シュレディンガーの猫
カッター 嘘つき シュレディンガーの猫
ミシシッピ州・ニューオリンズ。センター街から少しだけ離れたBAR”ALTER EGO”にて。
店内は薄暗く、オシャレな間接照明がずらりと並ぶ酒瓶に仄かな光を当てている。
「っ、すみません、」
わたしは店の段差で体勢を崩し、先ほどからここに座っていた女性の肩に液体をこぼしてしまう。
その反動で手元からワイングラスが落ち、割れて砕け散る。
「ごめんなさい、私の不注意で…大丈夫でしたか?」
飛んできた店員がその処理をしてくれているうちに、私はその女性に話しかけた。
長く色素の薄い髪に、同じく栗色の瞳。そして目の下にできたそばかす。この女で間違いはなかった。
「ええ、平気です。赤ワインじゃなくてよかった」
「お詫びに、飲み物を…」
「本当?じゃあ、お願いしようかしら」
肩にかかった液体をタオルでふくと、彼女は笑った。
私はカウンターに行き、黒髪をオールバックにしたバーテンダーの男に言った。
「グラスを落としてしまってごめん、弁償するよ」
「いや、いらないよ。最近儲かってるんだ」
禁酒法が制定されてちょうど10年になる。10年間も監査をかいくぐりやってこれたということは、ここにある酒の種類を見れば一目瞭然だがこの経営手腕は見上げたものだ。この店は現在ニューオリンズでも一二を争うほどの酒量を保存してあるとして界隈で有名だ。
「エンシェント・エイジを。あと…プリンセス・メアリーある?」
マスターは苦笑いしてうなずくと、すぐに用意してくれた。
私はそれを先ほどの女性のもとに持っていく。そのテーブルに着くと、彼女の飲んでいた酒はもう空だった。
「先ほどは本当にごめんなさい。私の不注意で…。ここに座っても?」
「いいけれど…それは?」
「プリンセスメアリーです。ご存知ですか?」
「いいえ」
「新しいカクテルです。たしか、スペイン発祥のカクテルだとか」
シュレディンガーの猫