網と夢と海

網と夢と海

私の名前は尚緒。
女の子みたいな名前で取り立てて女の子らしくない男の子つまりただの男。
性的マイノリティでも何でもなく、ただこういう名前なだけで。社会的マイノリティではあるのだけれど。

いつからだっけ

いつからだっけ

 いつからだっけ。何時からだったか。地球が何回廻った頃から地球が難解で今人生の何階層なんだろう。
特に書きたい事もないのに精神安定の為に書く文章には色んなものが欠けてて上手く描けていない。
小学一年生の夏は海が眩しかった。
中学一年生の夏は君が眩しかった。
高校一年生の夏は-

 
                                         
 散発的にしか思い出せない過去を取り留めなく書いていく。
散文詩には成り得ない稚拙は僕の何かを埋めてくれるだろうか。

何が悪かったわけでもなく、何か間違ったわけでもなく。僕はいとも簡単に人生のレールから降りてしまった。
すっ、と降りたわけでもなく。誰かの、自分の意思すらなく。
だらだら堕落と堕ちて落ちていったんだったか。

 そういえば辞めてしまう前に呼びに来てくれる友達もいた。
確かダイスケといったかな。嘘。覚えているけど思い出したくない。あんな立派な君を僕が思い出す事すら憚られるよ。
朝から着替えもせず液晶画面に向かう僕を見て、少しも変わらずばかばかしい話をしてくれながら。
いっつも去り際にはこう言うんだ。
「さて、そろそろ学校行くか」
僕に宛てられたのか、それとも君が君に言ったお決まりの台詞なのか。僕は最後まで答えることは出来なかった。
なあ。その問いにちゃんと応えられていたら。

 遅生まれ15歳。
元高校生の夏はカーテンの隙間から零れる太陽が眩しかった。
この世界に顔向けすることはもう二度と出来ないって教えてくれてるんだろう。秋が来ても世界は小さな液晶画面。音は君の声。
冬が来ても世界は小さな液晶画面。音はもう無く。春が来る頃にはくたばっていたいけど、そんな勇気のある奴が逃げ出すわけもないのだ。
 
 唐突だけど。人生って不思議なものでさ、何度かチャンスが来るんだよ。笑っちゃうぐらい来るんだ。そんで笑っちゃうぐらい簡単に逃すんだよな。
そんなことを考えている暗い部屋。
あっという間にまた夏が来て、あれから一年。僅か何行にまとめられる僕の貴重な青春。
 不意に轟音が心臓を貫いて、僕にとって365日で一番恐ろしい日がやってきた。花火大会ってやつ。
この僕より高いところで瞬こうなんて、一瞬だとしても不遜だと思わないのか、なんてね。
27発目の花火が僕のしんぞうをつらぬいたから、一か八かでベランダに飛び出て空を彩る充実者向けの灯台を眺めに行く。
けど折角の覚悟も、隣家の張り出した屋根が半分覆って水を差した。ノー、助け舟を出してくれた。あぶない危ない。直視してたら死んでたかもな。

 半円の花火。絶望観測者には横半分。希望観測者には縦半分。
ああ、子供の頃なら真っ正面から音と光に飲み込まれてみせたのに-
命辛々逃げ出そうとしたその時。31発目の花火にかき消されながら、僕を呼ぶ声がした。
「尚緒くん!」
汗が吹き出るのは暑い熱い夜だからじゃない。誰だ誰だ誰なんだ。
非日常な華の火に背を向けて眼下に目をやると―。名前を思い出せるかどうか怪しい。今回は嘘じゃない。
ゆっくりと逃げ出そうとする僕の背中に声が飛ぶ。
「尚緒くんだよね?ね、少しだけ話せないかな!」

何かが変わるかもしれない。
後悔を経験に変えて応えてみせた僕と、愚かなまでにうつくしいあなたのはなし。

これからかな

 少し話す事にしてみたのはどうしてだろう。浴衣姿の君が花火に照らされて美しかったから?おお、詩的。嘘。チープ。
勇気を振り絞って階段を降りて、玄関を跨ぐ。こんな事に勇気が必要ってどうかしてるな本当。

軒下に降り立つと君は心底心配そうな表情で言葉を紡いでいく。

「元気にしてた?みんなすごく心配してるよ。」

 本当かよ。訝しげな表情と裏腹に僕は救われている心の音を隠せない。
そして彼女は話し続ける。

「尚緒くん誰にも何にも言わずにいなくなっちゃって、携帯電話も通じないって皆心配してるよ。」

 本当かよ。本当であってくれ。本当だよね?なんとむなしい人間なのだ僕は。

 しかし今現在の問題はそこではない。目の前にいるおそらくは旧友の一人であるこの少女の名前が思い出せないという事案に対応しなければならない。名前を聞くか?いやいや引きこもり現実社会不適合の僕でもそのぐらいわかるぞ!失礼である。
それより何よりまず声が出ない。引きこもりあるあるである。やっとの思いで絞り出した涸れた声。

「あー。ええっと、元気、元気。まあ特に理由とかないんだ。久しぶり。えーっと。久しぶりだね」

 火縄銃並の次弾装填。言葉の種子島や。意味不明。そんな僕の隙間を縫って彼女の華麗な射撃は続く。

「遼くんも正也くんも、雄大くんも会いたいって言ってたよ。」

何度も投げかけてくれる優しい言の葉に感極まりながら、所謂ヤンチャな僕の友人をくん付けで呼ぶところを見ると、彼女はそれほど明るいグループではなかったのだろうか。
不躾に彼女の顔、背丈。あらゆる情報を見回しながら考える考える。

現実社会適合者の彼女は僕より遥かに早く状況を察して小さく、切なげに早口で呟いた。
「あっ、そうだよね。私のことなんて憶えてないよね。いきなりごめんね。自己紹介するね。遥。憶えてないかな?」
その名前にもこの卑屈さにも覚えがあった。だけど僕の目の前にいる彼女と僕の弱体化した脳の記憶は一致しない。

僕の知っている遥という女の子は、流行り外れの分厚い眼鏡におおよそ伸びているだけの髪の長い女の子。
だけど目の前に佇んでいる女の子はぱっちりとした美しい目に、こんな田舎で誰が仕立てたか可憐な髪型。ボ、ボブだっけ?

「憶えてるよ。だけどすごく可愛くなってるから。確信が持てなかった」

 いいぞ僕。まだ闘える、まだ舞える。
花火はスポンサー宣伝のアナウンスで一休み。切れかけの街灯がぼんやりと照らす彼女の顔は真赤だった。見えやしないけど。
一瞬黙り込んだ君とキャッチボール再開。もとい銃撃戦。

「どうしてこんなところにいるの?」

「花火の帰り。混む前に帰ってきた。恵ちゃんたちと見に行ってきたの。」

「楽しかった?」

「うん、すごく。尚緒くんは見に行かなかったの?」

「行けなかったよ。」

「それじゃあさ。」

「うん」

「今からでも行こうよ」

「むりむり」

「そんなことないよ」
「無理無理。」

僕の語気を強めた拒絶に彼女はまた少し黙ってから。
「そ、それじゃあさ」

「うん」

「来年は見に行こうよ、その、一緒に」


 来年の夏花火は半円じゃなくなるだろうか。僕は神様なんか信じちゃいないけど。無性に形のないありがとうを言いたくなったんだ。

かわらないけど

 夢みたいな夢見たいななんてご機嫌ではあるけどあれから特にこの6畳は変わりない。
一瞬幸福に飲み込まれた気がしたのだけど日常は大して変わらない。

あの晩に浮かれて連絡先なんて聞いてみたものの彼女の回答はごめんね、携帯電話持ってないんだ。というもの。
明確な拒絶!そう思ったのを察したのか、

「ち、違うよ、うちあんまり余裕がなくて…」

 そういえば彼女の家は母子家庭だと聞いた事があるような気がする。
あまり踏み入ってはいけないような気がして僕はするすると引き下がることにした。

 ともなると彼女が軒下にいたのは花火の帰り道という偶然であって、尋ねてくることも無く。
この狭い田舎であるにしてもそれ程仲良くない、ましてや中学が同じなだけの家なんぞ知る由もなく。彼女に会う由もないのであった。

要するに僕らは夏に花火に、一瞬の情景に浮かれ飲み込まれただけだったのかもしれない。
なので今日も僕は液晶画面に釘付け。ご飯は部屋の前においてあるから困らないね!

 全くここまで背景が見えない僕の家庭は別に崩壊しているわけではない。家を出て超エリート高校に進んでいるひとつ上の兄。サッカー選手を目指して中学生にして強豪校に進学し家を出た弟。そして次男坊の僕は今日も部屋を絶賛防衛中。エリートしかいないのだ。
父は詳しくは知らないが事業をやっていて、裕福ではないけど男三兄弟学費には困らないぐらいには。母は看護士をしている。詳しくは知らないけど。
両親の仕事について詳しく知らない時点で崩壊してるって?気にしない気にしない。

唐突に話は変わるけど、いやそこまで変わらないのだけれど両親の誕生日がいつなのかも解らない。
けれど愛情をもって育ててもらったとそれなりの自負はあるのだ。静かな崩壊のほうが瓦礫の家庭より問題が噴出しないだけタチが悪いのかも。ないものねだり。

そんな両親がちっとも出てこないのは僕が高校に行かなくなってから三ヶ月が過ぎようとした頃の件に由来する。
だらだら堕落したとは自己紹介したのだが自分の体と心の事だ。サインぐらいは出ていたのである。
汗が止まらない。酷い焦燥感が襲う。授業を少しも理解できなくなり、学校に通うことに漠然とした不安を抱えるようになった。

 最初は遅刻や早退。続いて休みがち。仕上げに不登校ってわけなのだが、前述の不安や異変については誰にも話せないまま離せないまま。
家で液晶画面に片思いする毎日が始まったのだ。ちなみに液晶画面なんて言ってるけど単純にテレビなのである。
そんな僕を見かねた両親はある日ドアの鍵をぶち破って精神科に連れていってくれたのだ。
僕の必死な抵抗虚しく車に押し込まれ、信号で速度を落とす際に車から飛び降りてみたりしたのだけれど。逃げ切れずクリニック様にご到着なさってしまったのだ。

僕だって自分の心に異変が起きているのは自覚があった。けれど欲しかったのは安息。
それに育ちの悪い田舎者。ほら子供の頃おどけてみせたら皆が囃し立てたろ?頭の病院行ったほうがいいんじゃねーのなんて笑って。
近所を彷徨う身元不詳の怪しいおじさんの仲間入りを果たすみたいでとってもとってもいやだったのでした。

 おいしゃさんがいくつもいくつも質問をしてくれるから自分をきっちり偽って、完璧な質疑応答。おじさんはいやだ、おじさんはいやだ、おじさんはいやだ。
おいしゃさんがうん、大丈夫だよ。鬱やそういった精神病ではないねと太鼓判を押してくれるまではそれ程時間は必要ではなかったのでした。
その日を境に僕は全く両親と言葉を交わさないと決めてしまったのだ。思い返せば馬鹿なこと。形は間違っていたのかもしれないけど何かをしてくれるってことは何もしないことより遥かに価値があるというのに。

それ以来家の中で出くわしても返事もなく、ただただごはんをたべる機械と化したのぼくのすがた。痩せ型でよかったよ。ぶくぶく太っちゃ目も当てられない。
最初は野菜もしっかり入っていた献立は僕が残してしまうので肉がメイン。そうなると恋しいよ野菜、大事なものはいつだってなんとやら。

 彼女が恋しいような。一度会った偶然に依存するほど壊れてない自分を残念がって酔ってみたりしながら。今日も残さず晩御飯をいただいたのでありました。
海が見たいな。夏が見たい。電気を消せばカーテンにプリントされた蛍光色の星空が部屋を彩るから星空は恋しくない。
僕だけの夜空は簡単に手に入るのに。僕だけの太陽は何時になっても訪れない。

そんな引きこもりの自己語り。蝸牛は自分の殻を自慢してみせたりするのかな。言葉遊びに夢中な僕の現実逃走記。
人に会いたい。一年も誰とも会っていないと渇望することはそれだけ。けれど会えない。自分が醜くて仕方がないような、世界とは違ってしまったような。夜の闇に紛れなければ、伸び晒しの前髪が眼を覆ってくれないと。恐くて怖くて。

この葛藤だけで一年生きてきたんだと思うと少し笑ってしまう。まだ表情筋は死んでないみたい。青春にとった杵柄。

明日雨なら。夜の海を見に行こう。誰も居ない雨夜の海なら僕だけの夜空がきっと手に入る。

A,MegaFull

 伊達にテレビに釘付けになっているわけではない。僕が世界と一方通行でも繋がっていられるのはこの液晶だけなのだから。
深夜の通販からゴールデンのバラエティ。そして21時跨ぎの天気予報だって隅々までチェック済み。
自分で踏み出す一歩に、自分で仕入れた情報で背中を押してもらう。そんな自作自演。次の日はひたすらに雨だった。夕立が一日中続いているような雨の日で、僕は夜が待ち遠しいのなんて何時振りだろうと胸を躍らせて眠りにつく。

 朝方に寝て夜に起きる生活の中では深夜の静寂が僕の友達。さあ傘も差さずに海へ帰ろう。何も恐くなんてない。
荒れ模様の海は真っ暗でも真白な潮が泡立つのが見えるほどで、潮騒には情緒より恐怖。
かつてはここに全てがあった。夏が来れば誰と約束を立てるでもなく、この田舎町では海に行けば誰かに会える。皮肉なもんだ。今はこの海で誰とも会わないことを望んでいる。

 打ち付ける波の音に慄きながらも足を波打ち際につければあっという間。引き込まれるような潮の流れをものともせず僕はすい、すいすいと泳いでみせる。
塩が目に染みて涙が心に染みる。自分ひとりの足で外に出れたのは現実から逃げ出したあの日以来はじめてだった。
ここから変わっていけるだろうか。もう一度元通りとはまでは望まないから。当たり前より少し下、そんな日々でもいいから。

ぷかぷかと浮かぶ顔に波が打ち付けて無様にひっくり返る。これはいかんと砂浜に上がって急に現実が頭を過ぎる。
世間知らずの僕だって今日日中卒で生きていくのがどれ程のことかぐらい想像がつく。何か一芸でもあれば、才覚があれば違うだろうが生憎長続きしたようなものはない。
雨夜の寒さか現実の恐ろしさか。僕は暫く震えていた。

 どれ程時間が経ったのだろう。白砂に降りるための坂上の道路に赤灯がきらめく。
パトカーから藍色の勇者が降りてきて何かを叫んでいる。大方自殺志願者だとでも思われたのだろうか。

「何やってるんだ君こんなところで!嵐の海がどれ程危険かわからんのか!?」

 僕は少し斜に構えながらすみませんねご心配かけてなんて声を落として喋ってみせる。
相方の藍色二号が車内で何か通信し終えて質問を投げかける。

「君、家は何処なんだ?この町の子なのか?」
「そうですよ。すぐ帰れるんでご心配なく。重ね重ねすみませんでした。」

 とにかく避けたいのは両親へ連絡が行くことなわけで。必死にセンチメンタルに誘われた少年一号を演じてみせる。
20分ほどの押し問答の末家の近くまで送ってくれるという落としどころを見つけて難関突破。

藍色の勇者達も遊び人の心情を汲み取ってくれたのか、家まで着いてくることはなく約束どおり家の近くで降ろし見送ってくれた。傘も貰った。
少し弱まる雨足に紛れて民謡笛の音が耳を掠める。
ああ、そうか。地元の氏子祭が近いんだな。花火大会が終わって、秋を知らせる祭りがあって。二学期が始まる。僕にはもう来ない二学期が。
 玄関を静かに開けて二階の自室へ忍び込む。びしゃびしゃの体のまま寝てみようかと思ったけれど余りにも不快だったので大人しく風呂に入ることにした。

シャンプーで頭を洗い、シャワーで流している最中裏返しの洗面器から黒い兵隊が僕を襲撃した。
どんな風に傷ついた自分に酔ってみせてもこの兵隊は僕に感情を教えてくれる。熱湯とシャンプーを装備し、湯船に飛び込み安全を確保。
勝負は一瞬。田舎ものを侮るなよコードネームG。しかし我が家の風呂の排水溝は固定されていて彼を遥かな大海へ流し込むことは出来ない。
 僕は泡切れもそこそこに脱兎の如く、烏の行水。
どこかで二人に迷惑をかけたくないと警察と押し問答したのも。
彼の亡骸の始末をしないのも我が家の風呂なんて言葉も、やっぱり僕は両親を頼ってるって証明みたいで、とても実りのある出会いであった。

明日は一年ぶりに話せるかな。チャンスが来るだろうか。機会は笑っちゃうぐらい簡単に逃げてしまうから。しっかり見逃さずに応えてみせたいな。

いきていくよわさは

 ケの日が無いものにハレの日があるものか。今日も今日とて引きこもり。
しかし決意のある引きこもりにランクアップしたのだ。勇気を持って両親と話してみようと決断したのである。だからそんな事に勇気が必要ってもう。
しかし何をきっかけにするのが良いのだろう。とりあえず朝に起きるよう調整してみたが時刻は午前11時。よく出来ました花丸もの。
両親は仕事に行っている為家には一人。家全体がユートピアになるのは日中の方が時間が長いのか。一考に価する。
おおっと違う違う。しっかり話すと決めたんじゃないか。これからは家族が顔を合わせる時間が大事になるんだ。
帰ってくるまでに何か考えよう。古風に手紙?ウタダヒカルよろしく置き手紙。
何かきっかけが。きっかけを待っている時点で覚悟も決意もあったもんじゃない。そもそも父は全く話さないので仕様が無いとして母は時々話しかけてくるのだ。
 大体はその日の機嫌によるので今日は天気がいいね、とかこの曲いいねえとか。
機嫌が悪ければいつまでもこのままで生きていけると思ってるの!や同級生に比べて恥ずかしくないの!だが。部屋に立ち入らせないわけでもないのである。殆ど訪れはしないけれど。

 父や母はそれなりに友人も失ったようでその事を言われる事もある。この田舎町で失敗した個体を育ててしまうのは大きな失点であるらしい。腫れ物に触れる母や父もまた腫れ物。申し訳ないとは思うけどかつてに比べて心の振れ幅が小さいし弱った表情筋ではそれをアピールすることも出来ない。
と言うか表情の動きが乏しいのは昔からなのかもしれない。笑う時は大丈夫なのだが、怒っている時悲しい時。この辺りが致命的に下手でいずれ弱点になるのではと思ってはいたがこのフェイズだとは思いもしなかった。こんなフェイズが自分の人生にあるとも思ってはいなかったが。

 さてはて思ってもいない悲観に走ってもしょうがない。とにかく現状を少しでも打開するための手段として会話を設けなければいけないのだが一年ぶりともなると如何し様もない。
それにしても悲観的な事案に関しては人はいくらも耐えられるのに、希望的な事柄にはなぜこうも耐えかねるのだろう。
一年も話さないことのほうが一言話すことより遥かに難しいはずなのに僕はそれを現在進行形で成し遂げているわけで。
何を、何が、何の。いくつも話さなければならないことがあるのに、僕の唇も心も貝のように閉じてしまったままで時間を過ごしてきた。この無為がいつか役立つこともあるのだろうか。

 母と父は僕に何を望んでいるだろうか。今までもこういった堂々巡りは合ったがおそらく二人は僕が何故こうなったか検討もつかないのだろうと思う。
中学生までは後先を省みることなく勢い任せに行動する子供だった。良くも悪くも明るくはあり、大きな問題を起こしたこともなく、先生の手綱に十分捌ききれる子供だったように自分では思う。どうしようもないところもあるが、まあ子供の内、で済む程度の取り立てて変わりない少年だったのだ。
それが徐々に兆候を見せ、今ではもう一年も外界と接触を絶っている。意味不明とはこのことだろう。
 ふと目をやったニュース番組でまた激昂した引きこもり無職の犯罪がクローズアップされている。今はそうなる自信は無いが僕の未来の姿であるのだろうか。両親からすれば責め立てたりすれば寝首を掻かれると恐怖が先立つのだろうか。それとも今は安息が必要だと判断してくれたのだろうか。
 とにかく今日は話せそうにない。今日出来ることは明日にも出来る。こうやって逃げ続けた末路の袋小路の壁を叩いて壊そうとしているのだから全く持って救いがない。自嘲気味に笑ってから部屋を出て階段を降りる。
飲み物でも物色している最中、ピンポーン。ピンポン。鳴るインターフォン。聞こえていないフリをしたいが台所の窓は開いていておそらく居る事は認識された。
誰だ?痩せ型人間特有の汗の少なさを補って吹き出る。覚悟を決めるか?と逡巡しているところに玄関の方から開いた。

「おっす。元気にしてたか」
 
 あまり仲良くはなかった、健人と言ったかこの旧友の名前は。何故尋ねてきたのだろう。そもそも県外の高校に進学したと憶えているが。そもそも何故日中?ああそうだ夏休みだから当たり前か。考える間にもう一言。

「昔カードゲームやってたよな?相当レアなものも持ってたと思うんだけどそれを譲ってくれないか?」

 確かに僕はそういったものも歳の離れた従兄弟の影響でプレイしていて、それが普段なら関わらないタイプの友人の輪を広げる要因でもあった。
スクールカースト下位、オタクと呼ばれる人種の話は中学生にしては造詣が深く、小学生の頃無駄なものに傾けた情熱がそこにあって、ただ浅い知識を摺り合わせるリア充な僕らの輪にはないものであり心地よかったのかもしれない。
しかし目の前にいるこの男はどちらに属するでもなく、自分で行動していけるタイプの人種だったとも憶えている。
その彼がカードゲーム?今更だ。プロフェッショナルもいる世界的なゲームではあるしプロでも目指すのか?突飛な発想が僕の頭を転がる。

「実はさ、イタリア旅行に行こうと思うんだよ。それで尚緒の持ってるコレクションなら相当値打ちがあると思ってさ。」

 一切目的を隠すことのない彼の態度に僕は少し安心したような、ただただ価値だけを求めてやって来た彼に失望したような複雑な気持ちになった。けれど返事はOK。今更失った青春の一部を持っていて何になるというのか。

「いいよ、OKだ。」
「助かるよ。いくらで売って貰える?」
「お金はいい。お前の助けになるならそれでいいよ。」
「お金はいいって…。解ってる?俺が記憶してるだけでも20万ぐらいにはなると思うんだが」

「構わないよ」

 昔から人に頼られると必要以上に応えようとする節があった。持っていないCDを買ってまで貸した事もあったな。

「本当にいいのかよ。助かるけれど後悔すると思うぞ」
「そうかもな。昔からそう。だから黙って持っていってくれ。」

 この手のゲームは古いものが歴史的な価値を持つ事もあって、単価が異常なまでに値上がりしているものが存在し総数はそれ程でもない。故に彼はその日の内に全てのカードを運び出すことが出来るだろう。彼がいそいそとカードを取りまとめるのを横目に少しだけ話した。

「どうして急に来なくなったんだよ」
「特にないさ。強いて言うなら多分俺にもわからない、いきなりおかしくなった感じだ。」
「そうか」
「というより急に来なくなったってお前地元の高校じゃないだろう」
「いや、こっちへ編入してきたんだ。お前と入れ替わりぐらいだったかな。」

 そうだったんだな。知らなかったよと返そうと思ったけれど、これまでに僕の家を訪ねた人間が彼の転校に触れなかった事を伝えるようで憚られた。変なところにだけ異常に気が利くのも僕の性格のひとつかもしれないな。方向転換。

「というかこの夏休み中に行くのか?」
「ああそうだよ。思い立ったら行動しないと後悔するしな」
「お前が後悔するのはそういう事が多いのか」
「ああそうだ。いつだってやらなかった事、もっとやれた事を後悔するのが多いな。」

 僕とは違う。自分中心に世界が回る、いや世界を回す力のある彼には敵も多いが結局願ったものを手に入れてきたのだろうな。それなりに羨んでみせたところでお開きの時間。

「本当に貰っていくからな。後悔するぞきっと」
「さっきも言っただろ。解ってる、悲しいぐらい解ってる。」
「土産ぐらいは買ってきてやるよ。お前には一番いいものを買ってきてやる」

 そういって彼はにこりと笑って部屋を後にした。僕は見送りもせず旧友と紙の束を通じて語り合った想い出が抜け落ちる感覚に早くも後悔し始めていた。譲らなきゃよかったな。ああでも譲らなきゃもっと後悔するんだよ。不思議なもんだな。清貧ってこういう事か?

 自分を中心に回す世界の風景はどれ程心地いいものなんだろう。そんな事を考えながら僕は一度揺らいだ決意を固めることにした。
やっぱり少しでも話してみよう。それにしても30分ほど喋っただけでこれほど疲弊するとは。脳の弱体化をますます感じる今日この頃。
またきっかけを考えるところまで戻ったのはいいが、同時にうとうとし始めて気付けば眠りに着いていた。しまったとしか言いようのない感覚と共に暗い部屋を見渡す。

 時刻は午前3時。結局狂ったリズムは直すことも出来ず日々は変わらないのだろうか。夜に忌み嫌われる害虫のように冷蔵庫を探りに行こうとしたその時。机の上に何か書き置きがしてあることに気付いた。


少し話してみませんか。何かが変わると思うの。今まで私達はいい両親ではなかったのかもしれない。
高校に戻れともいいません。尚緒なりに思うところがきっとあったのでしょう。それを無視して押し付けてごめんね。

 短い文章が書かれたルーズリーフには真っ暗な部屋でもわかる程の滲みがあり、母がどんな気持ちでこの手紙を書いたのか、考えるだけでも胸が締め付けられた。自らの愚かさを受け止めたのは今が初めてなのかもしれない。
僕には返せる言葉もないけれど。何とか搾り出した言葉、うん。とだけ。それだけを書いてまた横になった。
空虚な心では涙も出ないけれど打ち震える何かが此処にあるのは確かに感じた。チャンスが噛みあったんだよな。笑っちゃうぐらい簡単に逃げてしまう機会が。しっかり掴み取った事を実感している、暗い部屋で一人。
 その時、階段を登る音がする。僕の部屋から光が漏れていないのを見計らって母は部屋を掃除していてくれた。ドアが開く。
少し片付けるガタカタという音が続いてその後ピタリと止んだ。次に聞こえたのは嗚咽。僕は背を向けて寝たフリをしていたけれど被りこんだ布団の中で泣いた。ついに泣くことが出来た。
 これ程簡単に心は通うのにどうしてこんなに離れていたんだろう。母だって僕が泣いていることには気付いていただろう。だけどありがとう。とだけ呟いて部屋を後にした。今日からは何かが変わるのかもしれない。元通りにはならなくとも、新しく始める事が出来る予感と共に、いつも怯えてしょうがなかった朝日を真っ直ぐ見据えて僕は一頻り泣いた。

網と夢と海

網と夢と海

よく考えたら小説ではないのだけれど良く考えれば人生なんて小説みたいなものでしょ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-06-28

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. いつからだっけ
  2. これからかな
  3. かわらないけど
  4. A,MegaFull
  5. いきていくよわさは