吾輩は猫叉である
吾輩は猫叉(ねこまた)である。遥かな昔、人間に飼われていた頃には名前があったが、もはや忘れた。
口さがない連中は吾輩を化け猫などと呼ぶが、失敬極まりない。同じく齢(よわい)を重ねた猫の変化(へんげ)した妖かしであっても、品格が違う。常人には吾輩の雄姿は見えぬであろうが、二股に分かれた尻尾がその証拠である。
もっとも、常人ならざる者には吾輩が見えるわけで、そうなると禄(ろく)なことにならない。
昔、この地に城があった頃の話だが、退屈しのぎに城内を歩き回っていたら、たまたま吾輩の姿が見える者がおり、祟りじゃ何じゃと騒ぎになった。吾輩が祟ったりするものか。
大方、やましいことのある者が、自分の影に怯えたのであろう。まったく、人間というのは愚かなくせに自惚れが強く、だまされ易いくせに自分だけはうまく立ち回れると思い込んでいる。
妖かしの中には数寄(すき)好んで人間に仕える連中もいるが、吾輩には気が知れぬ。いっそ人里離れた山中にでも住もうかと考えたこともあるが、吾輩は何より退屈が苦手である。少なくとも、人間どもを眺めている限り、無聊(ぶりょう)をかこつ心配はない。
ここ何百年か、かつて城のあったこの地に居を定めているのだが、喧騒に満ちた都会でもなく、人跡まれな僻地でもなく、程よい賑わいがあって、吾輩は気に入っている。縄張り意識などというさもしい根性は持ち合わせていないが、馴染みのある土地はやはり落ち着く。もっとも、平成の御世(みよ)にここが城であった頃を偲ばせるものは、蓮の生い茂る濠ぐらいしか残っていないが。
その日も吾輩は、陽射しをたっぷり浴びながら、その濠端(ほりばた)を歩いていた。妖かしは太陽が照らす間は徘徊しないと思っているかもしれんが、夜の方が人間に見えやすいだけのことである。
吾輩はこの濠の景色が好きだ。水面(みなも)を埋める蓮の葉がキラキラと光り、得も言えず美しい。そういえば、水面に浮かぶ蓮の葉ばかりを描いた異国の画家がいたなあ。
ん。あれは何だ。濠の中ほどに、荷物を梱包する厚紙の箱が浮いている。あんな大きなものを濠に捨てるとは、けしからん。
いや、待て。箱の中から声がするぞ。
見ていると、箱から黒い小さな頭が現れ、「にゃあ」と鳴いた。黒猫のようだが、まだほんの子猫である。おそらくは、飼い主に捨てられたのであろう。人間というやつは、どうしてこうも身勝手なのだ。
子猫はまた「にゃあ」と鳴き、すがるような目で吾輩を見ている。
と、次の瞬間。
吾輩は、己自身が沈みかけた箱の中にいるのに気付いた。
ええい、しまった。我知らず子猫に憑依してしまったようだ。
憑依とは、相手の意識を一時的に凍結し、強引に主体性を奪うことである。一旦憑依してしまえばこちらの思うがままに肉体を操れるし、離脱すれば憑依されたという記憶さえ残らない。
憑依は本来、容易な業(わざ)ではない。意識せずとも、本能的に抵抗されるからである。だが、生命の危機が迫っているような非常事態のときには、いわば心が無防備になっている。吾輩が意図した訳ではないが、丁度真空に引き込まれるように子猫に憑依してしまったらしい。
箱の中を見回すと、『誰か拾ってください』と書いた紙切れがあった。小さな毛布と、餌の欠片(かけら)もある。すると、最初は濠端の草むらにでも捨てたものが、何かのはずみで濠に落ちたのかも知れぬ。落ちてからどれくらいの時間がたったのだろう。既に水が滲み込んできており、沈没は時間の問題である。
さて、どうしたものか。
子猫の肉体から離脱しさえすれば吾輩は逃げられる。しかし、肉体がない状態だと物質に干渉することがないので、どんな厚い壁でもスイスイ通り抜けられる代わりに、小石すら持ち上げられないのだ。だからといって、このまま子猫を見殺しにするのは寝覚めが悪い。
こうなれば、方法はひとつしかない。
人間も含め、生き物はいざという時に、普段からは想像もできないような力を発揮することがある。いわゆる、火事場の馬鹿力というやつだ。
子猫の肉体はまだ未熟だが、それを操る心はもっと幼い。一方、吾輩は己の肉体を去ってから何百年もの間、様々な生き物に憑依し、肉体操縦術に長けている。子猫自身ができないことでも、吾輩ならできるだろう。
最初、泳がせることを考えてみた。
吾輩なら、猫掻きはおろか、平泳ぎや自由形で泳がせることだってできる。しかし、蓮の葉が多いから、泳いで対岸に着くのは困難である。逆に、この蓮を利用した方がいいだろう。
吾輩は馬鹿力のツボを探り当て、まず、子猫を三尺(約1メートル)ほど垂直に跳躍させた。空中から見回して、子猫の体重を支えられそうな蓮の葉の位置を頭に入れる。
次が本番である。義経の八艘飛びならぬ、猫叉の蓮の葉跳びだ。
吾輩が箱を跳び出そうと身構えたその時、濠の対岸の石垣から身を乗り出している少年の姿が目に入った。ザリガニ採りでもしていたのか、細い竹竿を右手に持っており、それで子猫の入った箱をたぐり寄せようとしていた。だが、いかんせん距離がありすぎる。このままでは、少年が濠に転落してしまう。
少年の体がよろめき、「あっ」と声を上げた刹那、吾輩は迷わず少年に憑依した。そのまま少年の体を操って馬鹿力で濠に竹竿を突き刺し、棒高跳びの要領で濠端に着地した。跳躍の途中で抜かりなく、子猫も抱き上げている。
吾輩は、震えている子猫をそっと地面におろしてやった。
「さあ、行くがよい」
少年の口を借りて、そう声をかけると、子猫は離れ難そうに何度も振り返りながら草むらに消えた。後は、少年から吾輩が離脱しさえすれば、記憶にも残らないはずである。
ところが、その時、激しく吠える犬の声が聞こえてきた。少年の体で移動する時間はないと判断し、吾輩が再び子猫に憑依すると、すでに眼前に凶暴な猛犬の牙が迫っていた。
吾輩は、子猫の前足で渾身の一撃をそいつの鼻づらに加え、ひゅるんだところに、喉の筋肉を調整して猛獣のような咆哮を浴びせた。
「がおおおおーっ!」
犬は「きゃん」と一声上げて、逃げて行った。首輪をしているところをみると、飼い犬だろう。放し飼いなのか、逃げてきたのか。いずれにせよ、もう二度と猫に手出しはするまい。
「あ、ここにいた。ものすごい鳴き声が聞こえたけど、大丈夫かい?」
振り向くと、先ほどの少年が追って来ていた。吾輩に憑依されて、五輪選手並みの跳躍をした記憶はすでにないだろうが、これ以上関わらないほうがいい。そう思って逃げようとした際、初めて子猫の体の異変に気付いた。全然力が入らないのだ。
あまりにも久々の感覚なので、一瞬、それが何かわからなかった。それは『空腹』という感覚であった。それも、かなり切迫している。
「おいで。怖がらなくていいよ。お腹空いてるだろう。うちにおいで」
いたしかたない。このままでは子猫が飢えてしまう。それに、吾輩も何百年ぶりで感じる『食欲』に勝てそうになかった。吾輩は精一杯、甘えた声で鳴いてみせた。
「みゃおーん」
「よしよし、いい子だ。うちにキャットフードがあるんだよ。お姉ちゃんが先月まで猫を飼ってたからね。もう死んじゃったけど。だから、きっとお姉ちゃんも喜んでくれると思うよ。ああ、そうだ。ぼくはケンジだよ。きみにも名前を付けなきゃね。そうだなあ、うん、クロちゃんにしよう」
少年は吾輩を、いや、子猫を抱き上げた。捨てる神あれば、拾う神あり、ということか。まあ、行き掛りである。しばらく、人間に飼われてみるのも面白いかもしれない。
されど、吾輩は猫叉である。名前は、ふふん、クロちゃん、か。まあ、当分の間だが。
(おわり)
吾輩は猫叉である