12、亜季・・・大人になれなくて

微笑みに秘密が?

                                   12、微笑に秘密が?


休日の朝というのかもうすぐお昼という時間。ゆっくりと目覚めていく頭の中は明け方まで読みふけっていたアガサ・クリスティーの「杉の棺」がまだにじんだ絵の具のようにじわじわと広がっていく。
(で、犯人は誰?・・もう少しだったのに・・寝てしまったんだ。)


 べッドからでるとカーテンを半分だけ開けて空を見る。
(いいお天気なんだ。ああ、でも暑くなりそう)

階段を下りていくとはやくも母のいつもより高い声が聞こえてきた。
(あれって更年期も混じってる?・・・なんか近頃いらいらしてるし・・・もしかして先行き不透明な私のせい?)


ドアの前で一瞬気持ちをしめて部屋に入る。そのとたん父を前に流れるように自論をくりひろげる母の声がこだまする。

「だから、私はいつも亜季に言ってるの。もともと就職はのぞんでいないって。でもただボーッと家にいてあとはフラフラしてるのはだめですよ。何かの資格をとるとか、お料理を極めるとかこの先何か役に立つことをしないと。せっかく時間があるんだから。」

こんな時は父はいつも同じ。ただ「うん、うん」と頷くだけ。外務省でそれなりのポストに付く父も家の事となると母には極力異を唱えない。

それが家庭の平和の為か、面倒なのかよくわからないがこの形、世間には案外多いのかもしれない。いずれにしても亜季が予感したとおり母の苛立ちの原因は亜季の今後にあるらしい。亜季にきずいた母がピシャリと言う。


「もう何時だと思っているの。まあ・・とにかくおはよう」

このあたりが規範を人生に重要と生きる母らしい。

「おはようございます」亜季が小さく答えた。

「今日はパパもいるしちょうどいいわ。亜季ちょっとすわりなさい。で、これからどうする気でいるのかわかるように説明してちょうだい。」



亜季は母からしずかに視線を父に移したが父は(困ったね)という表情を亜季におくるばかり。

思い返してみればこんな展開はこれまで幾度もあった。反抗期花盛りの中学生の頃から何度も経験した。
それを考えればこんな時の対処は一つしかない。母に従わないならば最後の意見の食い違いは覚悟の上で席につくしかない。

亜季は父の隣に座ると母の顔を見た。そしてその時には母も亜季もここからの展開はわかっている。さらに父はここにいるという存在だけの意味だということも。なぜなら事実上これは亜季と母のぶつかりあいなのだから。

「ねえ、亜季はどう考えているの?その内話してくれると待ってたけどいっこうに話してくれないし。就職はする気はないのはもうわかるけど。」

まず、母が切り出した。亜季は母の言葉を途中でさえぎらない。それをすればお互い言葉の応酬が激しくなり話のポイントがずれるのもわかっているから。そして何よりどれ程亜季がありがた迷惑と感じていてもここまで育てたという母の自負はなくならないし、ある意味子育ての苦労を知らない亜季には始めから勝ち目がない部分もあった。


亜季は一呼吸間をおくと静かに言った。

「今、資格の学校とかバイトとか探してる。家でだらだらニートになるつもりはないから大丈夫。ただもう少し時間を頂戴。」

すかさず母が反応する。

「バイト?なんの?まさかコンビニとかどこかの店員とか?・・・冗談じゃないですよ。そんな事する為に幼稚園から私立に行かせたわけじゃないの。」

この言い分に亜季の神経がピリピリとする。


「何がいけないの?まだ決めたわけじゃないけどコンビニとかマックとかコールセンターとかじゃだめなの?」

「ダメです。そもそもあなたに出来るとも思えないし。」
この‘ダメ‘の一言に論理的な根拠はない。母の願望と価値観なのだから。ただこのあたりが亜季が何より気にいらないところかもしれない。


「ママの言う事さっぱりわからない。結講そういうところでバイトしてる友達だって多いし。みんな真面目にしてる。」

「学生ならね。でも今の話は卒業後のことですよ。」母は勝ち誇った威厳のある声でこう言った。
人の価値観はそうそう変えられない。まして女にとってここまで育ててきたという自信はまだ小娘ともいえる亜季に打ち砕くのは難しい。


「どちらにしてもまだこれと決めたわけじゃないの。さっきから言うように。卒業までにははっきりさせるから。」

「もし、バイトしたいならパパにどこか紹介してもらえばいいんじゃない?」

(来たっ!絶対言うと思った。でも、それは嫌。春咲さんのお嬢さんとか言われて自由じゃない。ごめんだわ。)

「それは嫌よ。自分で選べないじゃない。もう黙って見ててよ。」

「あなたが黙ってても平気な人ならね。でも・・・なにも言わないと何をするか。二年の時だってあんなに反対したのに知らぬ間にホテルのバーでピアノなんか弾いていたんだから。」

ぶつかる言葉とすれ違う心。ただ、不思議なことにこのすれ違いに愛情がまるでないのかといわれれば
そうとも言い切れず母と娘という関係の複雑さがじわじわと部屋を覆っていた。
結局母と娘、どちらも自分を主張したい女。最終的には投げやりと諦めで落ち着くのがいつもの習慣。

二人を前に父が言葉をはさんだ。

「まあ、卒業まではまだ時間もあるし・・・な!もう少し考えればいいんじゃないか。それより8月仕事でカナダに行くんだけどそのまま夏休みをとるから亜季行かないか?・・2週間のふたり旅だぞ。」

母が怒るように父を見ていた。


「ママは?」

「今回はお祖母ちゃんが入院してるからね。亜季と二人だけの旅なんて始めてだし。嫁に行く前に一度はしてみたい。」

そういう父の目はすでに穏やかにほほえんでいた。

亜季は話題の変化はありがたいと思いつつも父と二人きりの旅は気が重かった。(この歳で・・親と、2週間も。無理でしょう・・。)


「でも、夏休みはそこそこ忙しいのよね。だから・・2週間は長いし。」
亜季はやんわりと拒否をしめしたが母がここぞとばかりに父の味方になった。

「ああ、それはいいかも。そうよ・・忙しいと言っても多分時間はあるわ。どうせ就活するわけじゃないし。ぶらぶらしてるくらいならパパのおせわを頼むわ。気分転換にもなるし・・いいわ。」


母の魂胆は見えている。できる限り目の届くところで娘をあやつりたいのだ。姉の美紀は母のお気に入りだったからその必要もなかったが。

その姉も結婚して電車で一時間程のところに住んでいる。姉が義理の兄を始めて家に連れてきてから半年でふたりは結婚した。

もちろん家柄は申し分なかったのだろうが兄となる人の素行調査に母がプロの探偵を頼んだことを姉は知らない。そして結果がよかったのかその後息つく間もなく母はその結婚を順調に進めた。



姉の様に思うように動かない亜季に母はこれまで幾度苛立ち、悩んだのか。それは亜季には想像すらできないがふと見た母は今父の言葉を借りて妙に落ち着きを取り戻しひとり笑みを浮かべていた。

(何?・・あの笑みは。ああ・・・2週間かあ・・・パパと過ごすかこの家でママと二人か・・・考えるまでもないか。)


「そうね。カナダか。悪くないかも。まあ、パパとふたりが重いけど。そう何度もある事じゃないしね。」

母は亜季の返答にすっと立ち「何か食べる?パンでいいかしら?」

(どうしたの・・この変わり身!やけに機嫌がいい。気味悪いくらい。)


そして父を見る。母とは対象的な心からのうれしそうな横顔。
(ああぁ・・・これが夫婦?強い母と弱いというのか、やさしいというのか。何を感じているのかよくわからない父。でも・・・こんな父が外ではそこそこの出世。ほんと、この世はわからない。)
そんな事を考えながら亜季はもう一度父の横顔を見た。

その時、父の横顔にエリカの面影を亜季は感じていた。

(どうして?パパとエリカが似てるなんて・・・)

12、亜季・・・大人になれなくて

12、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-30

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