8、亜季・・・大人になれなくて

大人は勝手をうまく使います

                                8、大人は勝手をうまく使います

 智香子はその言葉とは裏腹に妙に優しい笑顔を亜季に投げかけ店を出ていった。ひとり残された亜季はあの言葉を何度もかみしめる。

 もう少し大人になれば・・・そう、ついこの間も同じ言葉をきいた。

卓の最後の言葉だった。あの時の光景があまりに鮮やかに蘇る。

最近口数が少なくなった卓に亜季は何ヶ月も不安と戦っていた。だから今日会いたいと言われた瞬間不安が現実になると確かに感じ取っていた。そして自分に向かい「そう、悪い予感は何故かいつもあたるんだ」と独り言を言っていた。


 あれから一月、同じ言葉が亜季をゆさぶる。下をむいたまま自分の手を見つめる。妙に白くてかすかに震えていた。自分の生きる場所も、生きる意味も何も掴み取った事のない手が迷子の様にたださまよっている。その指先から怒りと悲しみが徐々に亜季の心へと迫り涙があふれそうになる。

涙が出る前にここを出なければ。亜季は突然立ち上がると逃げるように外へ出た。
涙が凍ってしまいそうな冷たい風が亜季をめがけて頬を打ちのめす。
熱く、痛かった心も冷えていく。残ったのはこれ以上自分を責めたくないという淋しい怒り。

(いったいなんなの。誰も自分の中で押さえきれなくなった思いを別の形にして私にぶつけているだけじゃない。

卓にしたってただ他に好きな人ができただけ。智香子にしたって自分の思惑が壊れただけ。それを・・・何故こんな言葉で私を責めるの。
私が大人でないって?・・それがどんな関係があるのよ。冗談じゃない・・大人だと思ってるあの人たちは自分に都合よく私をせめているだけじゃない!?)

亜季はあまりにも無責任で無意味な他人の言葉に心を乱し、自分を見失っていく事が情けなかった。
ただその一方で卓と別れてから信じる事を拒否する事で自分を守っている自分も腹立たしい。人と交わり、人と共に笑い、いつか共に過ごしたその人に傷を負わされる。だから誰にも振り回されたくないと心を硬くする。それなのに心を硬くすればするほど生きることが苦くなる。


(私はどこにむかうの?・・逃げ道はあるの?何も感じず自分だけを頼りに生きていけるの?・・・そんなの無理。だって心は生きているんだら。心は止めようとしても正直に、素直に反応してしまうものだ。今、智香子の言葉をどれほど否定し、抵抗しても詰まるところはそれは自分を握り潰しているだけ。結局私の母への反発も、生きていることの曖昧な不機嫌さも自分を受け入れる事への私の幼さのせい?)

亜季は雑踏の中ただひとり立ち止まり大きな窓ガラスに映る自分を見ていた。

8、亜季・・・大人になれなくて

8、亜季・・・大人になれなくて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-30

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