エンジェル係数

 エンゲル係数をもじって、エンジェル係数。 
 シャレで付けたつもりが、実際にあるんで、びっくりしました。

 マユの友達が、遊びに来た。
 マリアちゃん。
 同じ幼稚園に通う、女の子。
 同じ団地の子。
 けれど、マリアちゃんの肌は、少し褐色。
 目鼻立ちも、日本人と少し違ってオリエンタル。
 何故なら彼女のお母さん、フィリピン人。

 マユは、敏感な子で、周囲の態度に気付いている。
 マリアちゃんに、その母親のアグネスさんに、周囲がどういった態度を取っているのか、そうして、その原因が何なのか――ちゃんと気付いている。

 と言って、義侠心――そんなもの、五歳のマユにあるわけない。
 マユとマリアちゃんは友達だから、一緒に遊ぶ。
 ただそれだけ、当たり前のこと。

 二人、家の中でひとしきり遊び、やがて飽きた。
 近所の公園に行こうということになる。
 二人は、幼稚園児。
 私は付き添うことにした。

 二人は、砂場で遊んでいる。
 私は藤棚の下のベンチで、ペットボトルの茶を啜る。
 とても、牧歌的。
 風薫る、五月の昼下がり。

 不審者対策で、公園のブラインドになる木々は軒並み撤去されている。
 そのため、公園は丸見え。
「マユちゃんの、お母さん」
 やはり同じ団地で、同じ幼稚園に女の子を通わせる母親――沖田さんから、フェンス越しに声をかけられる。右手のスーパーのレジ袋から察するに、買い物帰りと思われる。
 それにしても、そう呼ばれると、かえって娘の名前が周囲に知れて、危ないと思う。
 そのことに、沖田さんは気付かない。
「あ、どうも、ハオンちゃんの、お母さん」
 私は、気付いた上でそう呼んだ。
 我ながら、人が悪い。
 それにしても――キラキラネームは呼ぶ方も覚悟がいる。口に出すのが、恥ずかしい。
 何でも欧米で『Heaven』をひっくり返した『Nevaeh』と言う名前を、子供に付けるのが流行ったらしく、それを真似て、ノアの方舟の『Noah』をひっくり返して『Haon』で、ハオンらしい。
 転覆させてどうする、と思いつつ、クリスチャンなんですか、と尋ねたら、浄土真宗と笑って答えた。
 要するに、沖田さんはそう言う人。
 それから、娘さん――ハオンちゃんの教育にずいぶんとご熱心のご様子。
 バレエに、英会話、あまつさえバイオリンすら習わせている。
 それにしても――同じ市営団地。年収は知れている。そのうちいくらを、娘の教育費に充てているのやら? 他所様の家庭のことながら、心配になる。
 確か、家計に占める教育費の割合を、エンゲル係数をもじって、エンジェル係数って言ったっけ? 
 沖田さんちは、きっとかなり高めだろう。
 それでも子供は、親にとってはまさしく天使――それは当然の支出なのだろう。
 そう考えれば、キラキラネームにも、親の確かな愛がそこにあるのだろう、たぶん。
「今日はハオンちゃんと、ご一緒じゃないんですか?」
「ハオンは今日は、英会話スクール。やっぱり英語って、話せないより話せた方が、宜しいでしょう?」
「ええ、私もそう思います」と、私は素直な感想を述べる。
「――ちょっと、マユちゃんのお母さん」と、沖田さんは急に私を手招きする。
「何ですか?」と私、座ったままで、対応。
「ちょっと、こっちにいらっしゃって」と、また手招き。
 やれやれ。
 私は、重い腰をあげ、沖田さんの許へ。
「……ご存じ? あの子の母親、フィリピン人」
 口に手をやりながら、沖田さんは小声で言う。
 わざわざ呼び寄せて、そんなこと。
 ただただ、不快。 
 五歳のマユに義侠心はなくても、三十路の私には、それがある。
「だから、なんです?」
 私は、彼女の目を見据え、恬然と言ってやった。
 すると沖田さんは、急にどぎまぎしだし、私から目をそらすと、自己弁護を始めた。
「いや、そりゃ私だって、そう言うのが、いけないってのは、分かってますよ、もちろん。でも、周囲の目と言うか、やっぱり、気になるじゃないですか。何より、娘がいじめられない為にも――」
 
 最後の一言に、ふううっと、私は大きく息を吐く。
 この人に、悪気はない。
 誰だって、我が子が大事。
 子供のために、親は時として盲目になる。
 良心にさいなまれながら――と言うより、さいなまれないために、目をつぶる。
 誰だって、そんなこと、いけないことだと知っている。
 知ってる上で――娘大事のことなのだ。 
 私の態度は、この人が、せっかく見まいとして閉じていた目を、いたずらにこじ開けさせてしまっただけなのだろう。
 私は、何て人が悪い。
「そりゃ、お宅のマユちゃんは、お強い子でしょう。明るくて活発で、何より愛くるしい。けれど、うちのハオンは少し内気なところがありますし――」
 ――おっと。
 まだまだ、沖田さんの自己弁護は継続中だった。
「沖田さん」
 出来るだけ優しい口調で言ったつもりだったが、
「はいっ?」
 沖田さんは、私の声にびっくりした。
 まるで授業中、教師に内職がばれた時みたいな反応。やましい気持ちの裏返しだろう。
 私は、更にいっそう穏やかな口調で、彼女の喜びそうなことを言った。
「ご存じですか? フィリピンでは、学校の授業は基本英語で行われるんです。だから彼女のお母さん、アグネスさんは英語ペラペラ」
「え?」
「もちろん、それはマリアちゃんも。実は最近、マユはアグネスさんから、英語を教わってるんです。もっとマリアちゃんと仲良くなりたいから。ああ、もちろんただで。二人とも、ちょっとこっち」
 私は二人を手招きする。
 とてとてとてとやって来た二人に、私は言った。
「ハオンちゃんのお母さん。二人とも、ご挨拶」
「How are you,today?」
 マユの不意の英語の問い掛けに、沖田さん、
「え? あ、アイムファイン、サンキュウ、アンドユウ?」と、しどろもどろにカタカナ英語で返す。
「No bad,excep ――とっと」と、マユは慌てて自分の口を手で覆う。
「マユ。英語になっちゃってるよ」と、マリアちゃん。
「へへ、マリアと一緒の時は、いっつも英語だから、つい」と言って、マユ照れ臭そうにぼりぼり頭をかく。
「ね、せえので、一緒に挨拶しよ、マユ」
「うん」
 小声だが、しっかり周囲に聞こえるそのやりとり――微笑ましかった。
 けれど、肝心の『せえの――』の後、なんて言うのか決めてないのに、大丈夫なのだろうか?
「せえの――」と、私の心配をよそに、声を合わせた二人。
「こんにちは、ハオンちゃんのお母さん、ごきげんいかが?」
 打ち合わせしてないにも関わらず、何故か、一字一句見事に揃っていた。
 二人もビックリしたらしく、顔を見合わせ――吹き出した。
 私たちも、顔を見合わせ、やっぱり吹き出してしまった。
 四人が四人とも、笑っている。
 とても、牧歌的。
 風薫る、五月の昼下がり。 
 私は、なお笑いながら、
「はい、良くできました。それじゃあ二人とも、いってよし!」
 ポンポンと、二人の背中を軽く叩く。
「Mayu! Let's play on the swings!」
「Yeah!」
 二人は手を繋ぎ、ブランコの方へと駆けて行く。
 その様は、さながら天使のようだった。
 私は思う、きっと今の二人のエンジェル係数は、高めだろう、と。
 とても、牧歌的。
 風薫る、五月の昼下がり。

 ――おっと。
 沖田さんへのサポートを、忘れていた。
「ねえ、沖田さん。同じ団地、同じ幼稚園に通うもの同士、良ければハオンちゃんも、一緒に遊びませんか?」 
 それから、私は沖田さんの喜びそうな一言を、付け足した。
「――ほら、英語の勉強にもなりますし」
「……宜しいんですか?」
「もちろん。やっぱり英語って、話せないより話せた方が、いいですもんね」
 これで、沖田さんちのエンジェル係数も、少しは下がるだろう。
 私の心配事も、ひとつ解消される。

エンジェル係数

 英語は苦手、作中の英語が正しいか、自信なしです。

エンジェル係数

『エンジェル係数』とは、家計に占める教育費の割合を示す値、らしいです。 3374文字。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-03

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