18、亜季・・・大人になれなくて

母と亜季、交わるようで・・?

                             18,母と亜季、交わるようで・・?

  一瞬にして亜季と母の間に緊張が忍び寄る。緊張というのはあらわに吐き出された怒りや悲しみより重苦しい。

母は何も言わず亜季の横を通りすぎ部屋を出ていった。ただしお互いがすれ違う時には棘のような神経がふたりの間を交錯する。亜季は暫くの間その場に座り込みただぼんやりと夏の陽射しを浴びた絵のような幸せが漂う庭を眺めていた。

そして母は二階の部屋でささったばかりの棘を見つめている。
ずっと昔幸せを信じ、まだ生まれたばかりの美紀を抱き花の名前をゆっくりと教えていた庭を窓から眺めながら。


 亜季の母、希美子は大学を出た後まださほど知られていない政治家の秘書という仕事についた。特別政治に関心があるというわけではないが女性の仕事がまだ多いとは言えない中でちょっとした変わり種を好んだ。ただ、この選択を希美子の母も弁護士だった父もけして喜んではいなかった。何故なら祖父は女性の最大の仕事は家庭の中にあると考える人だから。
今考えればなんとも古臭い固定観念に縛られた石頭を持ち合わせた老人のようだが彼の時代はそれもけして珍しいことではなかった。そして亜季の祖母、つまり希美子の母はそんな夫の考えを当然とする人で祖夫から見れば良き妻であった。希美子はそんな夫婦の間の二人姉妹の次女として生まれた。


おっとりした姉に比べ負けず嫌いで自分を主張したい希美子。当然男に経済も人生も預けて生きるなんてばかげているとずっと思っていた。

だから女が一人でも食べていけて、しかも社会的にも認められ、なおかつ結婚して子供ができてもその事がマイナスにならない職業としては最高だと感じていた。そして晴れてその幸運を手にしたのだ。

なのにわずか3年でやめ父と結婚し家庭をひたすら守り、夫の出世を後押しする主婦におさまった。
何故あれ程望んだ仕事を捨ててまで父を選んだ。おそらくその恋が希美子の心を初めて大きく揺さぶる程のものだったから。

夫が望むなら仕事を辞める事になんの苦もなかった。そして希美子は自分の人生の目標を大きく転換した。精神的にも経済的にも自立した女から夫が望む笑顔で満たされた幸せな家庭をつくる事を新たな夢にしたのだ。

そう・・・あの事実を知るまで。


 その日は突然来た。まだ外務省でなんのポストにもついていなかった夫は国内、海外を問わず出張が多かった。そして若かった夫は長崎で恋に落ちた。それも夜の仕事をする女性と。そしてエリカが生まれた。
エリカの母は親の希望もあり一時は小学校の教師をしていたが元来自分の美貌に自信があったからなのか子供相手の退屈な日々は苦痛以外のなにものでもなかった。もっと自分を活かし、さらに生活も潤い、運がよければそこで将来の幸せが約束される人も見つかる。そんな三拍子そろった仕事を夜の街にもとめた。結果、高級なナイトクラブで働いたいた。

 夫とエリカの母の関係を希美子が知ったのは亜季が生まれて3年が経った時。
ある日、エリカの母から電話がかかってきた。なんとも言えない甘い魅惑的な声。しかも電話の向こうではこう言っている。
「ご主人を自由にしてあげてください。ご主人がもとめる相手はわたしです」と。
その日を今でも忘れない。

その日から希美子の幸せの意味は不透明になってしまった。ただ、別れて欲しいと言うエリカの母の言葉に従えるはずはない。夫への怒りをおさえつつ淡々と事実だけを夫に問いただす。そんな希美子に家庭を壊すつもりはなかったとこれもまた淡々と答える夫。希美子の体の中で締め付けるような憎しみが芽をだした。

その後の希美子の行動は早かった。祖父のコネもつかい弁護士をたてエリカの母に法的に対抗をしかける。その為のお金はおしまなかった。

もちろん目的はふたつ。。自分の家庭を壊させない。そして夫をけして渡さない。そこに向かい一心に走る。希美子の持って生まれた負けず嫌いという性格が夫の心も、エリカの思惑もすべてを飲み込んだ。

ただ、この時希美子はひとつ忘れていた。というよりは分からなかった事があった。


それは今の思いを通した結果何が自分の心に残り、それがこの家庭にどんな影を落とすのか。まだ若い希美子には想像もできなかった。

 確かに時が流れ、起きた事実は過去へ押しやられた。でも希美子の心の中の夫への憎しみは消えることもなく、そのエネルギーは絶対幸せな家庭にするという意地にも似た情熱になり子育ての中に反映された。豊かである事、教養を身につけている事、上昇志向である事などが折にふれ美紀と亜季に教え込まれる。一方でその道を逃してしまった人への偏見とも言える冷たさがのぞく。もちろん希美子はその部分は外ではけして見せない。

だからはた目にはおごることのないいい人と評価される。この二重の構造がとりわけ亜季の心を混乱させていた。

 希美子は思う。
(あれからもう何年・・・?子供達には知られたくなかった。とくに亜季に。何故かしら・・あの子は難しい子だから。妙な正義感が若い時の私に似てる?・・・それにしてもどうしてこんな結婚に。どうして時がたっても夫への憎しみがなくならいの?どうして!・・私は仕事まで辞めたのに。
そして新しいしあわせな家族をつくるという仕事に懸けたんだから・・裏切りは簡単に許せない。当然でしょう?でも・・・私はこんな嫌な女じゃなかった。)


 亜季は思う。
(忘れなさいと言った時の母の顔・・厳しかったけどなんとなくいつもと違う。なんていうのか・・悲しそう。いつもの自信が見えない。もしかしたら私が見てきた母は本当の母とは違うのだろうか?悔しさが母を変えてしまったのだろうか?そしてそんな思いを抱えたままこの家を支えてきたのだろうか?それもある意味では苦しいだろう。今は苦しさも越えて執念のようにも見えるけど・・・)


こんな考えに埋もれながらふたりは別々の場所で幸せな思い出がつまった庭を見ていた。

18、亜季・・・大人になれなくて

18、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-07-02

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