クラウディアからの手紙

クラウディアからの手紙

2006/2/15 『クラウディアからの手紙』 ドラマシティ

原作=村尾靖子『クラウディア 奇蹟の愛』より

脚本・演出=鐘下辰男

キャスト

蜂谷弥三郎=佐々木蔵之介

クラウディア=斉藤由貴

久子=高橋恵子

小林勝也・すまけい・山西惇・池内大樹・・・他

この大阪遠征の前日、腱鞘炎の手術を受けた。右手はまるでギブスをかけたように大層な包帯で巻かれ丸太ん棒のようになって、そのうえ腕を下げてはいけないと三角巾で腕を吊っている。たった一枚あった手首がゆるゆるのセーターを着てその上にニットのコート、大袈裟な三角巾を隠す為、和服用の絹のショールを纏い 左手でカートになっているバッグを押して、大阪へ出かけていきました(^^) 良くもまぁー(笑)

でもこんな状態ででも行った甲斐が有った舞台だった! もう泣きましたよーーー。

この作品は実話、というかこの中に出てくる3人の主役達は現在も健在でいらっしゃる・・・はずである。もう90歳を超えられているとか・・・、まずこの事に少なからず衝撃を受けた!戦後60年も過ぎて、戦争の記憶さえも薄れかけている今日この頃だが、終戦直後ロシアに抑留されてようやく故国日本へ帰還できたのが平成二年だそうだ。

その過酷な人生に慰めの言葉も無い。

この舞台は役者さんがどうの、演技が良いとか悪いだのと批評する以前に、史実の重さがずっしりと心に残った作品だった。

弥三郎が40年間という人生の殆どを戦争に苛まれた長さと、クラウディアの心情を思い遣って涙が溢れた思いだけを綴りたい。

この物語の主人公蜂谷弥三郎は軍へ入隊したものの身体を壊し入院する事になり、そこで看護婦の久子と出会う。
やがて二人は結婚して共に朝鮮へ渡り、そこで終戦を迎えるが、仲間の嘘の密告によりスパイ容疑をかけられた弥三郎はソ連へ連行され、シベリヤで10年にも渡る厳しい強制労働に従事させられ、飢えと寒さで生死の堺を彷徨うほどの日々の中、手先の器用な弥三郎は理容の技術を身に付けたおかげで、なんとか重労働に着かずに済む事になる。しかし零下40度の厳寒の中で体の弱かった弥三郎が良く生き長らえたものだと思う。刑期を終えてもスパイ容疑をかけられた弥三郎は帰国する事はできないでいた。
そんな中で弥三郎は自分の境遇と良く似たクラウディアと出会い、ロシアで生き抜く為にロシア国籍をとりクラウディアと結婚する。農業を営みながら共に暮らす事になり37年間が過ぎた頃、ゴルバチョフ政権のもとでペレストロイカが進み往来が自由になりクラウディアは弥三郎の妻が今も結婚もしないで弥三郎の帰りを待っている事を知る。彼を故国へ帰す事を決意するが、弥三郎は自分以外に身寄りの無いクラウディアを一人残しての帰国を決断できないでいたが、そんな弥三郎にクラウディアは「人の不幸の上に自分の幸福を築く事は出来ません」と自ら帰国の手続きをして弥三郎を帰国させる。

日本へ帰国した弥三郎はようやく久子と対面するが、此処からは舞台上のスクリーンへ実際に帰国し50年ぶりに久子を抱きしめる場面が映し出される。久子さん、とても綺麗な方だった!

クラウディアが弥三郎を帰国させる決心をしたのは、何年経っても渡り鳥が南へ下るのを見て故郷を懐かしみ、思いが募る弥三郎の姿を見て、今帰さなければ一生故郷へ帰れないかもしれない、そう思ったからだという。その時二人はすでに80歳を過ぎていたそうだ。

だが身寄りの無いクラウディアが、年老いてたった一人ロシアに残される寂しさを思うと、それだけで涙が溢れた。

パンフレットには帰国した弥三郎が再びロシアを訪れ再会した時の写真が載っているが、その時クラウディアは精一杯のオシャレをして弥三郎に逢いに行ったという。愛しい人に逢える嬉しさが伝わって来るそのエピソード、初々しいまでの女心にまた涙した。

久子も夫と生き別れ苦難の道を歩んできた事は不幸であったかもしれないが、それでも生まれ育った日本で生活が出来て娘もいて拠り所が有った。それに比べればクラウディアは鉄のカーテンの向こうのソビエト時代に、命の危険に晒されながら異国の人を守り続け、心の休まる日も無かったのではないだろうか? だがそれでも弥三郎と過ごした37年間が幸せだった事だけが救いに思える。
愛していればこそ弥三郎の望郷の念が痛いほど判ったのだろう。

50年と言う月日は慣れ親しんできたはずの日本語さえ忘れるほどの長さだったと言う。弥三郎は日本人としての誇りを保ち日本語を忘れない為に教育勅語を唱え小倉百人一首を何度も復唱し、童謡を歌い続けたそうだ。
この舞台の中で何度も弥三郎が声を大にして謳った『立ち別れー、いなばの山の峰に生うるー、 まつとし聞かばー、今帰り来む』

この歌が彼の心情をそのまま映し出している気がした。

長年の思いが叶い、ようやく戻れた祖国で蜂谷さんは幸せを噛み締めていられるだろうか? そしてロシアに残ったクラウディアさんの人生も又幸せであって欲しいと心から願わずにはいられない。

鐘下さんは戦争によって傷ついた人々の事を題材に取り上げられる事が多いが、この作品は同じ戦争被害者であっても、その切り口は今までとは一味違った作品になっているように思われた。これは戦争によって悪夢のような世界に放り出され、翻弄され続けた50年の年月の重みを唯ひたすらに追いかけているように感じる。

50年という激動の長い月日を舞台で表すのは難しかったのだろう。
かなりの部分をナレーションで埋めているのは納得なのだが、鐘下さんはもう一つの手段としてダンスを取り入れていた。パンフではこのダンスに対する意気込みが語られているのだが、私はむしろこれが邪魔な気がしてダンス無しの方が良かったのではないかと思う。

カーテンコールの時の蔵之介さんの首の白さが涙で潤んだ目に沁みた・・・。

クラウディアからの手紙

クラウディアからの手紙

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-01-05

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