WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(8)
八 平和と戦争
右目は北の大地の街を離れ、再び、南下した。あの、真っ暗なトンネルを、もう一度通過し、今度は、北上してきた海側と反対側の地を旅した。初めて見る反対側の海は、これまで右目が暮らしてきた島に比べて、暗かった。波も激しかった。あの波の底には右目の知らない世界が広がっていた。
左目は穴に隠れていた。身をひっそりと隠していた。いつ銃弾が飛んでくるかわからないからだ。左目の近くには多くの人が倒れていた。口から血を流す人、両手が吹き飛んでいる人、親子なのか、折り重なって倒れている人もいた。みんな、誰一人として動かなかった。もう、人ではないのだ。物なのだ。信号や横断歩道、照明灯、植栽など、街の風景の一部になってしまっていた。
「何故、何故なんだ」
左目は何度も呟いたが、誰も答えてくれなかった。左目は答えを探そうとして、この戦いの市街地を転がった。建物が破壊され、車が横転し、道路のアスファルトが溶けてめくり上がっていた。火が燃え盛っているビルも煙がくすぶっている居宅もあった。その隙間を左目は転がっていった。
「全てを見てやるぞ、全てを記憶するぞ」
手も足もない左目にとっては、見ることしかできなかった。だが、見ることから全てが始まると信じていた。見て、見て、見て、見まくった。
「あっ」目の前に戦車がいた。キャタピラのつなぎ目が見えた。
「ひかれる」
その瞬間、
「こっちよ」誰かが体を引っ張ってくれた。左目は穴の中に転がり落ちた。おかげで、キャタピラのえじき、街の風景の一部にならなくて済んだ。
暗くて湿った穴ぐらだった。左目がやっと通れるぐらいの広さだった。左目の前を、同じ眼球が「こっちよ。こっちよ」と案内してくれた。振り返った眼球の目の色は、金色だった。
左目は言われるがままに、金色の眼球の後を着いて行った。どれぐらい転がっただろうか。真っ暗な通路が突然明るくなった。出口だ。そこを飛び出ると、広い原っぱだった。直ぐ側に多くのテントが立っていた。お年寄りから女性、子どもたちがいた。若い男もいたが、ほとんどが包帯を巻いていたり、杖をついていた。老人たちは、何をするもの疲れたような顔をしていた。反対に、子どもたちは、土埃のする中で、笑いながら遊んでいた。生に満ち溢れていた。左目はその両方ともを見つめていた。
「さあ、着いたわ」
金色の眼球の声で、我に帰った左目は、眼球専用の小さなテントの中に入った、そこには、青や黄、赤など、様々な色の眼球たちがいた。それぞれが、テレビの画面に向かって凝視していた。
「ここはどこ?いや、さっきは、ありがとう」左目は命の恩人の金色の眼球に礼を言った。
「ここは難民キャンプよ。そして、あたしたちは、世界中からやって来た記者よ。ここにいて、この国の出来事を、惨状を世界にありのままに伝えているの」
彼ら、彼女らは、ただ単にテレビを見ているのではなかった。自分が見た映像を、情報発信しているのだ。
「あたしたちは、見たことをそのまま伝えるだけ。その見たことをどう考え、どう次の行動にでるのかは、見た人それぞれの自由よ。あたしたちは、それを伝えることが役目なの」
左目が先ほど考えていたことと同じだった。ただ、左目は自分のために、何かを見ようとした。金色目の記者たちは他人のために、何かを伝えようとしていた。
テントの中は慌ただしかった。多くの眼球が出たり、入ったりしてきた。その熱気に左目は圧倒されそうだった。だが、熱気を背中に受け前に進みたかった。自分には何ができるのだろう。左目は考えた。何も出来ないのではないか。しかし、じっとしてはいられなかった。他の眼球記者のカバン持ちとして、荒廃という負の連鎖を続けるこの街の取材に同行した。
少年は、高校生活を充実させるために、部活動に入部した。放送部だった。昼の休憩時間、少年は、同級生たちからの音楽を流しながら、これまで、右目や左目が見てきたことをDJのようにしゃべった。大都市のこと、ジャングルのこと、放射能が漏れ、立ち入り禁止の場所があること、極地のペンギンのこと、いまだに戦争が続いている国があること、などだ。
教師や同級生たちは驚いた。目が不自由な少年が、まるで、見てきたことのように、この国のこと、この世界のことをしゃべるからだ。少年の情報収集能力がすごいのか、少年の創作能力がすごいのか、多分、両方だろう。
同級生たちは、少年に畏敬の念を持った。だが、少年は、右目や左目が見てきたことを、ただありのままにしゃべっただけであった。
右目は船に飛び乗り、海に出た。これまでは、地面を転がったり、列車に乗ったりしてきたが、一度、今、自分がいるところを外から見たかったからだ。海は、自分が住んでいた瀬戸内海よりも、大きく、広かった。遥か彼方を見渡しても、島影ひとつ見えず、ただ、弧を描く水平線が見えるだけであった。
どうせならば、あの水平線の彼方に行きたかった。船は海岸線と水平線の間を通って、南下していった。水平線の曲がりを見る度に、右目は地球が丸いことを知った。また、自分も丸い。つまり、この星こそが目玉なんだと知った。
じゃあ、この地球と言う目玉は、宇宙の何を見ているのだろう。それと、この地球が右目ならば、もうひとつの目である左目の地球は、あの宇宙の彼方にどこかにいるのだろうか。その左目の地球は、この右目の地球を見つめて、何を思って、何を感じているのだろうか。
星空を見つめながら、右目は、ふと、少年や左目のことが気になった。何年も会っていないな。みんな、元気にしているのだろうか。
右目は、少年から転がり落ち、この国を旅して来た。あまりにも新鮮で刺激的な出来事ばかりに出会い、経験してきたので、自分のことで精一杯で、少年や左目のことを思いやる余裕がなかった。
どうしているんだろう。会いたいな。右目は瞳を閉じ、眠りについた。
左目は戦場を駆け巡っていた。生きているのか、死んでいるのか、分からないスピードで時間が過ぎていく。取材が終わる、へとへとになってベッドに倒れ込む。そんな毎日が続く。
目を瞑っても、爆破されたビルやその埋もれたビルから突き出された手や足のかけらが映し出され、深い記憶の中に刻み込まれた。この街では、一秒で数十年が経過するのだ。そして、その数十年の記憶も一瞬で消え去るのだ。
ある日の体育の授業の時だ。
「痛い」少年は、ないはずの左目付近に痛みを生じた。少年はそのまま蹲った。
「どうしたんだ」
「大丈夫か」
教師や友人たちが駆け寄ってきた。
「なんでもないです。大丈夫です」
少年は起きあがろうとしたが、言葉とは裏腹に立ち上がることはできず、再び、崩れた。そのまま友人たちに抱きかかえられ、少年は保健室のベッドに横たわった。
右目を乗せた船は、南下していた。右目はふと体に違和感を生じた。自分の体なのに自分の体以外の場所の調子が悪くなった。
ひょっとしたら、少年や左目に何かがあったのかもしれない。このまま、船には乗ったままではいられない。ちょうど、船が港に着いた。船からは、様々な物資が下ろされた。右目もこの荷物と一緒に陸に降りた。どこかで休みたかった。ふと、温泉のマークを見つけた。
「少し、温泉で休もう」右目は温泉に向かった。
左目は、病院のベッドで横たわっていた。目の前は真っ暗だった。目に包帯が巻かれていた。
「ここはどこ?」左目が声を発した。
「気がついた?病院よ。まだ、痛む?」左目には見えなかったけれど、声の主は、金色の眼球だった。
「ええ、少し。僕は、どうしてここにいるんですか?」
「覚えていないの?」
「記者と一緒に、内乱の取材に同行していたら、急に目の前が真っ暗になったことまでは覚えています」
「そう。あなたは銃で撃たれたのよ。でも、先生に尋ねると、かすり傷程度だから、目には異常はないそうよ。傷が治れば、ちゃんと見えるようになるって」
「ずっと、看病してくれていたんですか」
「そうよ。この街で、最初に、あなたを助けたのは私だから。あなたがこの街でいる間は、わたしがあなたの保護者よ」
金色の眼球の笑う声がした。左目も笑った。保護者と言う言葉がありがたかった。
左目は、暫く入院し治療をしていると、包帯がとれた。目に異常はなかった。これまでどおり、見えた。いや、これまで以上に、周囲の自分に対する思いやりが見えた。だが、いつまでもここにいるわけにはいかない。左目には左目の使命がある。
「さようなら」左目は金色の眼球に別れを告げると、北に向かって、再び、転がり始めた。金色の眼球は、左目の後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。
少年は高校を卒業した。自分で生活する必要があった。仕事を求めた。ただ、島の仕事は、漁業が中心で、目が不自由な少年には、漁師は向いていなかった。
この島は、夏場には海水浴場が開き、街から多くの人が涼を求めてやってきた。少年は、島の観光協会で働くことにした。目が不自由だけど、生まれてからずっとこの島に住んでいるので、島の事はほとんど把握していた。浜辺の掃除やジュースの販売などの仕事のほか、観光客等に島の歴史や文化についても説明した。
少年は寂しくなかった。両眼から、毎日のように、日本や世界の情報が送られてくるからだ。また、両眼と会話はしていなかったが、情報を通じて、心が通い合っている気持ちになった。。
昼休みには、潮の匂いを嗅ぎ分け、砂浜に立ち、見えない両眼の存在を確認するのであった。
WE CAN GO!(目玉おじさんの冒険記)(8)