ドラードの森(4)
おれは絶叫しつつ、必死で目を閉じた。
だが、すぐに耳元でバサバサッという音がして、落下のスピードがガクンと落ちた。おそるおそる目を開けると、モフモフがムササビのような皮膜をいっぱいに拡げ、悠々と空を飛んでいる。おれはあわててモフモフの首っ玉にしがみついた。
「さ、先に、言って、くれっ。おれは、高所、恐怖症、だ」
「おお、これは失礼しました。でも、もう少しの辛抱ですよ」
そう言うと、おれを気遣うようにフワリと着陸してくれた。いや、正確には『着陸』ではなく『着木』というべきだろう。モフモフが降りたのは、地球ではありえないような巨大な木の上だったのだ。おれたちが降りた枝でさえ直径数メートルはありそうだ。
「こりゃあ、まるで、ジャックと豆の木だな」
おれがそう言うと、モフモフはウフフと笑った。
「みなさまそうおっしゃいますね。さあ、もうわたくしの背中から降りても大丈夫ですよ」
そう言われても、足がすくむ。なるべく下を見ないようしているのだが、地上は遥かに下のようだ。最初おれも勘違いしたが、この山が低いわけではなく、生えている木が規格外に大きかったのだ。
「さっきも言ったけど、おれは高所恐怖症なんだ。こんなところ、とても自力で歩けないよ」
「なるほど。それではこのまま中に入りましょう」
また飛ぶのかと一瞬身構えたが、モフモフはそのまま枝の上を幹の方に歩いて行く。近づくと、幹というより巨大な壁のようだ。枝の付け根が生えている上の部分に大きな穴があり、そこから光が漏れていた。穴の上には看板らしきものが掛かっており、複数の言語で『ホテルグリーンシャトー』と書いてある。モフモフはおれを負ぶったまま少し前かがみになり、その穴をくぐり抜けた。
幹の内側は空洞になっており、ちょっとした野球場ほどの広さがあった。見上げると、巨木の幹によって円形に縁取られた空から、明るい陽光が差している。下に目を向けると、空洞に溜まった土に人の腰の高さほどの草が生い茂り、空中庭園のようになっていた。その草原の中をケモノ道のような細い曲がりくねった道がのびているのだ。モフモフの歩き方からみても、本物の地面と変わらないようである。
「ああ、すまなかった。もういいよ。この辺で降ろしてくれ。自分で歩けると思う」
「はい、どうぞ」
モフモフの背中からそっと降り、ゆっくり地面を踏んでみた。
おれの様子を見て、また、モフモフが笑った。
「大丈夫ですよ。何百年もかかって堆積したものなので、ほとんど地上と変わりません。少々飛び跳ねたって地面にメリ込むようなことはありませんから、どうぞご安心ください。さあ、みなさまお待ちかねですよ」
促されるままに進んでいくと、びっしりツタのような植物に覆われた建物が見えた。これがホテルグリーンシャトーなのだろうか。どう見ても、バカでかいだけの丸太小屋である。何のためのものかわからないが、屋根の上で大きな風車が回っていた。
ようやく建物の正面にたどり着くと、モフモフはツタのからまる大きな扉を、肉球のある手の平で押し開いた。
中に入ってすぐに大広間のような部屋があり、木製の長いテーブルに二十人ほどの地球人が向かい合わせに座っていた。全員日本人のようだ。おそらく同じツアーのメンバーだろうが、乗り込むときは別々だったから、顔を合わせるのはこれが初めてである。
老若男女と言いたいところだが、全体に年配者が多く、子供は数人いるが、残念ながら同世代の若い女性はまったく、あ、いや、テーブルの向こう端に一人いた。
何を着ようが本人の自由というものだが、この暑いのに黒いレザーのツナギを着た、髪の長い女だ。まあ、レザーといっても動物の皮を使うことはリンカーン条約で禁止されているから人工皮革に違いないが。
歳はおれより少し上ぐらいだろうか。体にぴったりしたツナギのせいで、スタイルの良さが一目でわかる。かなりの美人だが、キリッとした厳しい顔つきで、ちょっと近寄り難いような雰囲気。おれの苦手なタイプである。
女は、となりに座っている連れらしい髭面の中年男と先ほどから話し込んでいるのだが、なぜか男の方がペコペコしているようだ。
だがそんなことより、おれは行儀良く向かい合わせに並んでいるツアー客の前に、同じように行儀良くセットされている、ナイフやフォークに目を奪われていた。そのキラキラした輝きはまるで黄金のようだ。
地球では、ホテルなどでよく銀色のナイフ・フォークがセットされていることがある。もちろん、それは本物の銀ではなく色だけ似せた合金だが、おそらくその上に金メッキでもしたのだろう。まあ、あまり趣味がいいとは言えないシロモノである。
「さあ、中野さまも空いているところにお座りください」
モフモフにそう勧められ、おれはみなに軽く会釈をすると、リュックを荷物台に降ろし、空いている席に座った。おれが座るのを見届けると、ちょっと手続きをしてくると言って、モフモフは部屋を出て行った。
目の前にあるとやはり気になるので、試しにちょっとナイフを手に持ってみて、おれは思わずビクッとしてしまった。
おれの様子を見ていた、となりの席の上品そうな老婦人がクスッと笑った。
「重たいでしょ。だって、純金ですものねえ」
(つづく)
ドラードの森(4)