民主主義が終わる日
与党の傲慢さが滲み出続けている。
政権を支持しない新聞社は潰さなければいけない、とか、そういう新聞社が左翼勢力に乗っ取られているのだ、とか、耳を疑う言葉が政治家の口から止まらない。そういう狂気を毎日のように目にしているこの現実の中で私たちは生きている。彼らについての論評は無数にあり、私がそれよりも良いものを作れるとは思っていないから、ここでそれを言うことはしない。だが、私が信じがたいのは、ここまでこの国の民主主義・自由主義が脅かされようとして言うのに、芸術家たちからそのことに対する声がほとんど上がらないことだ。
民主主義と自由主義が脅かされて初めに弾圧されるのは、あなたたちなのに、だ。
ここで恋愛小説を書いている類の人たちは、おおよそ政治など自分には関係ないとでも考えているのだろう。そして、悲しいかな、そういう人が僕の文章を読むことなど考えられない。こんな文章は読み飛ばし、頭の固い人間の言葉として流されていくのだろう。それでも訴え続けなければいけない。
初めに弾圧されるのは、あなたたちのように文章を書く人間達だからだ。
初めに殺されるのは、僕よりも若いあなたたちだからだ。
僕は音楽を書く人間だ。音楽と言っても、センセーショナルな歌詞を伴うポップスではなくて、ただの純音楽だから、規制されるのは最後の方だろう。それでも、だから今訴えておかなければならない。
ここまで読んでも、あなたたちは、キチガイが何かを言っているとしかきっと思っていないのだろう。あるいは、あなたたちの一部には右翼化した人たちがいて、その人たちは「中国の脅威を考えないやつの方が平和ボケだ」と私をなじるのだろう。そんなことは重々承知だ。だが、現実を無視してはならない。現実というのは、きわめて可能性の低い中国の進軍などではなく、今わたしたちの喉にナイフを付けつけてきているこの狂った政府であることを忘れるな。中国の脅威を煽るものはすべてこれを隠したいものなのである。「剣のみによって平和は保たれる」と叫んで、ヒトラーはドイツ国民をその後半世紀もの長きに渡って、ファシズムや冷戦という地獄へ陥れたのだ。
第二次世界大戦時のドイツの牧師 マルチン・ニメラーの言葉を、あなたたちにぜひ読んでいただきたい。あなたたちは政治のことと自分のことを完全に切り離しているのだろう。今日も続く、外国人差別の問題も、国会で独裁を気取る政治家たちの暴言も、自分の生活には何も微塵も関係ないと思い込み続けているのだろう。しかし、あなたたちが声を挙げない限りは、事態は悪化していくだろう。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
ナチス・ドイツが共産主義を攻撃したとき、
多少の不安はあったが、
私は共産主義者でなかったから何もしなかった。
次にナチスは社会主義者を攻撃した。
不安は増したが、
私は社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついに学校が、そして新聞が、
さらにユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、何もしなかった。
ついに教会に攻撃の手が及んだ。
私は牧師だったので反対行動をした。
――しかし、それは遅すぎた。
民主主義が終わる日