「この時代(せかい)に生きる」<過去編>本編

 短編小説6作目となります。どうぞお楽しみ下さい。

 碁盤の街、京都。
 古(いにしえ)の街を大切に残しつつ、現代(いま)と融合してる不思議な街。
 ここで生まれ、ここで育ち、これからもここで生きていくだろう。
 


 しんとする教室。
 瞑想する少年が1人、机に肘を付き、椅子に座る。
 目を開け、黒板の上の時計を見る。16時を差す。
 ガタッと音を立て、立ち上がる。
 左手で学生鞄を乱暴に掴み、急いで教室を出る。
 俺は珍しく、考えに没頭していたようだ。
 この際、何を考えていたかはどうでもいい。
 部活は既に始まっている。これは先生に怒られるな。
 俺は剣道だけが唯一の道なのに。
 剣道場に走る。

 中腰から両膝を付き、右足を後方にずらす。同様に左足もずらし、正座。
 剣道着を取り外し、左右に置く。
 面を取り外し、右横に置いた後、頭を覆う手拭いを外す。
 ふぅと息を吐く。
 剣道場には、そこかしこで、男女問わず、稽古に励む姿が見て取れる。
 先生に怒られると踏んだのだが、逆に心配された。
 1度も休まず、1番に来ていた人間が何の連絡もなしに遅れたからだと返された。
 謝罪の言葉を何度か口にし、自分への戒めとして、100本の素振りを終え、現在(いま)に至る。
 今日は何かがおかしい。心ここにあらず。
 今も。誰にも気付かれずに道場の外へ。
 息を吐くと白い。
 雪が降り積もり、地面は一面真っ白。
 雪は止む気配がない。
 寒い。剣道着と袴なのだから、当たり前か。
 この寒さが身を引き締めるようで心地よくもある。
 漆塗りの光沢のある雪駄を履き、雪の上を歩く。
 自分の足跡だけが雪に刻まれる。
 黒髪に雪が付着。剣道着にも付くが、同色の為、分かりにくい。
 紺の袴に付く雪。動いているせいかすぐに落ちる。
 立ち止まる。目の前には枯れ井戸。申し訳程度の柵に囲まれている。
 ここに導かれた。
 いつもなら気にも止めない場所。今日に限って。
 分からない。
 左手を握り、口元へ。考える。なぜか。
 目を瞑る。考え込む。
 ふと目を開けると、手が赤くなっている。
 随分考え込んでしまったらしい。戻るかと思った矢先、背後から気配がする。
 素早く、右足を後方にずらし、180度回転。後ろを向く。
 「わっ!」
 自分と同じ姿の命(みこと)がいた。昔からの腐れ縁の友人。
 「命(みこと)か。背後に立つな」
 力を抜き、井戸に向き直る。
 右隣に移動しながら話す命(みこと)。
 「相変わらず、眼力半端無いな、時生(とき)は。殺気放たないでよ。怖いなぁ」
 「そんな事言う為に来たのか」
 “また始まった”とでも言いたそうな顔で俺を見る。
 「まだ用があるのか」
 突然、後頭部を掴まれ、井戸を覗く体勢になる。
 体勢は戻せない。目を井戸から離せない。
 あるはずのない水面が現れる。
 波紋が現れ、左回りで回る。
 波紋を目で追い、吸い込まれるように、意識を手放す。


 
 吹雪が吹き冷す。
 降り積もる雪の上に時生(とき)だけが横たわる。
 「うっ」
 呻き声を上げ、両手を地面に当て、右足・左足で地面を蹴り、立ち上がる。
 頭を左右に二度振り、付着した雪を掃(はら)う。
 周辺を観察、長屋が両端に連なる。
 下町の長屋に似ているが、学校周辺にはそのような場所は存在しない。
 自分がいるのは、行き止まり。
 ここは、どこだ。
 先程まで、校庭の枯れ井戸の側にいたはずだ。
 見渡す限り、枯れ井戸・校舎が見当たらない。
 理解出来ない。どういう事だ。現実を受け入れろというのか。無理だ。
 自分に何が起きたのか、見る物が全て信じられず、混乱に陥る。
 一緒にいたはずの命(みこと)を気にする余裕がない。
 自分に起きた事すら理解できないのだ。
 訳も分からず、ひた走る。
 雪に足を取られ、前に倒れそうになっても、構わず、走る。
 「ハァ、ハァ、ハァ」
 息が弾む。胸の鼓動が激しくなる。
 目の前に2つの人影が見える。
 寒さと恐怖に震えながら、話しかける。
 「あ、あ、あの、すすすいませせん。こここ、どどこここですすか」
 歯がカチカチと音を出し、どもる。相手に全く伝わらない。
 今の俺はこれが精一杯だ。
 「何言ってんだ、こいつ」
 2人は内緒話を始める。灰色の着物。時代劇に出る浪人に似てる。
 何だろうか。
 二人共、腰に下げている刀の鞘に手を置く。あれは模造刀か。
 一歩、二歩と近づくので、同様に俺は一歩、二歩と下がる。
 圧迫感。二人の顔を見た時、頭の中で警鐘が響き渡る。
 目を大きく見開く。紛れもない殺意。
 下卑た笑いを浮かべる。
 こいつから逃げないと。
 速攻で後ろを向き、走る。
 ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
 演技ではない。本物の殺意だ。刀も模造刀ではなく、本物か。
 状況が全く掴めない。
 長屋の中には人にいるはずなのに外には誰もいない。
 どうしてか分からない。
 今の俺に周辺把握能力はない。
 路地を通り、更に狭い通路を曲がる。土地勘が全くないのに狭い道へ狭い道へと突き進む。
 ふと後ろを見る。二人は刀を振り上げながら、向かってくる。
 恐怖が支配し、叫ぶ。
 「うわぁぁぁああ。誰か。誰か」
 助けてくれ。
 目の前に壁。行き止まり。
 ロボットのように全身をカクカクと動かし、後ろを振り向く。
 狂気に満ちた顔。二人が同時に刀を振り下ろす。
 ヒュン。
 風を斬る音。
 目を瞑る。両手で顔を覆い、屈む。死にたくないと心の中で叫ぶ。
 「ギャアアアアアアァァァァァ!!」
 耳をつんざく悲鳴が鼓膜を刺激する。
 風を斬る音と骨を折る音。
 「ウ、ウワァアアアアアァァァ!!」
 ブシューと血が吹き出す音。
 人が雪の上に倒れる音が聞こえ、静寂が訪れる。
 雪を踏み締める音。近づいてくる。
 恐怖で震えが激しくなる。
 左肩を掴まれた瞬間、左手で掃い、尻もちをつく。
 目を開き、相手を見て固まる。
 右手に持つ刀からは血が滴り落ちる。人の血。
 地面には今まで生きていたはずの人の死体が広がる。
 無表情で立つ男性。
 月灯りに照らされた彼の姿は綺麗の一言。
 状況を忘れ、見入る。
 緊張の糸が切れ、身体が傾き、倒れる。
 「大丈夫か」と声が遠くから聞こえる。
 肩に担がれたところで、意識を手放す。 
 

                                                               「・・・、・・・、・・・、・・・」
 話し声が聞こえる。
 「・・・、・・・、・・・、・・・」
 目をゆっくりと開ける。檜木の天井が見える。家の中か。暖かい。
 布団に寝かされている。まだ、身体が強張り動かない。
 この部屋は暗いけれど、左は障子が少し開き、光が漏れる。
 話し声は左からだ。
 「珍しいな。以蔵が人助けするとはな」
 “以蔵”、古風な名だな。俺を助けてくれた人か。
 「・・・。俺も分からない。気付いたら、身体が動いていた」
 ありがとう・・・ございます。
 「・・・以蔵。お前の本質はそっちじゃないのか」
 どうやら隣には二人の人がいるようだ。長らく沈黙が続き、”以蔵さん”が口を開く。
 「今更、変える訳にはいかないだろ。龍馬」
 “龍馬”、こちらも古風な名だ。珍しい。
 身体が馴染み、布団をのけて、起き上がる。
 立ち上がり、少し開いた襖に左手を添え、左にスライド。
 部屋の隅に置かれた行灯で明るい。今時、行灯。そういう趣味の人か。
 袴姿の男性が二人。中心に火鉢が置かれ、向かい合わせで座る。
 「おっ、起きたか。ケガはないか」
 “龍馬さん”が立ち上がり、俺の背中をバシバシと叩く。本気(マジ)で痛い。
 「だ・・・大丈夫です。助けて頂き、ありがとうございます」
 “以蔵さん”の方へ向き、会釈する。目の前に”龍馬さん”がいる為。
 「ケガがないのなら、良かった」
 「以蔵、さっぱりし過ぎだ。お前、名前は?どこから来た?とりあえず、座れ。話そうな」
 質問が矢継ぎ早に来て、面食らう。両肩を押され、座らされる。
 “龍馬さん”、豪快だ。
 「龍馬、そいつ固まってる。1つずつ質問してやれ。それに、俺達から名乗るべきだろ」
 “以蔵さん”が”龍馬さん”を注意。大の男がしゅんと落ち込む。
 ふっと笑う。なんか和む。
 俺の表情を見た二人。ほっとした柔らかな笑みを浮かべる”以蔵さん”。
 満面の笑顔の”龍馬さん”。
 「わしは、”坂本龍馬”ちゅうもんじゃ。薩摩の出じゃ」
 “薩摩”って昔の言い方だろ。でも、嘘ついてる様子はない。
 じゃあ、”坂本龍馬”って本物か。おいおい、そしたら、ここは。
 「私は”岡田以蔵”。土佐の出だ。龍馬は昔からの友だ」
 俺は黙り込む。考えたくはないが、ここは幕末か。
 「お・・・俺は、佐々木時生(とき)です。京の出だけど、ここではない。京の生まれで」
 自分は何言ってるんだ。いや、伝えなければ。
 俺が未来から来た人間だと言う事を。
 この人達なら信用できると直感する。
 それに、俺1人では何も出来ない。助けが必要だ。
 「時生(とき)、落ち着きなさい。整理してから話せ。大丈夫。時間はある」
 有り難い。自分の状況を整理し、相手に伝える。
 深呼吸を繰り返し、頭の中で状況を整理し、まとめる。そして、言葉にする。
 「俺は150年先の未来から来ました。井戸を覗いたら、いつのまにかここにいました。帰る為に井戸と一緒にいた友人の命(みこと)を一 緒に探して下さい。突拍子もないと思われると思いますが、本当です!信じてください。お願いします」
 頭を下げる。精一杯の誠意を込めて。
 じっと二人が俺を見る。
 真剣な表情になる以蔵さんが口を開く。
 「嘘を付いている目ではない。これも何かの縁だ。これから、よろしくな、時生(とき)」
 優しい言葉に涙が溢れ出る。雫がボタボタと袴に落ちる。
 龍馬さんが俺の頭に手を置き、髪をぐしゃぐしゃにする。
 「以蔵の言う通りだ。信じなければ、漢(おとこ)が廃るきに」
 ニカっと笑う龍馬さん。
 安心させるように笑みを浮かべる以蔵さん。
 「ほんどにありがどうございまず。ずっ」
 涙声で鼻をすする。
 本当にいい人達に巡り合えた。幸運にも。
 「今、何年何月何日ですか」
 状況把握しなければ、動けない。以蔵さんが答える。
 「完治元年、睦月4日だ」
 俺がいる時代は、1864年1月4日。幕末。そして、池田屋事件の5ヶ月前だ。 



 あれから2週間経過。
 井戸といっても、この時代、日常に使用している為、多数存在し、特定が難しい。
 せめてもの救いは、この時代と俺の時代に変化があまりない事が功を奏す。
 学校は御所の近く。その為、付近を重点的に探す。
 命(みこと)も捜索。一緒にいたのだから、どこかに飛ばされた可能性が高い。
 土佐勤王党の人達にも出会う機会があった。
 代表を務める武市(たけち)瑞山(ずいざん)は誠実で優しい人。
 以蔵さんの大恩人。恩義を尽くす相手だと熱く語ってくれた。
 他の人達も志が高くて立派な人ばかり。
 俺も見習わなければいけないと思う所が沢山あり、良い刺激になる。
 俺が未来人である事は,以蔵さんと龍馬さんしか知らない。
 以蔵さんが皆に伏せたのだ。未来を知るという事は、利用する相手が出てくるという配慮だ。
 二人以外には、俺は以蔵さんの弟子ということになってる。
 いつも一緒にいるので小姓扱いと思われていると予測。
 歴史上、”岡田以蔵”とは、”人斬り”、”学がない”、”裏切り者”と称す。
 しかし、この2週間、側にいた結果、間違いである事を確信。
 人を斬ったのは出会った時だけ。
 土佐勤王党では、党員に指示を出し、幹部級の働き。
 裏切るという性格ではない。
 歴史の中で間違って伝わったのだろう。
 俺にとっての”岡田以蔵”は、剣の師であり、恩人。
 剣の強さだけに固執するのではなく、生きる強さも磨きなさいと教わる。
 長いようで短い2週間に思いを馳せる。
 「時生(とき)、時生(とき)」
 以蔵さんが俺の名を呼ぶ声で、現実に戻る。
 肩を掴まれる。
 「時生(とき)!」
 「すいません。ぼーとしてました、以蔵さん」
 頭を下げ、以蔵さんに対し、謝罪。
 以蔵さんが肩から手を離す。
 「ここは往来だ。注意しなさい。お前の気持ちはわかる。だが、周囲にも気を付けなさい」
 「はい、すいません」
 ここは俺のいた時代と違う。気を引き締めないと。
 突如、左手を掴まれ、長屋の裏手へ。
 「以蔵さっ・・・!」
 「しっ」
 静かにするよう合図が来る。
 以蔵さんの視線の先には、党員が2人。
 何やら話しているようだ。
 仲間のはずなのになぜ隠れる必要があるのか。
 以蔵さんの眼光は鋭くなるばかりで説明はなかった。 

 夜。
 満月の光が射し込み、明るい。
 何もかも見通せてしまうようで、少し怖い。
 土佐勤王党は主に池田屋を根城にしている。動きやすいそうだ。
 今日も池田屋の2階で布団を敷き、以蔵さんと就寝。
 俺は眠れず、左横に身体をひねり、外の満月を見る。
 隣の以蔵さんは寝ているはず。静かだから。
 しばらくした後。
 以蔵さんが立ち上がり、部屋から出ていく。
 どうしたらのだろうと思い、後を付ける。
 階段を降りてる途中に気付かれた。
 「時生(とき)、気付いてるぞ」
 「えっ!?」
 気付かれていないと思っていたから、驚いて声を上げる。
 「静かにしなさい」
 後ろを振り向かず、以蔵さんは手振りで来ていいと承諾。
 二人で池田屋を出て、暗闇を走る。
                                                               新徳寺。
 新撰組屯所付近にある寺。
 攘夷志士である以蔵さん達が極力避ける場所。
 なぜ、ここで来たかは道中話してくれた。
 昼間、見かけた二人は、新撰組と内通している疑いがある。
 それは龍馬さんからの情報。
 今、俺達は、確かめるべく、二人を尾行し、ここに辿り着いた。
 石燈篭の後方で待機。様子を伺う。
 すると、1人の人物が現れる。
 息を呑む。目を見張る。
 驚くのも無理はない。
 そこに現れたのは、新撰組幹部、三番隊隊長、斎藤一。
 口が動いているのは見えるが、ここからでは聞こえない。
 以蔵さんの手を見ると、血が滲む。強く握り締め、爪が手の平に食い込む。
 仲間が裏切った現場を目の当たりにして、衝撃を受けているのだろう。
 二人は話を終え、夜闇に消える。
 以蔵さんが追いかける為、歩を進めるが、俺が袴を掴み、止める。
 「命(みこと)・・・!」
 暗闇から現れたのは、友人・東雲(しののめ)命(みこと)だった。やはり、こちらの時代に飛ばされていた。
 俺と斎藤一・命(みこと)を見比べる以蔵さんが一言。
 「新撰組側か。厄介だな。時生、友人の元に行きたい気持ちは十二分分かるか、先に奴らを追うぞ」
 もう一度、命(みこと)を見、以蔵さんと視線を交わし、頷く。
 俺達は命達に見つからぬよう細心の注意を掃い、その場を離れる。

 街行灯がない。月明かりだけを頼りに暗闇を走る。 
 家々は戸が閉められ、大通りに人はいない。
 木々を走り抜け、小さな丘に出る。
 月灯りに照らされた場所。何もかも見通してしまう怖さがある。
 「いいだろ、この辺で。大利(おおり)、北添(きたぞえ)」
 二人を呼び止める。
 「月が綺麗ですね。酒どうですか。岡田さん。佐々木くん」
 大利さんは堂々と意味不明な事を言う。笑いながら話すのだ。気味悪い。
 北添さんは、大利さんの背後に隠れる。全身が震え、怯える。
 以蔵さんは歩を進め、問い詰める。
 俺も以蔵さんに続き、隣に控え、そっと刀の鞘に左手を添える。
 「新撰組と内通していたとはな。見損なった」
 微笑を浮かべ、答える。
 「内通?まさか、ただの情報交換ですよ」
 「それって」
 内通だろ。俺を遮り、以蔵さんが怒気を含んだ言葉を放つ。
 「覚悟は出来ているな」
 二人から見えるように肩に右手を添える。
 緊迫な場面に渇いた笑いがこだまする。
 「おぉ、怖い、怖い。くくくっ。これで、あんたらが死ねば、何もかも解決だな」
 刀を抜き、以蔵さんに斬りかかるが、冷静に斬り結ぶ。
 ヒュン、ヒュンと風を斬り、刀同士がぶつかる音が響く。
 大利さんが北添さんを叱り飛ばす。
 「北添!先に佐々木を始末しろ」
 始末!?って殺す事だよな。殺したくはない。でも、殺されたくもない。
 奇声を上げながら、猛スピードで突っ込んでくる。
 以蔵さんが教えてくれた通りに行えば、平気だ。
 深呼吸し、刀を鞘から抜き、両手で刀を持ち、北添の刀を受ける。
 キィィィン
 刃と刃がぶつかる音。これは木刀ではない。真剣の戦い。
 試合ではない。殺し合いだ。
 小刻みに手が震える。
 北添さんは俺に明確な殺意を向ける。
 俺を殺さなければ、自分が殺されるとでも言いたい形相。
 勢いはすごいが、動きは滅茶苦茶だ。簡単に崩せる。
 右足を後方にずらし、踏ん張って、北添さんを前方に飛ばす。
 バランスを崩し、尻もちをつく北添さんに追い打ち。
 すぐに体勢を立て直し、懐に入り込み、柄で峰打ち。
 「うっ」
 北添さんは横たわり、意識を失う。
 以蔵さんに目を移すと、大利さんを圧倒する剣捌きをしている。
 あちらも大丈夫のようだ。ほっとする。
 一瞬の膝を付き、大利さんが以蔵さんと間を取り、標的を俺に変更。
 刀を振りかざす。怖さで動けず、目を瞑る。
 ドスッ。ビシャア。
 刀が食い込む音と同時に血が吹き出す嫌な音。
 しかし、自分は痛くない。
 目を開く。目の前が真っ赤に染まる。
 以蔵さんが俺をかばい、刀が胸を貫通。
 大利さんは高笑いを上げながら、肩を引き抜く。
 血が地面にボタボタと落ち、血だまりができる。
 体勢を崩した以蔵さんを支える。微かに口が動く。
 耳を澄ますと、俺にだけ聞こえる声で、言葉を残す。
 そのまま力が抜け、動かなくなる。
 岡田以蔵、死亡。
 「アハハハ。俺が”岡田以蔵”を殺したぞ。これで、俺の人生、順風満帆だ。アハハハ」
 狂ったように笑い続ける大利。
 以蔵さんを静かに地面に横たえ、”以蔵さん”の刀を抜く。
 気配を殺し、大利に近づく。背中に向かい、下から上へ躊躇なく、振り上げる。
 「ギャアアアアアアァァァァ!!」
 大利が叫び声を上げ、地面をのたうち回る。荒い呼吸で仰向けになる。
 俺はその光景を冷めた目で見る。
 刀を左手で逆手に持ち直し、落とす。
 頚動脈にあたり、水道管が破裂したように血が溢れ出る。
 全身に返り血を浴びたが、無表情。あの時の”以蔵さん”のように。
 大利鼎吉(ていきち)、殺害。
 いつのまに起きたのか、それを目の当たりにした北添が奇声を上げ、暗闇に消える。 

 翌朝。
 池田屋の側で龍馬さんと再会。
 小高い丘に導く。そこで”以蔵さん”と大利の死体を見た龍馬さんの顔が険しくなる。
 問い詰められたので、昨夜の出来事を話す。
 話しながら、俺は”以蔵さん”の刀を自分の鞘にしまう。
 夜中掘った穴に”以蔵さん”を埋葬。丁寧に土をかぶせる。
 自分の刀を埋葬した場の後ろにある桜の木に射し込み、墓標とする。
 話し終わると、龍馬さんが問う。
 「時生(とき)、お前はこれからどうするんだ」
 俺の気持ちは既に決まっている。
 「以蔵さんは、ここで死ぬべき人ではない。俺が”岡田以蔵”となり、意志を継ぎます」
 驚きを隠せない龍馬さんは、声を荒げる。
 「自分を捨てる気か!?」
 言う通りだ。”佐々木時生(とき)”を捨て、”岡田以蔵”として生きる。
 「”以蔵さん”へのせめてもの恩返しです」
 決心が揺るがない事を察したのか、それ以上何も言わなかった。
 その後、特定できた井戸を訪れ、本物と確認。これで、命(みこと)を元の時代に帰せる。
 池田屋に戻り、身支度を整える。
 もうここに戻る事もない。
 俺の心は凍りついている。”以蔵さん”が動かなくなった時から。
 自分のした事・これからする事を理解した上で、実行に移す。
 “岡田以蔵”の意志は俺が貫く。
 襖が勢いよく開かれる。
 そこには荒い呼吸を繰り返す龍馬さんがいた。
 「龍馬さん、今までありがとうございました。俺にとって兄のような存在でした」
 深くお辞儀をする。今までの思いの分。
 上半身を起こし、視線を一度だけ交わし、横を通り過ぎる。
 もう会う事もないだろう。

 夜。
 今日も月灯りが明るい。
 北添は意外に早く発見できた。
 臆病な奴だから、暗闇の隅にいるだろうと山貼って、探して、正解だ。
 俺を見た北添の反応。涙と鼻水を垂れ流すみっともない顔。立ち上がれない姿。
 左手で刀を鞘から抜き、刀身を北添の心臓の上に向ける。
 全身が震え、カクカクした動作で左右に振り続ける。
 刀を前にずらす。胸から背中へと刀は貫通。夥しい量の返り血を浴びる。
 北添佶摩(きつま)、殺害。
 放置したまま、新撰組の屯所を目指す。
 命(みこと)に井戸の場所を伝えないと、あいつは元の時代に帰さないといけない。
 新徳寺付近を歩いてる頃、偶然、命(みこと)と斎藤一に会う。
 屯所まで行く手間が省けた。
 全身に返り血を浴びた俺を見た命(みこと)は、驚愕の表情で近づく。
 「時生(とき)!こ、こここれ、血!?ケガ、ケガ、大丈夫!?」
 心配してくれる。
 斎藤一に目を向けると、鞘に手を置く。
 全身返り血を浴びた人間を警戒するのは当たり前だろ。
 「俺の血じゃない」 
 「ケガないんだ。よかった。ほっとしたよ。でも、それじゃ・・・」
 命(みこと)の表情が曇る。最悪の状況に気付いたんだろ。
 命(みこと)の胸倉を掴み、引き寄せる。
 命(みこと)を驚いたまま、硬直。斎藤一は刀を抜き、向かってくる。
 耳元で話す。命(みこと)にしか聞こえない声で。
 「一度しか言わない。俺たちが飛ばされた元凶の井戸は今渡す紙に書いてある。お前は元の時代に帰れ。俺は、俺は、”岡田以蔵”に恩 義がある。恩返しをするから、ここに残る」
 反動を付け、命(みこと)を斎藤一の方に放り出す。
 受け止めたのを確認し、暗闇に紛れ、走る。




 この時代に飛ばされてから、1ヶ月経過。
 1864年2月。短期間で沢山の出来事が起きた。
 考え方と人生観が変わった。
 後悔はしていない。前に進むだけだ。

 1864年4月。
 京都にて、”岡田以蔵”として幕吏に捕まり、土佐に送還。
 同時期、土佐藩前藩主山内容堂が帰国し、人事の交代を始める。
 6月、土佐勤王党党首・武市瑞山の側近3名が藩政改革を企てた事が露見し、切腹に処せられた。
 以降、山内容堂は、土佐勤王党への弾圧を強める。
 土佐に戻った勤王党員達は軒並み投獄。劣悪な環境で拷問を受け続ける。
 毎日拷問され、心身共に気力を絞り減らされる。
 俺は大利鼎吉・北添佶摩殺害を自白。
 それ以外の事件については黙秘。
 同じく投獄された党員達からは裏切り者と罵られる。
 “岡田以蔵”は何も言わない。



 


 1865年5月11日。
 土佐勤王党の党首・武市瑞山の切腹及び俺を含む4名の党員の斬首が決定。
 藩庁員が牢獄の前で告げた。
 鉄格子が開かれる。
 俺はこの時を待っていた。
 最初で最後の賭け。
 足に力を入れ、腹部に頭突き。藩庁員は気絶。
 藩庁員が落とした刀で手を縛る紐を切る。
 その刀を左手に持ち、騒ぎを聞きつけた藩庁員らを切り捨てる。
 立てないように、足の腱を切る。殺す人間はあいつらだけで十分だ。
 牢獄は呻き声と血に染まる。
 後ろの土佐勤王党の人達を見ずに一言。
 「死ぬのも生きるのもあなた達の自由です」
 俺は俺の目的を目指して動く。
 目指す場所は武市瑞山の処刑が行われる南会所大広庭。
 悲鳴が呻き声に変わり、俺が開いた道は血で埋め尽くされる。
 まだ藩庁員はいるが、状況に対応しきれずに茫然自失。
 少しの間、放っておいて平気だろう。 
 南会所大広庭に辿り着く。
 中心には白い着物を着て、両手を後ろで縛られた武市瑞山が正座している。
 目の前で歩み寄り、見下ろす。
 返り血に全身浴びた俺の姿を見た武市瑞山は表情が強張る。
 「佐々木くん!なぜ、ここに!」
 問いには答えない。
 ”以蔵さん”の遺言を伝える為に来たのだから。
 「”あの人”の遺言です。”武市先生、私に居場所を頂き、ありがとうございます”」
 聞いた瞬間、武市瑞山は涙を流す。
 「私が間違いだった。”以蔵”、すまない。最後に気付く事ができてよかった」
 短刀で自身の腹部を十字に切り、切腹。
 苦しまぬ内に介錯を行う。
 武市瑞山、死亡。
 俺は上を見る。
 “以蔵さん”が微笑んでる気がして、つられる。
 ドスン。
 胸部に背中から突き刺した刀身が見える。
 咳き込む。ゴボッと大量の血を吐く。
 ドス。ドス。
 立て続けに2回。激しく咳き込む。地面に血だまりができる。
 フッと笑う。血の量、ヤバイな。
 上を見て叫ぶ。俺の最期の言葉。
 目を瞑る。立ったまま旅立つ。
 佐々木時生(とき)、死亡。




 岡田以蔵の遺言。
 「武市先生、私に居場所を頂き、ありがとうございます。そして、時生、私に人間の感情を取り戻させてくれて、ありがとう。お前と一 緒にいた時間、本当に楽しかった」

「この時代(せかい)に生きる」<過去編>本編

 呼んで頂き、ありがとうございます。
時生(とき)の想い、以蔵の想いが伝われば、幸いです。
「この時代(せかい)で生きる」<現代編>でお会いしましょう。

「この時代(せかい)に生きる」<過去編>本編

作品を読む上での注意。 幕末タイムスリップ捏造ネタです。史実通りではない箇所が多々ありますので、ご了承下さい。 また登場人物紹介を読んだ上で、<本編>をお楽しみ下さい。 2つで1つの作品ですので、<過去編>→<現代編>とお楽しみ下さい。 あらすじ 京都。古の街と現代の街が融合する不思議な街。今日に限って時生(とき)は上の空。大好きな剣道にも打ち込めず、導かれるように 枯れ井戸へ。腐れ縁の友人・命(みこと)と井戸を覗くと、幕末にタイムスリップ。見知らぬ場所、浪人に追いかけられ、大混乱に陥 り、殺されそうになった所を岡田以蔵に助けられる。岡田以蔵を通じ、この時代の人達に触れる。ある出来事をきっかけに時生(とき) は時代の歯車の1つとなる。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-03-25

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著作権法内での利用のみを許可します。

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