21、亜季・・・大人になれなくて

今の自分、予想通り?

                               21、今の自分、予想通り?


 三人の傍らを奇妙な空気が震えながら通り過ぎて行く。この震えた波を亜季とエリカは同じ感覚で捉えていたのかもしれない。

事の成り行きの収拾を求めるかの様に二人は丈に視線を移した。

丈はその視線を半ば無視するように目をそらしたものの頭の中は二人の微妙な熱で満たされていた。ただ、なんとかするしかないというつまらない男気だけが丈の中で膨らみつい言ってしまった。
「ああ・・・よし!じゃあ、俺がベースで色をつけてやる。亜季の腕試しだからな。俺がいないと・・・いやぁ・・・」

軽い冗談が真剣さに押しつぶされるこの瞬間を亜季とエリカは頷いて受け止めた。

実のところ亜季は決意をしていたようで丈が止めてくれる事を望んでいた。何故ならよくも悪くもこれから起きる先行き未定の不安の中で恐さが大きくなりつつあったから。そしてエリカは亜季を混乱させたいという本音がすんなり通ってしまった事に何故か痛みを感じていた。


 何かに押される様につい口をついて出てしまった言葉というのは恐ろしい。三人が三様に出した言葉が今それぞれの気持ちを飛び越えて走り始めてしまった。

エリカが静かに立ちあがる。

「それならそろそろステージに行かないと。セカンドステージの時間になってしまう。・・まあ、とりたてて打ち合わせもいらなでしょう。
んん・・そうね急な事だから最初に私が簡単な紹介だけする。終わったらあなたのピアノから。アドリブはその時任せで。いい?・・じゃあ、行きましょう。」


そう言うとエリカはスッと背中を向けステージに歩き出した。その背中は確かにエリカが言った様にもう何年もこの仕事をしてきたという自信を語っていた。エリカを追う亜季の耳元で丈がささやく。

「大丈夫か?・・・気楽にやればいいさ。俺は亜季のピアノ好きだしな。行こう。・・・それにしてもお前達何かあった?」

「別に。」亜季が消える様な小さな声で答えた。

「そうか。まあ、よくわからないけどなんかエリカ、亜季に対しては違うよな。・・どことなく似てるのが気に入らないのかな。まさかなあ。でも女って変なところで敵対心を燃やすからな。同じ洋服を着てたとか・・さっぱりわからないけど、俺には。」

亜季は掴みどころのない笑みを丈にかえした。


 ステージというのは不思議な場所。そこが大きくても小さくても立った者に不安と緊張と言葉にできない喜びを与える。おそらく生まれながらに持った度胸を考慮しなければ慣れるという習性とは無関係な場所かもしれない。人生と同じで同じ様なことをしているのに日々何かが違う。だから同じと感じて無頓着になった時落とし穴があるかもしれない。

 お店の灯りが少しずつおとされ、ステージの明るさが増していく。亜季は恐怖と戦う様にピアノの音だけに集中して指をならし、弾き心地を確かめる。

その側で丈が見守るようにベースの音と話していた。少しすると客席の拍手と共にエリカが。


それは確かに客席から見たエリカとは違っていた。ピアノの向こうに立つエリカは魔性の女でもなく美をまとった女でもなく亜季におくられてくるメッセージはただ一つ。私はもっと大きくなるというプロの意識の強さだけ。エリカはなんの迷いもなく客席に見せる自分とステージに立つ自分、そのふたつを同時にこの場所で切り離し表現することができるのだ。


 エリカがあのやわらかい声で話し始めた。
「セカンドステージには少しはやいんですけど・・実は今日はもうひとりいるんです。突然なんですが多分・・・多分気に入ると思います。」

そういうと亜季の方に手を差し伸べた。客席の視線が自分に集まるのを感じる。

「まだ若くて大学生。実は私もピアノを聴くのは今日が始めてで。冒険です。でもベースの丈さん一押しのこれからの人という事なので私も楽しみです。春咲 亜季さん。」

そう言うエリカの微笑みが亜季を包む。ただ、亜季はけして見逃さない。エリカの厳しく輝く目の光


そして拍手が散り、無言のエリカ。

そう、明らかに今自分の出番がきたのだ。ライトが亜季を閉じ込める。指は硬く、鼓動は激しく、頭の中にはエリカの目の光の残像が回る。

側で丈が一言呟いた。

「やるしかないよ、亜季。」

(そうだ。やるしかないんだ!もし本当にこの仕事をしていくなら。)

そして手は軽く鍵盤の上に。少しずつ自分のピアノの音が近付いてくる。微妙な間合いでエリカの歌がはいる。当然曲の軽快さが増し、ベースのリズムを刻むタッチが亜季の気分を盛り上げた。そしてベースのアドリブから亜季のピアノへと。その瞬間のエリカの笑顔が亜季を心地よくした。

指が鍵盤にすいついていく。

(ああ・・・このままずっと弾いていたい。止まりたくない。)
そんな気持ちが亜季を包み、ステージを漂う。その空気をしっかり掴むのはエリカ。これまでには感じたことのない意気の合った間合いとテンポが華やかさを添える。

エリカがベースに目をやる。それから亜季に軽い視線。エリカの声が止み亜季のピアノが最後をしめた。

その時、大きな拍手が三人を襲った。亜季はおそらく始めて満足という言葉の意味を感じていた。一方エリカは不思議な感覚に捉われていた。
(血は水より濃いとか・・・それって・・・こういう事?こんなに意気が合うなんて。)

エリカの中でこれまで以上の敵対心と自分の歌には亜季のピアノが必要かも知れないという思いが芽を出す。


 そんなエリカの気持ちを知らず亜季はこの最高の幸せな時間に一人浸っていた。丈とエリカの最後のステージが終わるまでこの場所を離れたくなくてひとりカウンターで気持ちのいい興奮とお酒を味わう。

(これでもう迷う事はない。とにかくこの仕事を私はやる。誰がなんと言っても。・・・確かに今日は丈先輩もいたし条件としては悪くなかった。

いつもこんな幸せを感じる程甘くないのはわかってる。・・・でも、他の事でこんな気持ちになった事ないんだから。どうしたらこの世界に深く入り込んでいけるかしら?・・・そこが問題。バークレイでも留学する?・・そんなこと認めてくれるわけないか。ジャズを仕事にするなんてママには絶対わかるわけない・・あとは口コミ、誰かの紹介?)


 亜季の頭は回り続ける。その時だった。隣の席にカメラを持った男が座り亜季に話かけた。
「さっきのピアノよかったですね。すごくよかった。何しろエリカさんとの意気がピッタリだ。まるで家族みたいな。」

その言葉に亜季の頭がとまる。そして男の方をぼんやりと見た。まだ若い端整な顔立ちの青年だった。亜季の一瞬驚いた表情に微笑み返す。

「すみません。あんまりよかったから。あの一体感ていうのか。なかなか難しいだろうなと思って。あっ・・そうは言ってもあまりジャズは聞かないんですけど。今日はなんか仕事もうまくいかなくて一杯飲もうかなとフラッと。エリカさんの歌は前のもなんどか。」

「そうですか。」

亜季には家族みたいなという言葉しか興味がなかった。
(もしかしてあんなにスムーズに意気が合ったのは・・・姉妹だから?血のなせる技?)


そのあいだも男は話続ける。

「僕はカメラマンなです。もっともまだかけだしですけど。でも、まだ迷ってるんです。報道にかけるか、自然にかけるか。そうだまだ名前言ってなかった。藤城 淳です。」

そういうと名詞をさしだした。亜季はぎこちない微笑みを浮かべて手にした名詞を眺めていた。

「テレビ局の方なんですね。」

「まあ、とりあえず食べないといけないんで。この歳で親に食べさせてもらうわけにもいかないし。27なもんで。でも・・実はまだ迷ってるんです。
以前は遺跡の発屈とかやりたかったけど。そんな趣味みたいなもので生活できるのかって猛反対。僕も気が弱いからつい流されて。で、その付けで今も悩んでる。ああ・・まったく。」

その情けなさそうな顔に亜季は思わず笑っていた。この出会いがまた亜季とエリカの人生に割り込んでくるなどと思いもせず二人はただ無邪気にこの一瞬を分け合つていた。

21、亜季・・・大人になれなくて

21、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-03

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