私見 昆虫記
純粋に、「昆虫」類に纏わる私の体験談に基づく私説を書き綴っております。
尚、“虫の類い”が生理的にお好きでない方は読むのをお控え頂くようお奨め致します。
※若干“ショッキング”な内容も含まれます。(笑)
アカサシガメ
耳慣れない名前の昆虫と思われるであろう。
実際私もそうである。(笑)
某CGM(消費者発信型メディア)の解説を繙くと、
体長約1㎝強。本州・四国に分布。
『カメムシ目/サシガメ科』に属する昆虫で、所謂“刺すカメムシ”の仲間
という事である。
(興味のある方は、ご自身でお調べ下さい。)
嘗て私はこの恐ろしい昆虫に遭遇し、実際に被害を被った。
それは、私が小学4年の夏休みの話。
当時私は、母が急性肺炎で入院していた事もあって、二人の妹と共に、一時父方の祖父母の家に預けられていた。
そこは、市の中心部からかなり離れた田舎で、徐々に宅地開発されてきてはいるものの、まだまだ人家は疎らで、田園が広がり、小さな林がそこかしこに点在する自然豊かな場所だった。
当然、子供達にとっても格好の遊び場が多く、私は妹達と毎日近所に出かけては夢中で遊んでいた。
ある日、やや陽も傾きかけた頃、近所の空き地で遊んでいた私は、そこの隅に生い茂っていた草むらで、ある昆虫を見つけた。
目に飛び込んだのは、その鮮やかなピンク色、というよりはスカーレット・カラーに近い紅色!!!
当然、そんな昆虫は今迄見た事も無く、又知る由も無かった。
然し、そこは無垢な子供。キレイな虫を見たら、捕まえたくなるのが当然の心理である。
加えて当時の私は、自ら昆虫標本作りを試みる程(結局完成には至らなかったが)、所謂“虫大好き少年”であった。
そんな訳で、何の躊躇いも無く、その紅い昆虫に手を伸ばした瞬間
ーーーーー!!!???
蜂に刺されたような火のような激痛が、右手の指先を襲った!!!
一瞬何が起こったのか分からなかったが、ふと我に返ると右手全体が痺れでいる感じがして、私は情けなくも大泣きし乍ら妹達と祖父母の家に戻った。
そして直ぐ、患部の毒(?)を絞り出し乍ら水でよく洗い、絆創膏を貼付した。
その後痛みと恐怖からか、暫く悪寒が続いたが、夕食時になるとそれも大分癒えた。
父からは、
「お前は外行くと、ろくな事してこんのお…」
と心無い一言。大事に至らなかったから良かったものの、私はその日、心と体に小さな傷を二つ負った。
以上、これが私が「アカサシガメ」と遭遇した体験の記憶である。
幸い、この日以降この虫にお目にかかる事は無かったが、今思い出しても本当に恐ろしい昆虫である。
これを読んだ方、もし草むら等で異様に鮮やかな虫を見つけたら、先ず無闇に触らないで頂きたい。
『綺麗なものには毒がある』
私の経験からいって、この言葉は「アカサシガメ」にこそ相応しい!!!
ヘイケガニ
「昆虫記」第2弾でご紹介するのは、予めお断りしておくが、「昆虫」ではない!!!
概要欄でも釈明させて頂いたが、昆虫ではない掟破りの海洋生物「蟹」である。
その名も「ヘイケガニ」!!!
読者諸氏も一度ならず耳にした事はある名前ではないだろうか。
然し乍ら、言う程メジャーな蟹ではない。
その理由は「食用ではない」という点に尽きる。当然市場には全く出回らず、TVやマスコミでも先ず取り上げられる事は無い。
では何故私は、この「ヘイケガニ」を題材に選んだのか!?
特に「昆虫」のネタに詰まったという訳ではない。
実は私が同時進行で書き進めているもう一方のエッセイ集「世にも不思議な本当の話」のネタを回想中、ふと閃いた、基い思い出された記憶の欠片がそれだった。
どちらの"括り"で著すか迷ったが、特段不思議でも何でもない只の幼少時の思い出なので、こちらの「昆虫記」に収める事にした次第である。
ともあれ、貴重な経験であり、何れにしろ珍しい生き物である事に違いはない。
前置きが随分長くなってしまったが、果たして私がこの珍しい蟹にお目にかかったのは、小学1、2年位の頃。
当時私が住んでいた所は、瀬戸内海に面した砂浜の広がる海岸に程近い地域で、極稀に大変珍しい特別天然記念物「カブトガニ」が現れたりもする場所だ。
そこ迄言えば、自ずと場所もある程度限定されるであろう。
そういう環境だったもので、その地域で人気な海のレジャーと言えば、ダントツで“潮干狩り”であった。私もご多分に漏れず、当時遠足等でよく行ったものだ。
そんな中、多分父親だったと思うが、職場のイベントで潮干狩りに行き、大量の浅蜊をゲットして帰ってきた。
当時我が家では、私を除いてほぼ全員が浅蜊好きだった。
その日も夕食の仕度で、母が浅蜊の“砂出し”作業にかかろうとしていた。
その時 ―――、
「〇〇(私の本名)、ちょっと来てご覧!!」
台所から私を呼ぶ声に飛んで行くと、母の手には、それ迄に見た事が無い、奇妙な生き物が載っていた。だが、その姿は明らかに、やや小振りの「蟹」そのものだった。
そいつは、何故か浅蜊に混じって捕獲された風だったが、残念乍ら既に息絶えていた。
よくよく観察してみると、甲幅は約2㎝程、甲羅の割に脚がやたら長く、色はオレンジに近い茶褐色。
更に私の目を惹き付けたのが、甲羅に刻まれた顔のような模様、というよりは凹凸!!
それは正に、“鬼の形相”!!! ――― 幼い私の目にはそう写った。
「何、この蟹?」「多分『ヘイケガニ』と思うよ。珍しいやろ?」
珍しいどころか、私にとってはかなりのインパクトであった。
早速私は、家にあった「魚介類図鑑」で調べてみた。すると………
あった!!!
『ヘイケガニ』― 「瀬戸内海を中心に、日本近海のほぼ全域に生息」とある。さして珍しい稀少種でもないようだ。
然し、私にとっては“稀少生物”!!!
「お母さん、それ捨てんとってね!」
「それはええけど…」
私の願いに母は渋々了解したものの、そこはやはり生モノ。保存方法も分からず台所に放置する内、腐敗と劣化が進み激臭も放つようになったので、仕方なく数日後には処分されてしまった。今思えば、誠に残念である。
「ヘイケガニ」は嘗ては、瀬戸内海の、しかも壇之浦周辺の海でよく捕獲されたらしい。
壇之浦と言えば、その昔源氏と平家が最後に戦った古戦場として有名だが、そこで戦に敗れた平家一族の怨念が蟹の甲羅に宿り、アノ蟹になったという伝説も残っている。それはあくまで逸話であろうが、そういう逸話が生まれる程、その恐ろしくも異様な姿形は見る者にインパクトを与える要素を十分に持っている。
幼少の頃の他愛の無い、然し今日迄鮮明に記憶に残る衝撃を与えてくれた「ヘイケガニ」。いつの日か又、是非とも何処かでお目にかかりたいものである。
セミ(蝉)
突然だが、私は夏が好きだ!!
誕生月なのもあるだろうが、兎に角好きだ!!
だからといって、特段何をするでもないのだが…。
(実はアウトドアとかは、どちらかと言うと億劫な方である。)
で、正に今は夏真っ盛り!!
(これを書いているのは8月某日。)
夏の虫と言えば、先ず思い浮かぶのが言わずもがな『セミ』であろう。
好き嫌いはお有りだろうが、私は『セミ』は好きな方だ!!
先ず“蝉時雨”ってのが実に良い。夏を感じさせてくれる音響効果だ。
(私はそれを勝手に『セミングシャワー』と呼んで独り愉しんでいる。)
私の周囲では、クマゼミの“シャーシャー音”が主流だ。
夕方など稀に、ヒグラシの“カナカナ音”を聴くと、何やら寂莫感さえ抱く。ドラマやアニメ等では効果的に登場する擬音だ。
幼少の頃はよくセミ採りをしたものだが、私は“抜け殻”も何故かよく集めていた。
理由は定かでは無いが、恐らくあのディテールと、保存の良さが気に入っていたように思う。確か小振りの段ボール箱に数10個は集めていたと記憶していたが、いつの間にか失くなっていた。多分母親にでも棄てられたのであろう。
(勿論子供の頃の話だ!!)
『セミ』については、一寸不思議なエピソードがある。
それは数年程前の事。(意外と最近)
秋の訪れを感じ始めた頃、車のオイル点検をしようとボンネットを開けた処、ラジエータ部分に何やら挟まっているのが見てとれた。黒い、10㎝に満たないその小さな物体を良く良く観察すると、何とそれはクマゼミの死骸だった!!
― 一体どうやってこんな所に入り込んだのだろう?? ―
私は素手で触るのも何か嫌だったので、偶々あった使い古しの割り箸を使って、崩さないように取り除き乍ら思った。
ボンネットなど余程の時にしか開ける事はないし、開けた際に飛び込んできたなら直ぐ分かる筈だ。
………と言うと、考えられるのは車体の下、つまり裏側からどうにかして入り込み、ラジエータ部分の隙間で息絶えたと考えられるのが妥当だろう。
然しどうやって…!? 何の為に…!?
疑問は募る許りである。
まぁその話はさておき、『セミ』の最盛期はもう暫くは続きそうだ。
その内、夏の終りを告げるかの如く鳴く「ツクツクボウシ」の声が聴かれるのもそう遠くはない筈だ。
チョウトンボ(蝶蜻蛉)
2015年、8月某日 ―――― 。
蝉時雨が既に騒々しくなっていた、朝の7時過ぎ。
出勤しようと玄関を出た時、私の足元を見慣れない虫が横切った。
それは体長10㎝程で、体色は見た感じ真っ黒。
ヒラヒラというよりパタパタといった感じで、暫く私の眼前を低空飛行していたが、やがて何処へともなく去っていった。その間約30秒位 ……。
初めはちょっと大きめの蝶か蛾か何かかと思ったが、姿といい飛び方といい、明らかにそれらとは異なっていた。
そして直ぐに閃いた。
「あれは『チョウトンボ』だ !! 」と。
実際に生でその姿を見たのは小学校時代以来で、正に数十年振りである。
居る所には結構居るとも思うのだが、住宅地の、しかも玄関先に現れるとは…!?
大袈裟かも知れないが、私にとっては“小さな奇跡”とも感じ取れた。
その日は不思議と一日気分が良かった。
夏の日の一時、珍しい虫と出逢い淡い感動を覚える ―――― 。
こんな他愛もない事こそが、正に今自分は幸せなのだと痛感させてくれる。
「チョウトンボ」はそんな事を教える為に、私の元を訪れたのかも知れない。
私見 昆虫記
何分 "私見" ですので、私自身の不勉強や解釈の相違からくる誤謬、偏った見方への反対のご意見等もございましょうが、その辺は何卒御容赦下さいますよう宜しくお願いします。 m(__)m