老妖怪と海

 昔々、と言っても19世紀末の頃、嵐を鎮める力を持った妖怪がいた。  

 珍しく具体的な能力で、人々から崇められていたのだが、ここ最近活躍がなかった。
というのも、主にその仕事を成し遂げられるのは妖怪の中でも今や数百歳の老体となったおじいさんただ1人だけであったからで、他の子孫には、中途半端な能力しかなかった。時代の流れとは不思議な物で、必要が無くなると自然と才能は枯渇する。 

 おじいさんの過去の功績で、かろうじてお供え物もあり、食いつないではいたのだけど、最近は信心する者が随分少なくなってしまった。
 おじいさんは、もう役にも立たないというのにお供え物を貰えるということに感謝をしながら、日々をありがたく静かに味わって生きていた。
 5、6人いる子孫達は、お供え物が足りないと感じていた。
 
 ある日、嵐が来た。岩に叩き付けられる大きな波の怒号に恐れを感じ、おじいさんはおののいた目だけを出して布団に横になっていた。対峙して来た者だけが知っている自然の怖さだ。
 
子孫達は円座して話し合っていた。
 
 「この嵐を鎮めたら、向こう50年はお供え物が貰えるはずだ。」

子孫はぞろぞろとおじいさんの休む部屋に入り、仰々しく座った。

 「おじいさんの力が見たい。」
 「我々に教えて欲しい」

都合のいい言葉を並べた。

おじいさんは布団の上にあぐらをかいて座っていた。子孫達が自分の部屋に来る足音を聞いて既に布団から出てきちんと座りなおしていたのだ。

おじいさんは、しばらく黙っていた。表情は微妙に歪み、子孫達もそれは読み取った。しかし最初からおじいさんに選択肢は無かった。子孫達はおじいさんの事をよく知っていた。もう少し黙って見ていれば、必ず返事をする。子孫達はおじいさんを凝視した。
おじいさんは動揺を隠し通したつもりで、長(おさ)らしく、仰々しく承諾した。やれるとしたら自分しかいないだろうし、子孫達もこのままではいけない。強い意志で納得し、暖かい布団に別れを告げた。おじいさんにとっては、かなり強い意志の別れであった。部屋から出る時に1人もう一度布団を振り返り、強く別れを思った。覚悟をした。

 嵐を鎮めるには、まずその血を持つ子孫が雷岩(かみなりいわ:嵐の時に一番強い波しぶきが上がるので地元の人からそう呼ばれていた)のてっぺんに立つ。20mほどの高く大きな三角の岩は、風と波を真正面から受けて唸っていた。子孫は全員てっぺんに登った。そして次におじいさんが海に浮かぶ。おじいさんの右手がいかにも妖怪らしい老木のような手に変わり、竿を降るように肩からエイ!と振り回すとあっという間に10m程伸びた。子孫の1人も上から手を振り下ろすと、その手は5mほどに伸びた。その手がおがたい握り合えれば、そこに雷の全てのエネルギーが流れ、力を失った嵐はいかにもご利益風に掻き消えるのだ。

 波に翻弄されながら、筋肉も贅肉も無い体からはみるみる体温が奪われる。それでもおじいさんの顔つきはプロのものであった。
ブンと右手を振り上げる、子孫も間の抜けた顔をしてブンと右手を振り下げる。いつも3〜5mの間を開けて双方の手は空振った。

 そんな事を3時間も繰り返した。おじいさんの顔はどんどん険しくなり、子孫達の顔はどんどんうんざりして行った。子孫達はダルかった。こんなに面倒くさいとは思っていなかったし、もう止めたかったけれど、言い出しっぺだけに止めようとはこちらからは言えなかった。おじいさんが諦めてくれればいいのだけど、一回一回真剣に右手を投げて来るおじいさんにその気配は無かった。どうやって切り上げようか、そればかりを考えて、上の空だった。頑張ればもっと手が伸びるはずなのに、その3〜5mの差が縮まるイメージがどうしても湧かなかったので、ただただ見かけだけ振り下ろしていた。距離がありすぎるので、おじいさんからは、子孫の飛距離が短くなっていることがわからず、ただただ自分の老いが身に沁みた。

 そのうち子孫達の疲れは、おじいさんへの苛立に変わった。いつまで諦めないつもりなのだ。我々への当て付けか?どうせ我々は能無しだ!
遥か下で本気で生きているおじいさんの姿を、冷めた表情で見下ろした。

 おじいさんも、限界だった。そして、部屋から離れる時に不可能であろうと予感した通り、自分の老いを自覚し、死を覚悟した。頭から被さる強い波に揺られながら、ただ一点を見つめてここらで終わりにしようと決めた。

 自分の生命を維持する全ての力を使い、最後の大きな振りを投げた。その手は16m程も大きく伸びた。おじいさんが最後に観た景色は、確実に決めたその右手を、軽くすり抜ける子孫の右手であった。
おじいさんは自分の右手が返ってくる間に理解した。子孫達は求めてはいなかったのだと。

 子孫達は、多数派である自分たちのプライドを守るために、おじいさんには視界から消えてもらうことにした。

老妖怪と海

老妖怪と海

読み終わった後に、皆さんの耳に、数メートルの高さまで上にあがり切った波が力尽きて落ちる、大きな波音が聞こえたらと思います。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-22

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