死ぬことを決めた日

昨日まで普通の高校生だった由美子。
が、ある日、突然友達だと思っていた4人のクラスメートから無視されはじめて……

★★★
自殺に至るまでの心理を私なりに描いてみました。
人を死に追いやるのは、特別な悪者ではなくて、きっとごく普通の人間。
ごく普通の人間のなにげない行動が、相手によっては死に至るほどのダメージになることもある。
……そんな話。

由美子の話

 最初の異変は下駄箱でだった。
 普通に登校した私が、下駄箱に靴をしまっていたとき、すでに靴を履きかえて教室に向かう加奈子と目があった。
 声が届くか微妙な距離だったから、おはよう、と口だけで言った。
 が、加奈子はそのまま、行ってしまった。
 いつもなら私が追いつくまで待っていてくれるのに。そして、朝からだるいのなんのと話しながら教室に行くのに。
 なんともいえない嫌な予感が今思えばしていた。けど、気が付かなかったのかな?とそのときは思ったんだと思う。
 そう、思いたかったんだと思う。


 忘れていたのだ。
 私の嫌な予感はよくあたる。いい予感は当たったことがないのに。

教室に入ると、加奈子はいつもの仲間、千賀子、恵美、栞里といつもの場所にいた。
私は教室の入り口をくぐり自分の席に行く前に4人に近づく、だんだんと顔を笑顔にしながら。

「おはよう、ねえねえ、一限目数学とか最低じゃない?」

いつものように私はその会話に合流しようとした。

『そうだった、げー数学の高頭キモい』
『なに言ってるかわかんないっての』
『ほんと死んで欲しい』

なんて、いつも通りの会話ができるものと信じて疑っていなかった。
のに。

空気がおかしい。

4人の顔から笑顔が剥がれ落ち、ほどんど同時にお互いの顔を見合わせた。その瞬間の4人の顔は今までみたことがない顔だった。とても冷たく、どんな感情であれ読み取らせまいととする強い壁がたしかにそこにはあった。
そして4人は、なにもなかったように今までの話をつづけ始めた。再び顔には笑顔を浮かばせて。
話題は、新しいスマホのアプリケーションのことみたいだった。
携帯を持っていない私にはわからない話。
その話を4人は楽しそうに続けた。
まるで、私なんていないかのように。
4人は私を一度も見ることはなく、でも確かに私を拒絶した。
なにが起きているのか、まったく理解できなかったけど。ただ、加奈子だけは一瞬私の方を見た……ような気がしていた。


私は「無視」されている。


そう思う気持ちと、それを否定する気持ちがせめぎ合い、午前中の授業は上の空だった。
授業が終わるたびにその合間の時間がこんなに恐ろしかったことはない。

4人と私、いつも5人で行動していた。ちょっとの空き時間でも、4人のうちの誰かと笑いながら過ごしていた。だから友達だと思っていた。
 
自分から話しかける勇気はなくて、さっきのことはただの誤解かなにかの間違いだと思いたかった。だから、昨日までのように4人の誰かが話しかけてくれることを期待しながら、空き時間は勉強しているフリをしていた。話しかけてきてくれたら、「急に勉強に目覚めたもんで、行けなくてごめんね」とでも言うつもりだった。
けど、誰も来てくれずに、昼休みになってしまった。
 横目で確認したら、4人はいつも通り4人で楽しそうに過ごしているようだった。

昼休みは、5人で中庭の決まった場所で食べる。
4人は楽しそうに話しながら、それぞれのお弁当を持って、出て行ってしまった。
どうしよう、私は行っていいのだろうか?
けど、「来るな」と言われたわけではないし。行けば案外普通に話せるかもしれない。
嫌な予感に震える体をどうにか落ち着けて、私は4人が座ってる横に座った。

「ごめんね、遅れて」

勇気を出して言った言葉は、あまりに小さくて、小さかったからなのか、それとも聞くつもりがなかったからなのか、誰も返事はくれなかった。
 4人は、今度はクラスメートの噂話で盛り上がっていた。
 一応話を聞くフリをして、みんなに合わせて驚いたり、笑ったりしてみた。
 が、徐々に隣に座っている栞里が完全に私に背中を向け始めた。
 そのうち完全に4人だけの世界ができて、「入ってこないで」というバリアがあるのをひしひしと感じるようになった。
 話に入るのはあきらめて、5人でいるのに、1人でお弁当を食べた。
 お母さんが作ってくれた、白和え、ひじき、サバの塩焼き。
 いつも仕事で忙しい母親が、朝早くから作ってくれるそのお弁当ははっきり言っておいしくはない。
 でも、今日ほどまずく感じたことはない。
 食べ物なのに、食べ物の味がしないことがあることを知った。
 吐きそうになりながら、ようやく食べ終わると、耐えきれずその場を離れた。
 だれも、引き留めてはくれなかった。

 よりによって午後の授業は美術からだった。
 今日は先生がいなくて自習だった。ペアで組んで、お互いの顔を書く課題が出されていた。
 先週の美術の時間、5人で組もうと決めた。うちのクラスの女子は奇数だから、私たちは5人で組んで、2人と3人で別れようということになったのだ。
 そう話していたはずだった。
 が、予想通り、4人は、すでにペアに分かれてしまっている。
 加奈子と恵美、千賀子と栞里。
 4人で机を並べさっそく書き始めようとしている。
 スケッチブックを持って立ちすくむだけの私に、誰も気が付かない。
 ただ時間が過ぎていく。
 10分過ぎた時、私は意を決して、4人に話しかけた。
「あの……」
 恵美と加奈子が一瞬こっちを見る。
 けど、返事はない。
「私、加奈子を書いていいかな?」
 
 空気が凍りついた。

 4人は、顔を見合わせる。またあの空気だ。心底迷惑そうに見えた。

 「由美、加奈子を書きたいの?」

 千賀子が私を見てそう言った。千賀子はこの5人のリーダー格。
 冷たい口調だけど、由美、と名前で呼んでくれたことに、一瞬うれしく思ってしまう。
 すべて私の思い違いであれば、そう思いたい私のあまりにも細すぎる藁だった。

「いいよ」

 千賀子の返事を最後に、4人は再び鉛筆を動かす作業に移る。

「じゃ、じゃあ椅子、持ってくるね」

 精一杯明るく言ったつもりだけど、小さな声にしかならなかった。
 椅子を取りに行きかけた私の背中に。

「なんで加奈子なのかわからないけど」

 千賀子の言葉と、それを肯定するかのようにくすくす笑う声が刺さった。
 その時間、私は一度も私の方を見てくれない加奈子を書くことになった。
 ときどき霞む加奈子の横顔。震える手で、早くこの時間が終わってくれることだけを願いながら。

 HRが終わって、4人はいつものように連れだって帰っていった。カフェによってく?えーでも太るー、恵美はもう太ってるじゃん、というお決まりの会話もいつも通り。
ただ違うのはその中に私がいないこと。
 もう二度と、4人の輪の中に私は入れないのだろうか。

 そもそもどうしてこうなったんだろう。
 私は一体何をしたというのだろう。
 昨日まで普通に仲良かったのに。
 

 廊下をとぼとぼ歩いていたら。
「おう前田。気を付けて帰れよ」
 そう声をかけられて顔を上げると、担任の田中先生がいた。
 50代のオジサン先生だ。
 ときどき、ズボンのチャックが空いているから、ときどき千賀子たちと話題に出してはバカにしていた。
 誰かが声をかけてくれた。
 そのことにほっとして、私はきっと、なにかを期待した目をしていたんだと思う。
 田中先生はそれに気が付いたのか「どうした?」と聞いてきた。
 一応最初は、「いえ……」と言ってみたけど、誰かに聞いてほしい気持ちに逆らえず、「実は……」と言ってしまった。
「なんかあったのか」
「クラスメートに無視、されるようになって……」
「え? 無視? 大丈夫か?」
 大丈夫なわけない。
「そっか、話を聞いてやりたいのはやまやまなんだが、今から職員会議でな。先生でよければいつでも相談に乗るからいつでも声をかけてくれ。あんまり考えすぎるなよ、プラス思考だプラス思考!」
 そういうと田中先生は足早に職員室へと行ってしまった。

 そう、みんな忙しい。
 私に何があろうと、かまってなんていられない。
 自分のことなんだから、自分で解決しないと。
 
 ……だれも助けてなんてくれないのだ。

 重い足取りで私は家に帰ることにした。

 家に帰ると、お母さんはもうパートから帰ってきていた。
 ただいま、といいかけた私に、お母さんは無言で流しを指差した。
 そこには、朝私が食べた朝食のお皿とカップがそのまま残っていた。そういえば、今日は朝寝坊して、そのまま学校に来てしまった気がする。お母さんはもうパートにでかけていた。

「ごめんなさい」

 怒っているお母さんに、私は肩を落としてあやまったけど、小さな声にしかならなかった。
 お母さんは無言で背を向けると私が洗わなかった食器を洗い始めた。

「あんたに言っても無駄かもしれないけどね」

 水のしたたる皿を水切りラックにあげながら、お母さんは吐き捨てるように言った。

「この季節に使った食器そのままほっといたら、ハエがたかるのよ!」

「……ごめんなさい」

 私はいつもお母さんに怒られる。
 お母さんに言わせれば、
『家事はその家の女が手分けしてやるものであって、母親は家政婦ではない』
 だから使った食器を流しに置きっぱなしにしておくことは、家政婦でもない母親に「洗え」と命令することなのだと怒られたことも何度もある。
 私は親にお金を出してもらって学校に行っている身でありながら、パートに行く前に私よりずっと早く起きて、朝食の支度とお弁当の用意をしてくれた母親に「食器を洗いなさい」と命令したことになる。
 母が怒るのは当然なのだろう。
 私がダメな娘だから。

 けど。
 母の笑顔をいつ以来見てないだろう。
 少なくとも、今日一日は母の怒った顔しか見れないんだろう。
 今の私に、母に笑って欲しいとか、話を聞いて欲しいとか望むのは間違っているんだろう。

 私は自分の部屋に戻ると、布団をかぶって泣いた。
 泣いていたことがバレると。
『またあんたは、そういうあてつけみたいなことをする』
 とまた怒られるから。
 なるべく声を立てないように、気を付けて泣いた。


 
 「わかりません……」
 みんなから無視されはじめた翌日。数学の授業で先生に当てられた。
 私の答えに教室は一瞬にして変な空気になった。
当たるのはランダムではなくて、出席番号順だから、次に当たるのはわかっていた。
 だから、わからないときはわかる人に聞いて必ず明らかにしておくようにと、数学の高頭先生はいつも言っていた。
 だからやんちゃな男子ならともかく、「わからない」と答えた女子は今まで一人もいない。
 高頭先生は、私の答えに戸惑っているようだった。男子ならネチネチ嫌味を言うところだろうけど、女子の私には同じことをするのは抵抗があるのだろう。
 しんとした空気の中、私はなにも言うことができず、ただ立ちすくんで時が過ぎるのをまった。
 沈黙をやぶったのは高頭先生だった。
「えっと、じゃあ、みんなで解いて行くか。前田さん、とりあえず座って」
 言われるまま腰を下ろす私。
 気を遣われるのは、怒られるよりもっとつらい。
 私が答えられなかったのは、千賀子がいないからだった。私がいた5人グループのリーダー格の千賀子は頭がよくて、いつも学年で10位以内には入っていた。だから、いつも私たち4人は宿題は千賀子の写させてもらっていた。当然、授業で当たるときは千賀子の答えを教えてもらっていた。テニス部で運動神経もいい。
 栞里は、千賀子と同じテニス部。ちょっと神経質で几帳面。それをいつもみんなにいじられていた。私的に5人の中で一番美人は栞里だと思う。
 一番のいじられ役は恵美。なぜなら恵美は太ってるから。たくさん食べる恵美を私たちはいつも笑いの種にしていた。
 加奈子は……小柄でおとなしくて、あまり特徴がない。けど、私は4人の中で一番一緒にいて落ち着くのが加奈子だった。
 そんなことは今更どうでもいいことだ。今の私は、4人にとって「いない存在」。私がどんなに輪の中に戻りたくて、苦しくて苦しくて苦しくても、そんなものはなんの意味もない。
 むしろ彼女たちの「敵」である私が苦しむことは、彼女たちの喜びなのかもしれない。
 思い返せば、5人でいるとき私たちは常に誰かの悪口を言っていた。
 学校の先生とかクラスの男子とか。
 きっと今は私の悪口で盛り上がっているのだろう。それを思うと辛くて、高頭先生が私が解けなかった問題の解説をするのを聴きながら、なにも頭には入ってこない。
 手が思うように動かなくて、なかなか書けないノートに一滴涙が落ちた。

 私に対する「無視」はクラスに伝染し始めた。
 千賀子たちのグループだけじゃなくて、他の女子と一部の男子も私を避けるようになっていた。
 トイレに行っても、廊下ですれ違うときも、クラスの女子は私を見ると急に顔を険しくして目をそらし、そそくさとどこかへ行ってしまう。
 学生にとって「仲間がいない」というのは死活問題だ。
 家庭科の時間に、先生から次の調理実習のためのグループを決めておくように言われて私は青ざめた。私以外の女子は、さっさと仲間同士でグループを決めてしまった。私だけは誰からも声をかけられず、かといってもう声をかけるのは恐ろしくてできなくて。どこにも入れてもらえなかった。来週の家庭科の時間、私はどうしたらいいんだろう。
 
「……で、あの人、て……」
「美術のとき……ってさ」
「こまるよね、あの人……」

 女子たちの会話についつい聞き耳を立ててしまう。「あの人」の噂というか、悪口で盛り上がっているらしい。
 そう「あの人」であって「前田さん」でも「由美子」でもない。だから私の悪口を言っているということにはならないし、証拠もない。
 私が怒っても、「言いがかりをつけられた」と被害者になるのはきっとあちら側。だから、私はザクザクと心に刺さるナイフをただ受け続けて、ドクドクと血を流し続けるしかない。そんなに私が憎いなら、本当のナイフで刺してくれればいのに。そしたら痛みは一瞬で終わるのに。楽になれるのに。
 でも、私が受けるナイフは、形がなくて。どんなに振り回しても滅多刺しにしても、誰からも非難されることはない武器だった。

「おう、前田、ちょっといいか?」
 休み時間に田中先生に声をかけられ、会議室に来るように言われた。
 いつも悪口の種だった田中先生。けど、2人だけになると、少し安心した。
 少なくとも、見えないナイフで刺してくる人たちの中にいるよりは楽だった。
「お前があんまり元気がないから、いや、なんか昨日はすごく青白い顔してたしな」
 先生は、虫歯で黒ずんだ歯を見せてかなり無理やりな笑みを浮かべた。生徒を励ますいい先生だってことが言いたいんだろう。
「で、仲の良かった落石たちとなんかあったのかと思ってな。さっきちょっと話してみたんだ」
 落石は千賀子の名字だ。
「そしたらな、『別に無視なんてしてない』って言ってたぞ?」
 私は息をのんだ。あまりの言葉に思わず頭にカッと血が上った。
「そんなことありません! クラスの女子全員から無視されてるんです! 私が来るとみんな目をそらして、目を合わせてもくれないし、挨拶しても返事してくれないし」
「わかった、わかった。まあ聞け」
 初めて怒りを覚えて身を乗り出した私に、先生は両手を振ってなだめようする仕草をしてみせた。
「落石たちが言うにはな、自分たちは前田を無視しているつもりはない、と。ただ、前田があまり話しかけてこないというか、入ってこないから、1人がいいのかと思ってそっとしている、と」
「…………」
「だから、前田が無視されてると、考えすぎているだけかもしれないぞ?」
「…………」
 先生の言葉を聞けば聞くほど、全身から力が抜けていって。だらんと肩を落として、私はただ座っていた。
 考えてみれば当然の結末だ。自分から「無視しています」なんて告白する人間がいるだろうか。彼女たちが無視して陰口を言っているのは「あの人」であって、私じゃない。
 私の被害妄想に過ぎないと言われてしまえば、そういうことになってしまうのだ。
 そして、私は意地の悪い言いがかりをつけた、意地の悪い人間ということになるんだろう。
「どうかしたか?」
「いいえ……わかりました」
「うん、とりあえずなにか気になることがあるのなら、早めに本人たちと話し合うことだな。普通に、元気に話しかけてみたらどうだ?」
「……はい」
「そう、深刻な顔をするなって。大人になったらこんなものじゃないくらい辛いことがたくさんあるんだぞ。先生だって、昨日教頭にめちゃくちゃ怒られたけど、その場では、『ははー、そうですね、その通りだと思います!』ってしおらしくして、たしかにやーな気分になったけど、家に帰って好きな音楽を聞いてリフレッシュして、お前たち生徒のためにがんばろーってな。お前もいつも暗い顔してないで、プラス思考で行け、プラス思考で!」
 先生は手を伸ばして私の肩をパンパン叩いた。
 すっかり力が抜けている私にその力は強すぎて、やけに体が大きくゆれた。
「わかりました。もう、大丈夫ですから」
「そうか? うん、またなにかあったら相談していいからな? とりあえず様子を見よう。一人で帰れるか?」
「はい……」
 なるべく先生をみないようにして、私はよろよろと立ち上がると会議室を出た。
 出口で条件反射的にお辞儀をしたけど、先生の顔をみることができなかったから、どんな表情でそこにいたのかは、わからない。

 会議室を出て教室に戻る途中、教室から出てきた千賀子と栞里と恵美が3人で出てくるところに出会ってしまった。
 見てはいけないと思いつつ、つい私をみた彼女たちがどんな反応をするのか観察してしまう。
 やはり、私を見るなりものすごく嫌なものを見るように表情を固くしたけど、これまでのように視線をそらさず、3人とも固い表情のまま私をじっと見た。
 千賀子が私に近づいてきた。
「前田さん」
 軽い感じで、でも無理やり明るくしたようなあからさまに社交辞令な調子で千賀子は私の名字を読んだ。
 こないだまでの「由美」じゃなくて、「前田さん」なのが痛くて、私は思わず胸に手をやって、制服のスカーフの結び目をを掴んだ。
「はい?」
「田中先生に、私たちに無視されてるって言ったの?」
 千賀子は笑顔だった。でも目がとても冷たい。今まで見たことがないほど冷たい、とても怖い笑顔をしていた。
「うん……」
 嘘をつくことなど許されない気がして、私は肯定した。
 うまく取り繕う方法なんてとても思いつかない。蛇に睨まれた蛙のように、私はただ体を固くして、スカーフを握りしめていた。
「なんで?」
「なんでって……」
 なぜか私は笑おうとした。
 笑ったところで、許してもらえるわけもないのに。
 そして笑うこともできず、私はスカーフをいじりながら、うつむいた。
「私たちが前田さんをいじめてるってこと?」
 千賀子の冷たい言葉が追い打ちをかける。
 私はあわてて顔をあげて、首を振った。
 千賀子は自分は悪くないとでも言いたそうに作り笑顔を浮かべていた。
 その後ろで栞里は私を睨んでいた。恵美は無表情だった。
「ちがうの?」
 声はでなくて、私は夢中で首をふった。
 自分がなぜ首を振って、なにを否定しようとしているのかはよくわからなかった。
 ただ、恐ろしすぎるこの状況から助かりたい一心で首を振り続けた。
「なら、いいけど……」
 少しの間があって、千賀子がそう言った。
「いこっか」
 3人は私をすりぬけると、行ってしまった。
 背中から、3人の話し声が聞こえていた。
 むかつく、と話しているようだった。

 教室の前で立ちすくんでいると、今度は加奈子が出てきた。
 加奈子は、私を見るなりすっと目をそらした。
 5人の中で、一番仲がいいと思っていた加奈子のその態度が、私が拒絶されている決定的な証拠に見えた。
 あの3人に合わせて、ではなく、加奈子自身の意思で、私を無視して、汚いものを見るような態度をしているのだろうか。
「あの……」
 私をよけるように行こうとした加奈子を、私は無意識に呼び止めていた。
 どうしてわからないけど、先生の言葉がよぎったのだ。
『早めに本人たちと話し合うことだな』
 なぜ、私が無視されているのか。
 それは、授業中も休み時間も登校中もずっとずっと考えてみたけど、わからない。
 どうせ口を聞いてもらえないなら、せめてその理由くらい教えて欲しかった。
 だから立ち止まった加奈子に、聞いた。
「加奈子、私と口聞いてくれないよね?」
「……」
「なんで?」
 なるべく軽く笑って言おうとしたけど、どうしても声は震えてしまって。
 我ながらとっても、複雑な感じになってしまった。
「私なんかしたのかな?」
 加奈子は振り返って私を見た。困ったような迷惑そうな顔をしていた。
「もしなんか悪いことをしたなら、謝りたいし。悪い部分はなるべく直さないとね」
「……」
 しばらく、私と加奈子の間に沈黙が流れた。
 加奈子は多分、私があきらめて、やっぱりいい、と言ってくれるのを待っていたのかもしれない。
 私だってそうしたい気持ちでいっぱいだったけど、無理に押し殺して、加奈子の返事を待った。
 ほとんど意地みたいなものだったかもしれない。

「えっと……」
 加奈子は私と目をあわさないまま、話し出した。
「由美……前田さん、先週、恵美と一緒に帰ったの覚えてる?」
 恵美の太った顔が浮かぶ。
 確かに、先週2人で帰った。
「そのとき、アイス食べようって誘ったよね? で、恵美のこと『ブタ』って言った、んだよね?」
 加奈子の言葉が進むたびに、私の頭が冷たいもので覆われていく心地がした。
 それは、昨日からずっと考えて考えて考え続けた『無視される理由』の中の一つにあったこと。

 先週、私は恵美と2人で学校から帰った。ほかの3人がそれぞれ用事があったから、なんとなく2人になったというだけ。
 その日は、この時期にしては暑くて。商店街を通りかかったとき、アイスクリーム屋さんの3割引きの広告が目に入った。
 いつもなら食い意地がはってて、それをみんなにイジられてる恵美が「食べようか?」って言い出す。けど、なぜかその日は言わなくて。
 のどが渇いていた私は、自分から「食べていかない?」と言った。
 恵美は意外にもあまり乗り気じゃなくて、一瞬、迷うそぶりを見せた。
 私はあまり気にせずに、じゃあ私だけ食べると言って店に入ったら、恵美もじゃあ……と入ってきた。
 でも恵美が選んだのは、一番小さいサイズを一つだけ。
 いつもなら3種類くらい食べる恵美のその行動を見たとき、私は思わず「イジらなきゃ」と思ってしまった。
 千賀子たちがいつでもそうしているように。私もイジれば、なんだか表情が曇っているように見える恵美が笑って返してくれて、もっと距離が近づくかも。そんな風に思ったのかもしれない。
 だから言ったのだ。
「なんで今日はそんなに少ないの? これ以上食べるとブタになるから?」
 恵美は一瞬、驚いた顔をして、でもあいまいに笑っただけだった。
 うまくイジれなかったらしいことはわかった。なんで私はこういうのうまくできないんだろう、と落ち込みながら食べたアイスの味は今でも覚えている。

 しかし、まさか、あの一言が、4人から無視される原因だったとは。
 そんな、そんなつもりではなかったのに。
 
 恵美は不意に顔を上げて、私を見た。
「恵美が、ダイエットしてるの知ってたよね?」
「え?」
 加奈子の言葉は初耳だった。恵美がダイエットをしていた?
「知らなかったの? だいぶ痩せたでしょ?」
 気が付かなかった。
 言われてみれば、痩せていた……だろうか?
「食事制限して、ウォーキングして、恵美すごくがんばってたんだよ」
 知らなかった。
 知らなかったのは、私、だけ?
「そんな恵美に言ってはいけない言葉だったと思う」
「ごめん……」
 恵美には申し訳なく思う……けど。
 4人が私のいないところで、恵美にひどいことを言った私を無視しようと決めたことは、どうしても納得できなかった。
 加奈子の口調がどんどん私を責めるものに変わっていくのも、1人じゃないって後ろ盾があるから。そう思うとなんだかイライラしてきた。
「でも……どうして私にそう言ってくれなかったの? だからって黙って無視されても私わからないよ!」
「私に言わないでよ!」
加奈子は大声で言った。
 まだ教室に残っていたクラスメイトの何人かが、こっちを見たようだった。
 加奈子の声に、私の怒りはあっけなく吹き消される。
 再び泉のようにとめどなく湧いてくる後悔。
 そうきっと加奈子が決めたことじゃない。なのに私は、一番話しやすい加奈子だけを責めてしまったのだ。
「ごめん、私急ぐから」
 加奈子は再び目線をそらすと、逃げるように行ってしまった。
 私もまたフラフラとその場を立ち去った。

 かと言って行く場所があるでもなく、私は校内をフラフラをさまよった。
 どこも生徒がいて、クラブ活動したり、仲間と集まって談笑したり、それぞれ学校生活を営んでいる。
 なんでだろう、どうして、私はその中にいられなかったんだろう。
 昨日まで、私もその中の一人だと思ってた。
 普通に友達がいて、普通に学校生活をしている、普通の学生だと思っていたのに。
 ……いや、普通の学生、なんて私が望んだことが間違いだったのかもしれない。
 確かに、私の言った言葉はひどい。
 「ブタ」と言ってしまったんだから。
 けど、そんな悪い私を注意してくれるほど、千賀子たち4人と私の間に絆はなかった。
 もしかしたら、今まで私に向けてくれていた笑顔もただの義理で。
 本当は最初から嫌われていたのかもしれない。
 私はみんなに嫌われる人間なのかもしれない。
 いない方が、いい人間なのかもしれない。

そう思ったら、そうとしか思えなくなってきた。
私が、生きているのがすべて悪いんだとしたら、すべて辻褄が合う。

 私は中学校でも、小学校でも友達がいなかった。
 それは、みんなが私が悪い人間だと見抜いていたからかもしれない。

 ……帰りたい。

 そう思った。でもどこへ。
 安全な場所へ。苦しまなくていい場所へ。

 帰る……。

 そう思って、私は、とんでもないことを思い出した。

 私、また、朝食の食器を片づけるのを忘れた。

 朝、母はもうパートにでかけてていなくて。
 味噌汁と、昨日の残りの切り干し大根と煮豆。味なんてまったくしなかったけど、無理やり飲み込むように食べて、ふと、英語の辞書を荷物に入れ忘れたことに気がついて部屋に取りに行って、
階段を下りたところで、千賀子たちのことを思い出して、座り込んでしばらくふさぎ込んでしまって。
気が付けば、家を出る時間で……あわてて出てきてしまった。
食器は置きっぱなしだ。

私はまた母に「洗え」と命令してしまった。

やっぱり、私は……。

全身から力が抜けていく心地がして、その場に座り込んだ。
そこは階段の踊り場だった。

「ローソンじゃね?」
「ファミマだって、Tポイントもつくんだぜ」
「いや、まじないわ」
「俺んちの近くローソンないし」
「田舎者!」
「うっせえ!」
「……」
「……」
「……でさ」
うずくまっている私の横を、部活に急ぐらしい生徒や、仲間と帰るらしい生徒が通り過ぎていく。
一瞬怪訝そうに立ち止まる気配はするけど、声をかけてくる人はいなかった。

やがてその体勢もきつくなり、ふらふらと立ち上がる。
行くところは、ない。
でも、この階段を上がれば……屋上がある。

私は、階段を上がり始めた。一段、二段……。
また踊り場を周り、一段、二段……。

そう私は死ぬことに決めた。

気が付いたら屋上にいた、なんてドラマや小説では言うけど、実際はそんなことはなくて。
一段一段ちゃんと意識があった。
私は自分の意思で死ぬための階段を上がっていた。

何人か生徒とすれ違う、1人先生ともすれ違ったけど、誰も気が付かない。
私が死のうとしていることなど。

屋上に続く扉についた。
カギが壊れているのは知っていた。
代わりに、板で塞いであったけど、力を込めれば外せた。

屋上……夕暮れだった。

ここから飛べば、死ねる。

そう思うと解放感のような絶望感のような不思議な心地がした。

けど、問題は屋上を覆っているフェンスだ。
私の背よりも高いフェンスの上には、有刺鉄線がはりめぐらされている。

これをどうやって乗り越えよう。
一応フェンスには、扉になる部分があるけど、錠前が付いていて、これは壊れていない。
錠前を掴んで必死に引っ張ったり、押したり、握りつぶそうとしてみたり、してみたけどびくともしない。
かなりさびているから、死ぬつもりで壊せばなんとかなるんじゃないかと思ったけど、どうにもならなかった。
どうして。
せっかく死ぬと決めたのに。
後は、このフェンスを乗り越えるしかない。
うまく乗り越えられるだろうか、下手したら内側に落ちて、頭を打って終わりになるかもしれない。有刺鉄線は痛そうだ。
けど……死ぬんだから、もうどうでもいい。
やるだけやってみよう。
そう思って、フェンスに足をかけた、その時。

「こらー! なんしようと!!」

≪2章に続く≫

加奈子の話


 最初は千賀子のラインから始まった。
CHIKA『ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど』
 金曜日の夜9時ごろ。千賀子、栞里、恵美、私の4人で作ってるグループに送信された。
 千賀子のそのラインに次々「既読」が表示される。
シオリン『なに?』
 栞里はすぐに返信した。恵美の返事を待ってみたけど、なかなか来ない。既読はすでに「3」になっている。読んではいるはずだ。
 あまり遅いと「既読無視」と言われてしまう。
 私は、
かなこ『ごめん、ちょっとお母さんに呼ばれてた、どうしたの?』
と打ち込んだ。そんなに遅くはなかったと思うけど、念のため。
 千賀子の反応は早かった。

CHIKA『実はね、恵美のことなの』
シオリン『ん?』
CHIKA『今日恵美がね、由美子と2人で帰ったんだけどね。ちょっと、ひどいこと言われたんだって』
シオリン『え、なになに?』
かなこ『なんて言われたの?』
CHIKA『さっき、恵美が電話してきて、さっきまで話を聞いてたんだけど、ちょっと、本当にひどくて』『恵美ダイエットがんばってるのに、由美子がアイス食べようって誘ったらしいわけ』
シオリン『えー、ありえないんですけど。デリカシーナッシング?』
かなこ『そうなんだ……』
CHIKA『で、恵美が小さいのを一個だけ頼んだら、由美子なんて言ったと思う?』『ああ、それ以上食べるとブタになるから?って』
シオリン『なにそれ!』
かなこ『ええっ、ひどいね』
CHIKA『だよね、信じられないよね? 恵美が引いてるのに、由美子ヘラヘラ笑ってたんだって』『で、恵美はすごく傷ついて、怒ってて。あの怒らない恵美が怒るの初めて見た』
シオリン『そんなの、誰だって怒るよ!』
かなこ『そうだよ』
CHIKA『私ももうちょっと、ありえないかなって』
シオリン『最低だよ』
かなこ『そうだね、ちょっとひどいね』
シオリン『由美子ってさ、なんか大人しそうに見えて、ときどきそういう無神経なことするよね』
CHIKA『そうそう! 一学期に、1人でぽつんとしてたから仲間に入れてあげたけど……、やめとけばよかった。1人で仲間はずれ感出されたら、クラスの雰囲気悪くなるやん? だから気を遣ったんだけど』
シオリン『なんかね、いろいろ爪が甘いよね。私何回教科書ほかのクラスに借りにいくのつきあったと思う? いっつも忘れ物するくせに、友達いないから借りる人もいなくてさ。いっつも準備遅いから、由美子待ちで私たち移動教室とかギリギリになるのに。わかってんの?って感じ』
CHIKA『友達ができなくても、自分が悪いんじゃん?って言いたくもなるよね』
かなこ『そうだね』
シオリン『恵美は、どうしてるの? 大丈夫? 既読3ってことはいるのかな?』
えみP『実は、いますのん。ごめんね心配かけて』『ごめんね、ごめんね~って感じ?』
シオリン『いいよ~、本当に大丈夫? 由美子の言うことなんて気にしなくていいからね?』
かなこ『そうだよ。元気だしてね?』
シオリン『恵美はいつもおちゃらけて私たちを盛り上げてくれるけど、その裏で、実は繊細だってことわかってるよ、私たちは』
かなこ『うん、恵美は本当に頑張り屋だよね』
恵美『ありがとう! 友情に感涙的な?』
CHIKA『来週、由美子に会うのいやだね』
シオリン『マジ、嫌』
かなこ『そうだね、意識しちゃうね』
CHIKA『来週、美術5人でやろうって約束しちゃった、っけ? 4人でいいんだけど』
シオリン『鏡使っていいから自分の顔描いてください、って感じ』
恵美『1人デッサン? まじウケる』
CHIKA『それ言ったら、修学旅行も一緒の組にしちゃったよ。どうしよ~』
シオリン『おえー、そうだったーマジ嫌』
かなこ『そうだね』

 ラインのやりとりはそのあともずっと続いて、気が付けば2時間くらい経っていた。
 内容はほとんど由美子の悪口だった。
 出会った日から今まで、ありとあらゆる由美子の悪い点を交代で出し合う感じだった。
 けど、誰ひとりとして、「由美子とはもう口をきくのはやめよう」とは言わなかった。
 
 でも、月曜日の朝。下駄箱で、由美子に会ったとき、私は思わず気が付かなかったフリをした。
 みんなの反応を見て決めようと思った。
 みんなが由美子と表面だけでも今まで通り付き合うなら、本当に気が付かなかったことにすればいい。そう思った。

 でも、
「おはよう、ねえねえ、一限目数学とか最低じゃない?」
 と由美子が会話に入ってこようとしたとき、千賀子も、栞里も、恵美も、反応しなかった。まるで由美子がそこにいないかのように、会話を続けた。
 だから、私も由美子と口をきかないことにした。
 だって、みんながそうしているから。

 その日から、私たちの話題の中心は由美子になった。
 不思議なもので、友人3人からかわるがわる由美子の悪口を聞いていると、だんだん由美子が嫌いになってくる。
 いっつも髪の毛を触っているとか、瞬きの回数が多いとか、鼻がちょっと上向いてるとか、そんなことまでムカつくようになってきた。
 それはクラスにも伝染していくようで、由美子が嫌いという感情をクラス全体が共有するようになってきた。
 嫌いな人と口をきかないといけないなんて法律はないはず。そして、みんなそうしているのだから、私もそうしてるだけ。
 だから、悪いとは思わなかった。
 嫌な気分なのに、自分がその輪の中に守られているような、不思議な安心感があった。

 なのに火曜日、千賀子、栞里、恵美、私の4人が田中先生に呼ばれた。
「いや、勘違いならいいんだが……」
 あきらに作り笑顔を浮かべて田中先生は切り出した。笑顔で言えば、なにを言っても責められないと思っんじゃない?とは、由美子に対してさっき栞里が言ってた言葉。
「最近、前田となにかあったのか?」
 予想通りの質問だった。
 恵美はうつむき、栞里は先生をまっすぐ見たまま黙り込む、私は思わず千賀子の方を見た。
「なにもないです」
 千賀子はそう言った。
 田中先生は作り笑顔のまま困った顔をした。
「そうなのか? それならいいんだが、前田がえらく落ち込んでいるみたいだったから。なにか知らないか?」
「さあ……」
私たち4人は顔を見合わせた。
「なんも知りません。前田さんが私たちを嫌ってるだけじゃないんですか?」
 栞里がそういうと。3人の間に、一瞬緊張が走り、次の瞬間、なぜか笑いがこぼれる。
 つられて田中先生まで、ちょっと笑っていた。
「そんなことはないと思うが……」
 食い下がる田中先生に、千賀子がきっぱりと言った。
「とにかく、私たちはなにもわかりません。ただ、最近前田さんがあまりこっちに入ってこないんで。1人になりたいのかな?と思ってそっとしているだけです。ね?」
 千賀子の言葉に、私たち3人は何度もうなづいた。
「それとも先生は、私たちが前田さんになにか意地悪をしているって言うんですか?」
 そう言われてしまうと、田中先生も、なにも言えない。
 私たちは千賀子のおかげで、無事に会議室を出ることができた。

 しかし、この事件は千賀子たちの由美子への怒りに火をつけてしまった。
「なんで私たちを悪者みたいに!」
 そう思ってしまったようだ。
 だからこの時点で、私たちの誰も自分たちを「悪い」とは思ってなかったのだ。
 「私たち性格悪いよね~」は栞里が自嘲気味に言ったことがあるけど、そう自分で口に出したことで、帳消しになるような。そんな感覚だった。
 多分、田中先生に呼び出された由美子が帰ってくると、千賀子たちは一斉に廊下に出て行った。私は、明日の数学のために千賀子のノートを写させてもらっている途中だったから、出遅れた。
 そのあと、険悪な空気になったのが、教室の中からでもわかったから、出ていきにくくなってしまった。
 私が出て行ったとき、由美子は1人で立ちすくんでいた。
 顔色が青い。きっと3人に田中先生に相談したことを責められたんだろう。
 由美子が私を見る。目があって、嫌な予感がした。
 あんまりあからさまに避けるのも怖くて、かるく頭を下げて、なんとなく通り過ぎようとした。けど、ダメだった。

「あの……」
 そう声をかけられたとき、思わず立ち止まってしまった。
 立ち止まってしまったから、由美子は私が話を聞いてくれると思ったんだろう。

「加奈子、私と口をきいてくれないよね?」
 ドキっとした。
 口をきいてくれない、つまり「無視している」という今まで考えないようにしていた事実を突きつけられた気がした。
 やっぱり、私たちの態度を由美子は「無視されている」ととらえていたことを知らされてしまった。
 でも、加奈子、って。どうして由美子は、まるで私だけみたいな言い方をするんだろう。
 そんなことをぼんやり思いながら、どうやったらこの場を逃げられるか考えていた。
「なんで……、私なにかしたかな?」 
 由美子が今にも泣きそうな作り笑顔でそう言ってきた。
 それは「私はこんなに辛いけど、笑顔を作ろうとしているんだよ。だから、あなたがいい人なら、私の辛さをわかって、同情してくれるよね?」って言われている気がして。なんだか、むかついた。
 なんで私だけが、こんな微妙な立場にならないといけないんだろう。
「もしなんか悪いことをしたなら、謝りたいし。悪い部分はなるべく直さないとね」
 由美子は震える声で、作り笑顔を強くした。
 悪い部分を直す? この子やっぱりバカじゃないのかと思った。
 なんていうかうざい。
「えっと……」
 私が話し出したのは、由美子に同情したからじゃない。由美子の勘違いを正してやりたい気持ちになったからだ。
「由美……前田さん、先週、恵美と一緒に帰ったの覚えてる? そのとき、アイス食べようって誘ったよね? で、恵美のこと『ブタ』って言った、んだよね?」
 言ってから、さすがに少し良心の呵責に心が痛んだ。
 由美子にとってはショックだったんだろう。作り笑顔は消え、青かった顔がますます青くなって、なんだか怖い。
「恵美が、ダイエットしてるの知ってたよね?」
「え?」
「知らなかったの? だいぶ痩せたでしょ?」
 由美子は驚いていた。本当に知らなかったんだろうか? そういえば、恵美のダイエット経過報告は、いつもラインのグループからだった。
 けど、学校でも普通に話してたし、気が付かなかったなんてそんなはずない。もう7キロも痩せたのだ。クラスメイトもみんな気が付いてる。
「食事制限して、ウォーキングして、恵美すごくがんばってたんだよ。そんな恵美に言ってはいけない言葉だったと思う」
「ごめん……」
 由美子はうなだれた。
 聞かれたことには答えたし、気まずくて嫌だから、通り過ぎようとつま先を動かしかけた、その時。
「でも……どうして私にそう言ってくれなかったの? だからって黙って無視されても私わからないよ!」
 由美子が突然叫んだ。
 うつむいていた顔を上げて、私をはっきり非難した。
 私を、まるで私だけが無視をしたように言われて、私もまたカッとなった。
「私に言わないでよ!」
 思わず大声で言いかえしていた。
 そうだ、おかしい。なぜ私だけが責められないといけないのか。
 さっき、千賀子たちに話しかけられたときは、黙ってうつむくばかりでなにも言えなかったくせに。私一人になったとたん、文句をぶつけてくるなんて卑怯に思えた。
「ごめん、私急ぐから」
 再び青ざめて固まってしまった由美子の脇を私はすり抜けた。
 これ以上付き合ってはいられない。

「どうしたの遅かったね?」
「ミスドでも寄ろうかって話になってるんだけど、どう?」
 千賀子たちは下駄箱で待っていてくれた。
 3人の顔をみるとほっとして、私は少し口を膨らませて「もーっ!」と恵美の肩を叩いた。
「痛いって。どうしたの?」
「実は、由美子から話しかけられて」
「げ」
「なんで無視されてるの?だって」
「え、なんて答えたの?」
「え、普通に……」
「話したの!?」
 栞里の言葉で、3人の顔が険しくなった。トゲトゲしい空気が漂う。
 まずい、しまった。私は間違ったことをしてしまったらしい。
 なんて言おうか考えていると、千賀子が言った。
「まあいいよ。大丈夫」
 その言葉で、あとの2人の空気もやわらかくなった。
 私たちは、4人で一緒に帰った。仲良く、由美子の悪口を話しながら。

 水曜日、由美子は欠席だった。
 屋上に行って飛び降りようとしていたことは、学校中の噂になていた。
 火曜日、多分、私と別れてから由美子は屋上に行ったらしい。屋上で用務員の人ともみ合っているのを生徒が目撃していたらしい。
 クラスは変な空気だった。
 由美子に同情する人もいれば、柵があって飛び降りられないことくらいわかっていたはず自殺じゃないか狂言だろう、と冷静に分析する人もいる、由美子を無視していた私たちに非難の目を向ける人もいるし、とにかく関わりたくない思っている人もいるようだ。
 あまりにも混沌としていて、とても読むのが難しい空気で、とても気が重い。
 私は、悪いことをしてしまったんだろうか。
 千賀子たちを止めて、1人でも由美子と仲良くするべきだったんだろうか。
 クラスメイトを自殺に追いやった人間として、一生、責められないといけないんだろうか。
 もう何も考えられない。
 ただ、携帯が鳴った。
 
 Chika『ねえ、どうする?』

 ラインのグループに送られてきた。
 そう私は1人じゃない。
 千賀子たちの意見を聞いてから考えようと思う。
 それしか、自分にはできないんだと思う。

≪第3章に続く≫

母の話


 職場に学校から電話がかかってきたときは信じられなかった。
 相手は、なぜか用務員の人だった。突然、「前田さんのお母さん?あなたの娘は死のうとしたよ」と言われて息をのんだ。「どういうことですか?」と聞き返すも、なにやらもめる気配がして、担任の田中先生に相手が変わった。
 「ああ、前田さんですか。すみません、お忙しいところを。いつもお世話になってます。用務員さんが言ったのはですね。前田が今日屋上にいたってことでして。用務員さんは、死のうとした、なんて言ってますけど、本人はそうは言ってないですし。今、保健室で休ませて、様子をみているところです。はい」
 腰が低く、でもどこか卑屈さの漂う声で、田中先生はまくしたてた。
「屋上、ってそれは」
 飛び降りて死のうとしたってことですか?と聞こうとしたけど、ここが会社で周りの人に聞かれることを思い出し、つい口ごもった隙に、またも田中先生はまくしたてる。
「いや、屋上は本来施錠してあって、普通は入ることはできんのですよ。どうも鍵が壊れていたようで、もうそれは学校の管理責任なんですが。もちろん生徒の方も立ち入り禁止ってことは言ってあるので、入ってはいけないんですよね。でも、なんで入っていたのかは、もう少し落ち着いてから話を聞こうかと。いやあ、早急に、鍵を直す手配はしてます。もちろんフェンスもあるんで、それを乗り越えることは無理なわけですけど。一応ですね。鍵を早急に直して、明日にでも全校集会を開くように校長先生に……」
 聞きたいのはそういうことじゃない! なんで娘のことをもっと気にしてくれないのか! 腹は立つがこれ以上何を聞いても、この先生はだらだら長いだけの自己弁護しかしないのは目に見えていたから、「今から行きます」と言って電話を切った。
 急いで仕事を切り上げ、上司に早退の許可をもらう。
 私は、他の人のように家庭を理由に仕事を休んだことなんてない。対した理由じゃないのに休む人たちと同じと思われるのは不本意だったけど、しかたない。
「子供さんどうかしたんですかー?」とか聞いてくるウザい女子社員を笑顔でかわしつつ、なんとか退社した。 
 由美子の様子は、そういえばおかしかった、かもしれない。
 昨日も青白い顔をしていたし、なにやらこれ見よがしにため息もついていたような気がする。でも、あの子にはもともとそういうところがあった。私が注意すると、ブスくれて、1人部屋にこもって出てこなかったり、わざと聞こえるように泣いたり。
 そうやって、素直に自分の非を認めることなく、指摘した親を責めようとする、扱いにくいところが。
 だから、何か言いたいことがあるのかな?とは思ったけど、聞いたところでどうせ素直に話しはしないだろうし、そっとしておくことにしたのだ。
 私なら、自分の問題は自分で解決したいし、由美子ももう高校生だからその方がいいと思ったのだ。
 なのに、死のうとした?
 どうもしっくりこない。確かに暗い顔はしていたけど、死のうとする人間にしては、夕べテレビも見ていたし、ご飯も食べていた。
 おそらくは、またなにか不満があって。彼女が新しく考え出した自己主張なのではないだろうか? 由美子が責めたかった相手の中には母親である自分も入っているのだろうか? だとしたら、私の何がいけないというのか? 確かに仕事はしているけど、家事にも子育てにも手を抜いたことはない。忙しいことを理由に、レトルトや外食ですませる同僚と違って、私はいつも有機野菜中心の料理をどんなに疲れていても作っている。週に1日しか休みがなくても、子供の行事に駆り出されたり、買い物に付き合ったり、……最近は、妹の春恵ばかりで、姉の由美子とは行ってないけれど。
 もっといい母親なら、どんなに扱いづらくても由美子ともっとコミュニケーションを取ったということなのだろうか? 働かずに家にいてやるべきだった? けど、いまどき共働きなんて珍しくもない。もっと子供をほったらかしにしている母親でも、立派に育っている子はたくさんいる。
 ……本当にわからない。由美子が一体なにを考えているのか。
 とにかく、学校に着いたら、すぐ由美子に聞かないと。
 何を考えているのか。

 保健室の扉を開けると、ベッドが一つ隠すようにカーテンで仕切られてあって、その前の丸椅子に小柄なおじさんが座っていた。
 さっき電話をくれた用務員のおじさんらしい。
 私は彼に軽く会釈して、由美子が寝ているらしいカーテンに手をかけようとした。
 しかしその手を、用務員のおじさんの黒ずんだ手が強くつかんできた。
 思わず抗議の目線を向けると、用務員さんは有無を言わさず、私の腕をつかんで保健室の外に引きずり出すように、連れ出した。
「なんですか!?」
 保健室に戻ろうとする私の前に、用務員さんは両手を広げて立ちふさがり、ゆっくり首を左右に振った。だんだん腹が立ってきた。

「だから、なんですか、一体!」
「あんた、今、娘になん言おうとした?」

 用務員さんは私より小柄で、背中が曲がっていた。顔は色が黒くしわくちゃで、白目部分が黄ばんだ濁った眼球で、下から睨みつけてくるのがなんだか気持ち悪く、怖い。なんでこんな人に説教されないといけないのか。先生でもない、シルバー人材センターから雇われているだけの人に。なんだか知らないけど、早く用件を終わらせて欲しい、そう思った。

「何をって、なにがあったのか聞こうとしただけです」
「はあ? なんがあったかって? 死のうとしたったい! わからんとね!」

 廊下に響き渡るような声でどなりつけられて、唾が飛んだ。あまりの勢いに押されて、私は体をこわばらせた。

「死にたいけん、屋上におったったい! なんでかなんて聞かんでもわかるやろ!」

 黄ばんだ白目から涙が滲んで、顔のしわを伝った。
 由美子のために泣いてくれてる、その事実に困惑した。なんだか急に自分が悪いことをしている気分になった。

「……えっと」

「ひとりぼっちやけんたい!」

 用務員さんの声が廊下に響き渡った。 

 ひとりぼっち……。

 由美子はひとりぼっちだったのだろうか。
 でも……でも……。

「あとはあんたにまかせるけん。うるさくゆうて悪かったね」

 用務員さんは、やっと目線をそらすと、立ち去って行った。
 その小さな後姿は、不規則に揺れていた。どうやら足が悪いらしい。
 あの体でどうやって由美子をここまで連れてきたのだろうか。いや、それより。
 私は、どうしたらいいのだろうか。
 そう、考えこんでしまった。

≪第4章に続く≫

再び由美子の話

ベッドのカーテン越しに、丸椅子に腰かけた用務員のおじさんがいる。
 少し泣きそうになるけど、おじさんに見られたらなんだかめんどうなことになりそうで、なんとかこらえていた。
 
「あの……」

 一人になりたいのに、一向にそこから動く気配がない用務員のおじさんの存在に耐えきれず、私は思い切って声をかけた。

「なん? どうかしたと?」
「いいえ……あの、もう大丈夫ですから……」

 仕事に戻っていいですよ、と言おうとして、おじさんにさえぎられる。

「いかん」
「……?」
「あんた1人にしたら、また死のうとするかもしれんやん。1人にしとけん。こんなおっさんがおったら嫌かもしれんけど、がまんし。もうすぐお母さんくるけん」


 用務員さんがなぜそんなことを言うのかわからない。
 生徒なんてたくさんいて、そのうちの1人が、自殺したところで彼になんの影響があるというのだろう。
 私が自殺したら、責任を問われるであろう校長先生と田中先生は、さっきまでここにいて、必死に私を問い詰めた。

 「なんとなく屋上に行ってしまっただけで、自殺する気はなかった」

 という言葉を、引き出そうと必死だったから。その通りに言ってあげたのに、何度も念を押されてうんざりしているところに割って入ってきて、2人を保健室から追い出したのも用務員のおじさんだった。
 用務員のおじさんだけは、かたくなに私を「自殺しようとした生徒」として扱った。お母さんに、「娘が自殺しようとした」と電話したのも彼だった。
 本当に優しい人だなと思う。

 けど、そんなこと言ったところで、お母さんはきっとここにたどり着く前に、私のどんな言い分も完璧に論破できるように準備してくるに決まっている。
 なにを言っても「私が悪い」ことにできるようにしてくる、きっと。
 
 生きていたくない……
 
 でも、死ねなかった。

 死ぬつもりで、屋上に行ったのに。

 いや、本当に死ぬつもりだったんだろうか? 屋上にはフェンスがあって、飛び降りれないことくらいわかっていたはず。
 さっき、校長先生にも田中先生にもそう言われた。
 だからそうかもしれない。
 私は死ぬ勇気もない。でも、生きる気力もない。
 きっとお母さんには「あんた普段なにも頑張ってないじゃない。こういうときくらい頑張らなきゃ」って言われるんだろうけど。

 頑張りたくない。

 頑張ったところで、もう加奈子たちと笑える日は来ないのに。

 保健室の窓から、夕日に照らされた建物がいくつか見える。どの建物にも屋上はあるだろう。探せば、フェンスのない建物もあるんだろうか。
 いや、屋上にこだわらなくても、高い建物の窓から落ちればいい。
 ああでも、下に誰かいたら迷惑をかけるだろうか。
 電車は、遅延を出した分の膨大な補償を親族がしなければいけないと聞いたことがあるし、海は死体を探すのが大変そうだ。

 ああ、楽に死ねる方法はないだろうか。

 できれば、苦しむことなく、誰にも迷惑かけず。

 最初から生まれなかったことにできるような方法が。


 ……最初から生まれなければ。


 ……本当に、最初から私が生まれてこなければ。

 加奈子たちもお母さんも、もっと幸せだったのだろうか?


 そんなことを考えていたとき、保健室のベッドを覆っているカーテンが開いた。
 お母さんと目があって、私はあわてて起き上がった。
 お母さんの白い顔は、いつもより青白い気がする。しまったと思った。
死ぬ方法ばかり考えていて、お母さんになんて説明するか考えていなかった。
 あわてて頭をめぐらせ始めたとき。

「由美子」

 お母さんが私の名前を呼んだ。
 久しぶりに、お母さんから名前を呼ばれて、私は思わず身をすくめた。

「夕食、なんか食べたいものある?」

 それは意外すぎる言葉だった。
 食器を洗っておかなかったことを、怒っていないのだろうか?
 屋上で騒ぎを起こすなんて、遠回しのアピールはやめろって怒らないのだろうか?
 私がなにも言えずにいると、お母さんは困った顔をして。

「帰るよ」

 と言った。
 私は頷いて、ベッドから降り、帰り支度を始める。
 
 私は死ねない。

 結局、私は死ねないのだ。

 明日も、普通に起きて学校に行くに決まってる。
 そして、加奈子たちの行動の一つ一つを気にしては、傷つく。
 お母さんは、なぜか今は優しいけど、明日になれば元に戻るだろう。
 

 それでも、私に死ぬ勇気がないのだから。
 生きていくしかない。

 でも、死ぬことはいつでもできる。
 
 そう思うことで、なんとか立っていられる。


≪完≫

死ぬことを決めた日

死ぬことを決めた日

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 由美子の話
  2. 加奈子の話
  3. 母の話
  4. 再び由美子の話