由香とトイ3
由香とトイ3
由香は友人の知子と恵美と喫茶店で駄弁っていた。午前はふらふら町を歩き、お昼すぎ。この店に来てだらだらランチを食べて、午後3時。3人がデザートを追加注文してぱくぱく食べ始めた所に、一組の若いカップルが由香たちの席の後ろに座った。男性が通路を挟んで由香の後ろに、女性は机を挟んで向こう側に座った。ちょっとした話題に飢えていた由香たちは、わざわざ恵美が席を移動して、面白半分にカップルの話を盗み聞きはじめた。注文したコーヒーが2つ来た後に女性がこう切り出した。「どうして今まで連絡をくれなかったの?今までどこで何やっていたの?」「ごめん。5年ほど日本にいなかったから。いつか言っただろ?世界を見たいって。それで、アジアを中心に旅を続けていたのさ」「それで私に黙って行ったの?」「君は反対しただろ?」「それはそうでしょ。なぜ内定をけったの?安定した生活を蹴ってまで旅した意味会ったの?」「それは…」「私あなたがいなくなってすごく心配していた。でも元気そうで安心した。わかっているよね。今更連絡をもらってもどうにもならないって」「そうだね。僕が悪かった」「今更どうするの?就職できるところなんてないよ?どうやって生活していくつもり」「…」「将来の事も考えてないで大丈夫?」「なんだか変わったね、君は」「当り前よ。あなたと違ってちゃんとした大人ですもの。私もう行くわ。ここは払っておいてあげる。どうせお金ないでしょ?」女性はそう言い放つと、さっさとレジでお金を払い出て行ってしまった。男は椅子に座ったまま5分ほど固まってコーヒーを飲み干すと、とぼとぼと店を出て行った。由香たちは男が店から出て行ったのを見届けてから、元の席に戻った。そしてフライドポテトを注文すると、今のカップルの下世話で大いに盛り上がったのであった。それから十数日後、由香は学校から帰ると、ファミレスのバイトに出かけた。由香は最近バイトをするようになった。服を買ったり、遊んだりすると、おこづかいでは足りなくなってきたからである。由香は店に着くと制服に着替え、ホールに立った。ピーク時間ということもあり店内は忙しかった。その中、由香がお客さんに注文を取りにいくと、前に見たあの男が違う女性を連れて店に座っているのに気が付いた。由香は、これはだめなタイプの男だと思った。由香は話のネタに男の会話をじっくりと聞きたかったが、仕事が忙しくてそんなことをしている暇はなかった。気が付くと、いつの間にか二人の食事は終わっていて会計を済ませた後だった。シフトの関係でいつもより2時間多く働いた由香は一緒に上がった先輩に、以前あの男が違う店に来ていて今日この店に来ていた事を話してみた。連れていた女性が違っていたことも含めて。「もしかしたら、ブサイケ王子じゃない?」とバイトの先輩は答えた。店長から聞いた話だけど、と前置きし詳細を話しだした。ブサイケ王子は5~10年前によくこの店に来ていた常連で、当時のバイトがつけたあだ名だった。容姿はとてもイケメンだが連れの女性が毎回ブスでそんなひどいあだ名になったらしい。「たしかに今日も来ていたよ。また女性におごってもらっていた。ブサイケはろくな奴じゃないからあんたも気をつけなよ。まあ、あんたは大丈夫か」と先輩は笑って言った。新学期がはじまりしばらくした後。由香が昼休みにお弁当を友達と食べていると例の男の話になった。というのも友達の従姉妹のお姉さんがその男と昔付き合っていたかも、という話が出てきたためである。そのお姉さんの話では凄く容姿が似ているらしい。5年前、男が急に音信不通になりそれきり会っていないということだった。その時にお姉さんが男の実家に行ってみたのだが「男は死んだ。葬式は家族だけでやりたいから来ないで」と言われ追い返されたそうだ。取り敢えず由香は話を盛り上げるためにバイト先で聞いた話をして、なんだろね、これは。家族から縁でも切られたのだろうか?いや、案外本人は死んでいて、別の偽物じゃない?などと皆で盛り上がった。最終的に従姉妹のお姉さんはブスイケと会いたいみたいだから、友達はブスイケを見かけたらラインして、と皆に頼んだのであった。数日後、由香がバイトに行くとバイトの先輩が帰るところだった。先輩は由香の顔を見るなり「今日もブスイケ来ていたよ、相変わらず女連れでさ。事情知っていると嫌な気分。最悪」「え、惜しかったなー」「なんで?会ってみたいの?」「友達の従姉妹のお姉さんが昔ブスイケと付き合っていたそうで、連絡取りたいみたいです」「そう今度来た時に連絡しようか?」「お願いします」「ブスイケ。今日忘れ物していたし。机をみて」机の上にはオイル式のライターがあった。「顔はいいのに色々残念よねー。逆の方がまだまし」先輩はこの後デートと言ってウキウキで帰って行った。由香は制服に着替えるとバイトを頑張ったのであった。週末の朝。由香がコンビニにお菓子を買いに行った帰り、道の脇の茂みから犬が現れた。知り合いの喋る犬トイだった。トイは由香に向かって「ちょっと頼みたいことがあるけどいいかな?」と言った。「危なくなければいいけど」「たいしたことじゃない。実は」と言ってトイは茂みに戻ると、ハサミを加えて戻ってきた。「毛を切ってほしい」由香はトイプードルの毛は定期的に切ってあげなくてはならないのを知っていたから「いいよ」と言った。二人は人気のない空き地に移動した。由香はトイの毛を切りながら「私が切る前はどうしていたの?」「トリマーの店の前で伸びた毛でずっと座って見つめているとだナ。かわいそうに思ってか、誰かが切ってくれる」「ひどい」などと話した。トイは体が小さいので由香のトリミングは10分程で終わった。所々毛の長さがおかしくなっていたり、うすいところがあったりと、由香的にはあまり上手には切れなかった。トイは「すごくすっきりした。ありがとう」と由香にお礼を言った。「何か僕にできることがあれば言ってくれ」由香は例のブサイケ王子の事を思い出した。前回のバイトの後、由香はラインで友達に今日もブスイケが店に来ていたと送った。すると後日従姉妹のお姉さんが店に来てくれたらしい。ただしその日は会うことができずに終わった。ちょうど暇だった由香は「なら人を探してほしい」とトイに頼んだ。トイは「いいよ。やってみよう。見つけられないかもしれないけど」と言った。由香は自転車をだして、前かごにトイを乗っけてバイト先のファミレスに向かった。由香は忘れ物をしたと言って更衣室に入ってブサイケの忘れ物のオイル式ライターを持ちだした。二人は人目の付かない場所に移動して、由香は早速トイにブサイケの匂いを嗅いでもらった。トイは嗅いだことがある匂いだと由香に告げ、青原町に向かうように言った。「どこだっけ?」「取り敢えず駅に行って、双葉小学校の方へ向かって…」といった具合にトイが道案内をし、由香は取り敢えず現場に向かうことになった。20分程自転車で走ってようやくそれらしき目的地に付いた。トイが地面に降りて匂いをたどって行くとやがて国道近くのビジネスホテルから匂いが来ているのがわかった。由香たちがしばらくそこで待っていると、ホテルから男が一人出てきた。ブスイケだった。ブスイケは呼んであったタクシーに乗ると出かけて行ってしまった。由香はラインで友人にブスイケの寝どころ見つけた、今はいないけど、と送った。まじで。どこ?と友人から返事が返ってきたので、由香はそこのビジネスホテルの名前をラインで送った。用も済んだし、と由香たちが帰ろうとした時、トイが由香に小声で「由香、誰かに後をつけられているぞ」と告げた。「誰?」と由香はあたりを見回そうとしたが、すぐにトイが「周りを見ないほうがいい、ちょっと自転車を押して歩こう」と小声で言った。しばらく歩くとトイは「大丈夫だ」「びっくりするじゃない、どうしたの?」「うん、ちょっとの間後つけられていた。ような、気がした」「心配させないでよ」とそこに友達からラインが来た。従姉妹のお姉さんは昨日ブスイケから連絡が来て会っていたらしい。それで、全部清算してきたからもういいよ。という内容だった。「なんだ、無駄足だったわ」といいつつ、どうなったか詳細を知りたいとラインを送ると、うーんおねえちゃん、話したくないみたいだからまた今度ね、という返事が来てしまった。とりあえず、お昼になったので、由香は「ちょっとここですることがある」というトイと別れて、この近くにあるお店にランチを食べに行くことにした。行ったことのないパスタの店だった。店に入るとブスイケが前とは違う女性と食事をしていた。由香が案内された席はブスイケから遠く何を話しているかは分からなかった。由香は注文をした後、トイレに行くついでにちらりとブスイケ達の話を聞くことにした。話は佳境に入っているようだった。「今度はうまくいくさ」「そうかしら」「とりあえず、昔みたいにあの公園に行こうよ」と言ってブスイケは女性の手を握った。どうやら話がまとまったらしい。二人は一緒に出て行ってしまった。料金は女性持ちだった。由香はなんだか全然懲りてないのは凄いと思いつつ、カルボナーラとコーラを楽しく食べたのであった。トイは由香と別れた後、由香の後をつけたと思われる男を見張っていた。男は電話を受けると車に乗り込み出かけて行ってしまった。トイは匂いで男を追うことができなくなってしまった。そこでトイは万が一のことを考えて由香の後を追うことにした。店の前には由香の自転車と、由香の後を追った男の車があった。男は車の中にいた。トイは店の外で成り行きを見守ることにした。間もなくブスイケが女性と店から出てきた。男は車から降りるとブスイケの所に行き、「もう気がすみましたか、社長」と言った。ブスイケは明らかに狼狽し「な、なんのことだ。人違いじゃないか?」「社長、落ち着いてください。私です」ブスイケは相手が知った顔だったためか警戒を解いて言った。「お前はリーか」「はい。奥様からの伝言です。至急帰るようにということです」「まだ日本での仕事は終わってない」「仕事は私たちが引き受けます。奥様はすべて知った上であなたを許しているのですよ。申し訳ありませんが、奥様の言いつけで、全部あなたの行動を監視していました。電話も筒抜けですよ」と言った。「信じられない。プライバシーがないのか中国は」ブスイケは崩れ落ちた。「すべて知っているのなら晴れて離婚だろう。万々歳だ」「そうはいきません、プライドの高い奥様が離婚などお許しになるはずがありません」「何のこと?奥様って?」女性がブスイケに問いかけている。崩れ落ちているブスイケに変わってリーと名乗る男は女性に説明しだした。ブスイケは中国のでかい企業のお嬢様に気に入れられ、5年前に婿に入ったこと。ブスイケはそのまま社長職に就いたが、社員のほぼ全部が中国人。奥様の度重なるわがままのせいもあり、ホームシックになっていたこと。日本での仕事を与えて帰国させたところ、仕事を他人に押し付けて逃走。で今に至る、ということだった。説明を受けると女性は「は、昔はあれだけ威勢のいいこと言っていたけど、結局お金に目がくらんで結婚して、後悔して日本に逃げ帰ってきた訳?あきれたわ」と言って帰ろうとした。リーは女性に「このことを広めないで頂きたい。お金を支払いますので」と札束を渡そうとしたが、女性はお金を地面に叩きつけて、「馬鹿にしないで」と言って去って行った。リーはお金を拾うと苦笑いを浮かべながら、打ちのめされているブスイケに「社長、帰りましょう?奥様やお子様が待っていますよ」と言った。その辺りでトイは由香に危険は無いと感じそっと立ち去った。後日、由香がバイトを終えて着替えている時に、同じように仕事を終えたバイトの先輩が「そういえば最近ブスイケ見なくなったねー」と由香に話しかけた。「そうですね」由香はあれから友達内でも話題にならなくなっていたブスイケの事はすっかり忘れていた。机の上にはブスイケのオイル式のライターがいまだ鎮座していた。「ライターはどうしましょう」「うーん。邪魔だよね。店長もバイト君も吸わないし。欲しいなら由香にあげる」「私だっていらないですよ」「じゃあ、捨てよう」と言ってバイトの先輩はライターをゴミ箱の中に捨てた。
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