいよ。太助爺ちゃんが亡くなってからは、人手が無いから、裏の果樹園は、建一さんの村仲間に任せきりで、地鶏の世話だけは、自分で遣っている。自分達夫婦には、子供が居ないからね。車も二台とも、太助爺ちゃんしか、運転が出来ないから、置いた侭だ」と、言った。総一郎が「学校は遠いけれど、車で送り迎えすれば、数十分で行けるよ」と、言った。健太が「お婆ちゃん、これ食べて良い?」と、聞いた。一枝が「お行儀が悪いよ」と、健太を戒めた(いましめた)。トヨは優しい表情で「良いよ、一杯たべて。年寄りの茶菓子だから、口に合うかな?」と、言い、湯呑茶碗に御茶を注いだ。モンタも、茶菓子に手を出し、食べていた。トヨが「モンタは、食いしんぼだね」と、笑いながら言った。一枝は「とても有難い話です。今晩、子供達と話し合って、すぐに御返事します」と、言った。総一郎と幸世と一枝親子は、総一郎の家に戻った。時刻は夕方に、なってしまった。建一が農場から帰って来て「こんにちは、一枝さん、健太君、真喜ちゃん。話しは、先程、幸ちゃんから携帯電話で、聞いています」と、笑顔で言った。幸世が「私の主人、カッコ良いでしょう」と、ブリッ子笑顔で言って、建一に寄り添った。一枝には、ガタイ大きく熊の様な建一が、カッコ良くは見え無かったが「カッコ良いですね」と言い、辻褄(つじつま)を合せた。でも、建一と幸世を見て、二人が相思相愛な事は、感じ取った。建一が「今日は、遅くなったから泊まっていった方がいいよ」と、言うと、総一郎も「それが良い」と、言った。一枝が「でも、甘えてばかりでは」と、言った。建一が、幼い兄妹に「ここは山奥だから、夜になると怖い動物が出て、二人を食っちゃうぞ」と、脅かした。兄妹は「怖い」と、言って、一枝に抱き付いた。一枝は少し考えて「では、お言葉に甘えて、泊まらせて頂きます」と、言った。幸世が「一枝さん、また食事作るの、手伝って」と、台所から声を掛けた。建一がモンタに「隣のトヨ婆ちゃんを、呼んで来い」と、言ったら、モンタが、隣に向かって走って行った。トヨがモンタと一緒に、地鶏の鶏肉と卵を持って、遣って来た。三人は台所で、鶏肉のフライを作った。夕食を食べ終えた頃、何時もの様に、狸の親子が現れた。総一郎が、鶏肉の残りを与えた。一枝と幼い兄妹は、恐る恐る近づいたが、興味、深々だった。家には寝室が二つしか無く、今夜は、建一と幸世の寝室を、親子に空け渡し、二人は居間で寝た。布団の中で一枝は兄妹に聞くと、二人とも口を合せて「此処が良い、此処に住みたい」と、言った。翌朝、全員でトヨの家に行った。一枝はトヨに「子供達が大変、気に入った様で、どうか此処に、一緒に住まわせて下さい」と、頼んだ。兄妹は口を揃えて「お婆ちゃん、宜しくお願いします」と、言った。トヨは嬉しさで涙を流していた。トヨは、一人暮らしで寂しかったのだ。
親子は、市内での学校の転校など、色々な手続きを終え、一週間程で、トヨの家に引っ越して来た。健太は小学一年生で、一枝が毎日、トヨの家の軽乗用車で学校への送迎をしたが、真喜は年少で自宅にいた。果樹園は、摘花や収穫など、年に数回の仕事に限られていたが、地鶏の世話は、毎日だった。週に一度、集落の空き地で、村人達が、ゲートボールに興じる様になった。総一郎も建一もトヨも参加した。ゲートボールのボール・スティックは総一郎の木工の手作りで、ゲート・ゴールポールは建一達の手作りで、ゼッケン/ワッペンは幸世と一枝が縫った。建一は若いので、スティックを使う事が許されず、高校時代からの愛用の、黒バットで参加した。ゲートボールは、リスなどの野生動物に、競技を邪魔される事は頻繁だったが、誰も文句を言う者は無かった。昼に、幸世と一枝が、全員分のグラタンを運んで来た。総一郎が「俺は、グラタンが好きだから[昼食はグラタンが良い]と、言ったのに、如何してグラタンにしたの?」と、聞いた。幸世と一枝は、総一郎の言っている意味が、理解出来なかった。幸世が「お父さんの希望通り、グラタンですけど?」と、不信気(ふしんげ)に言った。総一郎は「これはグラタンでは、ない。グラタンは、うどんより細い麺に、ケッチャプを絡めた料理だ。こんな白く無い。もっと赤い」と、言った。幸世と一枝は、やっと解った。総一郎は、スパゲッティ―をグラタンと、勘違いをしているのだ。幸世は「お父さんの言うのは、グラタンではなく、スパゲッティ―です」と、言った。総一郎のチンプンカンプンの間違いに、全員が大爆笑した。幸世は「ごめんなさい、次は、お父さんの好きな、スパゲッティ―を作りますから」と、言った。総一郎が、バツが悪そうに照れ笑いをした。
在る日、幸世は、一枝と一緒に、ゴルフ場のクラブハウスに、野菜と果物を納めに行った。幸世は、建一が忙しい時、納品を手伝っていた。今日は、一枝に納品を覚えて貰おうと、軽トラックで一緒に行った。野菜をクラブハウスの一階の厨房に置き、二人は果物を陳列する為に、二階のレストランのフロアーに上がった。二人が陳列していると、数十人の男女の客が入って来た。客の中に、信雄と元同僚の女子行員の姿が有った。信雄の頭髪は、薄禿げに変貌していた。その日は、信雄の銀行の、大口預金者招待ゴルフだった。信雄も女子行員も、幸世に気が付き、女子行員は、ひそひそ話をしていた。幸世は咄嗟に顔を背け、一階の軽トラックに逃げ戻った。幸世は地元では、サングラスもマスクも、外していた。一番、会いたく無い人と、会ってしまった。暫くして、一枝が軽トラックに戻って来て「幸世さん、どうしたの?」と、聞いた。幸世は、沈うつな表情で「何でもないよ」と、答え「悪いけど、帰りの運転、一枝さんが変わって呉れる?」と、言った。一枝は「フロアーに居る時、薄禿げ男の人がきて、名刺を差し出し[融資部長の久保信雄です]先程の方は?と、幸世さんの事を,聞かれたので[私の集落の早川幸世です]と、答えた。[集落の名前は?]と、聞かれたので,集落の名前も教えた」と、言った。一番知られたく無い信雄に、自分の新しい名前と所在が、分かってしまった。幸世は、顔が青ざめた。家路の途中、助手席で、俯き沈黙していた。その日の夜、幸世は、自分達の部屋で、建一に、ゴルフ場の出来事を話し、泣きながら胸に抱き付いた。建一は「此れからは、ゴルフ場に行かなくても、良いよ」と、言った。それ以後、幸世の表情が暗くなった。
数年後、この盆地に、震度5強の直下型地震が襲った。昔作りの集落の家屋は、総一郎と建一の補強の功を通し、全く損害が無かった。塚本工務店㈱の造成団地は、価格安による手抜き工事のため、土地は地割れを越し、家屋の三分の二以上が崩壊し、残りの家屋も、何だかの損害を受けた。塚本工務店㈱の手抜き工事は、マスコミで大々的に報道され、国土交通省も現地調査に入った。塚本工務店㈱は、巨額な、損害賠償を課せられ、社長の塚本一郎と、専務の塚本久子は、刑事責任まで問われた。連日、塚本工務店㈱の前には、住宅購入者による「家を返せ。住宅ローン返済の金、よこせ。詐欺者」などの、抗議の行動が殺到し、警察まで出動する事態になった。塚本工務店㈱は遂に倒産に至り、社長と専務は手抜き工事・偽造設計の罪で投獄された。塚本工務店㈱のメインバンクで或る信雄の銀行は、焦げ付による、巨額な不良債権が生じ、その融資の殆どに、関与していた融資部長の信雄は、即刻、解雇された。御曹司の信雄と、一人娘の久子は、双方とも我が儘で、既に仮面夫婦だった。二人は、今度の事を期に、離婚した。
三ヶ月程経って、今度は、盆地にフェーン現象が起きた。その日、久保葡萄園は雑草を燃やしていた。火が葡萄の木に引火した。強風に煽られ、瞬く間に、別の葡萄の木に、燃え広がった。火は、半日以上に渡り燃え続けた。葡萄園は元々、水の便が悪く、なだらかな傾斜地で、農作業車が通れる狭い道しか、無かった。広大な久保葡萄園は、消火に手の施しようが無く、全焼した。
一人息子で御曹司の信雄は、エリート意識が強く、焼け爛れた父親の葡萄園を、再建する意欲は無かった。信雄の父親は、一代で久保葡萄園を築いた、叩き上げの人物だった。信雄の行動や言動に、業を煮やした父親は、已む無く、信雄を勘当し、一番信頼できる一人娘(妹)の夫に、再建を任せた。
数週間後、幸世の携帯電話に電話が有った。信雄からで「久子と離婚したから、また縁り(より)を戻そう。結婚はめんどくさい。縛られるのは嫌いだ。幸世が愛人の方が良い」と言う、身勝手な高飛車の電話だった。幸世は電話を切った。再度、携帯電話が鳴った。信雄からだった。「何で、電話を切る?電話を切ったら、旦那にバラス。俺の携帯電話には、ホテルでの幸世の写真が一杯ある。電話もメールも受信拒否に、するな。俺は親に勘当されて、金銭面で困っている。金も要るから、頼もうと思っている。今日の処は、この位にする。もう一度、言う。電話もメールも、受信拒否にすれば、旦那にバラス。幸世の住所の集落も、知っているから」と、言って、電話を切った。全くの脅迫電話だった。ゴルフ場での幸世の不安が的中した。幸世は昔、信雄と愛人関係だった事が、大好きな建一に知れるのが怖かった。始めての夜、幸世が言い掛けたら、建一に口を塞がれたので、愛人が信雄である事を、まだ建一は、知らないと思っていた。その上、信雄との間に、揺子が居る事も、知られたく無かった。信雄の、ネオン街での豪遊は止まらず、電話での脅迫言動が、ヤクザとも付き合っている様だった。一日二日後から、信雄からメールが頻繁に来た。始め頃の脅迫メールは幸世を求めたが、幸世が拒否して、指定された口座に、お金だけ振込んだ。でも、どのメールにも、必ず[俺の携帯電話には、ホテルでの、幸世の写真が一杯ある。電話もメールも受信拒否にすれば、旦那にバラス。幸世の住所も知っているからの]文言は、入っていた。メールは、丸でヤクザだった。次第にメールは、何時もの文章の文頭だけが[俺はイケメンだから、女には不自由していない。金だけ振込め]に変わり、他の部分は、全て何時も内容だった。メールには、自分の顔を誇示するかの様に、信雄の写真も有った。頭は禿げ上がり、頬は、痩け(こけ)、昔の面影は薄れていた。幸世は、揺子の姿を児童養護施設に、見に行く度に、信雄に振込む様になり、要求金額は、エスカレートしていった。幸世には、自分名義の預金は、揺子の児童養護施設に置いてきたので、殆ど無く、建一名義の預金は、次第に目減りしていった。幸世は決意した。幸世は自分達の部屋で、結婚指輪を、外し、机に置いた。半紙に[建ちゃん、ごめんなさい。お父さん、ごめんなさい。モンタ、ごめんね]と、書き、外した指輪を、その上に置いた。幸世は、水色の軽乗用車に乗って、自宅を後にした。幸世は、信雄にメールした。[私は、家を出ました。作り話だと思うなら、私の集落に行ってみて下さい。私には、貴方に振込むお金は、もう有りません。今日から、貴方の電話もメールも、受信拒否します]の、内容のメールだった。信雄は電話とメールしたが、幸世の云う通り、受信拒否されていた。確認の為、信雄は近くの交番に行ってみた。幸世の捜索願いが、建一から出されていた。信雄は金蔓(かねづる)を失った。
一方、建一は、村人と一緒に、必死に幸世を探したが、消息は掴めなかった。警察に、捜索願いも出した。隣の一枝が、建一に「女の第六巻で、先日のゴルフ場での融資部長・久保信雄の名前を話した時から、幸世の表情の異変に、気付いていたが、プライバシーを干渉するのは良くないと思い、建一に黙っていた」と、話した。建一は、信雄が関与しているのでは思い、銀行に電話したが「融資部長は、既に退職しているので、分からない。実家の久保葡萄園に、聞いて見たら、分かるかも」との、返事だった。久保葡萄園の電話番号を調べて、電話したが「自分達も音信不通で、分からない」と、言われた。建一名義の口座から、数十回に渡って、大金が引き出され、振込先が信雄で或る事も判明した。建一は、揺子の児童養護施設の前で、施設の子供達が遊ぶ時間帯に、幸世が現れるのでは、と考え、一週間待機した。しかし、幸世は現れなかった。完全に、幸世の消息が途絶えた。
数日後、建一は、揺子が居る児童養護施設を訪れ、揺子の養子の申請をした。「御両親が居ないと、養子の申請は出来ません。奥様は?」と、穏やか(おだやか)に聞かれた。建一は、住民票・印鑑証明・戸籍謄本を出し「今、妻は入院中です」と、偽りの発言をした。施設の人は、住民票と戸籍謄本に目を通し、審査が有ります。財産目録や確定申告書のコピーを頂くかも知れません。何れにしても後日、連絡します」と、言った。若干の追加書類は提出したが、審査は問題なく、揺子は建一の養子になった。揺子は、すぐに、建一と総一郎に打ち解けた。建一は、絶えず揺子に、幸世の写真を見せ「ママだよ」と、教えた。揺子が「パパ。ママは綺麗だね。何時、帰って来るの?」と、言った。建一が「パパも、ママが綺麗で優しいから大好きだ。揺子が、御利口さんにしていれば、帰って来るよ」と、答えた。揺子は「解った」と、言った。隣の一枝とトヨが、男では分からない事を、常にサポートして呉れた。健太と真喜は揺子と、直ぐに仲良しになり、真喜は、妹が出来たと喜び、人形の様に可愛がった。揺子は、周りの愛に囲まれ、すくすくと育っていった。
ゴルフ場は、建一達の反対運動や、野生動物の出没や、地震被害の後遺症が重なり、人気は衰退していた。或る日、モンタの母猿を撥(は)ねた、独立行政法人の役員達が、ゴルフ場の関係者による、接待ゴルフをしていた。急に空が曇りだし、雷鳴が響き、大粒の雷雨が降り出した。役員達はゴルフ場の大きな樹木の下に退避した。雷が、その樹木を直撃した。役員の三人は即死、残りの一人は瀕死の重傷を負った。山村に、救急車のサイレンが鳴り響いた。この事故は、ゴルフ場の不人気に、更に拍車を掛け、ゴルフ場は、数か月後に、廃業に追い込まれた。落雷事故の翌日、建一は、揺子と真喜と健太の四人で、モンタを連れて、山菜取りに行った。谷川は、昨日の雨で、可なり増水していた。全員で谷川に掛かった橋を渡ろうとした時、ゴルフ場から車が下って来て、橋に差掛ろうとした。揺子が車を避けようとした時、肌身離さず、大事にしていた猿の縫いぐるみが、弾みで、揺子の手から、増水した谷川に落ちた。縫いぐるみは、見る間に、下流に流された。それを見たモンタが、橋の上から谷川に飛び込んだ。モンタも、流れの勢いで、下流に押し流され、見えなくなった。縫いぐるみは、幸世がモンタをモデルにして、作った物だった。揺子は、泣きじゃけった。建一達は一心不乱で、モンタと縫いぐるみを、谷川に沿って探したが、見つからなかった。モンタは、二日過ぎても戻って来なかった。揺子は「モンタ、帰って来て!」と言い、泣き止まなかった。総一郎の家は、悲痛な状態が続いた。三日目の夜、居間の外側で物音がした。建一が狸の親子かなと、思って庭を見た。「揺子、揺子」と、建一が激しく叫んだ。庭にはモンタが、泥塗れで、縫いぐるみを抱き、やつれた表情で立って居た。「モンタ」全員が大声で叫んだ。モンタは揺子に抱き付き、建一に抱き付き、総一郎に抱き付いた。丸で帰宅の挨拶を、全員にハグしている様だった。大声で叫んでいるのが聞こえ、隣の滝沢家の家族が、飛び込んで来た。「モンタ、良かった、大丈夫?」と、口々に言った。まず、モンタに食い物を与えると、モンタは、余程腹が減っていたのか、ペロリと食べてっしまった。全員が、喜びの笑顔で、満開だった。全員で、泥塗れの、モンタと縫いぐるみを、風呂に入れたが、モンタは、洗い手が多すぎて、少々、迷惑がっていた。
建一達が造った餌場農場には、連日、多種多様な野生動物が来る様になり、人の気配を感じても、警戒心は殆ど無かった。そこは、健太と真喜と揺子が、野生動物と触れ合う場所でも在った。昨日は、野兎の子供が、亀に追っかけられていた。揺子は「兎さん、可哀相」と、言って、亀を蹴散らせた。鹿の家族も遣って来て、木の実などを食べていた。今日は、狐が、野鼠を捕まえに来ていたら、リスが邪魔をした。何処からともなく、夜行性のフクロウが舞い降り、野鼠を横取りした。健太が、ガマガエルを捕まえた。健太は、真喜の手に乗ったリスを、トヨ婆ちゃんが買ってくれたカメラで、写した。猿の群れが現れた。数の多さに圧倒され、三人は家の庭に逃げ帰った。午後は、庭で自転車と三輪車で遊んだ。自転車は、トヨ婆ちゃんが健太に買ったが、三輪車の二台は、建一が道の駅に行った時、粗大ごみから拾って修理した物だった。年少の真喜と揺子は、未だ、足が地面に届かないので、自転車には乗る事が出来ず、もっぱら三輪車だった。集落には子供は、健太と真喜と揺子の三人だけで、遊具は無かった。建一は庭に、ブランコと滑り台と鉄棒を造った。夏は、建一が三人を、谷川に連れて行き、水泳をした。モンタも猿泳ぎをした。冬は、庭に水を張り凍らせ、アイススケートを楽しんだ。子供達の遊び場は、全て自然界であった。三人の玩具は、総一郎の木工玩具で、一杯だったが、揺子は相変わらず、幸世の作った猿の縫いぐるみが、一番好きだった。夜、総一郎は、絶えずパソコンから、おとぎ話や民話を、読んで聴かせた。揺子は、その儘、総一郎の布団で眠ってしまう事が常で、モンタは建一の部屋で寝た。在る日の朝、建一が農場に向かおうとしたら、軽トラックの白いドアの両ボデーに、マジックで、落書きが書かれていた。相合傘で男女が描かれ,下に平仮名で[けんいち・さちよ]と、書いて有り、絵も字も子供の物だった。建一が揺子に聞くと「パパが、の三輪車にも、揺子の三輪車にも、[誰の物か、分からなくなると困る]と、云って、名前を書いたよ。だからパパの車にも、揺子が名前を書いて上げたの。私の服にもモンタの服にも、自分の名前が有るよ。爺ちゃんの服にも、名前を書いておいたよ」と、言った。建一が「字は、何処で覚えたの?」と、聞くと、揺子は「健太が、教えて呉れたの」と、答えた。建一は、苦笑いをした。総一郎が、[そういちろう]の名入の仕事着で、仕事場から出て来て、建一を呼んだ。建一が「揺子の仕業だ」と、言った。揺子が「爺ちゃん、カッコ良い」と、言った。総一郎も、苦笑いをした。以後、建一の、相合傘マークの白色の軽トラックは、何処でも、判別が付く様になった。
二年が過ぎた。在る日、建一は揺子と一緒にモンタを乗せ、霊園に、墓参りに行った。その日は、昨夜から雨が降り続いて、農作業も休みだった。墓石には高木五郎・高木昌世・高木昌五と彫って有った。建一は、庭から取って来た花を、花立てに御供えし、合掌・礼拝をした。揺子とモンタも、真似をして合掌した。幼い揺子には、合掌の意味も墓の意味も、解らなかった。建一は、何れ大人になったら解ると思い、敢えて何も喋らなかった。先程から[モンタの様子が、変だな]と、建一は感じていた。揺子が「パパ、おしっこ」と、言った。建一は「事務所で、トイレを借りなさい」と、言った。揺子は、事務所のドアを開き、飛び込んで行った。トイレは、事務所の出入り口のドアの傍に在った。揺子は小用を済ませ出て来た。揺子は慌てていたので、事務所の出入り口のドアが、判らなく成り、間違えて事務室のドアを、静かに開けた。そこには女の人が一人、机で何かを書いていた。揺子はビックリした。慌てて、反対側の入り口のドアから、外に飛び出した。「パパ、ママがいる!」と、揺子は大声で叫んだ。建一は、大急ぎで事務所に入り、事務室のドアを開けた。「幸ちゃん!」と、建一は叫んだ。幸世は思わず「建、建ちゃん?よ・よ・揺子?」と、目を丸くして言った。揺子が泣きながら「ママ」と、言って、幸世の足に、しがみ付いた。モンタが、幸世の胸に、抱き付いた。幸世は「ごめんね、揺子」と、言って、泣き崩れた。三人は寄り添って、暫し泣いていた。揺子の衣服に、揺子の文字が有った。幸世は、揺子を抱き上げ「大きくなったね」と、言った。揺子は、縫いぐるみを見せ「これ、モンタの子供」と、言った。建一は幸世に霊園に勤めた経緯を聞いた。「霊園は以前、お世話になった葬儀社さんに紹介して貰った。結婚して姓が早川に変わった事を話し、事情を認識している葬儀社さんが、自宅から近く、両親や弟が埋葬されている霊園の仕事を、世話して呉れた。仕事は内勤の事務職で、人目に付きにくく、銀行の経理の経験も有るので適していた。主人(建一)も了解している事だけは、虚偽の事だった。霊園に勤めてからは、時間帯が合わなく、中々、児童養護施設には行けなくなった。在る日、施設に行っても揺子の姿が無かった。再度行っても、同様に、姿は見当たらなかった。[揺子は、善意が有る人に、貰われた]と、思った。凄く、凄く寂しかった。[これで完全に、一人ぼっちに成った]と、思った」が、幸世の話した全容だった。霊園の所長に言って、その日は早退させて貰った。事務所の外に出ると、雨はすっかり上がり、虹が掛かっていた。「綺麗ね」と、幸世が言った。それは、早川家の再出発の門出を、祝うかの様だった。建一は、総一郎に電話した。電話での総一郎は「そうか」の、つれない返事だった。自宅に戻って建一と幸世は、総一郎の部屋に入った。幸世は「心配を掛けて、すいません」と、謝った。総一郎は、近寄りがたい表情で「お帰り。幸ちゃんの家族の絆は、こんなにも希薄か」と、言った。幸世が「ごめんなさい」と、言った瞬間、総一郎は、幸世の顔を平手で殴打(おうだ)した。幸世が床に泣き崩れた。建一は絶句した。建一は、優しい総一郎が、手を上げたのを、始めて見た。部屋の隅にいた揺子が、小さな両手で総一郎を叩き「ママを打つ爺ちゃん、嫌い。ママ、泣いている」と、泣き叫んだ。モンタが、総一郎に飛び掛かり、引っ掻いた。揺子が部屋を出て、居間で泣き止まなかった。建一と幸世は自分達の部屋に戻った。暫くして、総一郎が二人の部屋に入って来て「ごめん、叩いて」と、謝った。幸世が「悪いのは私です。ごめんなさい」と、言った。幸世は、建一と総一郎に、信雄との過去の愛人関係、信雄が揺子の本当の父親、揺子を児童養護施設に預けたのは、揺子が自分との汚れた戸籍と決別し、新しく清い戸籍を与えたかった事、信雄に脅迫され、建一の口座から振込で金を渡していた事、葬儀社さんの紹介で霊園に勤めた事を、洗い浚い話した。建一は「俺も父ちゃんも、支店長の事は知っている。俺は、全てを了解した上で、幸ちゃんと結婚した。幸ちゃんが大好きだから。過去よりも、現在が重要だ。幸ちゃんが、久保信雄に脅されている事も判った。でも、脅されている当の本人が居ないので、警察に告発出来なかった。明日、幸ちゃんと一緒に警察に行って、久保信雄を告発する」と、言った。幸世は「有難う」と、言って、建一の手を取って泣いた。総一郎は居間に行き泣いている揺子に「ごめんね」と、言った。傍に幸世も来て「爺ちゃんは悪く無いの。ママが悪いの。ごめんね」と、言った。揺子が泣き止み「今日は、パパとママと一緒に寝る」と、言った。総一郎が、隣の滝沢家に電話した。滝沢家の全員が駆け付け、幸世の帰りを喜んだ。幸世は、家族の絆の大切さを、改めて痛感した。幸世と一枝で、未だ夕食が済んでない早川家の食事を作った。夕食は、総一郎の好物の、スパゲッティ―だった。建一が再度、総一郎が作った結婚指輪を幸世の指に填めた。総一郎が、冗談で「幸ちゃんは、逃げない様に指輪より、首輪の方が良い」と、言った。全員が「賛成」と、言って、手を上げた。モンタ迄もが、真似をして手を上げた。「ごめんなさい」と、幸世が恥ずかしそうに、小声で言った。二人は、庭に出た。木と木を跨って、吊るして或る、ハンモックに座った。二人は、星空を見上げた。揺子が、家から出て来た。「パパとママのブランコ、押してあげる」と言い、揺子はハンモックを押した。その夜、親子は川の字で眠った。総一郎の部屋には、モンタが寝た。
翌朝、トヨ婆ちゃんが、赤飯を作って持って来てくれた。赤飯を食べ終え、建一と幸世は警察に向かった。警察署で、恐喝担当の刑事と面会した。建一は刑事を見て、たまげた。刑事も建一を見て驚いていた。刑事は、空手部のキャプテンだった。二人は再会を喜んだ。建一は、幸世が信雄に脅迫され続けた事を話した。キャプテンの刑事は、親身になって聞いてくれた。建一は、携帯電話のメールの着信履歴や、保存されていた信雄の顔写真や、口座からの振込履歴を提示した。キャプテンの刑事は、「これだけ証拠が揃っていれば、逮捕には充分だ」だと、言った。建一と幸世は「宜しくお願いします」と、言った。キャプテンの刑事は、「後日、電話します。必ず逮捕します」と、言い「建一君、自然破壊、反対や野生動物の保護運動、拝見しています。私も同感です。頑張って下さい」と、励ました。建一と幸世は、お辞儀をして、刑事室を出て警察署を後にした。建一は[やはり正義感の強い、キャプテンは違うな]と思い、若干、建一の警察への不信感が、和らいた。一週間後、キャプテン刑事から電話が有り「八方、手を尽くしたが、如何しても、信雄の所在が分からない。幸世さんの携帯電話の、メールと通話の受信拒否を解除する事と、録音機能の設定と、逆探知の設定を、して欲しい」との、要請が有った。建一と幸世は、即、警察署に行き、その要請に応じた。
この町の、町長選挙が近づいた。現町長の荒井町長は、合併の際、自分の町が一番、人口が多かったから就任だけで、町長選挙は、今回が初めてだった。荒井町長はゴルフ場の誘致で失政を招き、人気は衰退し、風前の灯火だったが、町長の椅子に固執し出馬表明をした。ゴルフ場反対、生態系の保護・野生動物との共存を訴え、荒井町長と対立した人々には、対抗馬を立てる必要は有った。しかし、反対運動した集落の人間は高齢者ばかりで、唯一、建一だけが若かった。建一に、白羽の矢が立った。財力も無く、工業高校卒の学力しかない建一は、一度は辞退したが、反対運動した人々の、たっての要望に、断り切れなくなり、出馬を受諾した。反対運動の際、野生動物の餌場造り協力してくれた、全国のボランティアの人々が、自費で選挙活動に参加し、草の根運動を展開した。集落の人々は、改めて絆の深さを痛感した。それはマスコミでも報じられ、生態系保護の早川建一の名前は、益々、知れ渡った。建一の粗末なプレハブ事務所には、連日、支援者や応援者が多数集まり、荒井町長の広くて立派な事務所は、閑古鳥だった。
一方、金蔓の幸世を失った信雄は、金銭面で苦境に陥り、実家の久保葡萄園に、戻る事を考えた。頭は完全に禿げ、体は痩せ細り、頬は、痩け、信雄の容貌は一変していた。信雄は父親を訪ね、再建した久保葡萄園での復権を願いでた。復興・再建は一人娘の夫の功績だった。父親は、断固として、信雄の願い出には応じなかった。信雄は市内に戻り、大衆食堂に入った。食堂のテレビで、近くの町長選挙が放映されていた。信雄が何気なくテレビを見ると、町長候補者と候補者夫人が、映し出された。早川建一と幸世だった。幸世は、総一郎に諭され(さとされ)、今は、サングラスもマスクも、付けては居なかった。試に、幸世に電話してみたら、受信拒否は解かれ、幸世が出た。信雄は、金に頻拍しているので、本日の、現金での受け渡しを、強要した。そして、幸世が一人で来る事を条件に、時間と受渡し場所をメールした。キャプテン刑事の思惑通り、獲物が網に掛った。町長選挙の最中だった。幸世は指定された時間に、受渡し場所に行った。信雄が現れ、金の入った紙包みを取り「今は、女に不自由しているから、俺と付き合え」と、言って、強引に幸世の手を引っ張った。通行人を装っていた、キャプテンの刑事と、数人の刑事が飛び出した。信雄は、激しく抵抗した。キャプテンの刑事が、蹴りの一撃をしたら、信雄は地面に、仰け反って倒れた。信雄は、現行犯で逮捕された。瞬時の出来事だった。物陰に隠れていた建一が、幸世の傍に寄り抱き合った。キャプテンの刑事が建一に「俺の蹴り、カッコ良いだろう」と、笑いながら言った。二人は、キャプテンの刑事に「有り難う御座います」と言って、深々と頭を下げた。建一の心は、今回、スッキリした。取調室に連行され、信雄は公務執行妨害・暴行罪・軽犯罪法違反・名誉毀損罪・脅迫罪の全てを認め、取調べ調書にサインし指紋を押した。信雄の携帯電話からは、脅迫の発信メールや、ホテルでの写真が次々と発見され、幸世の携帯電話の、通話録音と受信メールと共に、証拠に成った。信雄は投獄された。後日、信雄の父親から、建一と幸世に電話が有り「馬鹿息子が、大変悲痛な思いさせて、申し訳ないです。私はゼロ出発で、苦労したから、子供には苦労させまいと、甘やかして育てた。親の教育の失敗です。深く、お詫びします」との、謝罪の言葉だった。数日後、通帳を見ると、久保葡萄園から、大金が振込まれていた。
信雄の検挙を見届け、建一と幸世は事務所に戻った。事務所のテレビに臨時ニュースが流れた。それは、現荒井町長の、出馬断念のニュースだった。荒井町長は、建一の人気に恐れを抱き、勝ち目が無い事を悟り、出馬を諦めた。かくして、建一の無投票での勝利が確定した。事務所で万歳の声が鳴り響いた。その夜、総一郎の家は、当選祝いに駆け付けた人で、ごった返し、庭の外まで溢れた。早川町長、万歳の声が、何度も響き渡った。
一ヶ月後、建一は、自らの白色の軽トラックに乗り、農園の作業着姿で登庁した。軽トラックの後には、町長専用の公用車が、空車で繋がった。初登庁に、全職員が町役場の玄関で出迎えた。秘書課長から、花束が手渡された。秘書課長は、矢部と云う名前の男だった。初日から、型破りの町長だった。建一は町長室には入らず、四・六時中、各階で椅子に座って、職員の仕事を黙って見ていた。傍に、矢部秘書課長が付き添った。どの課でも、課長の左右を、参事が撮取り囲んで居た。参事は、四・六時中することが無く、ボールペンを回していた。矢部課長に聞いて見ると「役所は民間と違って、売上実績が出ないから、仕事を遣っても、遣らなくて、給料は同じです。勤務時間、決められた部署に居れば、良いのです。年月が経てば、給料は必然的に上がっていきます。地方公務員法で決まっています。役職に就けば若干、給料は増えますが、仕事と責任は、それ以上増えます。職員は仕事を細分化して、部署を増やし、自分達の仕事を作ります。関連する事でも、分配して部署を替えます。だから町民が、役所に来ても、たらい回しにされるのです」と、言った。職員が、五・六人出て行った。「一人でも間に合いますが、五・六人で行けば、勤務評定は、五・六人必要だった事に成ります」と、秘書課長が言った。建一が以前、陳情に来た階に、担当した課長がいた。課長は「先日は失礼しました。公園緑地課の木村です。公務員の私共は、上司には逆らえません。今は、早川町長が私の上司です。何なりと、言って下さい」と、言った。建一は[この人間は、上司の顔色を見て、仕事をする人間だな。当面は使える]と、察した。四時を過ぎると、職員が帰り支度を始めた。自分の周りを整理して、職員の通用口に、向かって行った。通用口には、終業時のタイムカードを押す為に、五時前から、職員の長蛇の列が出来ていた。建一は、五時まで人間の職員に、唖然とした。以前、幸世と一緒に婚姻届出し来た時に、職員が無愛想だった事を想い起し、[なるほど]と、思った。町の職員は、コネ採用の地元出身者が大半で、中には集落の子弟も大勢いたが、不便な集落は嫌い、住まいは、便利な市内に移り住んでいた。一週間程、建一は、そんな日々を続けた。公用車は、自分が公用でアルコールが入った時のみに、運転代行として使った。次に、廃業したゴルフ場を、町の職員と視察した。ゴルフ場で、反対運動を共に戦った、寺岡と云う、初老の人物が加わった。視察には、十数名の職員が、各々の課の公用車で、同行した。建一が「如何して、こんな沢山の車に大勢の職員が、必要なのだ」と、聞くと、秘書課長は「ゴルフ場の関係する事は、多岐に有ります。関係する事で、部署が違うので、これだけの職員と車が、必要になります」と、答えた。建一は「同じ車に便乗すれば、使用する車は、少なくても、半分で済むのでは?」と、聞くと、秘書課長は「原則として、よその課の車は使えません」と、答えた。寺岡が「車は毎日、使用しているのか?」と、聞くと、秘書課長は「課に依っては、一ヶ月間、使用しない車も有ります」と、答えた。建一と寺岡は[改革すべき問題は、山積している]と、通感した。正直に、町役場の内状を語った矢部秘書課長には、脈が有ると思った。ゴルフ場は町有地で、廃業と伴に、町への地代収入が無くなり、クラブハウスの固定資産税も無くなった。ゴルフ場は荒廃し、野生動物が数種類、群れを成していた。ゴルフ場から町役場に戻った建一は、寺岡を町長補佐役に任命した。翌日から、寺岡補佐役と秘書課長と話し合い、条例案を作成した。秘書課長は唯一、集落で親と一緒に住み、以前から町役場の体質に批判的だった。建一は、条例案を町議会に提出したが、前町長派が大勢を占める、利権議員によって、ことごとく潰された。前町長の残党議員は、名誉職や既得権に関わる(かかわる)、議員が大半だった。建一は、町議会の解散の必要性を感じ、実行に移した。町長選挙の余波で、議会選挙は、早川派が圧勝した。これで、建一の、町政の地盤が確立した。早川仲間派は、若手議員が殆どだった。改めて、建一は寺岡補佐役・矢部秘書課長と、早川仲間派を混じえて、条例案の立案に取り掛かった。
条例案は
1.ゴルフ場を、野生動物公園にする。
2.公園内を一般公開して、入園料を
 徴収する。
3.遊歩道は、橋桁で地面より上げて造り、
 野生動物との直接な触れ合いでの、事故
 を未然に防ぐ。
4.公園内に広い池を造り、野生動物の水飲
 み場と、水鳥の生息地にする。
5.クラブハウスは、公園入場者のレストラ
 ンに改修し、隣に野生動物との触れ合い
 の場所を増設する。
6.フェアウエーやラフに、野生動物の餌に
 成る樹木や作物を植え、バンカーは池に
 変える。
7.野生動物は、地元固有の動物や、野鳥や、
 昆虫などを増殖させ、買い入れと維持管
 理費に多額な費用を要する、海外からの
 動物は、入れない。
8.排気ガスによる生態系の破壊を防ぐ為、
 公園内の車の乗り入れは禁止しれ、代り
 に、麓からの送迎バスを運行させる。
9.公園に従事する人間は、なるべく町の職
 員の配置換えで賄う。
10.ヨーロッパのドイツの事例に倣い、野良
 犬や野良猫の殺傷処分は、条例で禁止し
 て、里親(飼い主)を見付ける。
11.テレビなどの広告媒体で、野生動物公園
 の宣伝活動を常時行い、出演者は町役場
 の職員をタレント化する。

などの、野生動物関連の条例案は、水を得た鯉の様に、次々に成立した。
次に、町役場の職員の、意識改革に着手した。各々の部署への説明は、木村課長が担当した。
1.関連部署の課の統合。
2.公用車の台数削減。
3.職員の帰り支度は、終業時以降。
4.職員の、町民との直接対話の為の、巡回
 サービスの充実。
5.一つの仕事に対する、職員の関わる人数
 の少数化。
6.職員名の一覧が入った、アンケート用紙
 を作り、町民から職員の評価を、匿名で
 郵送して貰う。
7.職員の時間外勤務の有効化。
8.町役場の職員の町内移住を促進し、定住
 した者は、手当を支給する。

など、多岐に及んだ。当然、今までの、町役場の風潮に、馴れ染まった職員から、異議を唱える者が続出した。建一は職員に説いた。「民間の会社でも、具体的に実績が数字で表れるのは、営業だけです。工場の従業員でも事務職でも、実績の数字は見えません。人は皆、[有難う]と、感謝され、宛にされる事が、一番嬉しいのです。皆さんの実績は、[有難う]と、感謝され、宛にされる事です。町民から、文句や注意を貰って、嬉しい人間はいません。町民に接した際は、皆さんは町民に、深々と頭を下げ[有難う御座います]と、言って下さい。皆さんの御客様は、町民様です。[有難う御座います]と、言われた町民は皆さんが好きになり、皆さんを宛にします」職員全員が、静まり返った。次第に職員から、拍手が、沸き起こった。
寺岡補佐役から、競走馬の90%が、殺処分に成っている事実を知った。建一は、強い衝撃を受けた。人間の欲望を叶える為に、成績の悪い馬達が、犠牲に成っている。人間自身が競う、他の公営ギャンブルでは、この様な事は有りえない。動物虐待だと感じた。建一は寺岡補佐役に指示して殺処分対象の馬の払い下げ交渉に当らせた。既に、宮崎県では、野生の馬が存在していた。野生動物公園に、払い下げの競走馬も、加わった。
野生動物公園の入場者数は、予想をはるかに上回り、建一の施策は、事如く実を結んだ。連日、大勢の来園者が押し寄せ、町の収益は、ゴルフ場の時より、数倍に膨れ上がった。観光事例の町興しと、生態系保護の成功事例が合体したモデルケースとして、全国から首長が、視察に訪れた。
建一は教育事業にも力を入れ、集落に在る小規模の小中学校(分校)を統廃合して、中規模の学校に集約した。生徒の登下校は、全てスクールバスで送迎させ、バスの運転手には、シルバー人材センターの、大型免許所持者を採用し、中高年の雇用の促進にも、寄与した。小規模の小中学校(分校)では、生徒数が少ない為、低学年から高学年まで一人の教師が担当していた。中規模の学校は、学科・学年ごとに、専門の別々な教師が担当していた。これでは、学力にも運動にも格差が生れると考え、教育委員会と協議して、学校の集約化を実施した。保育園は、殆ど造らず、子供の保育は、集落の老婦人に任せた。人生経験が豊富な老婦人達は、孫の様に接し、子供達は、自然界を満喫した。老婦人達の古民家保育には時間制限が無く、母親達にも好評で、老婦人達と母親達との間に、絆が生れた。町内には、バス停が無い、無料巡回のマイクロバスを運行させ、町民は何処でも、手を上げれば、乗車できた。都市ガス・上水道のインフラは、災害時には、一斉にライフラインが途切れると考え、プロパンガスと井戸を奨励し、補助金も出し、風力・水力(小規模水車)・太陽光パネルの自然エネルギーも、積極的に推進した。町の職員は、アンケート用紙に依る、自分の評価が上がる事を願い、積極的に町民と接し、現場に従事する様になった。次第に、集落の老人達の子弟のリターン組が急増した。同時に、建一に賛同する若者達が、全国から集まり、定住する様になった。
建一は二期の町長にも再選された。二期目の中頃、建一は寺岡補佐役・矢部秘書課長・木村課長を同行させ、無料巡回マイクロバスで、揺子の学校を視察した。車内で老人が建一に近寄り「家の近くの道路で、手を上げれば、バスに乗れます。以前は、バス停まで歩いて行ったので、私の様な年寄は、遠くて大変でした。年寄でも、無料バスの足が出来て、町に出るのが、楽しくなりました。町長さん、有難う御座います」と、言った。建一は「まだ何か、不便な事が有りますか?」と、聞くと、老人は「町内には、年寄が、休憩を取る所が、殆どありません。町内の色々な場所に、休憩用のベンチを置いて欲しいです」と、答えた。老人目線の、貴重な意見だった。木村課長が「解りました。私が責任を持って対応します。任せて下さい」と、声を張り上げ言った。「貴重な御意見、有難う御座います」と言って、建一を筆頭に同行した三人は、老人に、深々と頭を下げた。建一は木村課長に「企業から一般公募で、ベンチを提供して貰う様に」と、指示した。寺岡補佐役と矢部課長の顔に、笑顔が毀れていた。小さな思いやりだった。後日、民間企業から、贈呈企業の名入のシルバーベンチが、数多く集まり、町内の、あらゆる場所に設置した。ベンチは、近所の住民が、自発的に掃除して、清潔さを保っていた。無料巡回マイクロバスは、学校に着いた。校長が出迎え、校内を案内した。図書室・理科室・保健室が在り、校庭は広く、体育館やプールや遊具も、全て揃っていた。今までの、小さな集落の分校とは比較にならない程、中規模の集落の学校は充実していた。最近、自宅で揺子が「パパは一日、幾ら御給料を貰えるの?」と、聞かれた。建一は曖昧に「1000円位かな」と、答えた。次の夜、建一の自宅の机の上に、1000円が置かれていて[パパ、御給料払うから、一日遊んで]と、書いた紙が有った。それは揺子が、僅かな小使いを貯めた1000円だった。目頭が熱くなった。建一は最近、公務が忙しく、揺子・健太・真喜・モンタと遊ぶ暇が全く無かった。建一は敢えて、揺子の通学している学校を、視察に選んだ。揺子の教室に行った。学級担当の教師が「今日は町長さんが、皆さんを見学に来ました」と、言って、建一を紹介した。揺子が、教室の後ろに居る建一に、笑顔で手を振った。隣の男の生徒が「揺子ちゃん、知っている人?」と、聞いた。「私のパパ」と、答えた。「凄いな!」と、男の生徒は驚いて言った。休憩時間に、揺子とクラスの生徒を混じえ、校庭で鬼ごっこをした。矢部秘書課長と木村課長も、加わった。「今日は、皆さんの授業を拝見させて貰って、有難う御座います」と言って、建一は例の如く、同行した三人と、生徒に頭を下げた。生徒も同様に建一達に「有難う御座います」と言って頭を下げた。授業後、校長室で校長を混じえ、学級担当の教師と面談した。教師は「揺子ちゃんは、クラスでも学力はトップです。特に、国語と英語は優秀です。居残り授業を、自発的に申し出る程です。下校時のスクールバスに間に合わなく、何時も、お母さんが迎えに来ます」と、言った。面談を終え、建一は町役場に戻った。町長室から、幸世に電話した。「最近、お父さんは目が衰え、パソコンを開く機会が、少なくなったの。揺子が、学校の図書室から本を借りて来て、お父さんに読んでいる」と、幸世は電話で言った。[揺子は、目が衰えた総一郎に、読んで聴かせる為に、居残りをして勉強していたのだ]と、建一は思い、揺子の優しさを感じた。話しを、貰い聞きした矢部秘書課が「良い話ですね。町長と御付合いしてからは、良い話しの連続ですね。私も見習います」と、言った。
ある日、寺岡補佐役と一緒に、建一は野生動物公園に居た。野生動物公園は、入園者で一杯だった。建一の傍に、裸馬に、相乗りで跨った(またがった)男女が、現れた。男が「寺岡さん、お久しぶり」と、笑顔で、下手な日本語で言った。寺岡補佐役が、微笑みながら、片手を上げた。彼はドルジと云って、モンゴル人で、遊牧民の出身だった。力士に成りたくて、相撲部屋に入門したが、体格にも恵まれて無く、目が出なかったので、寺岡補佐役が馬の飼育係として採用した。今度は、馬上の女が、手を振り「建一さん、こんにちは」と、言った。彼女はゴルフ場反対運動の時、全国から集まった、ボランティアの大学生の一員で、名前は、君が代(きみがよ)と言った。そして当時は、大学の乗馬クラブに、所属していた。彼女も寺岡補佐役が、野生動物公園のフロント係として雇った。野生動物公園には、海外からの来園者も多数いた。語学に堪能な彼女に取って、フロント係は適任だった。建一は「あの時は、色々とお世話に成りました」と、言って手を振って返した。「俺も馬に乗りたいな」と、建一が言ったら、ドルジが馬上から「モンゴル人は、子供から殆ど、乗馬が出来ます。私が今度、町長さんに、馬の乗り方を教えます。私の四股名(しこな)は、親方が、草原児(そうげんじ)と、付けてくれました。やはり、私は、相撲取りよりも、馬の方が、合っています。彼女の君が代も、出来ました。今、私は幸せで一杯です。町長さん、有難う御座います」と、言った。今度は、君が代が「私の名前、変わって、いるでしょう。亡くなったお爺ちゃんが、付けたの。[国歌が聞こえる度に、私を思い出すから良い]と、言っていた。幼い頃は、嫌だったけど、今は好きです。日本人として、恥ずかしい行動は取れない、と云う、自覚に繋がります。大相撲の千秋楽でも、演奏しています。私、スー嬢です。ドルジとは、彼の相撲部屋で知り合いました。お互いに、馬が好きだったので、意気投合しました。私、ドルジと婚約しました。建一さん、職場内恋愛は駄目ですか?え、へ、へ・・・。でも、ドルジは、私より馬の方に、優しいです。少し、嫉妬しています。でも、彼の事、愛しています」と言って、馬上でドルジの頬に、キスをした。その愛くるしい君が代は、何処となく、ブッリコに幸世に似ていた。「建一さん、私達の結婚式で、仲人に成って貰えますか?」と、君が代が言った。「もちろん、了解です」と、建一が返した。[国と国との、絆に繋がる恋愛だ]と思い、建一は嬉しかった。
モンタは、町のイメージキャラクターに成り、名誉町民にも成った。それは、縫い包みの中に、人間が納まったキャラクターとは異なり、生身の猿の、キャラクターだった。建一は二期、町長を務め、行動を共にした矢部秘書課長に、席を譲り退職した。最後の日、庁舎の職員が全員、玄関に集まり「町長、有難う御座いました」と、涙を混じえ言った。次期町長の矢部秘書課長が、建一の両手を握り「早川町長から、今まで教わって無い事を、沢山、教えて貰いました。本当に、有難う御座いました」と、号泣して言った。帰り際に、矢部秘書課長が「町長に、見せたい物が有ります。次の日曜日に、家族と村人達で、谷川の吊り橋に来て下さい」と、言った。建一は意図不明の侭「分かりました」と、答えた。彼は「アリガトウを、一杯貰って下さい」と、言い残し、作業着姿で、白色の軽トラックに乗って、町役場を後にした。
自宅では、総一郎・幸世・揺子・モンタは元より、トヨ婆ちゃん・一枝・健太・真喜と集落全員が、涙を流し出迎え「ご苦労さん、ご苦労さん」と、言って、建一の労を労った。数種類の野生動物も、集まっていた。モンタが、建一の肩に飛乗った。揺子が、建一の足に抱き付いた。建一の頭には町長、就任当初より、過労が重なり、白髪が増えていた。幸世が、建一の胸に抱き付き「お疲れ様」と、言った。
最近、総一郎が胸部に痛みを感じ、頻繁に咳をする様に成った。元来、総一郎は医者嫌いだった。幸世は心配し、総一郎の体を擦ったり、食事にも気を使っていた。しかし、総一郎の体は、痩せる一方だった。見かねた建一は、総一郎を無理矢理に、病院に運んだ。医師の診断結果は、アスベストに依る悪性胸膜中皮腫の末期の症状で、胸部には、多数の腫瘍が現れていた。昔、総一郎の土壁の意向に反し、塚本工務店の一人娘・塚本久子は、大工達にアスベストの使用を強要していた。仕事に生真面目な総一郎は、大量のアスベストを吸い込んでいた。建一は医師に「入院しても、回復の見込みは僅かです」と、告げられた。総一郎は塚本久子に、片足を取られ、命までも奪われる事に成った。総一郎は自宅で療養する事に成り、幸世は献身的に介護した。隣に住むトヨと一枝・健太・真喜は毎日、総一郎を見舞った。総一郎は村人を気遣い「自分の病気の事は、伏せておく様に」と言い、皆も了解した。総一郎が床に付くと、揺子はモンタと一緒に、欠かさず総一郎と寝る様に成り、揺子は学校での出来事などを子守唄の様に話し、総一郎も嬉しそうに聞いて寝た。一週間程、過ぎた。早朝、モンタが、建一と幸世の部屋に、飛び込んで来た。二人は急ぎ総一郎の部屋に行った。揺子が総一郎の胸にしがみ付き、大粒の涙を流していた。「お父さん、起きて」「父ちゃん起きろ」二人は何度も叫んだ。総一郎の返事は無く、顔は安らかな聖人の顔だった。暫くして、モンタが建一の手を引き、総一郎の道具箱を開ける様に促した。道具箱の中には、一通の手紙と、古ぼけた一枚の集合写真が入っていた。写真の裏面に早川総一郎・妻/礼子・長男/建一 と書かれていた。手紙には[建一が生れた時に、俺と、母さんと、赤子の建一とで、一緒に撮った写真だ。母さんは、産後の肥立ちが悪く、即、逝ってしまった。三人で撮った写真は、この一枚だけだ。大切にしてくれ。母さんの位牌に俺の名前も刻んで、夫婦位牌(みょうといはい)に、してくれ。建一は優しく立派に育った。あの世で母さんに自慢できる。俺の骨は、庭のモンタの母猿と一緒に埋めてくれ。骨は、優しい家族の傍に居たい。優しい建一・幸ちゃん・揺子・モンタ・一枝さん・ケンちゃん、マーちゃん・トヨさん・村の衆 有り難う、有り難う、有り難う。俺は優しい皆に囲まれて、幸せだった。あの世で、母さんが寂しく待っている。母さんに約束した通り、建一を一人前に育てたから、もう母さんを待たせたら悪いよ]と書かれていた。それは聖人が一生、貫き通した、慈悲に満ちた偽りの文面だった。「父ちゃんの嘘、婚姻届を出した時に俺達、知っているよ。でも、有り難う、有り難う、有り難う」と建一は言い、幸世と揺子と一緒に、総一郎の体に泣き崩れた。二日後、総一郎の葬儀は、慣れ親しんだ自宅で執り行い、その日に庭のモンタの母猿の墓に埋葬され、墓石に早川総一郎・礼子の名前も刻んだ。弔問客は、葬儀会場が山間(やまあい)にも関わらず、村人、市の職員、野生動物公園の従業員など多岐に及び、キャプテン刑事の姿も有った。その中に、一際、愛しげ(いとしげ)に揺子を見詰める老人が居た。それは、久保葡萄園の実の父・信雄の親だった。建一と幸世は軽くお辞儀をして、彼に線香を渡した。実の孫・揺子を見詰める老人の目に涙が毀れていた。揺子が「大人が、そんな一杯泣いたら、おかしいよ」と言い、幸世に作って貰ったハンカチを、老人に渡した。ハンカチを手にした老人は「有り難う」と言い、声を出して泣き出した。ビックリした揺子は「御爺ちゃん、このハンカチ上げるよ」と言った。老人は幸世を見た。幸世は老人に軽く頷いた。老人は幸世に頭を下げ、線香を上げ終え、その場を去って行った。老人に取って、このハンカチは、実の孫からの、最初で最後の贈り物で、御爺ちゃんの言葉も、最初で最後だった。老人の後ろ姿は、とても者悲しかった。その夜、幸世は夜空を仰ぎ、揺子に「総一郎爺ちゃんは、天国に行って、お星さまに成り、礼子お婆ちゃんと一緒に成ったの」と言った。「お星さま、一杯で分からない。ママ、人間は死ぬと、皆お星さまに成るの?」と揺子が聞くと「良い事をした人だけは、お星さまに成るの」と答えた。庭の墓石の周りには、総一郎の死を惜しむかの様に、野生動物が、本能的に集まり始めていた。
四十九日忌が過ぎた日曜日に、建一は、家族と村人達と一緒に、吊り橋に出掛けた。建一の首には、総一郎の遺影写真が有った。谷川の空地に、既に、十数台の大型バスが停まっていた。建一達は、吊り橋に向う山道を、歩き始めた。皆の目に、白く輝いた、吊り橋が現れた。建一達は、唖然とした。古びた吊り橋は、新しく架け替えられ、左右の橋脚にはモンタをモチーフにしたアニメが掲げられ、橋の門柱には、モンタ橋と彫られていた。何処からかともなく、大勢の町の職員が、手拍子と拍手で現れた。矢部新町長が建一の傍に来て「今日は、町役場が休みなので、職員の皆で、来ました。この吊り橋は、我々が早川町長に教わった、記念です。モンタは、町のイメージキャラクターで、モンタからも、色々教わりました。橋の名前は、モンタ橋にしました。以前の吊り橋に、母猿とモンタの吹き流しが、有りました。町の職員が手分けして、兎や狸や馬などの、あらゆる動物の吹き流しを、作りました。野生動物公園と共に、この町の、観光の目玉に成る様に、頑張ります」と、言った。吊り橋を見上げると、幾重にも橋脚に、ワイヤーロープが張られ、野鳥の形をした凧と、無数の種類の、野生動物達の吹き流しが、新鮮な谷川の空気を吸うかの如く、口を一杯に開けて舞っていた。その光景は壮観で、皆が感動した。建一は、町の職員に向かって「皆さん、有難う御座います」と言って、深々と頭を下げた。職員から、拍手の渦が湧いた。建一に依る、新しい吊り橋の、テープカットが行われた。参加者全員で、渡り初めをした。統廃合した小学校の生徒が、器楽に依る、君が代を演奏した。生徒の中に揺子、健太、真喜が混じっていた。幸世は、建一の偉業に、満足していた。モンタが吊り橋の手すりに、器用に飛び乗っていた。黄昏時が、訪れた。紅葉に包まれた白い吊り橋には、幻想的な光景が出現した。建一は遺影写真に向かって「父ちゃん、父ちゃんの考えていた世界が出来たよ」といった。 
作者より
1.愛の反対は、無関心です。
2.人生の最大の病は、孤独です。孤独とは、
 誰からも、自分は必要とされていない、
 と感じることです。
3.人から悪口を言われたり、怒られたり、
 注意されて、喜ぶ人は、いません。
4.自分の事を、悪く云う人は、いません。
 人は「私は悪くない」と自己弁護します。
5.人から「ありがとう」と言われて、
 嬉しくない人は、いません。
 人から「ありがとう」と言われれば、
 貴方は、相手が好きになります。
 人から「ありがとう」と言われ、
 喜んで貰えば、
 貴方は[人から、必要とされている]
 と感じ、やる気が生れます。
6.人に「ありがとう」と言えば、
 言われた人で、嬉しくない人は
 いません。
 人に「ありがとう」と言えば、
 相手は、貴方が好きになります。
 人に「ありがとう」と言えば、相手は、
 [貴方から、必要とされている]と感じ
 貴方に対し、やる気を起こします。
 人間は「ありがとう」と言い、
 「ありがとう」と言われるのが大切です。
 貴方は今日、何回「ありがとう」と言い
 今日、何回「ありがとう」と
 言われましたか?

ありがとう!(Ⅲ完結編)

ありがとう!(Ⅲ完結編)

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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