名探偵のいない世界

 犯罪が探偵を呼ぶのか、探偵が犯罪を呼ぶのか。
 卵が先か鶏が先か、じゃないですけど。

 何故だろう?
 確かに事件のあるところ、必ず名探偵が居合わせる。
 口には誰も出さなかったけれど、誰もが不思議に思っていた。
 ひょっとして、犯罪が探偵を呼ぶのじゃなくて、探偵が犯罪を呼ぶんじゃないか、と。


 K大の、敷島ケイスケ教授。

 この永遠とも思われた謎に終止符を打った人物。
 そうしてこの世から、名探偵を抹殺した人物。

 遺伝子工学の権威にして、名探偵としても知られる敷島教授は、過去何万人にも及ぶ凶悪犯の遺伝子情報を解析した結果、彼らは常人と比べ、ある特定の遺伝子が活発に働いていることを発見する。
 教授は、この遺伝子を『犯罪遺伝子』と名付けた。
 更に教授は、この『犯罪遺伝子』を活性化させる化学物質、フェロモンをも発見する。
 教授は、このフェロモンを『犯罪誘発フェロモン』と名付けた。
 フェロモン――つまりそれは、人体から生成され体外に放出されるもの。
 しかもそれは個体差があるものの、誰の人体からも生成されていたのである。
 さて、これら二つの事実が何を意味するか?
 誰しもが『犯罪遺伝子』を持っており、誰しもの体内からも『犯罪誘発フェロモン』が生成され、体外に放出されている。
 つまり、誰しもが犯罪者――それも凶悪犯になりうるのである!

 教授の研究が、これで終われば何でもなかった。
 誰しもが犯罪者になりうる。
 それはある意味、当たり前のことなのだから。

 教授はまた、過去から今日に至る何百人もの名探偵と言われた人物の遺伝子情報を解析した。

 オーギュスト・デュパン。
 シャーロック・ホームズ。
 エルキュール・ポアロ。
 ミス・マープル。
 エラリー・クイーン。
 半七親分。
 金田一耕助。
 明智小五郎。
 神津恭介。
 ――etc。
 そうして、憚りながら教授自身。

 結果、彼ら名探偵は、常人と比べ、ある特定の遺伝子に変異が見られることを教授は発見した。
 活発に活動している訳ではなく、変異がしていることを、だ。
 彼はこの遺伝子を『名探偵遺伝子』と名付けた。
 そして、その遺伝子の変異は勿論、名探偵として名高い敷島教授自身の遺伝子にも見られた。
 彼は内心得意であった。
 誰しもが犯罪者になり得ることはあっても、誰しもは名探偵なり得ないことが、遺伝子レベルで証明されたのだから。
 自分はすなわち選ばれた人間だ。

 けれど、悲劇的な事実が明らかになる。
『名探偵遺伝子』の保因者からは、ある特殊なフェロモンが大量に生成され、体外に放出されていたのだ。
 すなわち、『犯罪誘発フェロモン』が……。

 敷島教授は、この事実を世間に公表したその日のうちに、己が研究室で首を括って自殺した。
 この日を境に、世界中で名探偵たちの自殺が相次いだのは、言うまでもない。

 勘違いしてはいけない。
 名探偵は、決して一つの真実を求める謎解きを楽しんでいるわけではない。
 彼らは心から犯罪を憎み、これを撲滅したいと常々思っている。
 つまり彼らは、誰よりも正義感に溢れたものたちなのだ。
 己が犯罪を誘発する存在であるのなら、その撲滅のため、彼ら名探偵は喜んでその命を捨てられる。
 
 ただ、後に自殺した名探偵たちの遺伝子を調査した結果、実際に『名探偵遺伝子』の保因者はそのうちわずか――いや、それは彼らの名誉のため、やめておこう。
 大切なことは、彼らの尊い死をきっかけに、凶悪犯罪の件数が劇的に減少したという、たった一つの真実だけなのだから。 

 名探偵がいなくなり、世界は確かに平和になった。
 けれど少しだけ、世界はたいくつになった……。

名探偵のいない世界

 ちなみに卵が先らしいです。
 理由は、鶏は多細胞で卵は単細胞だから。
 多細胞の鶏は、鶏でしかないが、単細胞である卵は、そこから何にでも変化する可能性があるから、とか。間違ってたらすみません。

名探偵のいない世界

果たして犯罪が名探偵を呼ぶのか、名探偵が犯罪を呼ぶのか――という話。 1575文字。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-06

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