影
影
Aと付き合いはじめたのはいつだっただろうか。たしかまだ蒸し暑さの残る晩夏のころだったか。
蝉がまだジンジンと五月蝿く鳴いていた。しかし夏の盛りはもうとっくに過ぎ去り、若葉に元気はなくなり、もう空気は秋へと向かいはじめていた。
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わたしがAと知り合ったのは二年へと進級したときであった。彼はわたしの目線のすぐ先に自然といることが多かった。
彼は独特の雰囲気をもっていた。たいてい友達に囲まれ、楽しそうに話している。
だが、わたしには彼が本当に心の底からヒトを信頼していないようにみえた。表面的には笑顔だが、その内側には暗く濁ったなにかが重くどろりと広がっている。
彼はわたしの友達のNと仲が良かった。
Nとわたしは中学校の時からの友達である。二人とも同じ中学の美術部に所属していた。
わたしは新しいこのクラスにはNくらいしか知り合いがいなかった。だからほとんどの行動をNとともにするようになっていた。するといつの間にかAとも話す機会ができるようになった。
AはNとは去年からクラスが一緒だったらしかった。二人は毎朝挨拶をかわした。
それから二人は頭が良かった。だから、テストがあると点数を競い合っていた。わたしにはそんな二人の姿が羨ましかった。
なんだかわたしは、賢い二人と余分なひとりというように自分が思えて仕方がなかった。
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窓の外をみると、空は一面青のグラデーションで覆われていて、そこに少しの鰯雲が添えられていた。蒸し暑さは残るものの、風は穏やかで清々しかった。
午前の授業が終わると、天気が良いのでNと中庭で昼食をとろうということになった。
持参したお弁当と水筒を持って中庭へと出ていくと、日差しが幾分強かった。中庭には他に人の影はなく、がらんとしていた。
わたしとNは木陰にあるベンチに座ってお弁当をひろげる。二人でいただきます、と言って手を合わせる。Nは下ろしていたセミロングくらいの髪を無造作に手早くお団子にまとめた。隠れていた首の後ろ側の肌が露わになる。彼女の肌は白く透き通っていて、思わず木陰からもれる光からでさえも手で隠して守りたくなってしまうほどであった。
暫くして、お喋りにも興じつつお互いの腹を満足し終わると、Sの少し口数がゆるやかに減っていった。何か言おうか言うまいか迷っているようだった。
わたしは何かあるの、と聞くと彼女は言いにくそうに、しばしもごもごと口の中で言葉にならない言葉を発した。それから決心したように、静かに口をゆっくりと開いて、冷えた声で言った。Aがあなたのこと好きだって、と。
その音はひどく乾いていて、わたしの内側で遠く、空しく反響した。
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それから一、二週間くらいがたって、わたしはAと付き合うことになった。
わたしとAはよく本の話をした。この作家が好きだとか、あの作品はどこが肝で、どこが一番良い場面であるとか。
それから映画を観に行った。内容は二人が共通で好きだった本が映画化したものであった。生憎、散々な中身であった。本の筋道からはかけ離れていて、おまけに俳優は下手くそだし、演出はひどくチープであった。
二人で上演後、近くにあった喫茶店であの映画はどこが駄目であったのか言い合ったりした。そんなくだらないなんでも無いような時間が、わたしに穏やかな幸いを与えてくた。
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ある朝、Nをみてわたしはひどく驚いた。綺麗な髪であるのに、いつも邪魔になると、無造作に結ばれていた彼女の髪はすっかり切られてしまっていた。
わたしはショートカットも良いと思うけれど長い髪も好きだった、と伝えると、彼女はしばらくからからと笑って、ありがとう、と言った。
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Aはいつもヒトと話すときははしゃぐときははしゃぐし、いかにもどこにでもいる高校生らしく振舞っていた。
しかし、わたしは彼と関係をもつようになってから、彼は本当はゆっくりと厳かに話す人間なのだと気付いた。
彼はヒトの目をじっくりとみるのが実は苦手だ。だからわたしは出来るだけ彼の正面に立つのではなく、横に並ぶようにしていた。
大事な話はいつも時間をかけてとつとつ言葉をなんとか紡いで成り立っていた。わたしはただ黙って彼の内側から出てくる言葉を待った。
Nがちょうど髪を切ってきた日、わたしは彼と初めて手を繋いだ。
それからわたしたち二人は互いにお別れを言った。
わたしは真逆のようで、自分によく似ていた彼をただ利用したに過ぎなかった。
わたしの目線に彼がよくいたことは確かであるが、その中心は全く別のものであった。
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黒板前の段差に座ってクラスの別の友達と喋っていたNをみつけて、わたしは隣にくっついて座った。
Nはわたしのほうを向かずに、正面にいる友達と話しながらなんでもなしにわたしの頭を撫ではじめた。
わたしはなんだかこそばゆかった。身を硬くして、そのまま正面を向いてじっとしていた。
正面に座っていたクラスの女子が、廊下にいた誰かに呼ばれて話を途中で切り上げ去っていく。
わたしはなに?というように彼女に向き直った。
数秒間Nと目が合う。
彼女はいたずらに微笑んで、いや、かわいいなと思って、と言った。
わたしはずっとNを光のもとへ逃がしたくないだけであった。
影
自分が本当に仲良くなりたい人とは不思議と全然仲良くなれないのに、そうでもない人とはすぐに仲良くなったりするのはなぜですかね。(((ただのチキン)))