炎上ミッドナイト
弾丸のように、その車は疾走していた。
夜の湾岸道路を流れ星さながらにかっ飛ばす、白いスポーツカー。
景色などない。規則的に並ぶライトと、それが浮かび上がらせるアスファルト。
行く手を阻む前の車たちを、右へ、左へ、右へ……とかわしていく。
「ねぇ、大丈夫なの、私たちっ?」
助手席に座る女性が、しきりに後ろを気にしながら、叫ぶように訊いてくる。
運転手は青年。このスピードではかすかによそ見することも叶わず、
「知るかよ!」
女性に負けじと、前を睨みつけながら吠えた。
後方には、この車を追う影がひとつ。
白と黒のツートン。屋根には赤々としたランプがくるくる回り、耳をつんざくようなサイレン。見慣れた――しかし今だけは見たくなかった、パトロールカー。つまるところ、警察がパトカーで追いかけてきているのだ。Bダッシュで。
「ねぇ、やっぱりあれがいけなかったのかしら」
女性は言う。
「私さっき、飲みおわったペットボトルを窓から捨てたじゃない。あれを見られていたのかもしれないわ」
「いいや、それは違う。そのくらい、誰でもやってるじゃないか。たかが二リットルボトル二十本くらい、微々たるものだ」
青年は首を振り、即座に否定を返した。女性は考える。
「じゃあ、あれかしら。さっき前の車にパッシングしようとして、間違えて延々とハイビームで走ってたじゃない。あれがいけなかったのかしら」
「いいや、それも違う。ハイビームがまぶしくてハンドル操作を誤ったのか、前の車がふらついて後方に流れた直後、いやな衝突音と爆発音が聞こえたりしたが、あれは俺のせいじゃない」
「じゃあ、あれかしら。むかつく派手車にテールをかぶせようとして、ちょっとぶつけちゃったじゃない。あれがいけなかったのかしら」
「いいや、それも違う。ぶつけた車がなぜかふらついて後方に流れた直後、いやな衝突音と爆発音が聞こえたりしたが、あれも俺のせいじゃない」
「じゃあ……スピード違反?」
「百八十キロくらい誰だって出すだろっ」
そんな会話を交えつつ、前の車をかわしていく。
右へ……左へ……右へ……ゴスッ! キュキュキュ……ドォーン! ……左へ……。
「またぶつけたわよ?」
「ぶつかるほうが悪い! 俺は急いでるんだ」
パトカーは徐々に差を詰めてきている。
アクセルはすでに全開。ベタ踏み状態で、弾丸は疾走する。
そのとき――
「あっ!」
青年が声を上げる。
ボンネットから大量の灰色の煙が噴き出した。エンジンを酷使した結果のオーバーヒートだ。
煙が視界を遮る。青年はたまらずブレーキを踏み、沿道に寄った。
「終わりだ……何もかも……」
青年はつぶやく。
何が終わりなのか本人はまるで分かっていなかったが、パトカーも追ってきていることだし、とりあえずそうつぶやいてみたかった。
「今までありがとう。思い出を……たくさんの思い出を……ありがとう」
死にゆく者へおくるような言葉を、嗚咽まじりに女性は吐き出す。
パトカーが近づいてくる。
ふたりは手をつなぐ。
「俺のこと、忘れないでいてくれ」
「忘れないわ。私、忘れない」
パトカーが近づいて――
「……あれ?」
ふたりの声が重なる。
パトカーはスピードを緩めることなく、そのままものすごい勢いで走り去ってしまった。
あっという間に姿を消した国家権力をしばし呆然と見つめていたふたりは……
「助かったのか?」
「助かったのよ。私たち、助かったのよ」
繋いだ手に、ぎゅうっと力をこめた。
さて、パトカーはというと。
「急げ! もれちゃうだろ!」
「も、もうちょっとだけ我慢してください、先輩!」
「あぁっ、もうダメだ! ここで出す」
「ダメですってば! ほら、もうちょっとでサービスエリアです。ちゃんとトイレがありますから、それまでの辛抱ですよっ」
運転席であわあわ言ってる後輩警官と、助手席でなにやらもぞもぞしている先輩警官がしきりに言い争っていた。
「そういえば先輩」
先輩の気を紛らわせようと、後輩が努めて明るく話しかける。
「さっきペットボトルが二十本くらい散乱してましたね」
「あのくらいは許容範囲だ。俺は昨日、三十本道路に捨てた」
「何台か事故ってましたね。炎上してた車もけっこうあったなぁ」
「あのくらいは許容範囲だ。俺は昨日、五回事故ってすべて炎上させた」
「すごいんですね、先輩は」
「おう。なにせ俺は先輩だからな」
「尊敬しちゃいます」
「がっはっは」
豪快な笑い声を響かせながら、パトカーはサービスエリアへと入っていった。
夜は静かに――否、盛大な賑わいをみせながら、とっぷりとふけていく。
炎上ミッドナイト