28、亜季・・・大人になれなくて
エリカは何が欲しい?
28、エリカは何が欲しい?
翌朝、目が覚めた亜季の頭は朦朧としながらもまだ半分意識は昨日の夜を彷徨っていた。
(あ・・いったい何が起きたんだっけ?・・そう、エリカよ。そしてママ。まったくなんていう日だったんだろう。頭が痛い。)
亜季はべッドから起きあがるとバッグの中にいつも入れてある頭痛薬を探した。大きなバッグの中にはあまりに多くのめったに使わない小物だらけ。
欲しい時に欲しいものがなかなか見つからない。やっと出てきた薬の箱は空箱。
(もう!肝心な時にこうなんだから。・・・下に取りにいくしかないかぁ・・でも、ママと顔あわせたくないな。)
そんな事を考えながら部屋のカーテンを開ける。目の前には秋のすがすがしい程の青空に美しいすじ雲がわずかに模様を添える。普通なら秋の装いに新しいバッグでも提げて外に飛び出したくなるような天気。ただ、今の亜季はそんな心にはなれない。
(本当に今日からエリカは来るのだろうか・・・)
亜季の口から大きな溜息がもれた。その時枕元の拐帯が鳴った。
「亜季?・・私。」
「ああ、朝香。どうしたの?」
「今日さ、打ち合わせの前に会わない?最近なんか亜季忙しそうであまり話してないから。・・どう?」
「えっ!打ち合わせって・・・なんだっけ?」
「やっだぁ。しっかりしてよ。卒業式の後にやる軽音とのセッションの打ち合わせ。3時からまずはジャズ研の部室でっていう話だったでしょう。
まあ、そのあとはお決まりの飲み会になると思うけど。」
「そうだった。それ・・・今日なんだ。」
珍しく電話の向こうの朝香が数秒沈黙。
「亜季、都合悪い?なんか変。声もいつもより低い感じ。なんかあった?」
「まあね・・・あったと言えばあったかな。」
「じゃあ、来られる?」
「それは大丈夫。ただ気が重いの。」
「なんだ。そんなの亜季はいつもの事じゃない。そういう時はね外にでた方がいいのよ。打ち合わせの前に会おう。今ねこの間オープンしたカフェでランチバイキングやってる。行こうよ。赤坂なら大学も近いし。」
「うん・・・いいけど・・・」
亜季の答えが曖昧に鈍る。こんな時は主導権をもぎとるしかないと朝香は強引にたたみこんだ。
「いいけどじゃなくて・・・行こう。予定ないんでしょう?」
「ない。」
「じゃあ問題ない。こういう日の亜季に何か決めさせたら夜になっちゃう。じゃあ、12時にお店の前で。、今日の12時だからね。」
「はーい。」
別に行きたくないわけじゃない。ただエリカが来た後の状況がまるで推測できないのが重苦しい。
時計は10時。亜季は下へ降りていった。母がいるものとばかり思っていたのに部屋は静まりかえっていた。
家というのは不思議なものだ。
人の声のしないこの建物は無機質で冷たくて亜季の心を硬くするようだった。
(ふーん。そんなものなのかな・・・?そうそう楽しい会話なんて最近はあまりないけど人の声で家は生きるのかしら。まあ、喧嘩じゃだめだけど。 ・・お母さんっておしゃべりのほうがいいのかな・・・そうしたら私はあまりむいてないかも。)
テーブルの上には簡単な食事とメモ書き。
{エリカさんが来るのでこまごまとした日用品を買ってきます。}
(やっぱり本当に来るのかぁ。)
亜季はコーヒーだけ飲むと母がおいていった朝食には手をつけず出掛ける準備を始めた。その間亜季の頭を覆うのは今日の夜から始まるらしいエリカとの生活の空想。何故なら推測というには母とエリカはあまりに複雑すぎた。憎しみを大胆さにすり替え、怒りは笑顔で飾り、一方で相手の心の動きを見逃さない繊細なまでの緻密な計算。どれをとっても亜季には真似はできない。
門を閉めると立ち止まり空を見る。ちじこまった心を解き放つような高い空。亜季は空に向かい大きな溜息をなげかけてみた。この溜息はどこに落ちるだろうと思いながら。
歩きだした亜季のバッグの中で携帯が鳴る。
(きっと朝香ね。また私が忘れたんじゃないか心配なのかな。いくらなんだってそこまでじゃないわよ。)
でもその予想は大きく狂った。
「あら、淳からだ。」
あれから数回二人で会った亜季と淳。ただ、恋愛というにはまだ微妙。あの失恋以来恋には距離をおいていた亜季。それでも淳の素朴な明るさが心地いいのは確か。始めて会った時から亜季が好きになったと言っていた淳。このまま時間の経過とともに気持ちがお互い深くなるならそれもいいかなとは思い始めていた。
「もしもし、淳?どうしたの?」
「今話して大丈夫?」
「うん。これから出掛けるんで駅まで歩いてるところだから。」
「今日の夜暇かな?」
「なんで?」
「いや、俺の叔父さんが画家で。毎年銀座で個展を開いてさ。よかったら一緒にどうかなと思って。」
「へえ、そうなんだ。」
亜季の頭をエリカがよぎる。同時に母の顔。別に早く帰れと言われてるわけじゃない。だけど気にはなる。
「んんん・・・ごめん。今日はちょっと。」
「そうか、残念だけど仕方ないな。ところでさ話違うけどエリカさんが亜季の家に住むって本当?」
「えっ!・・・どうして知ってるの?」
「ああ・・いや、昨日エリカさんに聞いて。」
「昨日・・?。」
ここで淳は自分が口にしてはいけない事を言ってしまったのかと感じ始めていた。
「うん。夜中に電話があったんだ。」
「エリカが淳に?・・・どうして?」
「どうしてかはわからいけど。なんか悩んでるみたいで。どうしようかって。」
「彼女が悩んでる?・・・私とエリカの事どこまで知っているの?」
淳の声が乱れている。
「いや、詳しい事は知らない。ただ亜季とエリカさんが一緒にやるなら亜季の家で暮らせといわれたとか。なんかよくわからない話だけどそれで亜季のお母さんが安心するならいいのかなって・・・」
「そう。・・・でも淳とエリカがふたりでそんな事まで話す関係だなんて知らなかった。なにも言ってくれなかったし。」
淳が沈黙。亜季も無言。少しして淳の声。
「別に変な意味はない。ただ彼女は、はたで見るほど自信家じゃないし強くもないよ。いつも悩んでる。なんか人から誤解されるタイプなんだ、彼女は。」
その言葉がどんな意味を含んでいたにしろ亜季にはエリカの擁護にしか聞こえなかった。亜季は淳が次の言葉をだしたその瞬間に電話を切っていた。
亜季の心の揺れは一足毎に大きくなる。そして駅。一瞬立ち止まった亜季は思わず呟いた。
「エリカがいつも悩んでる?強くない?・・・そうかもしれない。でも淳は知らない。エリカはどんな女も必要があれば演じられるということを。」
そして淳は切れてしまった電話にむかってささやいていた。
「亜季、君が好きなのは変わらない・・・でも君はわからないんだ。親もいなくて一人で生きるエリカの苦しみや悲しみが。いつもは優しい亜季なのに。エリカには誰かが必要なんだ。僕は誰が必要なんだろう・・・?亜季?エリカ?」
28、亜季・・・大人になれなくて