君のやさしさとぼくの愛

ぼくには聴きたい音がある。与えたいものがある。

聴きたい歌がある。
聴きたい音がある。

いつまで聴いていられるのだろう。
人の時間は限られている。
時間を全て思い通りに使い果たせる人はどれだけいるだろう。
きっとほんの一握り。

明日、音を失うかもしれない。
明日、死ぬかもしれない。
明日、歌えなくなるかもしれない。

そんな、明日を恐いと思う人のおはなし。
そんな、未来を淋しいと思う人のおはなし。

聞いてくれますか?
ぼくには聴いていたい声がある。
明日も聴いていたい声がある。
忘れたくない声がある。

そんな詩を途中まで書いた後で、ぼくはなぜこのようなことを考えているのか?自分でもわからないことに気がついた。
人はなぜ愛を求めるのか?

生き物だから?
自分のために?
孤独でいたくないから?
それとも他の何か利己的な理由があるのだろうか?

違う。

きっとどれも違うのだろう。
これらの理由は愛とは相反するもののように感じるからだ。

では、愛とはなんなのか。
愛は誰かに与えるものだというのがぼくの答えだ。
見返りはない。それでいいと思っている。

でも、本当に見返りはないのだろうか。
ぼくは本当に心のそこから誰かに、愛を与えているのだろうか。
そんなことは可能なのだろうか。

ここまで考えて、思い悩み、気がついた。
気がついてしまった。

愛を与える。

なんと暴力的な表現だ。
これもやはり愛とは相反することのように感じる。

本当に目の前にいる人は、あるいは見ず知らずの誰かはぼくの愛を必要としているのだろうか。
必要としていないかもしれないじゃないか。
必要としていないものを与えられて、喜ぶ人はいないだろう。
ぼくもそうだ。
不要なものを渡されて、たとえ表に出さなかったとしても、心の中では受け取る前からすでに処分を考えてしまっている。


断られたら、嫌だな。
さみしいよ。
想像しただけで
目の奥が痛くなってくる。
受け取ってもらいたい。
どうか受け取ってほしい。

いや、違う。
これは嘘だ。

お願いして
受け止めてもらって
そこには何があるのだろう。

ああ わからない。
誰か教えてほしい。
どうしてぼくはこんなことで悩んでいるのだろう。

ただ、わかりたいだけなんだ。
ぼくは誰かを愛しているのだろうか。
本当に誰かのためなのだろうか。
自分のためなのでは?
みてくれだけの嘘なのではないか?

ああ 本当の愛を渡したい。
そして、どうか受け取ってほしい。

あなたに愛を感じて欲しい。
ぼくが幼い頃両親からもらった愛を。
ぼくが幼い頃祖父母からもらった愛を。

ああ 不安で仕方がないよ。

ぼくは誰かを愛することができるのだろうか。
あの暖かさをぼくはあげられるのだろうか。

不安で、悲しくて、寂しくて
昔もらった愛を思い出して、暖かいのに 身体がすっかり冷えてしまった。

.......2015,7/11更新..........

そうして、1日たった。
そうして、3日たった。
ただ、悩んで苦しんで、行動しない日が続いた。

心のどこかで、君が来てくれないかと思いながら。
心のどこかで、君がなんとかしてくれないかと思いながら。

頭のどこかで、どうしたら伝えられるのかおもいながら。

ただそれだけを漠然と考えていた。論点をしぼれずにただぼんやりとしていた。

ぼくがどうしたいのか?
ぼくがどうなりたいのか?
愛したいのか?
愛されたいのか?
君といたいのか?
君といたくないのか?
誰でもいいのか?
そうではないのか?

何が大切なのかわからなかった。
きっと全部大切なのかもしれない。
一方でどれも大切ではないのかもしれない。
そもそも、考える必要があるのか?

独りでぐるぐるぐるぐると感情のハシゴをのぼり続けていた。


そうやって日が経っていくのが怖かった。
ただ考えているような、考えていないような、なんでもない日だけがぐるぐる過ぎていって。
自分が少しずつ嫌いになっていった。

というより、自分を見失った。

最初から自分なんてものはいなかったのかもしれないけれど。
しかし、どこかのいつかの時代の偉い哲学者の言葉を借りれば、ぐるぐるしているだけで自分という存在はあるらしい。
だから意識としての自分はいるのは確かだった。

だけど、なんら行動を起こせずに、ただ自分の中のハシゴをダラダラ登っているだけの自分は本当に存在しているのだろうか。
存在というのは、なにかしらの影響を与えて、周囲に認知されて初めて存在しているといえるのではなだろうか。
例えば、この世界には動物がいる。そのなかに絶滅危惧種がいる。絶滅危惧種は人間が確認した個体数が少ないから絶滅危惧種なのだ。
つまり、認知されているからこその存在だ。

では一方で、個体数は少ないのに絶滅危惧種ではない動物はいないのかというと、これは嘘だ。
人間が認知しないうちにうまれて、そしてひっそりと種が途絶えた動物はきっと沢山いる。
認知されていないだけのはずなのだ。

と思うと、ぼくは今、おそらく後者の方だ。

ぼくの行動や、気持ちなど、その全ては外に向いていないのだ。
ぼくは絶滅危惧種ではない。

数多くいる認知されないものの何かで、そしてひっそりと消えていってしまうなにかだ。
想像上のものでしかないのかもしれない。

ここまでわかっていて、なおぼくの体は動かないのだ。

なぜだろう。

1日考えてもよくわからなかった。

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君のやさしさとぼくの愛

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更新日
登録日
2015-07-07

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