27.亜季・・・大人になれなくれ

穏やかで、したたかで・・・エリカと母

27、穏やかで、したたかで・・・エリカと母

 玄関の淡い照明がエリカを包む。
そこに佇むエリカの姿に亜季は妙な感動を覚えた。

(この人はどんな場所もステージにしてしまうんだわ。それにしても今日のエリカは何をイメージして自分を飾ったのだろか。どこかいつもと違う。)

この間まで栗色に染っていた髪は漆黒の黒髪に。切れ長の目をさらに強調するかのようなアイライン。少し長めの黒いドレスを手編みの真白なスト-ルで柔らかく包む。まるで今観客の拍手をあびて踊りの輪から抜け出たジプシーを連想させた。


 エリカはドアを開けた希美子をジッと見つめる。そして次の瞬間、唐突に笑顔を浮かべた。希美子もそれに答える様にこの女性がエリカだと確信しながら笑みを返す。もちろんこの笑みは強い女がふたりここにいる事の証。


母とエリカの無言と笑みの駆け引がき終わるとエリカの人を癒すような美しい低音が亜季の家を通り抜けた。

「遅くに申し訳ありません。私、大木 エリカといいます。お目にかかるのは始めてですが・・・多分おわかりですよね?」

そして数秒の沈黙を置きもう一度柔らかい声に言葉を載せる。

「今日は亜季さんとの仕事の事でお願いに伺いました。」


 予期しない出来事というのは人を混乱させる。もちろんこの場合一番混乱の中にいるのは父のようだったが。
父はただ呆然とエリカと母を交互に見つめては何一つ言葉が出せないでいた。この場でエリカとただひとり血の繋がりを持つ自分にもどかしさがあるのだろうかと亜季はそっと父を見た。普段の父の温厚な優しさを残したままの戸惑いの表情が情けなくもあり悲しい。

(父は強い母から水を得る様にエリカの母を愛したのだろうか?・・・でも、きっとエリカの母もやっぱり強い人だったに違いない。愛する対象が変わってもおそらく強い女にひかれるという父の本質は変えようがないということなのだろうか?ただ、この二人・・・尋常な強さじゃなさそう。)


亜季は頭の中で父が愛したエリカの母を思い描いていた。そんな亜季の空想をかき消す様に母の声が響く。
「どうぞお入りください。」

そして父の方を見るとこう言った。

「主人です。・・・ご存知ですね。」

エリカが頷き父に微笑む。確かに幼い時の記憶が重なる。。背が高く、優しい面立ち。ただし今の父の頼りなさの前では残酷なまで老いばかりが焼きつていく。
(確かに歳はとったけど母が好きになりそうな人。この優しそうな眼差しが母に華奢で弱い女を演じれば自分の思い通りに動くと思わせたに違いない。でも、ここにもっと上手がいた。母の愚かな計算違い。)

母と娘の関係は微妙でお互いの中の女としてのずるさには敏感になるらしい。エリカはもうだいぶ前から母の愛が純粋なものだったとはまるで信じていない。ただ相手の女性にまるで興味がなかったといえばそれは嘘だろう。その相手が今目の前にいる。
(目の前のこの女が・・・そう、なんていうかずっと昔私の母と戦って勝利を手にした人。きっと普段は穏やかな表情。誰もが上品ないい奥様と言いそう。・・・でも、私は知っている。この人は静かに、笑顔で正面から人と戦える女。母に勝ち目は初めからなかった。)


 客間に入ると母がエリカに椅子をすすめる。そしてどういうわけかその正面に父を座らせ亜季にはお茶をと小声でささやいた。もはやここは母とエリカの色で染まっていた。そんな中で亜季には到底母の混乱した胸中など想像もできない。実のところ希美子は冷静さを保つことにやっきになっているのに。


浮気を知った時も希美子はまったく落ち着きはらって見えた。ただ結婚生活と家庭を守る為やるべき事を淡々と着実にこなす。そんな希美子を周囲は予期せぬダメージに強い女というイメージを抱かせた。

だけど実のところそんな人間はこの世にいるのだろか。自分の心情をどう表に出すかの違いだけ。今この時も希美子の心中は嵐が吹き荒れている。
(私は何にむきになっているのか。何故こんなにも自分を抑え込んでいるのか。そもそもエリカは私の憎しみの対象ではない。彼女にはなんの罪もない。夫が浮気をした相手にできた子供というだけ。わたしが憎むべき相手はこの人のお母さんであり夫。そう、頭ではよくわかっている。なのにどういうわけかこの人が恐い。この人は私の人生に危険を運んでくる。まるでこの人の母親のように。亜季とさほど変わらないこんな小娘に私はおびえている。)


 亜季がお茶をテーブルにおいた時エリカが話し始めた。

「突然こんな時間にすみません。じつは私は今都内でジャズのボーカルとして活動しています。で、そこで亜季さんに偶然お会いして。亜季さんもこの仕事がしたいというので一度彼女のピアノで歌わせてもらいました。そしたら・・・もうびっくり。妙にお互いの感覚というか波長が合って。」
エリカは言葉に(私達は姉妹ですから)という責めをふくませた。

そして一度言葉を止めると母の反応を窺う。
母はただ一言スラッと「そうですか。」と流す。エリカが話を続けた。

「ただ、どうもお宅で反対されてるとか。確かに正直この世界一つ間違えばとんでもない人生にもなりかねません。ご心配はよくわかります。ですからが私がそんなことがないよう気を配ります。苦労を知らない亜季さんにはこれまでとはまるで想像もつかない厳しい世界だとは思います。私は子供の頃から大人の見たくないところも見ていましたからなんとかやっていますけど。」

エリカの話のところどころに見え隠れする意味ありげなその言葉に母が皮肉な笑みをもらした。
(まったく!この娘は何を言っているのか。恐いのは世間じゃない。あなたなの。)
この音のない希美子の思いは誰に届いているのか。希美子は内心イライラしていた。


「それはありがとうございます。・・・それは姉としてという事でしょうか。」
あまりに直接的な希美子の言葉。

エリカは微笑みながら密かに思う。
(上品な奥様は世間知らずなんて誰が言ったの?・・・とんでもない。母の野心なんて可愛いものだわ。私が想像した以上に人をあやつるのがうまい。感情にはおしながされない。母とは対照的。さあ・・・私はどう答えれば?)

「そうかもしれません。今言われるまで考えもしませんでしたけど・・・確かに母親は違いますけどある意味姉妹でしたね。それに、」

その時エリカの言葉を止めるように母が静かに、そしてある種威圧的に突然こう言った。
「いいですよ・・・。実は先ほど亜季からそんな話を聞いて納得ができませんでした。それはそうでしょう。大切に大事に育てたつもりですから。
先行どうなるかわからない世界なんかに踏み込んでほしくありませんからね。
家庭を壊さないで家族の幸せを形にするというのは案外難しい事なんです。この歳になってようやくわかるなんて恥ずかしい話ですけど。でも、亜季がどうしてもやりたいならいいですよ。半分でも血の繋がったあなたが亜季を間違えた方向にいかないよう見てくれると言うし。亜季にとっては心強いでしょう。ただ、一つ条件があります。」

母とエリカの間に凍りついた緊張が走る。

「どんな条件でしょう・・・?」

もう一度冷たい空気が母とエリカを硬くこわばらせた。

「あなたが亜季にいくらかの気を配ってくださると先程言いました。とは言え亜季とあなたの関係はある意味普通ではないし。まあ、若い二人にはそんな過去のことなど気にもならないかしれませんけど。
そこのところは親子で見方が違うのかもしれません。あなたのお母さんが生きていらしたらどう思うか私に本当のところはわかりません。でもきっと心配はするでしょう。何か面倒がおきるのではないかと。私もそうです。
まして二人の様子が何も見えないとなおさら。だからこの仕事をふたりでするなら亜季が続けている間、エリカさん、あなたもここで暮らしてください。ちょうど長女の美紀の部屋も空いているし。それが条件。どうです?あなた。」

母はこの部屋に入り、始めて父に言葉をもとめた。

母の提案は他の三人にとっては衝撃だった。まさかそんな言葉が母から出てくるなんて。予期せぬ出来事なんて言う程悠長なものではない。亜季にも、父にも、そしてエリカにさえも母の真意は見えない。


返事を求められた父は考えあぐねるばかり。言葉にするにはまだ時間が必要だった。

亜季の頭はとめどなく動く。
(これはどういう意味なの?エリカと関わった私への怒り?それともエリカへの怒り?・・・でももしエリカが来たら父には地獄の日々・・・つまり父への復習?まさか今さらそんな事!それにしても普通じゃない。エリカが受けることはないだろうけど・・・なんだか腹立たしい。)

そんな思いが亜季の口をついて出た。
「何を言ってるの?わたしがジャズをやることとエリカさんの暮らしとは関係ないじゃない。なんか変よ。」

そんな亜季の抗議に母は微塵の揺らぎも見せない。亜季を射るように見据えて優しい声でこう言う。
「仕事と暮らしは別。・・・もちろんそんな事わかってます。でもあなたがこの家の棘を持ち出した。私の気持ちは以前言ったはず。今日もね。」
もはや優しさは剣のようでもある。そしてさらに続けた。

「パパにとっても今となっては過去にしておきたい事だったはず。だからこの出来事はあなたが考える以上に驚きよ。それでもあなたは思う道を進みたいと言う。それならある程度のリスクは背負わなくちゃ。思い通りにならないのが世間です。それとも・・・やめる?
私はどちらでも。今の場合答えは二つにひとつ。真ん中はないのよ。それは私も同じ。こんな言い方悪いけど私にとってエリカさんは関わりたくない存在だった。でもそれが無理ならエリカさんをより近くにおいておきたいの。
亜季とこの家族が不幸にならないように。一度壊されそうになったけど二度とそんな事はさせない。でも音楽への情熱が本物ならこんな条件たやすいことよ。エリカさんにしても亜季にも。」


亜季の中には若いストレートな母への反感がつのる。とは言え、この母に何を言えばいいのか。
ただ黙って言いなりになるのが嫌という子供じみた感情に流されていた。
「何言ってるの?エリカさんは何もしてない。ママを苦しめたのは彼女のお母さんと・・・パパ。そんな言い方エリカさんを傷つけてる。エリカさんだって苦しんできたかも。大人の身勝手で。」

それでも母は亜季の言葉に動じる事はなかった。むしろ亜季の未熟さをより実感していた。

「そう。エリカさんは悪くない。あの時点では。でもあなたは人間がわかっていない。
過去は過去で終わらせるのが賢明。だけどあなたと会った事でエリカさんも亜季も過去を現実にひきこんでしまったの。人の心は何もなくても日々変わる。まして何か起きればそれまでの価値観など壊すくらいに変貌することもあるの。あなたの存在が忘れた、または眠っていたエリカさんの心の中の憎しみをを呼び覚ましていたら?人生にはね起きたことをそのままうけいれてはいけない時があるの。言ったでしょう。私はこの運命を受け入れませんと。ただここまで来たらあなたとエリカさんの言い分は受けましょう。でも私の心配、不安の半分はあなた達にも背負ってもらいます。」

「そんな・・・」と言ったもののどういうわけか後が続かない。納得したわけじゃなかった。ただ妙に惑わされる。
そんな亜季とは対照的にエリカはもうすでに答を出していた。
それまでジッと下を向いていたエリカが背筋を伸ばし決意の表情を母に向けた。

「わかりました。そのご提案受けます。で・・・いつからこちらにくればいいですか?」

母の決意とエリカの決意がぶつかる。父と亜季にはもはや何も言う隙間すらない。いったい今日という日はどれだけの驚きが用意されているのか。

「いつでも。」

「では、体だけは明日から。荷物は少しずつ運びます。ただ亜季さんがどこまでできるかわからないので今の家を処分することはできません。
いつ帰ることになるか・・もちろん亜季さんの頑張りに期待しますけど。」

「ええ。ここはお家賃も食費もいりません。あなたも主人の子供ですから。」

父がどんどんかすんでいく。

亜季は今何故か最高に痛い復讐という名のドラマを見ている気がした。ただひとつなんとも言えない感覚が亜季に残った。

(もしかして・・・母とエリカ・・・同じ様な性格?・・・どちらも強くて、自信があって。私にはふたりの心の中がまるで見えない。)

27.亜季・・・大人になれなくれ

27.亜季・・・大人になれなくれ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-07

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