陳暦(ちんごよみ) 第5章 富浦小学校

陳暦(ちんごよみ)第5章 富浦小学校は全校で100人くらいの小さい学校で
運動場は校舎裏の浜辺で、「館山」航空練習場でもあった、2機の複葉練習機が
堕ちていくのもみた。
相撲も砂浜だから転んでも痛くはなかった。

富浦小学校(千葉)

千葉県安房郡南無谷は母の故郷である。
この土地は「漁業」「琵琶」でなりたつている土地で、お互いの交流はなく逆にいさかいが
起きることもあった。
「富浦小学校」は2年一組で編成されていたが15人から多くて20人だった。
乳飲み子からヨチヨチ歩きの幼児を学校へ連れて来る、5、6年にでもなると何の躊躇もな
く2人連れてきて教室んのうしろへ寝かせつけて教壇の先生の授業を受けた。
おむつはそれぞれ持参しているので泣けば授業中でもおむつを替える、いたって手慣れた動
作が続く、「うさぎ」を組単位で校庭内で飼育している、餌は野原にいくらもある「あざみ」
で手が痛くっても当番だからしかたない作業だった。
授業は午後3時頃終わるが毎日補修授業が宿題をこなす時間で1時間ある。
伸は隔日に一駅遠い「船形」まで母の薬を医院まで取りに行く、名古屋から持ってきた24イ
ンチの自転車で通う、学校え持っていけないので学校向かえの果物屋へ預けておく、補修を2
0分位で終わりすっ飛んで行く、家にかえるのは6時頃だ。
寒く冷たい風がヒュウヒュウ吹く2月流れてくる「ワカメ」を取って砂浜へ乾す作業、それが
終わると「天草」乾し、誰でもいい人手が欲しい5月の琵琶収穫作業と続く。
弟の謙次は手足に出来るしもやけで毎日泣きながら海へ入った、「そんなものは塩水で治って
しまう」と頑固おじいの一言、そんな大人達が怖くてそれぞれ与えられた作業をこなしていた。
或る日「今日は栗原先生がきたよ」と蘇峰の間に寝ている母が晩飯を持って行った伸に云った、
一瞬ドキとする、先生が来るなど「何用で」来たのかと思う、「伸坊の事を訪ねて、何で早く
帰るのかとか毎日の生活を聞きに来たんだよ」と云った、「よかった」と伸はほっとする。
翌朝朝礼の檀上へ兄妹3人上がれと校長先生が云った、「名古屋から来た3人は本当に親孝行
で、こうゆう子のいる本校は自慢が一つ増えたと褒められた。
これ以来伸は隠すことなく自転車通学が出来た、
しかしこれで仲間が出来たわけではない、とゆうのも村中では「肺病の母の子」とゆうレッテ
ルがもうすでに貼られていたから毎日が変わることはなかった。
それでも一つ仲間へ入れることがあった、「おとごと」遊びとゆうもので「ハエ取クモ」を取
ってきてハエを餌にしてマッチ箱で飼う、クモの喧嘩で大きく育てば強くなる、「ピイピイの
木」を浜で探しクモをみつける楽しみも増えた。
或る子が5寸釘で磁石が出来たと見せびらかしていた、伸らもそれが欲しくて3人で「富浦」
駅まで行って線路に入る「トンネル」まですぐ近い、5寸釘5本を持って「トンネル」に入っ
た、線路へ5本の釘を並べて汽車の来るのお待った、汽車の音がする、3人はトンネルの壁に
へばりついた「怖かった」。自分たちでは判らなかった線路と壁の隙間の狭さが。
それでも3人で泣く泣く帰って来た。
その翌日校長が「昨日、あのトンネルに入ったものは前へ出なさい、正直に」の声と同時に3
人は前に出た全校生徒の前でのさらし者だった。
実際伸達は二度と行かないと誓った。
本当に怖かった思いをした。

陳暦(ちんごよみ) 第5章 富浦小学校

いよいよ戦後の話に入ってきます。
以後も多くの人に読んで頂きたいです。

陳暦(ちんごよみ) 第5章 富浦小学校

5章は田舎の小学校の一部物語です。 遠くだったと当時は思ったが今行って 見ると以外に近い、4トンネルを越し て、「里見八犬伝」由来の山、日蓮 ゆかりの山と、あれこれ話題の種に 困らない今も県道の幅、道のりはか はっていません。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted