二葉

二葉
 将生と有栖は寄る辺ない海原に浮かぶ木の葉二葉だった。
 自由だから自分たちの身は自分たちで守らねばならない。
 恩恵は海から受けるが海は危険も運んでくる。
 自由という名前がついてはいるが牢屋に二人籠もっているような日々を過ごし、将生と有栖は黄昏れている。
 誰かと何かの時と場所を分かち合って孤独感を麻痺させている一人じゃないんだ私たちという名前の麻薬に痺れているうちにいつの間にか財布から一枚また一枚と金が出て行く。
 そうやって吸い上げられてなくなってしまったお金があればあんなこともこんなこともできたのにと思うが、使うときには頭からそれが消し飛び、快楽や欲望が申し訳程度に満たされて、また二人部屋にこもってスマホを弄びスマホに弄ばれている。
 難波に二人出ると大阪都に賛成か反対かで騒々しくなっていた。
 住民投票の夜、二人はテレビで開票の行方を見ていた。
 法師は木っ端と清少納言が言うにそんなに言わなくともいいじゃんと兼好法師が言う。二葉の木っ端が街を歩いたその夜に政治生命が尽きた大阪市長、意見対立に敗れても命まで取られないのは素晴らしいとラガーマンらしいサバサバした敗戦会見をしているのを見るとはなしに見て少しだけ将生は有栖に言った。
「わしの意見は大阪市長とは対立していたけど筋を通すなら明日はあるわな」

 レーザーメスで肉の焼ける臭いと味が口の中に広がる。そのような治療をせねばならぬほど歯のメンテナンスを怠っていたわけなのだが、将生は多少そのような負荷を心と身体にかけて黄昏れていると有栖がお茶でも飲もうと言って肩を叩いた。

 病棟が住所になっている老人が洗濯物を干しに行く時だけもの干場に出られるので、そこに出てもどこにも行けないのだが老人は干すものもないのに洗濯物干しの時間と取り込みの時間にはもの干場に出て中々中に入ろうとしない。
 そんなこともあったがあの年寄りはおそらくもういないだろうなと将生は思った。それくらいに程良く歳月が流れて毎日が木の葉のように積もっていた。

 愛想笑いをする必要もなくねこが喧嘩するとき思いっきり蹴りやパンチや爪がでるような有栖なのであるが、将生はねこと暮らしていたことがあるのでねこの日常は知っている。見事に自分たちの都合が最優先のねこという生き物をみるにつけ、木の葉二葉がねこみたいな二人ならばこれが結構淡々と暮らしている。
 規則正しい暮らしでまるで服役囚が自由という刑罰に処せられているというサルトルが言っていそうなことばかり言い過ぎていて、そんな自由を二人はぼんやりと思い出す。
 近所の福祉カフェでランチを食べてから和泉丘駅前のカフェをはしごしてなんば行きの電車に乗る。
 昭和三十五年の安保闘争など将生でさえ生まれる前なので写真集でしか知り様はない。一階がパチンコ屋の二階三階が書店でそこで立ち読みした昭和三十五年にいきなり競艇場が出てきて、デモ隊が出てくるまで安保闘争とは気がつかないのが同時代人ではないものの正直な感覚で、パトレイバーなどという特車が昭和三十五年にもしあったならデモ隊にニューナンブの銃弾が撃ち込まれて平成元年の天安門広場みたいに人を特車で踏んだのだろうか。
 今はなんばや心斎橋も北京語のアナウンスが流れ大陸からの観光客が遊んで帰ってくれることに日本も中国もなっている。
 鶴浜で激安ビュッフェにて食い過ぎた二人は吐き気と腹がくちてこのまま搬送されるかもしれぬ、命は食い過ぎで失われることもあると思い出して、そっと動いてゆっくり和泉丘に帰ったその翌日、美人オタクのサイン会に並んでいた。ふわふわした大地の踏みしめ感が嘘のように引き潮となって去っていった後に来たこの感じは将生が思うに、モハはモーターハ型という鉄道車両のことだったと浅い知識を女衒のようにひけらかしていることでもなく、スマートフォンでねこアプリに癒されて心の泥を洗い流していることとも少し違う。有栖が迷うことなく美人オタクのサイン会に並んでいる様子で見たところ、将生は今度二人でモハ103系に乗ってみるかと思っていた。趣味を熱く語り仕事にしている人に握手してもらった将生と有栖、二人の仕事は生活そのものなのである。
 和泉こうみのラッピングトレインを撮影した後に将生は、そういえば有栖に自分の父がマスターヨーダに似ているのでヨーダとあだ名を付けられていたことを思い出し、サイン会の会場にマスターヨーダがいて、ホワイトフォースとダークフォースの統御ということも破滅を免れるために心を統御するのですと言うのが憚られる感じもしたので黙ってにっこり笑う様を撮影されたチェキを眺めて、将生は年を取るとは緊張を踊って緩和することも許されなくなっていくのだろうかと思った。
 有栖にヨーダと呼ばれている将生の父は最近は電動アシスト自転車でモーニングを食べに出る。

 怒涛の引っ越しも済み、住み着いた近隣のアパートからは晴れた日には和泉葛城山が望め、河内長野あたりの斜面の建物と高さが同じ最上階なので和泉丘というより気候は河内長野であろう。夏は少し涼しく冬は寒いだろうと将生は思った。
 目線と同じ高さに天野山金剛寺の本堂が見えたので将生と有栖はその方角に手を合わせた。

 生活が仕事の身の上だとするなら自宅警備と何が違うのだろうか。
 それでも生活は断続的に後から後からやることが際限なく湧いてくるので自宅警備が必ずしも暇ではないように生活が仕事の毎日もそれほど暇ではない。
 ごはんを作るとか買い物に行くとかそういうことを連綿と続けていって一日は割とすぐに朝が昼、昼が夜になる。
 将生と有栖は部屋でごはんを食べていると窓の外はしっとりと雨が降っていた。
 スタジアム丼をこさまえてちまちま食べながら見る陶器山の森に雨が降りしきる。静かな山荘暮らしのような河内狭山の裏手で過ごしていたり和泉葛城山の山並みを眺めているうちに二人は程良く年を取っていった。
 何かをする動機などは不純でよい。
 下心が混ざらない芸術を表現できるのは下心がどういうものかわかっていて下心を持たず出てくるものが染み出た琥珀色かというと、そういうものを作るにあたり夥しい不純物にまみれるのである。
 確かに表現するものに下心が透けて見えるとよくないのかもしれないが、不純な動機から始まったからと表現の隅々まで不純にまみれているわけでもないからさほど表現の純度にこだわらなくてもよいのであろう。
 理由があって成し得ていくのであるから、不純なものを作ったならそれに至る経緯と理由は必ずある。
 生活が仕事も自宅警備も不純な動機からなされる事柄も含まれて統合された多面体を構成するといえば生き物はそのような多面体であるので有り様を不自然に扱わなければ不純な動機の所産も当然含まれている。
 モテたいとかお金を沢山欲しいとかそのようなことを思いながら出来たものの方がみる人は安心するのかもしれない。

 有栖がどうやらチョコエッグで欲しいアイテムがあるらしく4つ5つとチョコエッグを買ってきてカフェで1つまた1つとチョコエッグを割り、中身を改めて一喜一憂しているのを眺めながら将生はパチスロや競馬とこういう当てものに基本的な違いはないだろうから射幸心をいたずらに煽らないように、チョコエッグは売り出されているはずなのだが、ディズニーつむつむに数万円を貢いだ過去のある人間にとっては多少の射幸心を煽るで済むはずもない。
 部屋にやがてチョコエッグのアイテムが群れを成してくる。
 いずれは不要になったアイテムがリサイクルされることになるのであろう。

 和泉丘駅前には暑い時か寒い時になるとスペイン語で今日はまったくくそ暑いとか今日はしばいたろかと思うくらいに寒いとか言いながら煙草をふかすヒスパニカさんが歩いている。
 テンガロンハットのヒスパニカさんはあんまり暑くなかったりあんまり寒くなかったりすると英語で今日は暑いわねえとか今日は寒いねえとか言っているので、単に気候に正直なだけの人なのだろう。将生と有栖が和泉丘駅前を歩いているとその日はとても蒸し暑く、ヒスパニカさんは怒り狂いながら暑いやんけぼけとスペイン語でまくしたてて歩いている。

 有栖がネット通販で本を買った。
 しかし購入した相手はイギリスの会社で、宛名として送付した情報が日本語FEPの不適合で住所が文字化けしたので発送はされたがどこかへ行ってしまい、有栖の元には届かない。
 売主と有栖はメールのやり取りをしていると最初にきたメールは英語を機械翻訳したような日本語でところどころにアルファベットが文章にまざったある意味それも文字化けのメールであった。
 売主から来た3通目のメールをみると有栖が送った宛名自体の住所が文字化けしていた。
 将生に言われ有栖は自分が送った宛名と売主からきたメールとをスクリーンショットして添付し発送した宛名が文字化けしたデータで送られていたなら返金してくれないかとメールを送ると、送ったのが午後10時だったので時差の関係で速やかに返金致しますというメールが来た。
 将生に言われてデジタルシグニチュアを書いて送信すると、やはりPCの日本語FEPが相手のものと適合せず、シグニチュアの住所が全部文字化けしていた。
 返金されるのはおいおい確認するとしてその本がどうしても欲しい有栖は別の業者から買うというので将生は住所を相手に送信するのはPCではなくスマートフォンでしたほうがいいと言った。将生と有栖が使っているPCのOSはXPで日本語FEPはATOKの古いバージョンだったからそのような文字化けをしたという理由しか将生には思いつかなかった。
 有栖のもとにカード会社から返金処理をするという通知がきたので取りあえず発送された品がどこかへ行ったという被害しか双方起きなかったことにはなったが、フライングダッチマンのように郵便物が世界中をさまよっているのか海賊されて奪われたのかどっちなのだろうと将生は思った。

 JR阪和線ではモハ103系がまだ走っている。将生は有栖と二人、JR阪和線でモハ103系に乗っていた。
 大和川鉄橋を渡り、大阪市立大学の横を通るモハ103系に揺られて将生はそっと有栖を見ていた。お茶を口に含んで佇みながら有栖は車窓を眺めている。
 鉄道番組に限らず鉄道はテレビにしやすいものである。ギャラを少なく払うだけで済むタレントを使い鉄道に乗せて車内でご当地弁当を食べさせればなんとなく格好がついてくる。そのような旅行番組ごっこをしてみたこともかつてはあった将生と有栖だが、今回モハ103系に乗って大阪市内の下町で3割うまい餃子定食を食べていた。そういうのも旅行番組チックといえばそうだが地上波というよりケーブルテレビの無料チャンネルみたいな感じである。

 家から見える山あいの黒っぽい屋根の建物を将生は最初、天野山金剛寺と思い込んでいた。しかしある時、双眼鏡を持ってきてその建物をよく眺めてみるとどうやらゴルフ場のクラブハウスらしい佇まいをしていた。
 よく見ると黒っぽい屋根の建物の左手に赤茶色の屋根の建物がある。それもゴルフ場のクラブハウスらしい佇まいをしていた。
地図でもう一度よく検証してみると、双眼鏡で見える辺りにゴルフ場が二つ並んでいてクラブハウスが大阪湾を眺望するような位置関係であることがわかり、あれはするとクラブハウスであるかと将生は思った。有栖や他の人には窓から見えるあれは天野山金剛寺ではなくてゴルフ場のクラブハウスらしいと訂正することになった。

 和泉丘駅前に出ると今日は蒸し暑く、ヒスパニカさんがむしあついやんけくそだらぼけとマシンガンのようなスペイン語でまくしたてながら高島屋の方に歩き去って行った。
 開店して間もなくの高島屋に行列が出来ていて、最後尾と書かれたプラカードをよく見ると地鶏が大安売りされていた。
 行列に並んで将生は地鶏を手に入れて下げて帰り有栖と食べながら、高島屋の開店直後の行列を初めてみたがあんなに静かな行列になるところがいかにも和泉丘やんなあと将生が言うと有栖は静かに一言、ここは泉州の芦屋でな、と言って地鶏を噛みしめていた。
 
 激しく罵っている時には気もつかないが将生に有栖はかなり真摯に応対している。どうあっても生活共同体の二葉であって、日が暮れていく。
 そういうことに気がついた時には将生は有栖の世話になりっぱなしで、せっせとごはんを作る日々を将生は過ごす。
 一人口は食えぬが二人は口食えるとはよく言ったものである。
 将生はグチグチと糞ともとれない文句をネットに撒き散らして泥池にはまっている。アイロニーというものは濫用すれば泥池にはまるように出来ている。
 全くもって将生は泥だらけになった心をねこアプリに洗い流してもらっている。綺麗なものやかわいいものにはそれだけで力が備わっている。
 爪とぎでカリカリ爪を研ぐねこアプリのねこを眺めて将生も有栖もほんわりした顔をしてテーブルに座っている。

 あまりにも暑いとじっとしてられなくなるので真夏に蝉が鳴き出すと街は賑やかになりヤンキーたちはバイクで爆走している。
 熱中症を気にしないといけない暑い夏に胡瓜をかじり、冷たいコーヒーを吸って冷房にあたっていられる幸せを噛みしめて将生と有栖はじっと暑さを体感して冷房のスイッチを入れてひっくり返っている。
 皆がすることを出来ぬ二人に出来るのはただ暮らすことだけである。

 台風がやってくると山並みに分厚い雲がかかり空が真っ白になっている。
 後輩の悟に貰ったテレビを点けると安保法案が衆議院を通過しており、台風報道が本格化して四国向けフェリーがどんどん欠航していた。
 将生と有栖は静かに台風が過ぎ去るの待った。
 嵐の夜はアドレナリンが出て小学校のお泊まり遠足みたいなテンションになっていくにつけ無事に台風が過ぎ去ることを願いながらこういう夜が明けなければいいのにと将生はどこかで思っていた。
 

 


 

 

二葉

二葉

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-30

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