ユダのプラセンタ

神話で英雄の腹は満たせるか。

砕けた硝子玉でも舌で転がしていたほうがいくらか慎ましやかな立ち振舞いができそうな男、ジィジィーベルは鹿爪らしい顔をしながら万年筆で円卓を叩く。
音を立てる、という行為はこの近隣国で「同席者に対する中程度の挑発」を意味するので、そんな行儀よろしくない仕草には隣の部下の顔がやや曇ったが、気にすることでもない。

午前から始まった会議であるが日の沈んだ時刻になろうとも終わる気配が一向に見えないのだからちょっと口笛を吹くくらいの挑発だって許されるはずである。
ちなみに口笛を吹くのは「中程度の挑発、または抜群に好みの女を街角で見つけた際に於ける最低の賛辞」を意味する。
盟友、ウツラの出身国、東方諸国では蛇を呼ぶ行為とかなんとか言っていたから東の国のあちこちには蛇がやたらめったらいるものなのであろうか。

挑発に乗ってこない議長は変わらずつらつらと書面を読み上げ曖昧模糊な語彙を多用して現在糾弾されている職務の怠慢の言い訳と、東方諸国からの難民の受け入れに関する是非決議の先延ばしの手段を皆に求めていた。

ジィジィーベルは参加こそしていないが、東方諸国周辺の戦争については軍学校の勉学で最も興味をそそられた歴史の変わり目であった。内陸に存在するただ一つの水源を巡っての戦争だと言ってしまえばそれまでなのであるが問題はその水源の性質にあったのである。

水源に金を落とせば万能薬に、銀を落とせば劇薬に、銅を落とせば媚薬にその他を落とせば睡眠薬、ラズベリーソーダーにキャラメルコニャック気まぐれにと。そんな摩訶不思議な水源に各國こぞって投げ入れたものだからその水源はこの世の何もを併せ持った汚染水ともなんとも定義できない代物と化した。

それが奥歯に挟まった青菜のように煩わしく、我々西方諸国は難民の受け入れを拒否したい気持ちと掌握したい気持ちで揺れているのだ。東方の土地は驚く程豊かで、草原が多く、西方諸国が好む鶏の飼育に非常に適しているのである。

ジィジィーベルも鶏のマスタード焼きには目が無く、ウツラの作るヤキトリという料理も大変好ましい。やや、小腹が空いてきたせいもあり、今にも、もう難民の受け入れはするとして低賃金で酷使すれば国益になるのでは?そして鶏を大いに草原に放って俺に誕生祭以外の日にも腹一杯食わせてくれとジィジィーベルは口に出してしまいそうになってしまう。

そんな時、聖女のような出で立ちをした金髪の秘書官が会議室にノックも無しに入室してきた。

三十人以上の男達が一斉にそちらに目を向けるが口元を引きつらせもしない女はまっすぐにジィジィーベルの元へ歩むと、人工声帯独特の声で「ウツラが命を三つも奪われたっ!あの馬鹿め!私が先月おまけして四つもくれてやったのに元の木阿弥だ。」と憤慨を隠そうともしない。

しめた、と窃笑し、女を宥める建前で部下だけを残し、会議室を後にした。

「ははあ、やっぱりウツラは命の持ち方が下手だったんだ。無造作に奪っている奴らの中でも、持ちきれずに取りこぼし、はたまたそれに蹴躓いて転んだりする輩が少数はいる。いいか、少数だぞ?俺たちは勿論、もっと上手く持てるのさ。奪ってもいないのに取りこぼすっていうのはまあ、才能がない。屈んで拾う学もない。」
「私はその上に与えてやれる技量もある。なのにウツラときたら、あれでは使い物にならない!命がいくつあっても足りやせんぞ!」
「手が二本あるのは同じなのになあ、元々四足だと器用に持てるのかね、はて?…なあ、声帯の音量下げられないか?耳が痛くて仕方ねえよ。」
「ジィジィーベル!!」
「馬鹿。つまみが逆だ。」
「これでどうだ?あと私は四足ではなく元々六足だったのだよ。父と母は八足さ。」
「へえ、八足はまだお目にかかった事がないねえ。んで?誰がウツラの命持っていった?」

話が長引きそうだと、長い回廊のはしになる長椅子に女を座らせ、ジィジィーベルは万年筆で手のひらを叩く、音を鳴らさないのは挑発の意思がないからで、口笛を吹かないのは目の前の女がそういうことだからである。

手元が留守になるのがどうにも落ち着かないのは技師上がりの軍人だからだろうか。自分は今も昔も生まれつき二足者だが手先は器用だし命を奪われた事もないし、数えられるだけで108個の命を持つことも出来ている。
この女はたったの四つくれてやった命で騒ぐ程度なのだからジィジィーベルよかは器用とは言えないのだろう。

「東方からの三人の集団に奪われたそうだ。」
「はあ、それはそれは。やたら輝く星を目指してこっちに来たのかね。行くなら馬小屋にして欲しいね。そして輝いて見えるのは金星と木星なんですよ、別に一つの星が取りたてて輝いている訳でもないし割と毎年見れますよ、毎年見れる奇跡ですよって言ってやりたいね。」
「だが毎年、馬小屋で女が出産するわけではないのだから、偶然の自乗分の、そうだな、例えていうなら今日のジィジィーベルの万年筆のスペアインクがマイナーではあるが市販されているブライトブルーで筆記した内容が女への恋文だった、くらいの確率だろうか。」
「ああ、そりゃあ、分りやすいなあ。そこに西オリーブルの消印がついていたら更に精度が上がる。」
「そして、ウツラのことなんだが。残り一つの命になったわけだから、私たち仲間うちからくれてやらないと保護区画行きになる、そこでだ、ジィジィーベル。」
「俺のを一個くれてやれと?」
「Qyeit.(その通り)。」

はは、っと乾いた嘲笑を吐くとジィジィーベルは万年筆のキャップを小気味いい音であけた。ぷん、と鼻につくインクの臭いに女が眉を寄せる。
さらさらと上質紙に文字を連ねるとそれを女に渡す。

「はあ!これはまさしくブライトブルーのインクじゃないか。」
「しかもそれをウツラといううっかり娘に宛て書いてやっている。『俺の命を君にくれてやる』ってよ。」
「救世主が生まれるだろうかね?」
「確率は同じだ。」

では、西オリーブルから投函する、と言い残し、女はその場を去った。

残されたジィジィーベルの「誰にとっての救世主になるかは知らねえが、そいつらは皆、漏れず、確実に命の持ち方が最高に下手だ。命を賭けても構わねえよ。」と言うつぶやきは回廊の奥に消えて行った。

ユダのプラセンタ

ユダのプラセンタ

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-04

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