シングル

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          ☆
 
 私の新天地、つまり転校先の高校は、とんでもない騒ぎになっていた。
 というのも、今日は三日間続いた文化祭の最終日らしく、集客率の多かった出し物には学校側から何やら賞品があるそうで、上位のクラスは死を覚悟した足軽のように切羽詰った形相を隠そうともせず、ひたすら仕事に精を出しているのだ。
 だが、私のクラスはそんな集客活動なんて初日から諦めてしまうほど人気がなかった。そりゃあ教室の壁という壁に映画評論を貼り付けてみたところで、ほどんどの人は興味がないだろうし、そうじゃない人だってこの薄暗い雰囲気を前にしたら、なかなか入りづらいのだと思う。
 クラスのみんなに先生から紹介を受けたのが、今朝のホームルーム兼ミーティング。とりあえずの挨拶とちょっとした雑談なんかを済ませ、さっそく一般公開の時間に備えてあれこれと微調整。うん、そうだね。窓の展示物は剥がしたほうがいいよね。ただでさえ暗い教室がさらに暗くなっちゃうから。
 とまぁ、そんな感じで文化祭の最終日が始まったんだけど、新参者の私には出し物の勝手が分からず、数人のクラスメートと他の教室を見て回ることになったわけで――
「相田さん、こっちこっち」
「上の階で美味しいパン屋やってるらしいよ」
「水泳部の『水の少年たち』って何時からだっけ」
 きゃあきゃあ騒ぐ彼女たちに連れられて、私はなす術も力もなく、ただ言われるがままにあちこちを見学して回った。
「相田さん、どうかした? 体調良くないの?」
 ずっとうつむき加減で歩いていた私に気付いた一人が声をかける。それにつられて他の子たちも私の顔を覗き込むように、心配顔を向けてきた。
「ううん、そんなことないよ。大丈夫」
 すかさず笑顔を作ってそう言うと、彼女たちは安心したように、また次の目的地の話をし始めた。
 そんな彼女たちを眺めながら、私は心の中で「ごめんね」と呟く。
 
 ごめんね、本当は一人になりたいんだ。
 
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 引越しをする前まで、私には心を許して話せる最良の友がいた。
 と言っても、インターネット上の世界なんだけど、彼は私にとって、かけがえのない親友だった。
 ほんの少し前まで、私には現実の友人なんていなかった。人一倍消極的でひどく人見知りをしてしまう私には、友人を作るなんてとんでもない大業に思えた。挨拶を返すくらいはなんとかできるけど、やっぱり挨拶止まり。それ以上の会話なんて、たとえ天地がひっくり返ったってできないと思っていた。学校で一言も話さなかった日は数え切れない。
 そんな私の心の拠りどころは、数年前に誕生日に買ってもらったパソコンだった。いろんなサイトを巡っては、のどかな田園風景の写真に見入ったり、とても素人とは思えないCGイラストに感嘆の声を上げたり、不思議なファンタジー小説の主人公になりきって明け方まで読みふけったりしていた。
 彼のサイトに出会ったのは、ほんの偶然でしかなかった。
『生命の限り』というサイト名に少し興味を抱き、深い考えもなく、入場のロゴをクリックした。
 そこはまさに、生命の宝庫だった。この国のほとんどの生き物が載っているんじゃないかと思えるほどの画像と紹介文に、私はまず驚いた。それから、解説を一つ一つ読んで、それらが全て同じ文体なのに気付く。つまりはこのサイトの管理人がそれぞれに思いを綴っているのだ。さすがに画像は図鑑や他のサイトからの借り物が多いようだったけど、言葉はそうじゃない。彼個人がそれぞれに心を記しているのだ。
 私は彼――ハンドルネーム『イオス』のことを知りたくなった。普段なら絶対書き込まない掲示板に、私は思わず足跡を残していた。
<素敵な解説文ですね。それぞれに込められたイオスさんの思いが強く伝わってきました>
 本名をカタカナにして、リツコと書き込み、その日は穏やかな眠りに落ちた。
 翌日、さっそくレスが書き込まれていた。
 感謝の言葉と、彼のこと。どうやら彼は私と同じ年齢らしい。毎日学校に通いながら、あれほどすごいサイトを運営していると聞いて、私は再び驚いた。そして、彼と同い年だというのに私は何をやっているのだろうとため息をつく。殻にこもって外を見ようとしない自分の、なんと哀れなことか。
 それから毎日のように、私は彼のサイトに足しげく通った。そしてメールアドレスを教えてもらい、どうでもいいような日々の出来事を書き綴っては送り、それに対する彼の温かい返信に、私の心はみるみる溶けていった。
 
 ある日、彼が北海道の親戚の家に遊びに行くと言って、数日いなくなった。そして帰ってきたとき、サイトに数枚の画像が更新されていた。
 それは、キタキツネの写真だった。
 彼はメールでも解るくらい興奮していた。
<すごいでしょう? 彼らは極寒の地でもたくましく生きているんですよ>
 黒く縁取られた尖った耳。寒さから身を守る、ふさふさの冬毛(夏場はもっと短いらしい)。鋭い流線型を描く鼻と、何より生命の輝きに満ちた双眸が、私の心を揺さぶった。
<彼らは一瞬一瞬を必死に生きています>
 そんな彼の言葉に、私はただただ感動するばかりだった。
 
 突然のことだった。
 親の転勤が決まり、私は遠く離れた地に引っ越すことになった。
 そして悪いことは重なるようで、私のパソコンが動かなくなった。修理に出そうにも、引越しがあるため、越した先の生活が落ち着くまで諦めざるを得なかった。
 私は彼のサイトから姿を消してしまったのだ。
 
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「相田さん、アニメとか好き? この先の教室で、『中の人の祭典』っていうのがやってるらしいんだけど」
 前を歩いていた新しいクラスメートの一人に訊かれ、はっと我に返る。
「な、中の……何?」
「中の人の祭典よ。中の人、つまり声優さんのマニアックな情報を取り扱ってるらしいの。噂によると、ミュー◯ックレ◯ンの一時期話題になったあの女性四人ユニットのアレの続報があるとかないとか」
「ごめん、ちょっと……」
「あー、いいよいいよ。普通はアニメ観てても声優さんなんて気にしないもんね」
 うつむく私に、彼女は「気にしないで」と笑って、肩をぽんぽんと叩いた。どうやら彼女たちはアニメの声優が好きらしく、そんな話題が飛び交っている。なんだか自分が除け者にされているみたいで、私はちょこっと居心地が悪くなった。
「あの、そこ行ってきなよ。私、この辺りを見て回ってるから」
 そう提案すると、彼女たちは「本当に?」「いいの?」「すぐ戻ってくるからね」と私に笑いかけ、そして嬉しそうに件の教室へと歩いていった。
 彼女たちを見送ると、当然だけど、私は一人になった。どこで何をやっているかはポケットの中のパンフレットに書いてあるけど、私はどこにも行く気がなかった。ただ、彼――イオスさんのことを思い、開け放たれた窓から空を眺めていたかった。
 
 十分くらいそうしていたと思う。
 彼女たちはまだ帰ってこない。その教室の出し物がよっぽど気に入ったのか、それとも私のことなんて忘れてしまったのか。どちらでもいいとは思ったけど、それでもやっぱり忘れられるのは悲しいことだと思ったりもした。
 イオスさんも私のことなんて忘れてしまうのだろうか。そう考えると、どうしようもなく胸を締め付けられた。
 気分を変えるために窓から目を離し、廊下に向き直る。喫茶店、漫才大会、お化け屋敷、そのずっと奥には彼女たちがいる何とかの祭典。廊下を歩く人たちはみんな楽しそうに笑っていて、一人で沈んでいる自分がひどく情けなく思えた。
 そんな中、ある教室が視界の端に止まった。
 その教室は写真展を開いていた。ドアの前に、大きくプリントされた森林の写真が貼られている。暖かい日差しを受け、その木漏れ日は土に生きる力を注いでいるようだ。心の安らぐ優しい写真に惹かれ、私はその教室に足を踏み入れた。
 教室の中は何枚かの大きな衝立(ついたて)で区切られ、大小様々な写真が並べられていた。どの写真も優しい雰囲気のする風景を切り取っていて、私はまた彼のことを思い出してしまった。
 彼が風景写真を撮ったら、きっとこんな感じなんだろう――生き物の写真しか見たことがなかったけど、何となくそんな気がした。
「気に入った写真はある?」
 突然声をかけられて慌てて振り返ると、そこには男子生徒が立っていた。多分この教室の生徒なのであろう彼は、私の見ていた写真を見やり、「この場所はここから電車でちょっと行けば入れるよ」と解説を始めた。
「綺麗な所だろう? 静かで空気も澄んでいて、とても落ち着くんだ」
 優しく微笑みながら言う彼に、
「ここにある写真、あなたが撮ったの?」
 ふと気になって訊いてみると、彼は照れたように「そうだよ」と返した。
「風景写真なんて今まで撮ったことなかったけど、実際にやってみるとけっこう奥が深いんだよ。光の向きとかアングルとか。難しいけど、ちょっとクセになる面白さだね」
「初めて撮ったの?」
「風景はね。クラス会の決定だったから、最初は渋々だったんだよ」
 そう言って笑い、そして手招きして私を奥のスペースへと誘った。
「ほら、これが今まで俺が撮ってた写真」
 彼が壁の前から離れると、その向こうに隠れていた写真が一枚現れた。
「……あ」
 思わず声が漏れる。
 その写真は、動物のものだった。
 銀世界を背景に雄々しく立つのは――キタキツネ。ピンと尖った黒縁の耳、ふさふさした冬毛、そして生命を反映して輝く力強い双眸。それはまさに、私がイオスさんのサイトで最後に見たキタキツネだった。
「これ……あなたが撮ったの?」
「うん。こないだの連休に北海道の親戚の家に行ってね。その時、このキタキツネと出会ったんだ。すごく輝いてるだろう? シャッターを切る時に手が震えたのを今でも憶えてるよ」
 快活な彼の声を聞きながら、私こそ身体の震えを止められないでいた。
「俺、自分のサイトに動物の写真を載せてるんだ。我ながらかなりマニアックなサイトなんだけど……それでも通ってくれてる人がいてね」
「……その人はまだ通ってるの?」
「いや、数日前に急に来てくれなくなったんだ。メールを送っても返ってこないし」
 聞きながら、私は今日まで暗澹(あんたん)としていた気持ちがさらに深く沈んでいくのを感じた。
 そうだよね。怒ってるよね。急にいなくなっちゃったんだもん。当然だよね。
「だからさ、心配してるんだよ」
 彼は言った。
「え?」
「彼女に何かあったのかな、とか、もしかしたら俺が何か変なこと言って、彼女を怒らせちゃったんじゃないかな、とか」
 ぽかんと口を開けた私から顔をそむけ、ぽりぽりと頬を掻く。
 そんな彼を見て、私は涙を我慢できなくなった。彼は慌てて「どうしたの?」と訊いてくれるけど、それに答えられないくらい、私はぼろぼろと泣き崩れた。
 そうか。そうだったのか。彼は私のことを心配してくれていたんだ。
 私の中にあった不安は、大粒の涙と一緒に流れ出ていった。
「お、おい、大丈夫か? 俺、何かいけないこと言ったか?」
 おろおろする彼が、とても可愛らしく思えた。
 変な子だね、私。泣いてるのに、嬉しくて笑ってるんだよ。
「……ごめんね、連絡できなくて」
「はい?」
 何とか声を絞り出すと、彼は何が何だか分からないといった表情をした。
 そうだなぁ。何て言えばいいかな。
 次はどんな顔をするかな、なんて意地悪なことを考えながら、私は一番言いたかった言葉を口にした。
「あなたの撮ったキタキツネ、素敵よ。イオスさん」
 
 極寒の地をたくましく生きるキタキツネのように、私もこの地で強く生きていこう。
 彼との出逢いは、神様が私にくれた最高のチャンスだと思うから。

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「彼らは一瞬一瞬を必死に生きています」

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-20

Copyrighted
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