らしい。

「柳ってさ、あたしのこと好きなの?」

それって真顔で聞くことですかね。


社会人になって2年目の夏。
会社の『定例会』という名の飲み会でビアガーデンに行った。
長引いた梅雨明けが発表されたその夜は、夏を感じさせるには十分な暑さだった。
「よし、今日は飲めよー! ここに来ると夏がきた! って感じがするよなあ」
田中部長はいつになく上機嫌だった。酒の力なのか、普段は強面な上司の顔は緩み、和気あいあいとした空気が流れる。
いつもこうだったら楽なのになあ。和やかな雰囲気を眺めながら枝豆をつまんだ。

俺が勤めるのは、中小企業の印刷会社だ。
パートを含めて30人程が働くうちの会社では、2カ月に1回、定例会が行われる。
定例会というよりは親睦会と呼んだ方が正しい気もするその会は、強制参加ではないけれど参加しない人の方が少ない。いわば、暗黙の強制参加みたいなものだった。

「ぜんぜん飲んでないじゃん」
声がして振り向くと、同期の南がいた。
「こういう場って意外と飲めなくて」
周りに聞こえないぐらいの声で答えると、
「分からないでもないけど。柳のくせに生意気だな」
そう言いながら隣に座って、俺の皿にのってる枝豆をつまんだ。
「くせにって何だよ。しかも生意気って、同期のお前に言われたくねーよ」
「お、ナイスツッコミ! さすが同期!」
肩をぽんと叩かれて、親指を立てながら嬉しそうに南が笑う。
「なんだそれ」
無垢な表情に、おもわず笑った。


南とは、2年前の入社式で初めて会った。
大きな目と綺麗な黒髪が印象的で、それ以外はあまり覚えていない。
同期は俺と南を含めて4人で、俺と水野の男チームは営業部。
南と千野の女チームは事務兼、経理部に配属された。
新入社員歓迎会で連絡先を交換して、4人のグループトークを作り、日々のあれこれを報告しあった。
誰かが相談を持ちかければ、それぞれが親身になって答えたし、面白い出来事があれば皆で共有した。金曜の夜を『華金』と呼んで、仕事帰りに飲みに行くこともある。
入社当時は集まるなら4人で予定を合わせて、というのが当たり前で、日程が合わなければ延期にしていた。
しかし今では、都合の合う者同士が集まるというパターンになっていて、家が近い俺と南の2人で会うことが多くなっていた。
帰る方向が一緒というのもあるけれど、お互いに相手が居ない同士というのが1番の理由かもしれない。水野も千野も、恋人ができてからは集まりに参加することが少なくなった。休日が限られている社会人にとって、恋人との約束を優先するのは仕方ないことだと思う。俺だって彼女がいれば、そうしているだろう。
遠い目になりそうなほど、そんな気配は全くない現状なのだが。

「聞いてんの?」
ビール片手に怪訝な顔の南が俺を睨む。
やべえ、聞いてなかった。という心の声を悟られないように
さも聞いてましたけど、みたいな顔を作る。
「聞いてるよ」
何の話だったっけ、頭を必死に回転させて思い出そうとするけど
やはり思い出せなかった。
「ならいーけどー」
南にしては珍しく聞き流したので、ほっとして残っていたビールを飲み干した。
「みんな酔っ払いだね。 見てよ、部長の顔」
言われた方に目をやると、真っ赤な顔で大口を開けて笑っている。
「楽しそうでいいじゃん。 日頃のストレスがたまってんだろ」
「うわー、2年目の奴に言われたくねー」
南がまた、からかうように言ったので
「お前も2年目だろーが」って返すと
「間違いないね」って笑った。


『どうしても観たい映画があるけど、皆に断わられました。
可哀想な南ちゃんを、拒否する勇気は柳にはないだろう』
木曜日の夜に、南から意味不明(ではないけれど、気持ちとしてはそう言いたい)なメールが届いた。
いいよ。だけで返信すると、今度は電話が掛かってきて
「なにさっきの。嘘でもノリ気で返せよ!」
って、なぜか俺が怒られた。
「じゃあ明日、仕事が終わったら駅で。レイトショーの席取っておくから!」
勝手に約束をさせられて終了。
通話時間5分弱。俺が話したのは「うん」ぐらいだったんじゃないか。
最強だ。最強って言葉がぴったりだな、と思いながら布団に入った。


金曜は、午前中に来週に向けての会議があって、
午後は営業先の資料の整理と、提案書の作成をする。
「2年目にしては頑張ってるよ」なんて上司は言うけれど
自分としては、やっと仕事のリズムを掴めてきた2年目からが勝負だと思っていた。
とりあえずの大まかな流れを作成して、残りは家に持ち帰る。
職場よりも家の方が集中できるし、はかどるのだ。
パソコンの電源を落として資料をカバンにしまうと、携帯が震えた。
「もしもーし。もう出た?」
「いや、今から出るよ。南は?」
「今、出たとこ。じゃあ駅で」
そう言って電話が切れた。
もう誰も居ない部屋に鍵をかけながら、何の映画を観るのか聞いていなかったことに気付いた。

駅に着くなり、お腹すいたと南が言うので
歩いてすぐの、よく行く居酒屋に入った。
「映画の前に居酒屋って色気のかけらもねえな」
軟骨の唐揚げに箸を伸ばしながら言うと
「柳とイタリアンとか考えただけでムズがゆいじゃん」
まったく悪気のない顔と声で答えるので、反論する隙はなかった。
「そういえば映画って何の?」
「ホラーだよ。だから柳なんじゃん」
やられた。聞かなかった自分を殴ってやりたい。
「言えよ! それは俺だって拒否する権利ほしかったわ!」
「もしかして無理な人? でもこっちも無理だから!」
ぴしゃっと言いすてた南を見て、負けたと思った。
重たい気持ちを引きずりながら、ビールをごくりと飲むと
「大丈夫だって! フィクションだし」
南が満面の笑みで俺を見た。
大丈夫ではなかったけれど言い返す元気はなかった。

上映される会場にはカップルが多かった。
ホラー映画だからなのか、明日が土曜日だからなのか。
まあどっちもか。なんて考えながら周りを眺めていると、
「びびってんの?」
南が半ば嬉しそうに聞いてくる。
「びびってねーよ! ホラー映画も需要あんだな」
「夏の風物詩でしょ。あ、暗くなった」
照明がおちると、ざわざわしていた室内が静かになった。
今から2時間弱、長いな。そう思いながら隣を見ると、
いつの間にか眼鏡をかけた南が、真剣な顔でスクリーンを観ていた。
眼鏡までかけて本気かよ、と思うと笑いたくなったが、話しかけたら怒られそうなので
仕方なく集中することにした。

「あー面白かった! やっぱ夏はホラーだよね」
南が駅までの道を、意気揚々と歩く。

映画の上映中、前の席に座っていたカップルの彼女が
怖いシーンになると彼氏の腕を掴んでいた。
それを見て南の様子を伺うと、ただじっと前を観ていた。
びくともしていなかった。
「お前のハートの強さには驚いたよ」
「柳びびり過ぎでしょ。 肩とか浮いてたし!」
ぐったりしている俺を見て笑いだす。
それを見たら、急にでかくなる音に何回もびくっとした自分を思い出して笑えてきた。
駅に着いて電車に乗ってからも、
どちらかが思い出したように笑うとつられて笑った。

電車を降りて歩いていると、隣から「あ、」って声がした。
「ん?」
南が携帯を見ながら何かを探している。
「明日さー、千野っちに紹介された人とデートなんだよね」
そう言って待ち合わせ場所が書かれたメール画面をこちらに向けた。
「まじ! しかも今思い出したみたいに」
いきなり腹にパンチをくらったような衝撃だった。
「だって今思い出したんだもん。えーなに着よー」
南も女なんだな。って言おうとしたけど、それこそ本気でパンチをくらいそうなのでやめておいた。


月曜日の朝、駅まで向かっていると前に南が歩いていたので
「おはよ」
って肩を軽く叩くと、肩をびくっとさせて振り向いた。
「あ、おはよう。もう、びっくりさせないでよね!」
「いや別に驚かすつもりじゃなかったんだけど」
なんとなく、いつもの南らしくないなと思った。
「そーいやデートどうだったんだよ」
何気なく聞いて横を見ると、南がにやにやしながらこっちを見ていた。
「聞いちゃう?」
いかにも聞いて下さいオーラを放ちながら言うので、とりあえず聞くことにした。
「はやく言えよ」
「いやー、正直ノリ気じゃなかったんだけどさ」
「うん」
「会って話してみたら、なんかこう、ときめいちゃってさ」
「うん」
「しずかちゃん。なんて呼ぶわけよ」
「しずかちゃん? あ、下の名前ね」
いつもだったらここで「名前わすれてたでしょ!」ぐらい言いそうなはずなのに、
南はまだ話しを続けている。
「しかも2歳上で、安定の公務員。顔も爽やかイケメンて感じで、背も高くてさ! なにより真面目で優しいんだよねー」
俺の存在がないみたいに、自己満足の領域で話しを進めている。
「よかったじゃん。千野に感謝しろよ」
「千野様だよね! あ、金曜に報告も兼ねて集まるから空けといて」
「え、俺も参加?」
「水野も久しぶりに来られるみたいだから」
久しぶりに同期4人で集まるってのに、この様子だと南の話しをひたすら聞く会になりそうだなと思った。
浮かれた南の話しは、会社に着くまで続いた。


「へー良かったじゃん! とうとう南もか」
水野が言うと、千野も便乗して続ける。
「ね、ほんと良かった! 拓ちゃんもね、佐々木先輩は良い人だって言ってたし、間違いないよ!」
拓ちゃんていうのは千野の彼氏で、その先輩が南の相手みたいだ。
しかも、結婚が決まったような雰囲気が漂っているが決してそうではない。
まだ付き合ってもないのだ。
「ほんと千野っちに感謝だよ! 出会いって突然だよねー」
見るからに『絶賛浮かれ中』の、南の話しは今日もとまりそうにない。
「明日は佐々木さんオススメのイタリアン行くんだ」
「 歳上だと、ご飯屋さん詳しかったりするし良いよねー」
「だよね! 2歳しか変わらないのに大人っぽいし」
女子2人が、うんうんと大きく頷き合う。
「南には案外、歳上が合ってるのかもな」
水野がさらっと言うと
「水野よく分かってるじゃん!」
南が嬉しそうに答えた。
なんなんだ、この会は。
「なんでもいいけどさ。まだ付き合ってないんだろ?」
俺の言葉を聞いた女子2人の目つきが変わる。
失敗したな、と思ったけど遅かった。
「そうだけど。いいじゃん! 南ちゃん楽しそうだし」
「ほんと分かってないよね。何にもない柳に言われたくないし。あ、もしかして僻んでるんじゃないの?」
1に対して5ぐらい返してくるところが、やっぱ女だなと思った。
「まあまあ。男には分からない女子トークってあるしな」
不憫に思ったのか水野がフォローに入った。
2人は言うだけ言ってすっきりしたのか、また女子トークに戻っていた。
南は、くるくると表情を変えながら話しを続けている。
先週の金曜日に俺が見た南と、今ここに居る南はまるで別人みたいだった。

「じゃあ、明日がんばれよ!」
「私までわくわくしちゃう! 次の報告も楽しみにしてるね」
水野と千野が、そう言って手を振った。そんな2人を見ながら、とんだ久しぶりの同期会だったなと思った。
それにこの調子だと、家に着くまで明日の話しをされるに違いない。
もうお腹いっぱいの状態だったが、家が近所だから仕方ないなと覚悟した。

しかし、予想に反して南は静かだった。
今までのマシンガントークはなんだったのか。
よく分からないので、それに合わせて黙っていることにした。
一言も喋らないまま最寄り駅に着いた。
南は黙ったまま歩きだす。
このまま解散する気なのだろうか。
俺は空気かよ。

「なんで黙ってんの?」
おもわず出た言葉に、南が足をとめた。
「え? なんか。なんか緊張してきて」
「は? もしかして明日の?」
予期せぬ南の返事に、俺もとまった。
「会ったら、どきどきするって分かってるから余計に!」
「乙女かよ」
「乙女だよ」
そう言って俺の背中を軽く押して、先を歩く。
よく知っているはずの後ろ姿が、知らない女にみえる。

「おまえらしくないよ」
言う必要あったか?って自分でつっこみたくなるような言葉だった。
南が、あからさまに不機嫌な顔で振り向いた。
「何それ」
「いや、南らしくないなと思って」
よせばいいのに引き下がれない自分がいた。
「あたしだって、どきどきするし、柳は知らないかもしれないけど女なんです」
「知らないかもってなんだよ」
「だって2人でいても、男と女って感じしないじゃん」
その喋り方は、いつもの南だった。
なのに、何かが違うと感じる。
「まあ柳は同期だからさ、女の部分なんて知りたくもないと思うけど」
「て、聞いてんの?」
そう言って顔を覗き込んだ南と目が合った。
「南、」
ん?て表情でこっちを見る。
「なんかよく分かんねーけど」
「なにが」
「俺はいつもの南がいい」
「ん?うん」
さらっとした返事に、言わなきゃ良かったなと思った。
少し間があって、今度は南が何かひらめいたような顔をした。
「え、あのさ」
「なに」
「柳って、あたしのこと好きなの?」
なんともない質問みたいに南が言うから、こっちも変に冷静になる。
「その質問てさ。真顔で聞くもんですかね」
「じゃあ、へらへらしながら言った方が良かった?」
「極端かよ」
「で、そうなの?」
「んーわかんねえ」
また怒られそうだなと思ったけど、南の返事は意外とあっさりしていて
「そう」だけだった。
なんとなく微妙な空気になってしまったし、
ふと時計を見ると20分以上も立ち話しをしている事に気付いた。
南も同じようなことを考えたのか、
「じゃあ、また月曜ね」
何事もなかったように言った。
「おう。おやすみ」
俺も同じように返した。

土曜の夜は、気を抜くと南のことを考えてしまうので映画を借りに行った。
店オススメの映画ランキングを見てみると、トップ3は全てホラーものだった。
あの映画もまあまあ怖かったな。南と観に行った映画を思い出した。
それでなんとなく借りる気が失せてしまって、結局なんの収穫もないまま店を出た。
家に向かいながら、居酒屋じゃなくてイタリアンにしとけば良かったなって少しだけ後悔した。


「おはよ」
駅まで歩いてると、後ろから南の声がした。
「おはよう」
振り向いてそう返すと南が隣に並ぶ。
何の話しをしよう。いつもどんな話してたっけ。
今まで2人でいても考えたこともなかった。

「イタリアン」
南が呟くように言ったので聞き返した。
「え?」
「イタリアン。行かなかった」
今度は、はっきり聞こえたけど驚いて聞き返した。
「え?」
「会わなかった、佐々木さんと」
「なんで?」
俺の質問に、南がむっとした表情を浮かべる。
「柳が前日の夜に意味分からないこと言うから」
「あ、」
「普通さ、次の日デートするって人に言うことじゃないよね」
怒ってるというより、不満そうな顔をしている。
「悪かったよ。けど決めたのは南だろ」
「そうだけど。え。しかも悪かったって何?」
「いや。そういう意味じゃなくて、」
言いかけて、このままだと金曜の二の舞いになりそうだなと思った。
「じゃなくて?」
南は、責めるような、問いかけるような目で見ている。

「居酒屋じゃなくてイタリアン行くか」
ちょっとだけ間があった後、
「仕方ないから行ってあげてもいいけど」
南がいつもみたいに、けど少しだけ嬉しそうに笑った。
やっぱりいつもの南がいいなと思った。


最強って言葉がぴったりな、
南しずかの事が好きだと気付いた。

らしい。

らしい。

男と女っていうより仲間。そんな2人の絶妙な距離感。 答えは簡単で難しい、大切な人だから。大切な人だからこそ。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted