指先で紡ぐぼくらの・・・

指先で紡ぐぼくらの・・・

■第1話 コンノ ミノリ

 
 
それは、まるでドラマのワンシーンの様で。
 
 
 
誰もいない放課後の教室。
窓際に、ふたりきり。
 
 
やわらかく差し込む西日が机にしっとり反射している。

その姿は逆光でよく見えはしないはずなのに、スラリとしたシルエットと
自信に満ちた佇まいで、まるでそのふたりの場所だけ、四方八方からライトが
当たっているかのように眩しく感じた。

ゴトウ ハヤトは、学年イチ可愛いサエキ ハルカから告白をされていた。
あまりに優美で、雅びやかなその光景。
 
 
ハヤトに片想いをして早1年半。
コンノ ミノリは己のこれでもかという程の運の無さに、半ば呆れて嘲った。
 
 
 
 
 
その日の放課後。

教室に忘れ物をしたのを思い出したミノリ。
校舎を後にし、だいぶ経ってから気付いたそれは、別に明日登校した際でも
全く構わなかったはずなのに、何故かわざわざ通学路を引き返し取りに戻った。

廊下の床に、窓枠の形が映る夕陽の跡。
吹奏楽部員がコジン練をしている金管楽器の音色が、途切れ途切れにそよぐ。

小走りで2年生の教室が並ぶ2階への階段を駆け上がったミノリ。
2-Aの誰もいないはずの教室の扉に手をかけ、勢いよく引いた時に見えたもの。

それは、若手俳優とアイドルタレントのような趣きのふたりの姿だった。
更に、ド・ビンゴで耳に入った『付き合おうよ。』という鼻に掛かったソプラノの声。
 
 
 
 
  (そんな・・・ 軽っい感じで言うもんなの・・・?)
 
 
 
 
内心、ミノリが思った刹那。
 
 
 
 
『いーけど。』 ハヤトが返した。
 
 
 
 
  (・・・いーのかよっ)
 
 
 
 
微塵も熟慮する気配なく、アッサリ返された返事。

ハヤトの顔は、喜んでいる風でも照れている風でもなく、
むしろ面倒くさいから早く終わらせたいとでも思っている様に見えた。

その俳優とアイドルは互いに1行ずつの遣り取りを、なんの盛り上がりもなく
淡白な感じで済ますと、教室入口で真っ赤な顔をして目を見開く目撃者を一瞥して
教室後方の扉から揃って無言で出て行った。

そのふたりの後ろ姿を呆然と見ていた。
笑ってしまうくらい、お似合いなカップルのその背中を、ひとり。
 
 
 
 
 ツイてない。

 ツイてない。

 どっちにしろ、ツイてない。
 
 
 
ミノリの1年半の淡い想いが、見事に散って、吹き飛んで、消え失せた瞬間だった。
 
 
 
凹んで、呆れて、笑って、気が付くとひとり爆笑して、家に帰り自室にこもる。

そして、商店街で買った鯛焼き10個を、笑いながら貪っていた。
笑いながら、泣きながら。
そのしょっぱい鯛焼きを。10個。夕飯前に。
 
 
 
 『ぁ・・・ 忘れモン・・・ 教室に忘れた・・・。』
 
 
 
 
うら寂しげに、鯛焼き片手に床にペタンと座り込んでひとりごちた。
 
 

■第2話 掲示板

 
 
この遣り切れない想いを誰かに聞いてほしくて、ミノリは思わずPC前へ急いだ。
 
 
慌ててイスに腰かけると、キャスター付きのイスは軽く左に半回転しミノリをPC
画面から遠ざける。
電源スタンバイの ”| ” と ”○ ”が 組み合わさったスイッチを親指で押した。

お年玉で買った新しいPCは起動時間が驚くほど短く、ミノリの気を変える隙を
与えたりはしない。
ブックマークの中から、いつものサイトの掲示板を開く。

今までそれに投稿したことはなく、他人事のお悩み相談をおやつをつまみながら
片肘ついて読む専門だったのだが、今回はじめてスレッドを作成し物悲しく背中を
丸めて、ポチポチとキーボードを叩いた。
 
 
 
 
 
 ** 失恋しました **
 
 
  【HN:グローブ】
 
 
   今日、ずっとずっと好きだった人が、

   芸能人みたいに学年イチ可愛い女子に告られて、OKしてたの目撃しました。

   つらくて、悲しくて、泣きながら鯛焼き10個食べました・・・
 
 
 
 
すると、1時間後。
 
 
 
 
  【Re:通りすがり】
 
 
   >グローブさん

   分かります!

   そんな時はヤケ食いして忘れましょう!
    
 
 
 
  【Re:名無し】
 
 
   >グローブさん

   元気だして下さい。

   失恋には次の恋ですよ。 
   
 
 
 
  【Re:mosso】
 
 
   >グローブさん

   ただ目撃しただけで失恋になるんですか?

   気持ち伝えて、ダメだったらスレッド立てれば?

   っていうか、10個も食べられるならそこそこ元気じゃない?
 
 
 
 
 
 
 ・・・・・。
 
 
分かっている。
こういう掲示板は、本音をさらけ合う場所ではないって事ぐらい分かっている。
慰めの言葉をくれた人達だって、本心では鼻で笑っているかもしれないし、
取り敢えず表面上だけ親切な言葉を掛けただけかもしれない。分かっている。
 
 
でも、”そういう言葉 ”が欲しい時だって、あるのだ。
 
 
  
mossoという人の言葉が、ミノリの小ぶりの胸に突き刺さった。

間違っていない。
mossoの言い分は、何も間違ってはいない。
 
 
確かに、ミノリはただ、片想いという名の視線をハヤトに送っていただけで。
それは、あまりに自信がなく ”熱視線 ”にすら出来ず、”チラ見 ”レベル。
”覗き見 ”レベル。 ”淡い ”という2文字を薄墨で書いて消えかけにした感じで。
 
 
 
mossoの言葉に、自分の不甲斐なさを嫌というほど痛感し、ミノリは返信を
くれた人達に『皆様、ありがとうございました。』と一行だけ御礼を述べて
PCの電源をOFFにした。
 
 

■第3話 気怠い背中

 
 
翌日、気が重いまま登校し、昨日の悪夢がいまだ生々しい教室へ入るミノリ。
 
 
廊下側から3列目の最前席にハヤトの席。
その横を通り、ミノリは2列目の最後席へと進む。
 
 
”コンノ ミノリ ”、 ”ゴトウ ハヤト ”
出席番号順で言えば、前後に並ぶはずだった席。

すぐ後ろにハヤトが佇み、プリントをまわす際は目が合い、なんならミノリの
肩についた糸くずを、ハヤトが微笑んで払ってくれたかもしれない前後の距離。

しかし、ミノリの生まれもった力は、そう易々とその威力を弱体化させたりはしない。
 
 
 
 
  (ツイてない・・・)
 
 
 
 
ミノリとハヤトは列をまたいで最前席と最後席という形で、見事に前後に並んでいた。
 
 
 
 
  (改名したいくらいツイてないわ・・・)
 
 
 
 
ハヤトの横を通る一瞬、小さく目線だけ向けてみたのだが、ミノリになど気にも留めず
ハヤトは机に突っ伏して気怠そうにしている。
もしかしたら昨日目撃された ”あの現場 ”にいたのが、ミノリだという事すら
分かっていないのかもしれなかった。

最後席から少しだけ体をずらして、最前席の決して振り返りはしないその気怠い
背中を見つめていた。
 
 
 
 
 
お昼休み、ミノリは友達のナナと向かい合わせに座り昼食をとった。

いつもミノリの前席を借りるナナ。
横向きにイスに座り、昼食のお弁当はミノリの机に置いている。
ひとつの机に二人分の弁当箱と、ミノリは紙パックの野菜ジュース。
ナナはペットボトルのお茶を置いている。

席位置が変わらないミノリの目には、相も変わらず最前席の気怠い背中が映っていた。
 
 
 
今日も、パンを味気なさそうに口にしているハヤト。
同じクラスになってからというもの、パン以外を食べている姿を見たことがなかった。
しかしそれは無類のパン好きという感じではなく、たまに友人の弁当のおにぎりを
貰いたがってパンとの交換をねだる姿から察するに、お弁当を作ってもらえる環境
ではないという事のように思えた。
 
 
 
 
  (いくらでも作ってあげるのになぁ・・・)
 
 
 
 
決して本人になど言えない言葉を、弁当箱の自作玉子焼きを箸でつまみ上げながら
ミノリはひとり心の中で呟いた。
 
 
 

■第4話 返信

 
 
自室のPC前でマウスを左クリックして、ブックマークしているサイトを
流し見していたミノリ。
片肘をついて半身に傾げ、然程興味もない今日のエンタメニュースを眺める。
 
 
マウスを移動させると、ブックマークから削除し忘れていた掲示板の自作スレッドに
誤ってポインターをあて、クリックして開いてしまった。

苦々しい面持ちで、何気なく再びスレッドについた返信を眺めていたところ、
あの後に別の新しい返信がついていた事に気が付いた。
 
 
 
 
  【Re:mosso】
 
 
   >グローブさん

   その後、どうですか?

   少しは元気が出たのでしょうか?
 
 
 
 
それは、スレッドを立てた日の3日後の日付だった。

気付かずに暫く放置していた掲示板。
まさか、あのmossoからミノリを気遣う返信が来るなんて、微塵も思ってなど
いなかった。
 
 
この時で既に1週間は経過してしまっていた。
 
 
 
 
  (さすがにもう、ココ、見に来たりしないよなぁ・・・)
 
 
 
 
希望は薄かったが、ひとことお礼を言いたくて、ミノリはmossoへ向けて
文字を入力した。
 
 
 
 
  【Re:Re:グローブ】
 
 
   >mossoさん

   たった今、返信いただいてたこと気付きました!

   すみません。

   ありがとうございます。

   元気はありませんが、もう泣いてはいません。

   mossoさんが言ったとおり、

   何もしていない私は愚痴る権利もないですし。笑
 
 
 
 
投稿してから、ちょっと嫌味に聞こえてしまうかもと慌てたミノリ。

別にmossoの冷静な言葉を非難した訳ではなく、抗いようのない事実として
言ったまでだったのだが変に卑屈に映ってしまうかもしれないと、PC前でひとり
オタオタうろたえた。
 
 
 
   
    >mossoさん

    すみません、さっきの。

    この1つ前の、別にmossoさんを責めたつもりじゃないです!

    mossoさんは間違ったこと言ってないですから。

    なんか、すみません・・・
 
 
 
 
 
 
 『なんか、すみません・・・』
 
 
キーボードで入力した文字と同じ言葉を、薄暗い部屋でミノリはひとり俯き呟いた。
 
 

■第5話 流れる言葉たち 

 
 
翌日、学校から帰り慌てて自室に駆け込むと、ミノリはPCの電源を入れて
掲示板を開いた。
 
 
すると、
 
 
 
 
  【Re:Re:Re:mosso】
 
 
   >グローブさん

   別に全然気にしてなかったですけど。笑

   きっとグローブさんは、気にしぃな人なんですね。

   ヒトの目とか過剰に気にする、あんまり自信ないタイプなのでは?

   そんなだと生きてくの疲れちゃいますよ。
 
 
 
 
mossoの言葉を見つめたまま、ミノリは暫く動けずにいた・・・
 
 
 
 
その日以来、ミノリはグローブというハンドルネームを使い、どこの誰かも分からない
mossoという電波向こうの人と頻繁にやり取りをするようになった。

互いに必要以上に素性は明かさず、しかし、それは勿論、暗黙の了解で。
ミノリからも深く突っ込んだ話などしなかったし、mossoも聞いてなど来なかった。
ただ、なんとなく毎晩PCの前に座ってはキーボードを打ち合っていたのだった。

掲示板では他の人の目についてしまうので、ふたりで遣り取りが出来るサイトに移り
他愛もない話を、連夜くり返していた。
 
 
 
 
  【mosso】:グローブさんの例の人って、どんなタイプなんですか?
 
 
 
  【グローブ】:一言でいうとイジワルです。 

         やたらバリア張って本音見せない感じ。

  
 
  【mosso】:その人のどこがいいんですか?w
 

  
  【グローブ】:どこでしょうね?w 

         ん~。話ぐらいなら聞けるのになーって思わすトコですかね~?
 

  
  【mosso】:イジワルでも学年イチ可愛い彼女が出来るくらいだから、

          見ため的にイイ感じなんですか?
 

  
  【グローブ】:カッコイイです! ゴトウ君は、ウチの学年で3本の指に入ると思う!!
 
 
 
 
 
   (ぁ。ヤバ・・・ ”ゴトウ君 ”って・・・)
 
 
 
 
一瞬、間があき、mossoが返信を続ける。
 
 
 
  【mosso】:言っちゃいましたね? ゴトウ君てw   
     
          今、PC前で大笑いしてますww
 
 
 
 
 
なんだかこの時、ミノリまで頬が緩んだ。
なんだろう、この気を使わない感じ。長年の親友みたいな感覚。

直接顔を見合わせないことで、話せる本音があった。
嬉しいことも。悲しいことも。悔しいことも。
 
 
 
本名はさすがに言わないけれど、

もっとmossoに話を聞いてもらいたくなった。

もっとmossoと話がしたくなった。

もっとmossoと、ちゃんと・・・
 
 
 
連夜かわす会話で、なんとなく、互いに同年代であること、鯛焼き好きであること
実はなんと同じ市内であることが判明した。
 
 
 
”近くにいる ”というだけで、なんだか心強く思えた。
 
 
 
この先、もし、なにかしらのキッカケがあれば、mossoともっと近くなれるかもしれない。
リアルで親友にでもなれるかもしれない。
最強の女友達が出来ちゃうかもしれない。
 
 
 
 
ミノリはそんな面持ちでPC画面に次々流れる言葉たちに、目を細めて微笑んだ。
 
 

■第6話 mosso 

 
 
mossoは、自室でひとり、サインアウトしたPC画面を見つめて暫し考え込んでいた。
 
 
 
自分以外は誰も帰宅していない3LDKの自宅の、物音ひとつしない自室。
キーボードの音も鳴り止んだ今、聞こえるのは壁掛け時計の秒針と自分の呼吸音のみだった。
 
 
あの日。たまたま掲示板で見かけた ”失恋しました ”というスレッドの煮え切らない
内容にイライラし、若干イジワルに書き込んでしまったメッセージ。
 
 
それは、八つ当たりとも言えなくなかった。
自分が抱える ”問題 ”の事を考えていた。
 
 
打ち明ける相手さえいない。
こんな掲示板でさえも、例えば冗談ぽくネタみたいに装って相談出来たらどれだけ
救われるだろう。その返信が、例え、上辺だけのキレイな言葉だとしても。

自分の力ではどうしようもない ”問題 ”を抱えている人間だっているというのに
この相談者は、自分の足で進めるくせに、それをしようともしないでウジウジ愚図愚図と・・・
 
 
 
しかし、その3日後になって自分の言葉を読み返し、やはり悪いことをしたかもと
悔恨の念にかられた。
少なくとも、落ち込んで泣いている最中の人間に向ける言葉ではなかったかも、と・・・
 
 
 
 
そんな遣り取りの末、気が付けば毎晩毎晩HN:グローブと電波に乗せ会話を
するようになっていた。
次第に少しずつ覗く互いの ”素顔 ”に、正直どことなく嬉しさを隠せなくなっていた。
 
 
 
そんな中、mossoにはひとつ引っ掛かる事があった。
 
 
過去ログを読み返し、精査する。

何度も何度も読み返した。
何度も
何度も・・・
 
 
 
まさにあの日、学年イチ可愛い女子に告白され。
互いに同年代の高校生で。
まさかの同じ市内在住。
 
 
そして、グローブがうっかり書き込んだ ”ゴトウ ”という名前・・・
 
 
 
 
 
 
 『コレ・・・・・・・・・・・・・
 
 
         俺のこと、じゃないのか・・・・・・・?』
 
 
 
 
PC前で、ハヤトがせわしなく瞬きをして固まっていた。
 
 
画面に身を乗り出し、過去ログを暗記するほど読みふける。
右手に握るマウスは、引っ切り無しに画面の上へ下へ、ログをスクロールする。
液晶ディスプレイの明かりが、ハヤトの顔を照らしている。

それは、驚いていて、困っていて、しかしどこか照れくさそうで・・・
 
 
 
 
 
 
 『グローブ、って・・・・・・
 
          誰のことだ・・・・・・・・・・?』
 
 
 

■第7話 見えない敵

 
 
その日以来、ハヤトはソワソワと落ち着かない日々を送っていた。
 
 
ハルカから告白されたのを目撃したという事は、2-Aの教室に入って来られる人間だ。
という事は、同じクラスという確率が高いという事になる。

まるで ”見えない敵 ”と対峙しているような気分だった。
 
 
 
 
  (誰だ・・・?

   誰だったっけ? あん時、教室に入って来たの・・・)
 
 
 
ハヤトは、あの日のことを思い返していた。
 
 
 
 
 
ハルカに声を掛けられたのは、あの日の昼休みだった。
 
 
 
 『ねぇ。今日の放課後、時間つくって? 話あるから。』
 
 
 
こちらの都合もなにも気にしない、その言葉。
やたらと鼻に掛かった甲高い声が耳障りで。

ハルカは同じクラスで、なにやら ”学年イチ可愛い女子 ”との呼び声高いらしかった。
なにかとチヤホヤされ、本人はそれをさも当たり前といった風で。
 
 
 
 
  (興味ねえ・・・

   ショージキ、死ぬほど、どーでもいい・・・)
 
 
 
 
元々顔立ちは悪くないのだろうが、明らかなつけまつ毛と、ドぎついコロンのにおい。
なにより、自分で自分を可愛いと信じてやまないその感じ、
世界72億人が自分を可愛いと思っていると疑わないその感じに、吐き気がした。
 
 
『付き合おうよ。』 ハルカが放課後の誰もいない教室で、自信満々に放った一言。
 
 
 
 
  (なんだそれ・・・。)
 
 
 
 
まるでハヤトも好意があるかのようなその一言に、心の底からうんざりした。
 
 
『いーけど。』 と、敢えて即答する。

それが一番、平和なのだ。
一番の、平和的解決法なのだ。
 
 
仮に断ったとする。
こうゆうハルカみたいなタイプは、断られるなんて想定外だから、激昂するか
もしくはギャーギャー泣きわめく。それは悲しみの涙などではなく、プライドを
傷つけられたことに対する憎悪のそれで。

おまけに似たようなタイプの友達に言い振らし”オンナの敵 ”扱いをされ、
陰口を叩かれ、嫌がらせをされ・・・ 
一連の流れなんか腐るほど経験済だ。
 
 
”去る者サイナラ、来たらコンチハ ” ハヤトはこれで通していた。
 
 
テキトーに付き合って、素っ気なくしておけば愛想を尽かして向こうから勝手に去ってゆく。
そして、 ”空き家 ”になったことが判明すると、また同じようなタイプが放課後
呼びにやって来るのだ。
その繰り返しだ。

窓ガラスにぼんやり映った自分の顔を、ハヤトはどこか冷めた目で見つめていた。

母親似の、その顔。
忌々しい母親に似た、その・・・
 
 
 
 
  (カッコイイんだってさ、この顔が・・・)
 
 
 
 
見た目だけに寄ってくる空っぽの奴らと、見た目だけしか見てもらえない空っぽの自分。

冷たく素っ気なくすると、『クールでカッコイイ』と言われ。
普通にしてると『なんか今日は特別やさしい』と言われた。
その、自分にだけ都合いいポジティブ思考。
うんざりだった。放っといてほしかった。
 
 
 
 
 
 
   ”一言でいうとイジワルです。”
 
 
 
グローブが紡いだ一言を、思い出していた。
 
 

■第8話 母親

 
 
毎朝、キッチンの食卓テーブルの上には千円札が3枚置いてある。
 
 
 
グラスの飲み口を逆さにして、その紙幣がとばないよう押さえて。
イタリア製の高級クリスタル・ブランドの、それ。
大手有名化粧品メーカーで役職に就く母親が愛用しているグラスだった。

高級ブランド品のストレッチコットンジャケットを着こなし、同じブランドの
レザートートバッグを、嫌味にならないようさり気なく持つと、
 
 
 
 『また、高校生の息子がいるようには見えないって言われちゃったわ。』
 
 
 
と、真っ赤な唇でハヤトに得意気に呟く母親。
嫌忌すら憶えるその赤色を、感情がない空虚な目で見ていた。
 
 
 
 
 
この三千円で、毎日ハヤトは昼食と夕食を買っていた。

学校に行く途中の、いつものコンビニ。
菓子類の棚裏にあるやたらと日持ちするパサパサのマズいパンと、缶コーヒーを買う。

冷気流れる要冷蔵コーナーに並ぶサンドイッチ類の方が、まだマシなのは
分かっていたが、コンビニ飯に美味しさを求める自体バカらしく感じていた。
 
 
 
 
 
昼休み。
友達が母親手作りの弁当を、さも当たり前に頬張る姿をぼんやり見ていた。
 
 
 
 
  (腹に入れば、どうせおんなじだ・・・)
 
 
 
 
乾いたパンを、口に入れ、数回噛み、飲み込む。
それの繰り返し。

たまに無性に友達の食べる、形の悪いおにぎりが美味しそうに感じ、一口もらってみる。
朝に握ってから時間が経ったそれは、湿気で海苔がしっとりし過ぎて唇や歯にくっ付く。
中央にあるはずの紅鮭は、片側に寄ってしまっていてすぐに有り付けた。
 
 
 
 
  (手作りなんか、いつから食ってないんだろ・・・)
 
 
 
 
自席のイスに浅く腰掛け背もたれに寄り掛かり、首を反って教室の天井を眺めていたハヤト。
自分でも気付かぬうちに、小さな溜息が漏れていたようだった。
 
 
 
遠く後方で、それを見つめる視線があったことなど、ハヤトは知る由もなかった。
 
 

■第9話 後方からの視線

 
 
  【グローブ】:今日もゴトウ君、パン食べてたんですよね~
 
 
 
ミノリが、ハヤト扮するmossoと電波を通し言葉を交わす、夜10時。

うっかり ”ゴトウ ”と、想う人の名を発してしまって以来、ミノリは隠すことなく
堂々とその名を画面に打ち込んでいた。
 
 
ハヤトがドキっとする。
クラスメイトなのは間違いない。確定だ。
 
 
 
  【グローブ】:なんかマズそうに食べて、天井ぼんやり見てる姿がなんとも・・・
         言ってくれれば、私が毎日でも作ってあげちゃうのになぁ~
 
 
 
グローブは、ハヤト後方から見ているという事のようだ。
 
 
 
 
  (いや、でも。 俺・・・

   一番前の席だし・・・ ほぼ、みんな後ろじゃんか・・・)
 
 
 
 
  【mosso】:グローブさんは、ゴトウ君と席近いんですか?
 
 
 
 
さり気なく、何気なく探りを入れて訊いてみる。
 
 
 
 
  【グローブ】:ゴトウ君は一番前の席なんで。 遠いんです、これが・・・
 
 
 
 
 
  ( ”遠い ”ってことは、すぐ後ろとか

   2~3コ後ろ、って事じゃないよな・・・?)
 
 
 
グローブが綴った、昼休みの弁当のことをふと思ったハヤト。
 
 
 
  【mosso】:でも、親が弁当作ってくれない家庭なんて珍しくないんじゃ?

          ウチだってそうですよ。当たり前に毎日買ってます。
 
 
  【グローブ】:そうなんですかー。 でも、たまに。お弁当食べたくなりませんか?

         あの冷めた玉子焼きとか、しっとりしすぎた揚げ物とか。
 
 
 
 
  (食いたいよ・・・ 食いたいに決まってんじゃん・・・)
 
 
 
  【mosso】:そうですね。 まぁ、たまにはw
 
 
  【グローブ】:mossoさんが同じクラスだったら一緒に食べれるのにね~

         放課後にお茶したり。 女子会とかしたりしてw
 
 
 
 
  (・・・女子会??)
 
 
 
 
  【mosso】:女子会?
 
 
  【グローブ】:ん?女子会。 キライ?女子会とかそうゆう系。
 
 
 
 
  (あれ? 俺・・・ 女子だと思われてんのか・・・)
 
 
 
 
  【mosso】:ううん。 行った事ないだけ。
 
 
 
 
咄嗟に誤魔化した。
 
 
嘘はついてない。
女子会には行ったことはない。
何故なら、女子ではないから。
だから、嘘はついてない。
 
 
   ・・・嘘、ついてない・・・?
  
 
 
 
 
   なんだか。

   なんとなく。

   この、言葉の遣り取りをやめたくなかった。
 
 
 
静まり返った部屋にキーボードを打つ音だけが響く。
ハヤトがキーボードに両の手を置いたまま、首をもたげた。
 
 
 
頬が、少しだけ熱くなっていた。
 
 

■第10話 雨の日の

 
 
その日は、午後から雨が降った。
 
 
 
ハルカが鼻に掛かる甘えた声で、ハヤトにすり寄る。

机に突っ伏しているのだから ”話し掛けるな ”という無言のサインなのに
そんな空気は読むはずもなく、ハヤトの肩口をグリグリ押して揺らすハルカ。
 
 
 
 『ハヤトぉ~、傘あるぅ・・・?

  アタシ、持って来てないから一緒に帰ろうよぉ。』
 
  
 
 
  (ハヤト、って・・・

   いつの間に呼び捨てするほど仲良くなったの? 俺ら・・・)
 
 
 
目線だけ向けると、異常に長いまつ毛でニコリと嘘っぽくハルカは微笑んだ。
 
 
 
 
 
靴箱前に立つハヤト。

自分のそれから外履きを取り出し、気怠げに背中を丸めて履き替えていると、
同じクラスの女子が隣に立ち、外履きに手を掛けた。
一瞬目が合うと、その女子は目線だけで会釈をした。
それに、ハヤトも目線だけで返す。
 
 
 
 
  (なんて名前のやつだっけ・・・)
 
 
 
 
『ハヤトぉぉおおおお!!!』 ハルカの声に、その方向へ顔を向けると
走り寄って来て腕にしっかり絡みついて来た。

ハヤトの二の腕に、明らかに胸を当てにきている。
 
 
 
 
  (あーぁ・・・・・・ まじ、サイアク。)
 
 
 
 
絡みつくハルカと共に昇降口の段差を下り、傘を広げて歩き出したハヤト。

至近距離で匂い立つハルカのドぎついコロンが、むせ返るような湿った雨のにおいと
相まっていつも以上に強烈だ。
ハヤトは少し体を傾げそのコロンから逃げると、片方の肩だけ傘からはみ出て雨に濡れた。
 
 
 
 『ねぇ。 駅前で、お茶して帰ろうよぉ~』
 
 
 
ハルカの声が耳に不快でならない。
せめて黙っててくれたらいいのに、と心の底から思っていた。

ふと、先ほど靴箱前で一緒になった同じクラスの女子のことを思い出した。
 
 
 
 
  (なんて名前のやつだっけ・・・

           ショートカットの・・・ えーぇと・・・。)
 
 
 
 
雨粒に叩き付けられる校庭の砂土は、濁った黄土色の水溜りを幾つも作り
誰かの忘れ物のスポーツタオルがサッカーのゴールポストに掛かってしな垂れている。
 
 
何気なく、雨の雫が絶え間なく降り続く校庭脇の道で立ち止まったハヤト。
そっと、振り返る。

すると、昇降口でいまだ留まっている、ショートカット。
 
 
『どうしたのぉ~?』 ハルカに急かされ、また前を向いて歩き出したハヤト。
なんとなく気になっていた。
 
 
 
 
  そして、

  もう一度振り返った。
 
 
 
 
そこには、傘を差しているというのに、なんだかまるでズブ濡れのような面持ちの
クラスメイトが昇降口下でいまだ佇んでいた。
 
 
 
どこか自信なさげに、しかし真っ直ぐ、ハヤトを見つめていた。
 
 

■第11話 名前

 
 
  【mosso】:今日、雨降りましたね?
 
 
 
ハヤトは、少し目をすがめ真剣な眼差しでPC画面を見つめ文字を入力していた。
 
 
 
  【グローブ】:降りましたね。
 
 
その一言は、どこか元気がないように感じた。
いつもと変わらない感情ないただの明朝体なはずなのに。 どこか、なにか違う。
 
 
  
  【mosso】:どうかした? 元気ないんじゃないですか?
 
 
すると、グローブが少し間をおいて、文字を打ちはじめた。
 
 
 
  【グローブ】:今日、靴箱でゴトウ君の隣に立って。

         クラスメイトなんだから『じゃあね』の一言でも言えばいいのに

         わたし、ほんとバカみたいに緊張しちゃって・・・
 
 

グローブが続ける。
 
 
 
  【グローブ】:感じ悪かったかもー。

         いや、きっとそれすら向こうは気にしてないかw

         カノジョとふたり傘で仲良く帰ってて。

         それ、ずーっと見てて。 私。

         ストーカーかってくらい、ずーっと見てて。
 
 
         もう、笑っちゃうくらい片想いだって痛感ww
 
 
 
 
   (やっぱり・・・ あの、アレが。 グローブなんだ・・・)
 
 
 
 
  【mosso】:次は、声かけてみたらいいんじゃないですか?

          話し掛けてみたら、もしかしたら意外に話しやすいかも?
 
 
 
すると、やや暫く返信は無かった。
画面をじっと見つめていたハヤトの目に、やっと文字が現れた。
 
 
 
  【グローブ】:わたしのことなんか、きっと、名前も知らないと思うww
 
 
 
 
 
ミノリはそう入力すると、悲しげに目を伏せた。
 
 
傘を差し学年イチ可愛い彼女と帰る、うしろ姿・・・
微かに振り返りコッチを見たような気もしたが、そんなの気のせいだとかぶりを振った。

ただ、じっと背中を見つめていた。
きっと、この先も、振り返ることはないその背中を。
 
 
 
 
冷たい雨の音が、耳鳴りのように響いていた。
 
 

■第12話 目線

 
 
 
 『今の。 今、横。 通ったやつ、

  ・・・・・・・・・なんて名前だったっけ・・・?』
 
 
 
翌日、朝の教室。
3列目の最前席に座るハヤトの目に、扉からひっそり控え目に教室内に進む
ショートカット姿。

2列目と3列目の机の間。ハヤトのすぐ横を通り、教室後方へ向かってゆく。
ハヤトは隣席のクラスメイトに、小声でそのショートカットの名前を訊いた。
 
 
 
 『んぁ? コンノじゃね? コンノ・・・ミノリ?だか。 確か。』
 
 
 
 
   (コンノ・・・ ミノリ・・・・・・・・。)
 
 
 
 
ハヤトは少しだけ振り返り、最後席のミノリに目を向けた。

机横のフックにカバンを引っ掛けようと、それに目を落としている。
そしてイスを引き、座ったと同時に顔を上げ、いつもの癖。体を少し傾げ
3列目の最前席ハヤトへ視線を向けたミノリ。
 
 
 
 
 
    目が、 合った。
 
 
 
 
ふたり同時に、慌てて目を逸らす。
ハヤトは急いで前を向き、ミノリは分かり易く俯いた。
 
 
 
 
  (やべ・・・ 目ぇ合った・・・。)
 
 
  (うわっ・・・ なんか、コッチのほう見てた・・・?)
 
 
 
互いに、やたらソワソワと落ち着かない朝のはじまりだった。
 
 
 
 
 
 
その日の3時限目の体育。

男女別でバスケットボールが行われていた。
体育館を半分に区切り、右半分で男子バスケ。左半分は女子が使い試合を開始。
 
 
ミノリは自分の番が来るまでの間、体育館隅でこっそり男子バスケの試合を眺めていた。

丁度ハヤトがボールを持ち、ドリブルチェンジして相手を交わしてゆく。
右から左、左から右へとドリブルする手を変え擦り抜けると、3ポイントラインより
外側からシュートした。
それはスローモーションの様にキレイな弧を描き、バスケットゴールに吸い込まれた。
 
 
 
 
  (・・・カッコよすぎるでしょ・・・。)
 
 
 
 
その勇士に目を細めうっとり見惚れていた時、
 
 
 
 『ミノリーィィイイっ!! 危ないっ!!』
 
 
 
叫び声と同時に、ボフッ!という音と、顔面への鈍い痛みが走った。
 
 
 
 
  (やっぱ、ツイてない・・・。)
 
 
ミノリの鼻から血が吹き出し、体育館床に倒れた。
 
 

■第13話 バスケットボール

 
 
 『なんか。 随分、今日は張り切ってねぇー?』
 
 
 
ちょっと笑いながら、友達のタケルがハヤトに声を掛ける。

バスケの練習試合中。
共に同じチームでプレイをしている最中のこと。
 
 
普段は気怠そうにあまり真剣に球技などしないハヤトが、今日は珍しくきちんと
ボールを追っている姿に、タケルは可笑しそうに笑い首を傾げていた。
 
 
 
『いや、別に・・・。』 ハヤトが照れ臭そうに目線をずらし、口ごもる。
 
 
 
 
 
  (だってさ・・・

   めっちゃ見てんじゃん、コッチ・・・

   ガン見しすぎだろ・・・

   もうちょっと、さり気なく見ろっての・・・)
 
 
 
 
体育館端っこで体育座りをするミノリの姿を、ハヤトもしっかり横目で確認していた。
そして、その視線の先にはなにが映っているのかも・・・
 
 
 
 
  (キンチョーするわ、逆に。 コッチが・・・。)
 
 
 
 
 
 
その時、女子コートの隅の方でなにやら騒がしく人が集まる姿。

体育教師も駆け付け、その教師に肩を抱えられヨロヨロと人だかりから現れたのはミノリ。
鼻の辺りを押さえた手には真っ赤な血が。ボールを顔面で受け止めた模様。
 
 
 
 
  (うわっ・・・ なにやってんだよ・・・。)
 
 
 
 
その情けない背中が体育館を出てゆくまで、ハヤトはずっとその方向を見つめていた。
 
 
思わず、ハヤトが大きめの声を上げる。
 
 
 
 『あ。痛っ!!! やべ。突き指ー!!

  ・・・ちょ、保健室。いってくる・・・。』
 
 
 
そう周りに言い捨て、早足で体育館を駆けて行った。
背中でハルカがハヤトの名を呼んでいたような気もするが、無視して体育館を出た。
 
 
 
 
  (俺・・・ なにやってんだ・・・。)
 
 
 
 
ハヤトはひとり、授業時間中のひと気ない静かな廊下の先にある保健室の扉の前で
立ち竦んでいた。

そして、
ゆっくり手を伸ばし、すりガラスがはめ込まれた重い扉の引き手に、そっと指をかけ開けた。
 
 

■第14話 保健室

 
 
保健室の重い引き戸を開けると、年配の女性養護教諭がミノリの鼻に綿を詰めていた。
 
 
 
 『どうしたの? 突き指??』
 
 
 
入口に顔を向け訊いたその教諭の声に、ミノリも続いて顔を向ける。
 
 
 
  すると。 その目に、ハヤトの姿。
 
 
 
目玉が落っこちそうなくらい見開き、慌ててまだ血の赤さが残る鼻の辺りを
両手で隠すと、みるみる顔を真っ赤にさせて俯いた。

『そんなに下向いちゃダメよ』 注意されるも、ミノリは中々顔を上げられずにいる。
 
 
ハヤトは養護教諭に促され、咄嗟に、突き指をしたと言い張り右手を伸ばした。
『どこ? どこが痛いの??』 その言葉に、慌てて右手人差し指を出す。
別に腫れてもいないけど。と言われつつ、湿布と包帯で処置してもらう。
 
 
包帯を巻かれるハヤトの隣に、ミノリが丸椅子に座りいまだ俯いている。

ハヤトが横目でチラっと見ると、首まで赤くなって・・・
なんだか気の毒にすらなってくる。
 
 
 
 『ダイジョーブなの・・・?』
 
 
 
ハヤトが思わず、小さくポツリ。
ミノリの方は見ず、教諭に巻かれている右手人差し指の包帯に目を遣ったまま。

すると、ミノリが一瞬固まり、コクリと首を縦に振って小さく頷いた。
その頬は更に真っ赤になってゆく。目には微かに涙が滲んでいた。
 
 
 
 
  (ダイジョーブかよ、ほんとに・・・)
 
 
 
 
 
 
ミノリは泣きそうになるのを必死に堪えていた。
 
 
 
  ツイてない

  ツイてない

  ツイてない・・・
 
 
 
こんな無様な姿を、一番見られたくないハヤトに、しかもこんな至近距離で
見られてしまうなんて。もう死んでしまいたい。消え去りたい。
止まりかかった鼻血も、また大サービスで出血するのではないかと思うほど。
 
 
 
 『ああ! だから下向いちゃダメだってば。』
 
 
 
養護教諭の声にミノリが目線だけ上げると、綿を染み出し再び鼻血が溢れていた。
ぴったり揃えて座るジャージの膝に、真っ赤な雫が3滴。

ミノリが悲しそうに慌てて両手で強く鼻を押さえる。
遂に目から堪え切れなくなった涙がおちた。
 
 
 
 『泣かなくていいから・・・ 大丈夫よ、止まるから!』
 
 
 
教諭が綿を換えようと手を伸ばすも、ミノリは血が付いた両手で顔を覆って
小さく泣きだしてしまった。
 
 
 
  ツイてない

  ツイてない

  ツイて・・・ない・・・・・?
 
 
 
 
 
 
 
  (あー・・・ なんか、悪いコトした、かも・・・。)
 
 
ハヤトは身の置き場がない感じがして、慌てて引き戸を開けて保健室を出て行った。
その顔は、なんだか悲しげにしかめて。
 
 
 
 『・・・心配だっただけ、なんだけどな・・・。』
 
 
 
静かな廊下を進み、背中を丸めひとりごちた。
 
 

■第15話 本音

 
 
  【グローブ】:今日、鼻血が出たの!!
 
 
 
その夜の、ミノリ。
いくら温度が伝わらない文字だと言っても、コレはさすがに首を傾げるハヤト。
 
 
 
 
  (・・・? コレ、しょげてんの? ハシャいでんの??)
 
 
 
 
  【mosso】:???
 
 
  【グローブ】:体育の時間に、ボールが顔面に当たって鼻血が出て。

         勿論、それは超ダサいし最悪だし、最低なんだけど・・・
 
 
  【mosso】:けど?
 
 
  【グローブ】:ゴトウ君が、『大丈夫?』って声かけてくれた!!
 
 
 
 
  (・・・・・・・・・・。)
 
 
 
言葉を失う、ハヤト。
せわしなく瞬きを繰り返す。
 
 
 

  【グローブ】:はじめてだよ、はじめて!『大丈夫?』って・・・

         同じクラスになってはじめて話し掛けてもらった!

         なんか、わたし、思わず泣いちゃってw

         恥ずかしいの3割、嬉しいの8割って感じ!!
 
 
  【mosso】:11割になっちゃってるけどね?w
 
 
 
 
PC前で、声を出して笑ったハヤト。
安心していた。
その顔は、心からの安堵の表情だった。
 
 
やわらかく目を細めて、電波の向こうで嬉しそうに文字を紡ぐミノリを想像する。
 
 
実は、後悔しかけていた。
心配で保健室に駆け付けたものの、それはミノリの気持ちも考えない、ただの自己満足な
行動だったかもと、今夜このPCに向き合うのも少し躊躇ったほどだった。
 
 
 
  【mosso】:別にイジワルじゃないんじゃない?w
 
 
 
以前、ミノリから言われた一言を実は少し気にしていたハヤト。
表立って感情は出さないようにしていたはずなのに、いつ誰に意地悪な態度をとったの
だろうかと、考えあぐねていたのだった。

すると、画面に文字が現れた。
 
 
 
  【グローブ】:えーと、イジワルってのは。底意地が悪いって意味じゃなくてね。

         出さなきゃいけないトコで感情を出さない、っていうか。

         表してほしいトコで本音を隠す、っていうか・・・

         ほんとはクールなんかじゃないと思うんだよね~
 
 
 
 
ハヤトが、画面を見つめたまま、キーボードに乗せた指の動きの一切を止めた。
 
 
 
 
  【グローブ】:だから、今日言ってくれた『大丈夫?』は、

         本来のゴトウ君だと、わたしは思ってんのw
 
 
 
なんだか、ノドが痞えるような苦しさを憶えた。
ミノリの、その言葉。

  
 
  なんだか、

  急に、

  心臓が、苦しい・・・
 
 
 
 
  【mosso】:ウチさ。 親がちょっとモメてて、多分、離婚するんだよね・・・
 
 
 
ハヤトが、ゆっくり考えながら、一文字ずつ言葉を紡いだ。
 
 

■第16話 Go For It

 
 
  【mosso】:もうずっと前から、ウチの親、モメてて。 別居してるんだけど。

          母親がちょっと仕事の関係で、家庭不和な感じを隠すためだけに

          離婚しないでいたんだけど・・・
 
 
  【グローブ】:ん・・・
 
 
  【mosso】:父親が別のヒトと再婚したいみたいで。

          いい加減ハッキリさせようって流れになってるらしくて。

          母親は父親の再婚のことなんか、正直どうでもいいみたいで。
 
 
          まだ怒ったりした方が愛情残ってるんだなって思うのに・・・
 
 
  【グローブ】:そうだね・・・
 
 
 
 
ミノリが静かに相槌を続ける。
 
 
 
  【mosso】:父親も母親もコドモのことなんか、全く頭になくて。

          自分たちのことしか、頭になくて。

          なんだかなー、って。 
 
          なんのために・・・、ってww
 
 
  【グローブ】:誰かにこの話、したことあるの?
 
 
 
返事は少しの間、来なかった。
 
 
 
  【mosso】:取り敢えず『頑張れ』って言われんの目に見えてるでしょw
 
 
 
PC画面を見つめながら、ハヤトが寂しげに小さく笑う。
 
 
  【グローブ】:わたしも、『頑張れ』って言葉、大っきらい。

         だって、そう声を掛けられる人って、もうだいぶ頑張ってるのに。

         無責任で、押しつけがましくて。 大っきらい。
 
 
 
すると、ミノリが小さく微笑んで続けた。
 
 
  【グローブ】:ねぇ、 ”ごーほい ”って知ってる?w
 
 
 
ハヤトが首を傾げる。
 
 

  【mosso】:ごーほい??
 
 
  【グローブ】: Go For It。 ごーほい。

         ”やってみるかな。 ”って意味。 多分、だいぶ意訳だけどw
 
 
         わたしね、中学のとき。 ちょっと、つまづいて・・・

         学校行けなくなっちゃった時期があって。

         その時の担任が、言ってくれた言葉なの。 ごーほい。

         頑張んなくていい。 まぁ、ちょっとやってみるかな、ぐらいでいい、って。
 
 
    
ハヤトが思わず泣きそうな目を向ける。
顔をしかめ、画面を睨むように見つめる。
 
 
 
  【グローブ】:家が近所だったら、朝まで話きくのにね~w

         ほら、ファミレスのドリンクバーで。延々ネバる、的な?w
 
 
  【mosso】:そうだねw
 
 
 
 
キーボードを打つ指が震えて、思うように文字が打てないハヤト。
あとちょっとで雫がこぼれそうな目は、そうならない様に必死に瞬きを堪えていた。
 
 

■第17話 欲しいもの 守りたいもの

 
 
 
  【グローブ】:全部が全部は、やっぱ、思い通りにはいかないよね・・・
 
 
  【mosso】:そうだね
 
 
  【グローブ】:なにかをガマンしても、欲しいものってある?

         守りたいもの、ってゆうか
                   
 
 
 
  (母親とは一緒にいたくはない・・・

   でも、そうじゃなければ。 父親についてくとしたら、
 
 
   ・・・学校。 変わらなきゃいけなくなる・・・。) 
 
 
 
 
  【mosso】:今のこの状況をガマンしても、離れたくない人は。 いる、かな・・・
 
 
  【グローブ】:じゃぁ。 その為に、 ”ごーほい ”じゃない?w
 
 
 
暫く、mossoからの返信は来なかった。
それでも、ただやさしく、ミノリは画面の前で静かに待っていた。
 
 
キーボードの上に置く手の甲に、雫がいく粒も落ちてはその透明な形を歪める。
暗い部屋でひとり、背を丸め首をうな垂れる。
肩が細かく震えている。

ハヤトが、顔をくしゃくしゃに歪め、泣いていた。
 
 
 
 
  【mosso】:ありがとう・・・
 
 
 
 
誰もいない冷えた空っぽの自宅の、物音ひとつしない静まり返った空っぽの部屋で
空っぽだったはずのハヤトの心が、あたたかいもので満たされていた。
 
 

■第18話 席替え

  
 

  (ついに・・・ わたしにも、ツキがまわってきた・・・。)
 
 
 
その日、2-Aの教室では、くじ引きが行われていた。

1学期のはじめに出席番号順で座った席。
そろそろ席替えをしようという話になり、その決定方法は定番のくじ引きだった。
 
 
黒板に机の配列と同じ四角い枡を書き、番号を振る。
そして、箱の中から紙を引き、その紙に書いてある番号の席が新しいそれだった。
 
 
ミノリが窓側の一番後ろの席に、自分のカバンや荷物を運ぶ。
諸々整えてイスに座ると、体ごと左へ向き、窓の外をじっと見つめていた。

耳がジリジリと熱くて仕方がない。

頬が火照って熱くて、下敷きで扇いで顔に風を送る。
前下りなサイドに流れるやわらかい前髪が、その風に小さく揺れている。
 
 
 
  熱い

  熱い

  右側が、熱い・・・
 
 
 
ミノリの右隣の席。
机に片肘をついて、チラっと目線を向ける姿。
少し口許が緩むのを、小さく咳払いで誤魔化す。

ハヤトが、ミノリを横目で一瞬見て、やはり我慢出来なくなって少し肩を震わせた。
 
 
 
 
  ふたり。 隣同士に、なった。
 
 
 
 
なんとか、もう少し距離を縮められないかと、ハヤトは考えあぐねる。
この左隣の、超ド級の恥ずかしがりやと、もう少し。 ほんの少し・・・
 
 
 
 『・・・コンノ?』
 
 
呼び掛けてみた。
 
 
 
 
  (ぁ。 名前、呼ぶのはじめてかも・・・。)
 
 
 
 
ビクっと体を小さく跳ね、せわしなく目をパチパチさせて、『・・・なに?』 と
蚊の鳴くような声が返ってくる。
 
 
 
 『あのさ・・・消しゴム、ある? 消しゴム。』
 
 
 
  (いや、まぁ。 俺も持ってるんだけどさ・・・)
 
 
 
 
 『・・・ぅん。 ・・・ある。』
 
 
真っ赤になって頷く、ミノリ。
 
 
 
 ・・・・・・・・・。
 
 
 
  (ぇ? いや、ちがうでしょ。 ”貸して ”って意味でしょ、フツー。)
 
 
 
 『ぁ、いや。じゃなくて・・・ 貸してくんない?』
 
 
 
 
『ああああ! ぁ、うん。もちろん。うん・・・』 しどろもどろを絵に描いたような
慌てっぷりで、ミノリがペンケースから消しゴムを取り出した。

しかし、アタフタしすぎたその指から消しゴムはスルリ滑り落ち、ミノリとハヤトの
丁度中間あたり、床に転がった。

互いに慌ててそれを拾おうと体を屈め、同時に消しゴムを掴もうと手を伸ばし
頭がゴツリ。ぶつかった。
 
 
 
 『ごめん!』

 『わり!』
 
 
 
同時に発し、慌てて勢いよく手を引っ込めた時、ふたり仲良く机脚に肘を
ピンポイントで強打。 神経がビリビリして肘を抱え、悶えうめいた。
 
 
 
互いに、酷いしかめっ面をして、見合う。
 
 
 
ミノリが、ついに堪え切れなくなり笑った。

肘を抱えながら、大口開けて笑っている。
可笑しそうに、なんだか、やたらと幸せそうに・・・
 
 
その顔を、ハヤトが嬉しそうに頬を緩め小さく微笑んで見ていた。
そんなハヤトも肘を抱え、片手で軽くさすりながら。
 
 
 
 『こうゆーの、なんてゆーんだっけ?』
 
 
 
ハヤトが、肘の神経がヤラれる現象の名前を、必死に思い出そうとして
半笑いのまま眉間にシワを寄せる。
 
 
 
 『ファニーボーン。』
 
 
ミノリが目を細め、尚も笑う。
 
 
 
ミノリの背中から差す日差しが眩しかったのか、笑顔のそれか。
ハヤトは、そっと目を逸らした。
 
 
 
 
心臓がドキンドキンと、高速で音を立てた。
 
 

■第19話 実行委員

 
 
 『では、このクラスの実行委員はこの4名に決まりました。

  協力しあって、頑張るように。』
 
 
 
朝のホームルーム。
担任の言葉に、顔をしかめたのは4人中、2人。
 
 
『げ。サ イ アク・・・』 アイザワ タケル。ハヤトの小学校からの友達。
 
 
そして、

『めんどくさー・・・』 ヨシムラ ナナ。ミノリの友達だ。
 
 
 
あとの、2人はというと・・・

嬉しそうな困ったような顔をして、一人は窓の外に赤い顔を向け。
もう一人は、その右隣で背中を丸めて俯き表情が見えない。
 
 
 
ミノリとハヤトは、今年の学校祭の2-A実行委員になっていた。
 
 
 
2-Aの実行委員には、学校祭の広報関連の仕事が割り振りされていた。
それは、学校祭新聞やパンフレット、チラシ配り等の取り締まりや制作で。

毎日この4人で放課後教室に残り、生徒会や担当教師と相談し合いながら
黙々と作業を進めていた。
 
 
 
 
 
 『あー・・・ もう疲れた。 なんか飲みてぇ~』
 
 
タケルがイスの背もたれに背中をのけ反って首も反らせ、天井に向かい嘆いた。

机を4つ向かい合わせにくっ付けたその上には、大きな模造紙が広げられ
何本ものカラフルな太字マジックペンが転がっている。
タケルの指先には誤って付けてしまったピンク色や青色のマジック跡。
 
 
『じゃーんけんっ・・・』 ナナがその言葉に、じゃんけんの掛け声を呟く。
ナナ以外の3人が、ちょっと慌てて『ぽん』の声と同時に手を出した。
 
 
 
 『はい、おふたりさん。 いってらっしゃ~い!』
 
 
タケルとナナが、ニヤリほくそ笑んだ。

仲良く勝負に負けたミノリとハヤトが、パーの手を出したまま互いの顔を見合わす。
そしてしずしずと、一番近い自動販売機まで4人分のジュースを買いに教室を後にした。
 
 
 
 
 『ねぇ、わざとじゃないの・・・?』
 
 
チラっと横目でタケルを見た、ナナ。
じゃんけん勝者が残った教室は、夕陽がまっすぐ差して少し眩しい。
 
 
『あれー。バレてた~?』 ニヒヒ。と笑い、タケルがダルそうに伸びをする。
 
 
 
 『ゴトウ君は、サエキさんてゆう最強のカノジョがいるじゃない・・・

  下手にけしかけたりして、傷付くのはミノリだよ?』
 
 
 
そうタケルに言う割りには、ナナだって ”じゃんけん ”させたのだが。
タケルが伸びの体勢から、ガバっと机に突っ伏す。
 
 
 
 『だってさー・・・

  あんな、誰が見たって分かるような、真っ赤な顔してさー・・・

  ハヤトんこと目で追ってさー・・・

  なんか、なんてゆーか。 協力したくなっちゃわ~ん?
 
 
  ・・・それに。』
 
 
 
タケルが続ける。
 
 
 
 『 ”あんなん ”、愛想尽かし待ちに決まってんじゃん。』
 
 
 
”あんなん ”の所で、目元に手の平を寄せ、バサバサとまつ毛の真似をした。

『それもそれで・・・ サエキさん可哀相じゃない?』 ナナがその真似に吹き出す。
 
 
 
 
 『ハヤトが、あんなん好きな訳ないんだってば。』
 
 
それは、静かな声色だった。
 
 
 
 『アイツの鉄壁のセキュリティシステム、こじ開けられんの

  あんなんな訳ないんだって・・・』
 
 
 
 
そう呟くタケルの目は、どこか物悲しく遠くを見ていた。
 
 

■第20話 自動販売機

 
 
夕暮れの廊下を渡り、靴箱で外履きに履き替え、昇降口の段差を下り、
ふたりは校庭の角にある自動販売機へと進む。
 
 
橙色にじむ通学路には、本日の作業を終えた実行委員らしき姿がチラホラ。
吹奏楽部の奏でるアルヴァマー序曲が、秋の夕空に小気味よく小さくそよいでいる。
 
 
陽が傾いた夕刻の自動販売機には、すぐ目の前にそびえ立つケヤキの木の陰が映り
眩しい黄金色に幹や枝の暗い色を落としている。
学校に一番近いそれは学生がよく買いに来るため、売り切れランプが点灯して
いるものも数種類あった。
 
 
 
相変わらず恥ずかしがってろくに口もきけないミノリと、そんなミノリに呆れながらも
”そのペース ”を尊重して、無理やり踏み込もうとはしないハヤト。

ただ黙って、ふたりで歩いた。
 
 
 
『あ!』 自販機前に着いた瞬間、ミノリが声を上げた。
 
 
『ん?』 ハヤトが目線だけ向けて、二の句を継ぐのを待つと
 
 
 
 
 『ごめん・・・ 教室に、お財布忘れた・・・。』
 
 
 
自分の抜け具合に、苦い顔をして呆れるミノリ。

揃ってじゃんけん敗者という ”ミノリにとっての勝利 ”に分かり易くテンパり
肝心な財布を持ち忘れたのだった・・・
 
 
咄嗟にハヤトが尻ポケットに入れている財布に手を掛ける。
自分が4人分払えるから大丈夫だと言おうと考え・・・しかし、やめる。

そして、それをグっとポケット奥に押し込むと、
 
 
 
 『やべっ! 俺も、だ・・・。』
 
 
少し大袈裟に声を上げた。
 
 
 
キョトンとした顔を向けるミノリ。
そして、互い顔を見合わせてぷっと吹き出し笑った。
 
 
それは。
何かと過剰に気にしがちなミノリの罪悪感が薄まり、
かつ、また同じ道のりを往復することになるという事で。

もう一度、ふたり。 この道を並んで歩くことになるという事で・・・
 
 
 
 
  (最近、わたし。どうなっちゃってんの・・・?

   人生の ”運 ”使い果たしちゃうんじゃない・・・?)
 
 
 
隣に立ち無言で歩くハヤトを、小さく横目で盗み見ていた。
 
 
 
背が高いハヤトが歩く歩幅を合わせてくれている事に、その時の浮かれるミノリは
気が付けないでいた。
 
 

■第21話 帰り道

 
 
『じゃ。お疲れ・・・』 そう軽く手を上げて、ハヤトがT字路を左折してゆく帰り道。
 
 
 
『おぅ。』 そう返すと、タケルはミノリに小さく目線を向け、促した。
 
 
ミノリとタケルはT字路を右折する2丁目組。
ハヤトは5丁目に自宅があり、方向は別だった。
ナナは寄り道するからと別方向へ向かい、手を振って先に別れていた。
 
 
 
ハヤトの背中を、ほんの少し立ち止まって見ていたミノリ。
 
 
濃紺のブレザーの肩に、学校指定のサブバックの持ち手を引っ掛けて
少し猫背気味に、気怠げに踵を擦って進むその背中。
 
 
 
 
  (じゃあね・・・ また明日ね・・・。)
 
 
 
 
目を細めるミノリが、タケルに促され家路への歩みを進めた。
 
 
 
その直後。
濃紺ブレザーの背中が、立ち止まり振り返った。 その目は、遠く眺める。

タケルと並んで歩いている、その華奢な背中。
やわらかく丸みあるショートカットのシルエット。
耳にかけたサイドの短い髪の毛が、歩く揺れの前後に合わせ小さくゆれている。
 
 
切なげに見つめるハヤトの目に、ミノリがタケルと笑い合い、手を伸ばしてタケルの
腕を冗談ぽく押し遣っている姿が。
体を屈めて笑う声が、秋の夕焼け空に小さく響いている。
 
 
 
それを。じっと、見ていた。
なんだか。胸の奥に、言葉では表せない感情が浮かぶ。
 
 
 
すると、その時。

ミノリが再び振り返り、ハヤトの姿をその目に捉えた。
 
 
 
立ち止まって、真っ直ぐハヤトを見るミノリ。
微かに、小さく小さく手を上げてゆっくり手を開くと、それを微かに左右に振った。

夕陽が眩しくてよく見えなかったけれど、きっと、ミノリはまた赤くなって。
きっと、目を細めて。
そして、きっと、微笑んでいる。
 
 
 
そっと手を上げて、それに返事をしたハヤト。
そして向き直り、家路に向けて足を踏み出した。
 
 
 
 
 頬も耳も、熱かった。

 なんだか、バカみたいに、気を抜いたら泣きそうだった。
 
 
 
 
 
 ”今のこの状況をガマンしても、離れたくない人は。 いる、かな・・・ ”
 
 
ミノリへ綴った自分の言葉を思い返していた。
 
 
 
 
  (・・・コンノと。 離れたくないな・・・。)
 
 
 
 
ハヤトの火照る頬に、秋の少し冷たい風が心地よい、たったひとりの帰り道。
 
 

■第22話 メアド

 
 
ハヤトを振り返り頬を染めるミノリを、目を細め眺めていたタケル。
 
 
 
 『ねぇねぇ。 ハヤトのメアド教えちゃるか~?』
 
 
 
ニヤニヤと白い歯を見せる相手に、ミノリは絶句して目を見開いた。
 
 
『アイツんこと、好きでしょー?』 言うと、ニヒヒ。とまだ笑っているタケル。
 
首をぶんぶん横に振り、最大限広げた両手の平を ”チガウチガウ ”と揺らす。
ミノリは全力で否定してみるも、夕焼けよりも赤い顔とあからさまな狼狽っぷりに
結局。完全完敗とばかり、小さく溜息をついてうな垂れた。
 
 
 
 『いつからー? いつからアイツんこと好きなのー?』
 
 
 
白旗を揚げたミノリへのタケルの攻撃は、更に威力を増す。
ニヤニヤと口許を緩ませながら、矢継ぎ早な質問攻めは止むことを知らない。

モジモジと口ごもりながら、ミノリが静かに口を開いた。
 
 
 
 『高1の最初に・・・

  見かけたの、ゴトウ君を。・・・公園で。
 
 
  もうその時から、目立っててモテてて。

  わたし、なんの興味もなかったんだけど・・・

  あー・・・ 別の世界の住人だなー、くらいの・・・
 
 
  ・・・そしたら。』
 
 
 
ミノリが思い出し笑いを堪えるように、目を細めた。
 
 
 
 『公園で、ひとりで。 こそこそ、鯛焼き食べてたの・・・。』
 
 
 
我慢しきれず肩を震わせて笑いだす。
 
 
 
 『お昼だって、まるで無気力ぶってパン食べてるけどさ。

  たまに必死におにぎり貰おうとしてるのとか、もう・・・。』
 
 
 
笑いすぎて目尻に溢れた雫を指先で押さえる。
そして、やさしく続けた。
 
 
 
 『なーにを、そんなに必死に隠してるのかなー、って。

  本音、もっと出せばラクになるのにー、って・・・。』
 
 
 
そう言って遠くを見つめるミノリを、タケルはどこか泣き出しそうな顔で見ていた。
 
 
 
 『コンノさんみたいなのが、ハヤトの隣にいてくれたらいいのにな・・・。』
 
 
 
そう呟くと、タケルはカバンに手を突っ込み、スマホを取り出した。
そして指先でスクロールして、ニヤリ笑いながら言った。
 
 
 
 『ほら、いくぞ!

  えむ おー えす・・・』
 
 
パチパチとせわしなく瞬きし、状況が呑み込めていないミノリに
 
 
 
 『ほれほれ! ハヤトのメアド、メアド!

  えむ おー えす・・・』
 
 
 
『ちょ。ちょっと待ってよ! ケータイ出すから・・・』 慌ててその場にしゃがみ込み
カバンの中にあるはずのケータイを探すミノリ。
 
 
『あった!ケータイ。 え? えむ、おー・・・?』 指先でそれを記録していた時
 
 
 
 
  ♪~♪♫・・・♪・・♪♪♪~♪♫・・・♪・・♪♪
 
 
 
 
タケルのケータイに着信。
メールアドレスは最後までミノリに伝えられないまま、途切れてしまった。

電話が長くなりそうな気配に、ミノリが小さく手を振って先に帰る意思を表す。
”ごめん ”と顔の前に手をやり、タケルが電話に戻った。
 
 
 
 
タケルのスマホ画面に表示されていた、ハヤトのメールアドレス。
 
 
 
 
    ”mosso _ g @・・・ ”
 
 
 
ミノリはそれを、この時はまだ、知らないまま。
 
 

■第23話 1億%の片想い

 
 
夜10時。

いつもの画面前に、ミノリことNH:グローブ。
電波の向こうで同じようにPCに向き合うのは、ハヤトことmosso。
 
 
 
  【グローブ】:わたし、もう、死期が近いんじゃないかと思うの。
 
 
 
突然の縁起悪い一行に、ハヤトがたじろぐ。
 
 
 
 
  【mosso】:え? どうゆうこと??
 
 
  【グローブ】:だって、最近ツキすぎてる。

         ”ツイてない ”が代名詞のわたしが、ツキすぎてるんだもん。

         ゴトウ君の隣の席になって、

         ゴトウ君と同じ実行委員になって、
         
         ゴトウ君とジュース買いに行って、
 
 
         今日なんか、聞いて!

         ゴトウ君が帰り道で、ちょっとだけ手振ってくれたんだよ!!
 
 
         もう、わたし・・・ そろそろ死ぬんだわ、きっと・・・
 
 
 
ド・ストレートな言葉に、ハヤトが照れ臭そうに俯いているのをミノリは知らない。
タケルとふたりっきりの帰り道で、どんな話をしていたのか気になっていたのが
この言葉で一気に、杞憂に過ぎなかったと頬を緩める。
 
 
そんなミノリが続ける。
 
 
 
  【グローブ】:わたし、真面目な話。 勉強ヤバいかも!

         隣にゴトウ君がいるってだけで、全然、勉強手につかない。
 
 
  【mosso】:一緒に勉強してみたら?w
 
 
  【グローブ】:無理無理無理無理ー!!

         過呼吸か呼吸困難になって、窒息死しちゃうよー!
 
 
 
 
  【mosso】:そんなに、好きなの・・・?
 
 
 
 
照れくさそうにはにかみながら、mossoとして訊いてみるハヤト。
 
 
 
  【グローブ】:好きだね~

         どうしようもないくらい好きなんだよね・・・
 
 
         1億%片想いなのにねww
 
 
 
 
ハヤトが俯いた。
暗い部屋でひとり、微かに頬を赤らめて俯いた。

そして、どこか悲しげにその表情は歪んでゆく。
 
 
 
 
  やめなきゃ・・・

  今、やめなきゃ・・・

  バレたら、コンノに嫌われる・・・

  嫌われたくない。 コンノだけには嫌われたくない・・・
 
   
  だから、今・・・

  今日で、終わりにしよう。 今日で、今日で終わりに・・・
 
 
  でも。

  でも。 もう、こうやって話せないのは、ヤだなぁ・・・

  コンノと、こうやってずっと。

  話してたいなぁ・・・。
 
 
 
 
流れる文字に泣きそうな目を向けるハヤトが、ひとり、うな垂れ溜息をついた。
 
 

■第24話 花火大会の夢

 
 
  【グローブ】:夏が終わっちゃったねぇ~
 
 
  【mosso】:うん。 秋だね
 
 
 
結局、ミノリとの会話をやめられずに、いつもの時間のいつもの場所に、ふたり。
ディスプレイに流れる文字を、互い、目で追いながら。
 
 
 
  【グローブ】:わたしね、理想のデートがあるんだw
 
 
 
唐突にはじまった、ミノリの理想とするデートのプラン。
ミノリは夜の窓から見える秋の月を眺めながら、気付けば過ぎ去ってしまった夏を思い返す。
 
 
PC画面をやさしく見つめるハヤト。自然と頬は綻び、口許は緩む。
 
 
 
  【mosso】:どんな?どんな?w
 
 
  【グローブ】:えーとね。季節は、夏ね。

         花火大会にふたりで行くの。

         わたしは浴衣着て。
 
 
  【mosso】:うんうんw
 
 
  【グローブ】:でもね、花火大会の会場には行かないで

         神社で待ち合わせするの。

         ウチの近くにある丘の上の神社。
 
 
  【mosso】:近所にあるんだ?神社。 2丁目?
 
 
  【グローブ】:そうそう。 2丁目の長い坂道上がってったトコの丘の上。
 
 
 
 
  (あれ・・・? わたし、mossoに自宅2丁目って話してたんだっけ?)
 
 
 
 
  【mosso】:で?w
 
 
  【グローブ】:浴衣で行くことは内緒にしておくのね。ビックリさせたいから。

         で、浴衣姿みて驚くでしょ?

         で・・・
 
 
  【mosso】:で?w
 
 
  【グローブ】:で・・・ 『可愛いじゃん』って、思ってくれるわけ。

         まぁ、実際可愛いかどうかは今は置いといて!
 
     
  【mosso】:www
 
 
  【グローブ】:でね。そう思ってくれたとしても、言わないでほしいの。
   
         こっそり思っててほしいの。

         でも、ちょっと顔には出ちゃってる、みたいな・・・

         そうゆう、なんてーの? わかる?ww 

         うわ。恥ずかしいw 今、リアルで顔あついから、わたし!
 
 
 
暗い部屋でひとり、ハヤトが声をあげて笑っている。
目尻には涙が。思わず、ひとりごちる。
 
 
『なんだよ、それ・・・。』 目を細め、画面の中の文字を愛おしく見つめる。
 
 
 
  【mosso】:PC前で爆笑中ww
 
 
  【グローブ】:わたしだって、mossoだから言えるんだからね!w
   
         こんな話、リアルだったら誰にも言えないよー!
 
 
  【mosso】:はいはい、わかったわかったw で?w
 
 
  【グローブ】:その神社の裏手にね、ちょっと大きい石ってゆうか岩があるの。

         周りは木で鬱蒼としてるのに、その岩の上にあがると

         丁度目の高さだけ枝の隙間が出来てて、街並みが一望できるの!

         ぁ、コレは、ほんとの話ね。 妄想じゃなくて。
 
 
  【mosso】:穴場、ってやつ?
 
 
  【グローブ】:そうそう!

         だから、そこからふたりだけで花火が見れるの。

         花火をふたりじめするの!

         ねぇ、中々よくな~い?w
 
 
  【mosso】:でも、よく発見したね? そんな場所。
 
 
  【グローブ】:うん。前にちょっと言ったけど、中学で学校行けなくなった時に

         よくひとりで行ってたの。

         そこからボ~っと景色眺めてると、なんか落ち着くんだ・・・

         オススメだよ! 誰にも教えたことないんだけどねw
 
 
  【mosso】:出来るといいね? 花火デートw
 
 
  【グローブ】:あははww 無理でしょ~。1兆%無理w
 
 
 
まっすぐ画面を見つめるハヤト。
文字を打つ表情は、どこか悲しげに。
 
 
 
  【mosso】:無理じゃないよ。
 
 
 
『無理なんかじゃない・・・。』 小さく声に出した。
 
 
 
机に突っ伏して、額をゴツンと打ち付ける。
キーボードから手をずらすと、机の上でゆっくり拳を握りしめる。
力が入りすぎて握る指先が少し白くなっている。ふっと、力を抜いた。
 
 
 
 
 『・・・でも。 どうしたら、いい・・・?』
 
 
 
 
小さく呟く声はあまりに弱弱しくて、窓の外で吹く強めの夜風の音にかき消された。
 
 

■第25話 学校祭前日

 
 
1ヶ月かけて準備した学校祭が、ついに明日に迫っていた。
 
 
 
学校祭前日。

実行委員の面々は、最終準備に忙しく廊下を駆けずり回っていた。
全ての準備が終わると、教室の壁掛け時計の針は夜の8時を指していた。

窓の外には、すっかり暗くなった空に顔を出すのを躊躇っているような
いざよいの月。
担当教師から、必ず2人以上で帰路に就くよう指示が出た。
 
 
その指示に、タケルがナナに向かい言う。
 
 
 
 『俺、ヨシムラさんに用事あっから。 送ってっからさー・・・

  ・・・だからーぁ。』
 
 
その目をハヤトに向け、
 
 
 
 『・・・コンノさん。 お前、たのむわ。』
 
 
 
あっさり言い捨て、クルっと振り返りハヤトに背中を向けたタケル。

ナナが笑いを堪えつつ目をすがめている事には気付いていたが、ニヒヒ。と笑顔を返し
ハヤトとミノリに見えないように右手でこっそりピースサインを作った。
 
 
 
ふたりで昇降口を出て、校門をくぐる。
”FESTA ”とカラフルに描かれた手作りのアーチが、暗いなか浮かび上がる。
校庭脇の通学路を進むと、角の自動販売機がぼんやりとそこだけ明るい。
 
 
 
 『逆方向なのに、ごめんね・・・。』
 
 
 
ミノリが申し訳なさそうに、呟く。
心苦しそうに、学校指定のカバンの持ち手を握り締めたり、持ち替えたり。
 
 
 
 
  (言うと思った・・・。)
 
 
 
小さく笑ったハヤト。 『全っ然。 気にしないでー。』

なるべく、やさしい口調で言ったつもりだった。
きっと、いつものそれだと素っ気なく聞こえて、ミノリは更に気にする。そうゆう奴だ。
 
 
その後はふたり、黙って歩いていた。
暗い道が逆に顔が見えなくて、ミノリにとっては好都合だった。
赤面してるかもと思えば思うほどドツボにはまってしまうのが、いつもの黄金パターンで。
 
 
暗くひと気のない静かな道に、北風が吹く。
街路樹のもうまばらな葉っぱが、強いそれに一瞬舞っておちた。

歩道の左側をミノリ、右側をハヤトが歩いていた。
すると、車道側のミノリのすぐ横を無灯火の自転車が、すごい勢いで突っ込んでは
追い抜いて行った。
 
 
瞬間、ハヤトがミノリの腕をつかみ自分の方に引っ張る。
寸でのところで、ミノリは自転車にぶつかるところを避けることが出来た。
 
 
 
 『っぶねぇな・・・。』
 
 
 
その自転車を遠く睨んで舌打ちをし、ふと視線を戻すと、そこには。
ハヤトの胸に引き寄せられ、あと数センチのところで互いの体が触れ合うまでの
距離で向き合っているミノリ。

ハヤトのアゴの下に、ミノリのふんわりやわらかいショートカットの頭が。
ほんのり鼻をくすぐるシャンプーのやさしい香りに、頬が熱くなる。

ミノリの腕を掴んだハヤトの左手が、それを、そっと離した。
そして所在無げな左手は、ミノリの背中に触れるか触れないかの辺りで
このまま抱きとめたいと切なく空を彷徨う。
 
 
 
おぼろげな常夜灯の灯りの下、想定外の急接近にかたまり何も言えないふたり。
 
 
 
 
  ドキン ドキン ドキン ドキン・・・

  どきん どきん どきん どきん・・・
 
 
 
どちらがどちらの鼓動なのか分からない。
一切触れてはいないはずなのに、体の熱さが伝わるようだった。
 
 
 
 『・・・ダイ、ジョーブ・・・?』
 
 
緊張して早まっている呼吸に気付かれないよう、ハヤトが少し顔を上に反らし訊く。
 
 
 
 
 (やばい。ちかい。やばい。ちかい。やばい。ちかい。ちかい・・・)
 
 
 
 
 『・・・ぅん・・・。』
 
 
じっと足元に目を落とすミノリ。
緊張しすぎて無意識のうちに呼吸を止めていた。
 
 
 
 
 (くるしい。くるしい。くるしい。くるしい。くるしい・・・)
 
 
 
すると、ミノリが我に返ったように後ろに数歩後ずさると、
『もう、家。すぐだから!』 と言い捨て、猛スピードで走って去って行った。
 
 
 
 『ぁ、あした・・・本番。 よろしくな・・・。』
 
 
どんどん暗闇に吸収されてゆく小さな背中に呼び掛けるハヤト。

等間隔で並ぶ常夜灯の心許ない灯りに、ミノリの背中が照らされて浮かぶ間
ずっとその場に立ち止まって見送っていた。

頬が熱くて、なんだか目まで染みるようだった。
 
 
 
 
息を切らせて駆けたミノリは、ハヤトから見えない所までやって来て角を曲がると
電柱に抱き付くように手を伸ばし、しがみ付いた。
ぎゅっと目をつぶり小さな拳で胸をおさえて、その場にうずくまる。
 
 
 頬があつい

 呼吸がくるしい

 心臓がいたい
 
 
 
 
   なんで・・・ ふつうに。 息が、出来ないんだろう・・・。
 
 
 
暗闇でもハッキリ分かるほど頬を染めたミノリが、目を潤ませて崩れ落ちていた。
 
 
 
 
ハヤトはひとり。ミノリの腕を掴んだ左手を見つめていた。
大きいはずのその手の平は、まるで子供のそれのようにぎこちなく震えていた。
 
 
 
     息って。 どうやって、するんだっけ・・・。
 
 
 
 
通学路の陰に隠れて、そんな様子をハルカが見ていた事に気付く余裕など
その時のふたりには有りはしなかった。
 
 

■第26話 終業式

 
 
季節は過ぎる。
イチョウの葉が木枯らしに揺れる暖色の秋は、肌を刺すような冷たい真っ白な冬に
変わっていた。

2-Aの教室。窓の外にはやわらかな綿のような雪が舞う。
葉が一枚もない木々の枝の焦茶色と雪の白色のコントラストが、どこか寂しげで。
 
 
窓側最後席のミノリ。
相変わらず、右隣を向けばハヤトがいた。
気怠そうに机に突っ伏すスタイルは変わらないものの、その顔は左側を向いて寝ている為
ミノリが右を向くと常にバッチリ、ハヤトの寝顔が目に飛び込んでくる事になるわけで。
 
 
 
 
  (キンチョーするから、せめてアッチ向いてくれないかなぁ・・・。)
 
 
 
 
チラチラ横目で右隣を確認しているミノリを、ハヤトがこっそり薄目を開けて見て
いるのは気付かれていないようだった。
 
 
 
12月は師が走る。
期末試験が終わったと思ったら、驚くほど早く2学期の終業式の日が来た。
 
 
冬休みに入るという事は、当たり前だが学校には来ないという事だ。
学校に来ないという事は、互いに顔を合わせることがないという事で。
 
 
 
 会えない。

 しばらく、会えない。
 
 
 なにか口実をさがす。

 会うための、口実を。
 
 
 例えば何かを貸す、とか。

 借りる、とか。
 
 
 なにか。

 なにか、適当な理由がほしい。
 
 
 なんでもいい。会うための理由が。 ほしい、のに・・・
 
 
 
結局互いになにも切り出せないまま、ミノリは机の上にカバンを置き立ち上がると
ミトンの手袋をはめてマフラーを首元にふんわり巻き、少しだけ俯いた。

そして、マフラーを少しずり上げて口許を隠すと、恥ずかしそうにハヤトに目を向ける。
 
 
 
 『じゃあね、ゴトウ君・・・ よいお年を・・・。』
 
 
 
年の最後の最後に勇気を振り絞って、ミノリはハヤトに声を掛けた。
小走りで駆けて教室を出てゆく濃紺ピーコートの背中を、ハヤトはただ黙って見ていた。
 
 
思わず、立ち上がりその背中を追い掛ける。
勢いよく立ち上がった為、イスが後方に引っくり返り教室内に大きな音を響かせた。

靴箱前でムートンブーツに手をかけるミノリへ、声を掛けようとしたその時。
 
 
 
 『ハヤトぉぉぉおおお!!!』
 
 
甘ったるい鼻に掛かったハルカの声が、廊下向こうから呼び掛けている。
聴こえなかったことには出来そうにない、その甲高い声。

一瞬、靴箱手前で立ち竦むハヤトに目を遣ったミノリが、その声に俯き、顔を背けた。
そして、雪がしんしんと降る中、赤い傘を差して足早に駆けて行ってしまった。
 
 
 
 
その赤い傘を見ていた。

真っ白い景色に、溶けて、消えて、なくなってしまうんじゃないかと思うほど
その赤色は寂しげでちっぽけだった。
 
 

■第27話 最後と始め

 
 
大晦日。
年越しの準備に慌ただしいコンノ家の夕方のキッチン。
 
 
母親の隣に立つエプロン姿のミノリ。
重箱に詰められていく料理は、昆布巻きや黒豆、なます。うま煮は母親の十八番のひとつで。

そんな中、ミノリは玉子焼き用のフライパンを熱し、やや多目のサラダ油を敷いていた。
ミノリの一番得意なもの。 ”出汁巻き玉子 ”
毎年、出汁巻きだけはミノリが担当していたのだった。
 
 
その夜の夕食は、家族ですき焼きをつつき、除夜の鐘が鳴る頃までは家族各々が
テレビを見たり、お風呂に入ったり、ゆったりした時間を過ごしていた。
 
 
 
ミノリは夕飯を済ませると、慌てて自室へ上がりPCの電源を入れる。
 
 
 
  【グローブ】:ごはん食べた?
 
 

せめて大晦日ぐらいはちゃんと母親と一緒にいるのか心配になり、訊くミノリ。
 
 
 
  【mosso】:うん。食べたよ。
 
 
 
母親は仕事絡みで出掛けていた。

その朝の食卓テーブルには、1万円札が3枚、高級クリスタルグラスで押さえられていた。
正月三が日あたりまで、これでやり過ごせという事のようだ。
 
 
ミノリが少し悩み、訊いていいものかどうか間をおき、訊ねる。
 
 
 
  【グローブ】:お母さんは・・・?
 
 
 
暗い部屋で画面に向かうハヤトが、小さく笑った。
 
 
 
  【mosso】:仕事じゃない?w
 
 
 
『ほんとは笑ってないくせに・・・。』 mossoの ”w ”を睨み、小さく呟くミノリ。
静かな部屋にポツンとひとり、背中を丸めるmossoを想像する。
 
 
 
  【グローブ】:ねぇ、出汁巻き玉子って好き?
 
 
  【mosso】:出汁巻き玉子・・・? うん。なんで??
 
 
 
その返答にミノリが画面を見つめ微笑んだ。
 
 
 
  【グローブ】:わたし、チョー得意なの! これだけは自信あるの!!
 
 
 
そして、ミノリが続けた。
 
 
 
 
  【グローブ】:うちに食べに来ない?w
 
 
 
 
画面を凝視するハヤト。
目を見開き、少し震えるノドでゆっくり息をする。

ミノリは、大晦日にひとりでいる自分を心配している。
心配してくれている。
誰かも分からないmossoという人間を、ここまで気に掛けてくれている。
 
 
 
  行きたい・・・

  行きたいよ・・・
 
 
  出汁巻き玉子、食いたいよ・・・
 
   
  コンノに。 

  コンノに、会いたいよ・・・
 
 
 
うな垂れ、口許に拳をあてて目をすがめる。
涙が溢れそうな目。

咄嗟に上を向いて、その雫がこぼれないよう堪えたつもりが、それは目尻から
呆気なく伝い流れた。
 
 
 
  【mosso】:行けたら、ほんとに行くのになw

          ありがとう・・・
 
 
 
 
ミノリは、階下リビングでの家族の団欒には戻らずに、ずっとPCの前にいた。

電波向こうのmossoと、ずっとふたりで他愛ない会話を交わしていた。
ハヤトもそれに気付いていた。
しかし、どうしてもミノリと一緒にいたくて ”家族はいいの? ”という一言は言えず・・・
 
 
 
時計の針が11時59分を指していた。
 
 
 
  【グローブ】:今年いちねん、ありがとうw
 
 
 
次の瞬間、00分に変わった。
 
 
 
  【グローブ】:新年も、よろしくね~w
 
 
 
年の最後と、年の始めに。
ミノリと一緒にいた。

数年ぶりに、ひとりぼっちではない大晦日と元旦だった。
 
 
 
震える指先で、ためらいながら文字を打つ。

この4文字を見たら、ミノリは驚くだろうか。
広い意味で解釈してくれるだろうか。
でも、伝えたくて伝えたくて、仕方がなかった。
 
 
 
 
  【mosso】:好きだよ
 
 
 
 
画面にこの一行が表示されて、すぐ。
考える時間も、悩む時間もなく。さも当たり前のように。
ミノリが返す。
 
 
 
  【グローブ】:わたしもー! 大好きだよ、mosso!!ww
 
 
 
 
後悔という名の重い雪が、ハヤトの胸に静かに静かに降り積もる。
 
 

■第28話 始まり 

 
 
それは、気が付いたら少しずつ少しずつ始まっていた。
 
 
 
朝。 ミノリが登校し、靴箱に手を入れるとパンの空袋が入っていた。
『ん??』 然程気にせず、それを昇降口横のごみ箱に捨て、教室へ進んだ。
 
 
とある日。教室の自席の机から教科書を取り出そうとしたところ、
それが見当たらない。体を屈め引出しの奥まで確認するも、ノートはあるのに
教科書がない。 

『あれ・・・? 持って帰ったっけ?』 ひとりごちるミノリに、右隣のハヤトが
目を向け首を傾げる。
 
 
 
 『・・・忘れたの?』 
 
 
 『ぁ、うん・・・ そうみたい。』
 
 
 
ミノリがそう返すと、ハヤトが自分の机の端に手を掛け少し持ち上げてミノリの
それにぴったり寄せた。
目を白黒させるミノリなど構わず、『ないと困んじゃん。』 一言ハヤトは呟いた。
 
 
一列ずつ並ぶ机の列に、窓側最後方のそれだけ2つ、くっ付いて並ぶ。
 
 
始業のチャイムに担当教師が教室に入ってくると、ハヤトがすぐ手を挙げた。
 
 
 
 『教科書忘れたんで、隣に見してもらいマース。』
 
 
 
ミノリが赤い顔をしてハヤトを見ると、チラっと一瞬目線だけ寄越してほんの少し
口許を緩めて笑った。
慌てて窓側を向くミノリ。
耳がジリジリ赤くなる音を聴いていた。
 
 
 
 
廊下側の席のハルカが、冷酷な目でミノリを睨んでいた。
 
 
 
 
 
  【グローブ】:なんか、最近。わたしの気のせいかもしれないんだけど

         なんか、なんてゆうか。 変なんだよね・・・
 
 
 
ハヤトはその言葉に心臓が縮み上がる。
mossoの正体に気付き始めてしまったのだろうか・・・
 
 
恐る恐る指先を進める。
 
 
 
  【mosso】:どんなふうに?
 
 
  【グローブ】:靴箱にごみが入ってたり、とか・・・ 間違っただけかもだけどね?

         そういえば、教科書も行方不明だし。

         廊下歩いてたら、誰かとすれ違った時に ”中の中のくせに ”って

         言われたw ヒドイ・・・。 でも反論できないww
 
 
 
 
  (なんだそれ・・・ あきらかに嫌がらせじゃんか・・・。)
 
 
 
 
  【mosso】:反論しろよ!!
 
 
 
 
  (ぁ。ヤベ・・・ 口調、荒かった・・・。)
 
 
 
 
  【mosso】:他には? なんかされてないの??
 
 
  【グローブ】:関係あるかどうか分かんないけど・・・

         ゴトウ君の最強カノジョが、最近すごい睨んでくる気が・・・
 
 
 
 
   (・・・・・・・・・・。)
 
 
 
 
  【グローブ】:ほら、最近さ。

         席も隣だし、実行委員とかも一緒だったし、そうゆう系?で

         なんか・・・ まぁ、そりゃ嫌だよね? カノジョだもん・・・

         申し訳ない、ほんと・・・
 
 
 
画面前で溜息をつき、うな垂れるハヤト。
その顔は悲しそうに歪んでいる。
 
 
 
  (俺が、ハッキリさせないからだ・・・。)
 
 
 
 
  【mosso】:ごめん。
 
 
思わず謝ってしまった。
慌てて追加入力する。
 
 
 
  【mosso】:なんにもしてあげられなくて、って意味。

          こっちは色々グチ聞いてもらってんのに。
 
 
  【グローブ】:なに言ってんの~w

         色々聞いてもらってんの、わたしじゃんw

         まぁ、大丈夫だよ。 気のせいかもしれないしね~
 
 
 
 
この時のミノリは、然程深刻には考えていなかったのだった。
 
 

■第29話 2月がやってくる

 
 
年が明け、気が付けばもう1月が終わろうとしていた。
 
 
 
冬の窓は、四角い枠の隅が結露で薄く白く凍っている。
紅茶のカップから立ち込める湯気と窓外の真っ白い景色に、室内外の温度差が表れている。
 
 
どことなくソワソワした感じで、mossoに問い掛けるミノリ。
 
 
 
  【グローブ】:ねぇ・・・ 1月が終わるね。


  【mosso】:そうだね。
 
 
 
電波向こうで二の句を継ぐのを待つハヤト。
 
 
 
  【mosso】:どした?
 
 
  【グローブ】:2月っていうとさ・・・ ほら。
 
 
 
ハヤトが少しだけ嬉しそうな顔を画面に向ける。

口許に手をやり、笑っていることが見えないように隠してみる。
勿論、相手には見えてなどいないのに。
 
 
 
  【mosso】:ん??
 
 
 
分かっているのに、気付かないフリをした。
 
 
 
  【グローブ】:わたし、去年もちゃんと手作りしたのに、渡せなかったんだ・・・

         チョコ。 2月といったら、バレンタインでしょー!
 
 
 
肩をすくめてハヤトが頬を緩める。
ぼんやり、去年の2月14日を思い返してみた。
 
 
 
 
  (てゆうか、去年もくれようとしてたのか・・・。)
 
 
 
 
照れくさいのと嬉しいので、頬の緩みがとめどない。
 
 
  【mosso】:今年はどうすんの?w
 
 
 
暫く、ミノリからの返事はなかった。
悩んでいるという事らしい。
 
 
 
  【グローブ】:だって、ほら。 最強カノジョがいるしさ・・・
 
 
  【mosso】:大丈夫だって!
 
 
 
ハルカとは今すぐにでも別れようと思っているハヤト。

きちんと整理をして、この ”グローブ ”との会話もフェードアウトして、
ミノリと向き合おうと、そう決めていた。
 
 
 
  【mosso】:手作りするの?w
 
 
 
なんとか、バレンタインのチョコを渡す方向へ導きたい。
ミノリが頬を染めながら手作りチョコを差し出してくれるシーンが、脳裏に浮かぶ。
 
 
 
  【グローブ】:でもさ・・・

         ”手作り ”って抵抗あるって話、どっかで聞いたことあるんだよねー
 
 
  【mosso】:そんなことない!! 絶対、嬉しいはず!!
 
 
 
なんだか今日のmossoは積極的だ。
小首を傾げながら、ミノリは会話を続けた。
 
 
 
  【グローブ】:作るは、作るけどさ・・・

         いつ、どうやって、どこで渡そう・・・
 
 
 
自信なさげなのが顔を見なくなって手に取るように分かる。
ハヤトが笑いながら返した。
 
 
 
 
  【mosso】:最強のバレンタイン大作戦を考えよう!w
 
 

■第30話 バレンタイン大作戦

 
 
 
  【mosso】:まず、どうやって呼び出す?
 
 
 
なんだか、いつになく乗り気のmosso。
PC画面に顔でもくっ付けてるんじゃないかというくらいの、身の乗り出し様。
 
 
 
  【グローブ】:直接どこどこに来て、とは。 わたし、言えないよ・・・
 
 
  【mosso】:じゃぁ、手紙を靴箱に入れたら?
 
 
 
  【グローブ】:そうだね・・・ そっちの方がまだ、マシ・・・

         あああ・・・ 考えただけで緊張する。 多分、無理・・・
 
 
  【mosso】:ごーほい。でしょ!!
 
 
 
 
 (mossoどうしちゃったの・・・? テンション高すぎ・・・。)
 
 
 
 
  【グローブ】:まぁ、そうだね。 ごーほい、だね・・・
 
 
  【mosso】:で? どこで渡す?
 
 
  【グローブ】:きっと2月14日は、どこも人が多いと思うんだよねぇ・・・

         どっか、人があんまりいないトコって無かったかなぁ・・・
 
 
 
暫し、ふたりで考えあぐねる。
 
 
 
  【mosso】:例の、神社は??
 
 
  【グローブ】:ゴトウ君、知らないもん・・・
 
 
 
そうだった。
知っているのは、ハヤト扮するmossoであって、”ハヤト ”は知らない事になって
いるんだった。
 
 
 
  【グローブ】:あ! 公園がいいかも!!
 
 
  【mosso】:公園??
 
 
  【グローブ】:うん、公園w わたしがゴトウ君を好きになった公園があるの!

         クールぶってるくせに、こっそりひとりで鯛焼き食べてた公園があるの!w
 
 
 
その一行に、ハヤトが赤面する。
 
 
 
 
  (え? 知らないぞ、初耳だぞ。 そんなの・・・

   いつ見られてた? ってゆうか、鯛焼きキッカケって・・・ ハズい・・・。)
 
 
 
 
  【mosso】:いいんじゃない?
 
 
  【グローブ】:そうだね! そうする!w 

         鯛の形のチョコにでもしようかなww
 
 
 
ハヤトが画面を見つめ、頬を赤らめて不満顔を向ける。
 
 
 
  【mosso】:あんまりからかったら、不貞腐れるかもよ?
 
 
  【グローブ】:そうだねww
 
 
 
 
画面を見つめるミノリが、声を出して笑っていた。
 
 

■第31話 疑念

  
 
自席の机の前で、呆然と立ち尽くすミノリ。
 
 
 
机の上には、ごみ箱をひっくり返したようなごみの山。

ごみに混じって、行方不明だったミノリの教科書がマジックペンで落書きされて
出た来た。 無くなった事に気付いてさえいなかった筆記用具まで、ひどく汚れて
ごみにまみれている。
 
 
 
  声が出なかった・・・
 
 
 
ショックでぶるぶる震える手で口許を覆う。
目には涙が溢れ、その場に立っているのでさえつらい。

慌ててナナが駆け寄り、ミノリの肩を掴んでやさしく支える。

クラスメイトが遠巻きに見ているところへ、ハヤトが教室に足を踏み入れた。
教室後方は人だかりでよく見えないが、何かあった様子だ。
一瞬ハルカの横を通り過ぎる時、小馬鹿にするような嫌な笑い声が耳に付いた。
 
 
 
そして、ハヤトの目に入ったもの。
 
 
 
 『・・・・・・・。』
 
 
 
慌てて駆け寄り、素手でミノリの机の上のごみをどける。
ごみの中から教科書を掴むと、自分の制服の袖口で表紙をぬぐい大きな汚れを除いた。

尚も、無言でごみの山に手を突っ込む。
その手は汚れ、濃紺のブレザーの袖口が濡れて嫌な匂いが浸みこんでゆく。
 
 
そのハヤトの姿を、見つめるミノリ。
涙が次から次へと毀れおちる。
震えがまだ、おさまらない。
 
 
 
すると、ハヤトが野次馬をかき分け、ハルカが足を組んで座る席の前に立った。
 
 
 
 『・・・お前、いい加減にしろ。』
 
 
 
低くうなるような声色に、ハルカが一瞬たじろぐ。

『はぁ? なに??』 顔を引き攣らせながら半笑いで足を組みかえ、長い髪の
毛先を指でもてあそぶ。
 
 
 
 『靴箱にごみ入れたり、教科書隠したり。

  やる事が小学生なんだよ・・・ 言いたいことあんなら、俺に言えよ。』
 
 
 
俯き泣きじゃくっていたミノリが、一瞬、動きを止める。
 
 
 
 『 ”中の中 ”・・・?

  どんだけお前はエラいんだよ。 どんだけお前は ”上 ”の人間なんだよ。』
 
 
 
両手で顔を覆っていたミノリが、顔を上げる。
ダラリ、力が抜けたように両手が垂れ下がる。

そして、ハヤトへ向け目を見張り震えた。
 
 
 
 
  (なんで・・・

   なんで、その事。 ゴトウ君が知ってるの・・・?

   わたし、mossoにしか言ってないのに・・・

   mossoに、しか・・・
 
 
 
   ・・・mossoって・・・・・ 誰・・・? )
 
 
 
 
 
放課後の教室。
 
 
ハヤトは静かに言った。

 『別れたい。 もうずっと。好きなヤツ、いるから・・・。』
 
 
 
するとハルカが真っ赤になって激昂した。

 『絶対イヤっ! なんであんな ”中の下 ”の地味な子に負けなきゃいけないの!!

  バっカじゃないの? っざけないで・・・』
 
 

■第32話 その日

 
 
それ以来、ミノリは頭から疑念が消えることはなかった。
 
 
 
過去ログを最初から読み返してみた。

何度も何度も。
繰り返し繰り返し。
 
 
すると、最初 ”女の子 ”だと勝手に思い込んだそれは、途中から違和感を憶えた。
まるで近くにいるような親近感も、こうなるとやけに現実味を帯びる。
そして、ミノリの自宅が ”2丁目 ”だと知っていた。
 
 
 
 
  (mossoって・・・ ゴトウ君の、知合い・・・?)
 
 
 
そう思った瞬間、ミノリの頭に浮かんだ顔。
 
 
 
 『・・・アイザワ・・・君・・・?』
 
 
 
ハヤトの小学校からの友達、タケルが思い浮かぶ。

ミノリに ”ハヤトが好きか ”訊き、
”メアドを教える ”と言い、
”ハヤトの隣にいてくれれば ”と呟いた、あのタケルが・・・
 
 
合致した。
全て合致した気がした、のだが・・・
 
 
 
翌日の教室で、タケルがクラスメイトと楽しそうに話す声。
ミノリは耳をそばだてていた。

すると、家族の話をしている様子だ。
 
 
 
 『昨日、父ちゃんとチャンネル争いでめっちゃケンカしたー

  母ちゃんはやったら父ちゃんの味方すっし、超ムっカつくわー・・・』
 
 
 
 
  (あれ・・・? アイザワ君、じゃない・・・?)
 
 
 
 
 
疑念が消えないまま、2月14日を迎えた。
 
 
あれ以来、なんとなくmossoとの会話は避けていた。
胸になにか引っ掛かるものはあるものの、ミノリは予定通りチョコを作り
早目に登校してハヤトの靴箱に震える手で手紙を入れ、1ミリもハヤトの方は
向くことが出来ないまま心此処に在らずといった面持ちで、その日の放課後を
迎えようとしていた。
 
 
5時限目が終わった短い休み時間のこと。
タケルがハヤトの元へ不機嫌そうに、駆け寄った。
 
 
 
 『ヤっちゃったー・・・ ケータイ、水没しちまったー・・・

  ちょ。 お前のケーバンとメアドだけ教えといてー

  確か、メアド・・・ モッソなんたら・・・ だよな??』
 
 
 
その声に。
ハヤト隣席のミノリが、一瞬、固まった。
 
 
 
 『モッソ アンダーバー ジー、だっけか??

  えむ おー えす えす おー で、いいんだよな?

  ・・・DoCoMoだっけ? Auだっけ??』
 
 
 
 
静かに静かに、ミノリがハヤトの方を向く。

ゆっくり、瞬きをする。
乾いた唇を少しつぐんで。
それは、まるでスローモーションのように。
 
 
ハヤトが真っ青な顔をして目を見開き、俯いている。
机の上に置いた拳が微かに震える。
タケルの声にも全く反応しない。
 
 
 
 
それが、ミノリの ”疑念 ”への明確な答えになっていた。
 
 
 
 
 
 『・・・・・・・・・・・・嘘、でしょ・・・。』
 
 
 
ミノリが、ひとり、かすれた声で呟いた。
 
 

■第33話 明かされた答え

 
 
ミノリはまだ信じきれない面持ちで慌てて自宅へ帰ると、PCを立ち上げた。
 
 
 
”mosso ”というワードを検索してみる。
 
そこに、表示されたもの。
 
 
 
 
  ≪mosso≫

  音節 mos • so 発音 mɑ'sou | mɔ'sou

  [副]《音楽》速く
 
 
 
 
 ”後藤 速 ”(ゴトウ ハヤト) ・・・mosso :音楽用語で ”速 ”
 
 
 
静まり返った部屋で、ミノリがひとり、嘲った。
 
 
 
 『・・・本人、だった・・・。

  本人が・・・ 面白がって、会話してたんだ・・・。』
 
 
 
 
 
今日渡すはずだった、バレンタインのチョコレート。

4回作り直しをして、やっと満足いくものが出来ていた。
ラッピング用品も3軒ハシゴして選び、靴箱に入れる手紙は何度書き直したか
分からない程だった。
 
 
今朝。
いつもより1時間早く登校し、ハヤトの靴箱の前でどのくらい立ち竦んでいただろう。

右手に握る手紙を、靴箱の中のどの辺りに入れるかで散々悩んだ。
手前だと目立ちすぎるし、あまりに奥だと気付かれないかもしれない。
靴の中に刺すように立ててみたり、靴の間に挟んでみたり。
 
 
 
 
今日渡すはずだった、バレンタインのチョコレート。

学校指定のサブバックからその赤い包みを取り出すと、机の隅に置いてあるごみ箱の
前で立ち竦んだミノリ。

両手で思いっきりそれを握りつぶす。
そしてごみ箱に叩き付けようと両腕を振り上げ、動きを止めた。
 
 
赤い包みを握る両手は震えていた。
俯き、苦しそうに顔をゆがめ、口をぎゅっと強くつぐむ。

涙が次から次へととめどなく流れ、胸を切り裂くような嗚咽が切なく漏れた。
 
 
 
 『・・・・・・ひどいよぉ・・・・・・。』
 
 
 
その場に崩れるようにしゃがみ込んたミノリの手には、捨てられなかったチョコレートが
ひしゃげて形を変え、悲しげに歪んでいた。
 
 
 
 
 
薄暗い公園のベンチに、ポツンと。ハヤトの姿。

コートのポケットには、大切そうに宝物のように、今朝靴箱から取り出した手紙。
名前は書いてはいないけれど、ミノリらしい丁寧な文字がそこには在った。
 
 
来るはずのない姿を待って。
渡せるはずのないプレゼントの包みを片手に。
 
 
雪を払って座ったベンチは、ハヤトを芯まで冷やす。
鉄棒に横一列に積もっている白い雪。
滑り台の階段にもそれはこんもり新しく積もり、誰も上っていないのが見て取れる。
 
 
公園入口からベンチまで、自分の足跡しか付いていない。
どのくらい待てば、他の足跡は付くのだろうか。
どう謝れば、ミノリの足跡を付けることが出来るのだろうか。
 
 
 どう、謝れば・・・

 どう、説明すれば・・・

 どう・・・。
 
 
 
ハヤトの頭に、ダッフルコートの肩に。冷たく重いものが降り積もっていた。
 
 

■第34話 踏切

 
 
翌日、ミノリは学校に登校しなかった。
 
 
 
主のいないハヤト左隣の席。
クラスメイトの殆んどが、それをなんとも思っていないようだった。
みんなにとっては然程変わりの無い、いつもの教室の、いつもの風景だった。

ミノリのいない左側だけ、まるで腕をもぎ取られた様に哀しく痛む。
左隣席とハヤトの心にだけ、底を見出せそうにない穴が仄暗くぽっかり空いていた。
 
 
 
ナナから無理矢理ミノリの家の場所を聞き出す。
終業のチャイムと同時に教室を飛び出し、廊下を抜け昇降口へと駆けた。

校庭脇の雪積もる通学路を抜け、T字を右折し、駅前を過ぎて2丁目へ向け
電車の踏切に差し掛かった、その時。
 
 
 
 
踏切向かい。

ミノリの姿を見止めた。
 
 
ミノリもハヤトに気付き、哀しそうに固唾を呑んで立ち尽くしている。
 
 
 
ハヤトが一瞬その姿に目を見開いてたじろぎ、しかし慌てて踏切を渡ろうとしたその刹那、
耳ざわりな警報音が鳴り響き、遮断機が下りはじめた。

走れば15秒も掛からないミノリまでのその距離が、無情にも黄色と黒色のそれに
立ちふさがれる。
 
 
 
 
 『コンノォォオオ!!』
 
 
 
  聞いてほしい。

  どうか話を聞いてほしい。

  謝らせてほしい。
 
 
 
その一心で、その名を叫んだ瞬間。 電車がスピードを上げて目の前を通過する。
 
 
 
  ガタンガタン ガタンガタン ガタンガタン ガタンガタン・・・
 
 
 
永遠かと思うような、その堰き止められた時間。
浅い呼吸。震える唇。潤んでゆく瞳。

そして、電車が過ぎ去る。
遮断機上がる踏切向かいには、もう、ミノリの姿はなかった。
 
 
 
 
 
自宅のPC前で、毎夜見つめていた画面を開く。
しかし、そこにも当たり前にミノリの姿はない。
 
 
待った。
待った。
待った。
 
 
もしかしたら、一瞬でも気が向いて来てくれるかもしれないとの期待を込めて。
どんなに責められても、恨み言でも、なんでもいい。

ただひたすら、ミノリがサインインする事を願って。
 
 
しかし、夜更けすぎた頃。
それは身勝手な独りよがりにすぎないと、痛いほど思い知らされた。
 
 
ミノリは来なかった。

ミノリとは話せなかった。

ミノリに、嫌われてしまった。
 
  
 
 
  繰り返しだ。

  どうせまた繰り返すだけ。 前に戻っただけ。

  ミノリが傍にいなかった時に、戻っただけだ。

  誰にも心を開かず、誰にも本音を言わないあの頃に。
 
 
  繰り返すだけ。

  繰り返す・・・
 
 
 
 
  ・・・・・・繰り返したく、ない、な・・・・・。 
 
 
 
両の拳で思いっきり机を叩きつけた。
静まり返った暗い部屋に、ハヤトの心が軋む音が悲しく響く。
 
 
 
ログイン状態を非表示にし、ミノリがサインインして悲しそうに画面を見つめて
いた事などハヤトは気付けるはずもなく・・・
 
 

■第35話 一番、正直で

 
 
その翌日。

ハヤトが重い足取りで登校すると、ミノリが既に席に着いていた。
しかし、その顔は窓の外を向き、微動だにしない。
 
 
 
 『・・・コンノ。』
 
 
小さく呼び掛けるも、窓の外へ向ける目がハヤトを捉えることはなかった。
 
 
 
 
放課後。

その日一度もハヤトの方を向く事がなかったミノリが、コートを着込みカバンを
持つと足早に教室を出てゆく。
 
 
立ち上がり、追い掛けた。
靴箱へ向かう生徒で騒がしい廊下を駆け、慌てて靴を履き替え、赤い傘を差して
雪の中をまっすぐ進むミノリを追い掛けた。

『コンノ!!』 そう呼び掛けて後ろから強引に肩をつかみ、歩みを止めさせる。
すると、ゆっくり振り返ったミノリの頬には涙が伝っていた。
 
 
思わず、目を伏せるハヤト。
 
 
 
 
  (泣かせてしまった・・・。)
 
 
 
 
ハヤトの目にも涙が滲み、その顔を見たミノリの目から更に大粒の雫が落ちる。

ミノリの肩を掴んでいた手が震え、ダラリ。力無く滑り落ちた。
ふたり俯いたまま、互いに二の句を継ぐことが出来ず、立ち尽くす。
 
 
 
 『・・・話、聞いてほしい・・・。』
 
 
 
やっとのことで絞り出したハヤトの震える弱弱しい声は、ほろほろと舞い落ちる牡丹雪に
溶けて消えてしまいそうだった。
 
 
 
 
 
公園に、ふたり。

ミノリがハヤトを好きになったキッカケの、その場所。
バレンタインのチョコレートを渡そうとした、その場所。
そして。ハヤトがひとりミノリを待った、その場所。
 
 
泣きはらしたミノリの目も頬も、真っ赤で。
吐く息は外気の冷たさに、心細げに白く流れる。

俯くハヤトが、言葉を選びながら、ひとつずつ話しはじめた。
 
 
 
 『ごめん・・・
 
  途中で気付いた時には、言い出せなくなってて・・・

  何度も何度も。 やめようと、思って・・・

  でも、コンノとの遣り取りが。 楽しくて・・・
 
 
  家の問題で凹んでる時も、

  コンノと話すと。気が、晴れた・・・

  ”頑張れ ”じゃなくて ”ごーほい ”ってゆってもらえた・・・』
 
 
 
ハヤトが涙でつまる。
ミノリは黙ったまま何も言わない。
 
 
 
 『”ごーほい ”って・・・

  ”ごーほい ”ってゆってもらえて、泣けた・・・
 
 
  ほんとは・・・ やめたくなかった。

  やめたくなくて、話せなくなるのがイヤで。

  どうしたらいいか、ずっと・・・ 考えて・・・』
 
 
 
ハヤトの頬に涙が伝う。
ミノリの頬にも再び雫がこぼれる。
 
 
 
 『ほんとは、怖かった・・・

  コンノに嫌われるのが、怖かった・・・
 
 
  でも、それより。

  泣かすことが。 傷つけるのが怖くて・・・

  コンノが泣くの、見たくなくて・・・ 言い出せなかった。』
 
 
 
ミノリが両手で顔を覆い、泣いている。
 
 
 
 『ごめん、コンノ・・・

  俺。 言い出せなかった・・・

  ふたりで話すのが、どうしようもなく・・・ 楽しくて。

  ただ・・・ 傍にいてほしくて・・・
 
 
  素直になれたから・・・ 一番、正直でいられたから・・・。』
 
 
 
肩を震わせて、ハヤトが泣いている。

握り締めた拳に、涙の雫が落ちてはその形がゆがむ。
寒空の下、手袋もしないその拳は真っ赤に凍えて。
 
 
 
すると、ミノリがゆっくり顔を上げた。
潤んだ真っ赤な目でハヤトを見ると、ひとこと。 悲しげに微笑んで、呟いた。
 
 
 
 『もう、いいよ・・・。』
 
 
そして立ち上がると、ゆっくりと歩き出した。
ハヤトに背中を向けて、小さく足跡をつけて。
まっさらな雪を踏みしめる音を、白い世界に響かせて。

その背中は、決して振り返ることはなかった。
 
 
 
 
 
そして、ふたりは3年に進級し離れ離れになった。
 
 

■第36話 信頼

 
 
それからふたりは、直接会話をすることも、電波を通してすることも一切なくなった。
 
 
 
3年に進級し、クラスは離れてほぼ接点はなく。
ただ同じ廊下並びに教室がある、というだけだった。
その教室さえも、A組とD組で端から端。
A組のハヤトは東側の階段を使い、D組のミノリは西階段が近かった。
 
 
しかし、まるでその距離を埋めるかのように、互い、その目は相手を探し彷徨う。

廊下ですれ違うとき、全校集会で体育館に集まるとき、昇降口を出てゆくとき。
校庭で、音楽室で、美術室で。
その背中を、その歩く姿を必死に探し、目で追った。

しかし、互いに目が合いそうになると決まって哀しげに目を逸らした。
逸らすたび、その胸は熱に似た痛みを帯びた。
 
 
風の噂で、あれ以来ハヤトは誰とも付き合ってはいないようだった。
ハルカとモメにモメてやっと別れた後は、また以前同様、学年トップレベルの女子が
放課後にハヤトを呼び出したが、すべての告白を断っていた。

『好きな子がいるから。』 という理由で断っていることなど、ミノリは知りはしなかった。
 
 
 
 
 
それは。アカシアの白い花が枝から垂れ下がり芳香を放つ、初夏。
 
 
3年でも同じクラスになったタケルが、神妙な面持ちでミノリに話し掛けてきた。
それはどこか遠慮しているようで、しかしどうしていいか分からずオロオロして。
 
 
 
 『こんな事コンノさんに話していいのかどうか、アレなんだけど・・・』
 
 
 
『なに?』 ミノリが小首を傾げる。
 
 
 
 『アイツが・・・ハヤトが、学校来てないみたいなんだ。

  まだ1週間まで経ってはいないみたいなんだけど・・・
 
 
  なんか、クラスの奴が職員室で、

  アイツんトコの担任が

  ”協議離婚が云々 ”て話してた、とかゆってて・・・』
 
 
 
ミノリの顔色が変わった。
眉間にはシワが寄り、途端に胸が締め付けられる。
 
 
 
  (ついに、ご両親の離婚が決まったんだ・・・。)
 
 
 
 
 
 
自室でひとり。ミノリはタケルの言葉を思い返していた。
 
 
 
 『アイツ、なんにも自分のこと言わないんだ・・・

  俺、小学校からの付き合いなのに。

  アイツの親が離婚しそうなんて、まったく聞かされてなかった・・・

  いっつも、本音隠して、ひとりで我慢して・・・』
 
 
 
 
 
   ”家の問題で凹んでる時も、

    コンノと話すと。気が、晴れた・・・ ”
 
 
ハヤトが涙をこぼしながら呟いた言葉が、浮かぶ。
  
 
 
  ”素直になれたから・・・ 一番、正直でいられたから・・・。 ”
 
 
 
 
 
最後にタケルが言った一言。
 
 
 
 『アイツが、もし、自分のこと。 誰かに話してたとしたら・・・

  それは、ハンパない信頼度だと思う・・・

  家族よりも、友達よりも、誰よりも・・・
 
 
  正直、悔しいけどな。 長年の付き合いの、俺としては。』
 
 
 
そう言って、悲しそうに目を伏せた。
タケルのその顔は、いまにも泣き出しそうで。
 
 
教室の窓から流れ込む青葉のにおい混じる風が、タケルの頬をやさしく撫でていた。
 
 

■第37話 そこには無かったもの

 
 
ミノリは、あの頃のことを思い返していた。
 
 
 
mossoに裏切られた気分で、泣き暮れた日々。
毎夜、やさしく流れたあのPC画面に向かい合った時間は、まるで虚無だったのだと。
 
  
しかし、その忌むべきアカウントは何故か消せずにいた。
すべてを消去して、すべて無かったことにだって出来たはずなのに。
 
 
ログイン状態を非表示にしたまま、ハヤトと交わした言葉を最初から最後まで読んだ。
 

  何度も。

  何度も。

  何度も・・・。
 
 
何十回、何百回読み返しても、そこには、無かった。
ハヤトが嘘をついたことは、一度も、無かった。

勝手にミノリが早とちりをして思い込んでいた事はあっても、ハヤトが嘘をついた事は
あの8か月間の間、一度も・・・
 
 
 
  ”好きだよ ”
 
 
 
ハヤトがひとこと紡いだ、その言葉。
ミノリが捉えたその意味とは、全く意味合いが違うものだったと今更気付く。
 
 
 
ミノリは思い切って、PC画面を立ち上げサインインした。
しかし、その画面には ”mosso ”は不在の表示。
 
 
 
 
 (電話してもメールしても、

  家にも訪ねてみたけど、アイツ、いなくて・・・。)
 
 
タケルが俯き呟いた顔が脳裏に浮かぶ。
 
 
 
 
 
ミノリは自室のドアを乱暴に開け飛び出すと、西空が紅く燃えるような日没の街を
全力で駆け抜けた。
 
 
 
 
  (きっと・・・

   きっと、あそこだ・・・)
 
 
 
 
自宅から少し行った先にある長い坂道を、息を切らせて駆けあがる。
肺が爆発しそうに苦しいけれど、その足を止めはしない。

すると、丘の上に古びた神社が現れた。
 
 
鳥居の前で立ち止まり、体を屈めて乱れた呼吸を整える。
そしてひとつ息をつくと、目の前にそびえる80段の石段を一気に駆け登った。
 
 
鬱蒼とした木々に囲まれたその神社。
夕空の下、手水舎の細く流れる水が涼しげに光っている。

ひと気のまったくない静まり返った神社の境内。
夕陽を受けそれは橙色に染まっていて、延々響く虫の音だけうるさいほどで。
 
 
ゆっくり、神社の裏手の細い道を進むミノリ。
走り続けたことで呼吸は乱れていたけれど、その心は凪いで穏やかだった。

ほんの少し覗く大きな岩の形。殆どは若緑にしげるサカキの葉に隠れてしまっている。
それをかき分けた先に、見えたもの。
 
 
 
 
岩の上にポツンと座り、膝の上に紙袋を乗せたハヤトの寂しげな背中だった。
 
 

■第38話 秘密の場所

 
  
 『・・・やっぱり、ココだ。』
 
 
 
すぐ後ろで響いた、やわらかな耳ざわり良い声色。
やたらと小さくて、恥ずかしがりやで、なかなか聞かせてはもらえなかったその声。
 
 
ハヤトがゆっくり振り返る。
その顔は驚き、もう泣きそうに歪めて・・・
 
 
 
 『・・ォンノ・・・。』
 
 
涙がノドに痞えて、思うように声が出ないハヤト。
 
 
そんなハヤトの隣に、ミノリが静かに腰掛けた。
そして、ハヤトを向いて少し笑う。
 
 
 
 『座ってたら、なんにも見えないでしょ? ココ、立たないと。』
 
 
 
目の前は若緑の枝だらけで、閉鎖された緑の要塞のようだった。
ミノリが小さく溜息をついて言う。
 
 
 
 『わたししか分かんないじゃない、この場所・・・

  他の人、探せないよ・・・。』
 
 
 
ハヤトはなにも言わず、俯いたまま。
 
 
 
 『・・・決まったんだね、ご両親の・・・。』
 
 
 
ミノリが遠慮がちに小さく呟くと、微かに『・・・ん。』 と返事をした。
その後は、暫く黙ってふたりでただ座っていた。
 
 
 
 
 
ハヤトの膝の上にある茶色い紙袋に目を向けるミノリ。
チラっと中を覗いたそれに、ミノリが頬を緩ませる。
 
 
 
 『ほんとに好きなんだね・・・。』
 
 
 
可笑しそうにケラケラ笑う。
ハヤトは少し恥ずかしそうに、まだ手を付けていないそれが入った紙袋の口を
折り畳んだ。
 
 
 
 『なんか・・・ あんま、食欲なくて・・・

  でも、鯛焼きなら食べれるかなと、思ったんだけど・・・。』
 
 

泣いてしまいそうな微笑んでいるような顔で俯くミノリ。 
すると、ミノリがその紙袋をハヤトの手から奪って言った。
 
 
 
 『はんぶん、ちょうだい。』
 
 
 
一瞬、ミノリに小首を傾げ見つめるハヤト。
ミノリがやさしく続ける。
 
 
 
 『わたしに。 はんぶん、ちょうだい。

  わたしが、はんぶん貰うから。
 
 
  わたしが、一緒に。

  はんぶん、泣くから・・・。』
 
 
 
ミノリの目から、大粒の涙が溢れた。
 
 
 
 『・・・だから・・・

  ゴトウ君は、残りのはんぶんだけ・・・ 

  ・・・泣けばいいから・・・。』
 
 
 
そう言うと、ミノリは紙袋から出した鯛焼きをふたつに分けた。
そして、それをハヤトの手に渡す。

ハヤトの目にみるみるうちに透明な雫が溢れだす。
肩を震わせて泣きじゃくるハヤトの膝には、次々と雫が落ちてジーンズの色を濃くする。
 
 
ふたりして、泣きながら鯛焼きを食べた。
はんぶんの鯛焼きを。
しょっぱい鯛焼きを、ふたりで。
 
 
 
 『ほーんと、ぜんぜんクールなんかじゃないよね~

  すぐ凹むし、よく泣くし・・・

  鯛焼きとかまるで興味ないって顔しちゃって・・・。』
 
 
 
目元を涙で濡らしたミノリが、やわらかく微笑む。
すると、目も鼻も真っ赤にしたハヤトが、ミノリを見つめた。
 
 
 
 
  『コンノのことが・・・俺。 好きなんだ・・・。』
 
 
 
 
目を細め、顔を綻ばすミノリ。
そっと、ハヤトに手を伸ばす。
 
 
 
 『あんこ。 ついてる・・・。』
 
 
ハヤトの口横に付いた鯛焼きのあんこを指先でつまむと、笑って言った。
 
 
 
 『ぜーんぜん、カッコ良くもないよね~・・・。』
 
 
 
そう笑うミノリの顔が眩しすぎて、ハヤトはまた溢れそうになる涙を堪えられそうになかった。
 
 

■第39話 花火大会

 
 
 『花火大会、行こうよ・・・。』
 
 
 
ハヤトが照れくさそうに呟く。
8月の第一週目の土曜、ミノリたちの街では花火大会が開催されていた。
 
 
夜7時、神社の鳥居前で待ち合わせ。
Tシャツにジーンズ姿のハヤトが、先にその場所に着いた。
丘の上にあるそこは、神社の境内まで上らなくてもそこそこ街並みが見渡せる。
まっすぐ伸びる長い坂道を、目を細めて見下ろしていた。

すると、坂の下に浴衣姿のショートカット。
たまに立ち止まって足元を気にしている。
慣れない桐下駄が痛くて、鼻緒を少し引っ張って足の指との間を広げようとしているようだ。
 
 
思わず、ハヤトが駆けだした。
まだ長い坂道の半ばあたりにいるミノリを、笑いながら迎えに行く。

そのハヤトの姿に、照れくさそうにミノリが頬を緩めた。

白地にパステルカラーの紫陽花が散りばめられた、涼しげな浴衣。
耳の上には、淡い藤色の花飾り。
浴衣に合わせた紫陽花柄のカゴ巾着を、片手に持っている。
 
 
 
 『ま、まさかー。 浴衣で来るとは、思わなかったー。』
 
 
 
棒読みで ”理想デート ”のセリフを言い、ニヤけ顔を抑えられないハヤトに
ミノリが赤くなって一瞬睨み、口ごもる。
 
 
 
 
  (むちゃくちゃ可愛いじゃん・・・。)
 
 
 
ハヤトは緩む頬を堪えられそうになかった。
 
 
そっと、手を伸ばす。
するとミノリがそれを掴んだ。
つないだ手と手。

互いの温度が直に伝わる。
 
 
 
  嬉しくて、

  照れくさくて、

  どこか、歯がゆくて。
 
 
 
ふたり、手をつないで神社の石段をのんびり上がる。
階段脇に紅紫のサルスベリがやさしく佇み、夏の香りがふたりを包む。

神社の境内に着くと、そこは思った通りほかに人は誰もいなかった。
相変わらず、せわしなく鳴り響く虫の音。
生ぬるい風が、やさしく木々を揺らす。
 
 
ふたり、神社裏手の細い道を通って大きな岩まで進んだ。
真夏の夜7時はまだ明るくて、花火が打ち上がるまではもう少し時間がありそうだった。

岩の上に並んで腰掛けると、ミノリが膝の上に置いたカゴ巾着の紐をほどき始めた。
隣に座り、それを見ているハヤト。
すると、その中から弁当箱が現れた。
念の為、保冷剤を乗せて中のものが傷まないようにしているようだ。

弁当箱のフタを少しだけ開けて目を細め、ミノリは薄目でその中のものの状態を覗いている。
『ん?』 ハヤトも覗こうとするが、それは何故か阻まれた。

小首を傾げるハヤトに、ミノリが照れくさそうに言った。
 
 
 
 『ダイジョーブそう! よかった・・・。』
 
 
 
そう言ってフタを開けると、そこには出汁巻き玉子。

目を見張るハヤトに、
『だいぶ巾着揺らしちゃったから、傾げちゃったか心配した・・・。』 と、
持参した割り箸を渡すミノリ。

呆然と出汁巻き玉子に目を落とすハヤトに、『ほらほら!』 と割り箸を押し付ける。
すると、ゆっくり箸を割り、ハヤトが少し緊張して震える手でそれを摘んで口に入れた。
 
 
 
 『・・・・・・・。』
 
 
 
なんの反応もせず俯く顔を、ミノリが心配そうに覗き込む。
 
 
 
 『・・・あれ? あんまり美味しくなかった・・・?』
 
 
 
その声に、ガバっと顔を上げると目を潤ませて首を大きく大きく横に振るハヤト。
 
 
 
 
  (・・・ヤバい・・・ 泣きそう・・・。)
 
 
 
 
ノドが痞えて、思うように声が出せない。

その代わり、頬を染めて今にも泣き出しそうな表情で、一気にそれを頬張った。
ふわふわで微かに甘い。玉子と出汁が口の中に広がって次の瞬間とけて消えた。
 
 
 
 『・・・旨かった・・・

  すげー、旨かった。

  もう、ほんと。 すげえ、今まで食ったモンの中で、一番。

  すげー、すげー・・・ 旨かった・・・。』
 
 
 
真剣に言うその顔に、ミノリがケラケラ笑った。
『それは、大袈裟でしょ~』 と。 でも、とても嬉しそうに笑った。
 
 

■第40話 錦冠が咲いた夜

 
 
次の瞬間。

暗くなった夏の夜空に花が開くときの、笛のような音が響いた。
それに続き、花火が筒から連続で打ち上げられる。小さく段々大きく。
 
 
 
花火大会のはじまりだ。
 
 
 
慌てて岩の上に立ち上がった、ふたり。
桐下駄が不安定で、ミノリはハヤトの肩に手をおいてバランスをとりながら。

ナイアガラがはじまった。
速火線で連結した数十メートルの焔管から、火の粉が一斉に流れ落ちる。

続いて、スターマイン。5号玉100連発。車花火。
次々と夜空に盛大な花が咲き乱れる。
 
 
目を細めて嬉しそうに見ているミノリ。
ハヤトはこっそりその横顔を見ていた。
ミノリの瞳に、牡丹花火の赤や青が映っている。
頬はほんのり高揚して、赤く染まって。

自分の肩に置いているミノリの手を、そっとつかんで握った。
真っ直ぐミノリを見つめる。
 
 
そして、照れくさそうに言った。
 
 
 
 『やっぱ、言いたいわ。』
 
 
『ん?』 ミノリが花火からハヤトに目線をずらす。
 
 
 
 『言っちゃダメなんだろうけど、やっぱ。 ・・・言っちゃうわ。』
 
 
 
意味が分かったミノリが、恥ずかしそうに俯いた。
 
 
 
 『もお・・・ いちいち恥ずかしいから、ヤメテ・・・

  ほんとに、恥ずかしいってば・・・。』
 
 
 
そう困って面映ゆそうに足元に目を落とすミノリに。
 
 
 
 『・・・ミノリ・・・。』
 
 
はじめて、名前で呼ぶ。
 
 
 
 
 『・・・すっげぇ、可愛い。』
 
 
 
そっと目を上げたミノリに、
ハヤトがそっと、顔を寄せた。
 
 
そして、
 
 
 
 
 
    小さく小さく キスをした。
 
 
 
 
 
遠く、うすけむる藍色の空に、エンディングの花火が連発していた。
4号玉、5号玉、7号玉が連続して打ち上げられ、最後に特大の錦冠が大空に咲いて散った。
 
 
恥ずかしそうに空を見上げるふたりの潤んだ目に、それは黄金色に焼き付いていた。
 
 

■最終話 指先で紡ぐぼくらの・・・

 
 
それは、高2のとある日。
ミノリと席が隣同士になって、すぐの事だった。
 
 
チラリ左隣を盗み見ると、相変わらず赤い顔をして窓の外を見ているミノリ。
ククク。と小さく笑い、ハヤトはつまらない授業をやり過ごす為にノートに何気なく
落書きをしていた。
 
 
最初は、ドラえもんを描き、ジャイアンを描き、スネ夫を描いてみた。
 
 
 
 
  (あれ。 意外に俺、うまいじゃん・・・。)
 
 
 
ドラえもんシリーズに飽きると、なんとなく自分の名前を書いてみた。
 
 
 
  ”後藤 速 ”

  ”後藤 速 ”

  ”後藤 速 ”・・・
 
 
 
ハンドルネームも書いてみる。
 
 
  ”mosso ”
 
 
 
音楽用語で ”速く ”という意味のそれ。
自分の名前と同じ言葉を見付け、メールアドレスなどにも使っていた。
 
 
ふと、ミノリのハンドルネーム ”グローブ ”を思う。
 
 
 
 
  (グローブって、なんだ・・・?)
 
 
 
 
毎夜の会話の中で野球好きとかいう話は聞いたことが無かった。
ノートに書き出してみる。
 
 
 
    ”グローブ ”
 
 
    ”ぐろーぶ ”
 
 
    ”glove ”
 
 
    ”GLOVE ”
 
 
 
 
   (・・・・・・ん??)
 
 
 
 
    ”G L O V E”
 
 
 
 
 
   (・・・・・・・んんん???)
 
 
 
 
    ”G  L O V E ”
 
 
 
 
 
 
    ”Goto Love ” ・・・?
 
 
 
 
 
   (・・・・・!!!!!!!!!っ)
 
 
 
 
大きな音を立て机に突っ伏して、真っ赤になるハヤト。
さすがにその音に、ミノリが顔を向けハヤトを見ている。
 
 
 
 『ゴトウ君・・・? 顔赤いけど、熱あるんじゃない・・・?』
 
 
 
そう声を掛けてくるミノリにノートが見えないよう、慌てて上半身で覆い隠す。
 
 
 
 
 
   (・・・・・・まじ、スかぁ・・・・・。)
 
 
 
 
照れくさくて仕様がなくて、その後は一日、ミノリの顔を見れなかった。
 
 
 
とある秋の日。
教室の窓から、初秋のやわらかい陽が眩しく溢れる午後のこと。
 
 
 
 
 
         指先で紡ぐぼくらの・・・
 
 
                            【おわり】
 
 

指先で紡ぐぼくらの・・・

指先で紡ぐぼくらの・・・

その日ミノリが目撃したのは、片想いの相手ハヤトが学年イチ可愛いハルカに告白されてアッサリOKしている場面だった。 行き場のない思いをネットの掲示板に書き込んだミノリ。 当たり障りない返信の中に、ただ一人、やけに冷酷な反応を示すHN:mosso しかし、遣り取りを続けるうちに互いに心を許すようになり・・・ 指先で紡ぐ彼らの ”本音と嘘 ”の行方は・・・。 ≪全41話 完結≫ 【君の見つめるその先に シリーズ】も、どうぞご一読あれ。 *画像:著作者:采采蠅さま*

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-08

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著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ■第1話 コンノ ミノリ
  2. ■第2話 掲示板
  3. ■第3話 気怠い背中
  4. ■第4話 返信
  5. ■第5話 流れる言葉たち 
  6. ■第6話 mosso 
  7. ■第7話 見えない敵
  8. ■第8話 母親
  9. ■第9話 後方からの視線
  10. ■第10話 雨の日の
  11. ■第11話 名前
  12. ■第12話 目線
  13. ■第13話 バスケットボール
  14. ■第14話 保健室
  15. ■第15話 本音
  16. ■第16話 Go For It
  17. ■第17話 欲しいもの 守りたいもの
  18. ■第18話 席替え
  19. ■第19話 実行委員
  20. ■第20話 自動販売機
  21. ■第21話 帰り道
  22. ■第22話 メアド
  23. ■第23話 1億%の片想い
  24. ■第24話 花火大会の夢
  25. ■第25話 学校祭前日
  26. ■第26話 終業式
  27. ■第27話 最後と始め
  28. ■第28話 始まり 
  29. ■第29話 2月がやってくる
  30. ■第30話 バレンタイン大作戦
  31. ■第31話 疑念
  32. ■第32話 その日
  33. ■第33話 明かされた答え
  34. ■第34話 踏切
  35. ■第35話 一番、正直で
  36. ■第36話 信頼
  37. ■第37話 そこには無かったもの
  38. ■第38話 秘密の場所
  39. ■第39話 花火大会
  40. ■第40話 錦冠が咲いた夜
  41. ■最終話 指先で紡ぐぼくらの・・・