お殿様の名裁き?
時代劇、かな?
一
往来で、刀の鞘が触れ合った――。
それだけで、切り合いたがるのがお侍。
伊予松山藩十五万石、猫の額ほどに狭苦しいご城下で、若いお侍二人、白昼、それは起こる。
「無礼者、刀は武士の魂なるぞ!」
「無礼はどっちだ、居直りやがって! ぶつかってきたのは、貴様だろ!」
二人、そこで顔を見合わせて、同じ道場に通う、竹馬の友と知る。
「何だ、お前かあ」
二人の声が重なって、それから互いにあははと笑い、それでおしまいで構わない。
ところが衆人環視の場において、武士のプライドが、それを許さない。
まるで独楽の弾けるように、両者一間ほど後方に飛び下がりながら、抜刀した。
白昼の下でである。
悲鳴を挙げるもの。
一瞥し、それきり興味を失って歩き出すもの。
あるいは野次馬になってドーナツ状に人垣を形成するもの。
様々いたが、誰も二人を止めるものはない。
町人は素より、侍だってそう。
侍なんてそんなもの――端から軽蔑してるのだ。
勿論、対峙している二人だって……。
二
八月で、セミの鳴き声ばかり良く響く。
二人は、野次馬監視の中、ほとんど垂直に落ちて来る夏の日の光に、白刃をきらり輝かせながら、蝋人形のように微動だせず、対峙している。
実際、二人は汗を滝のように流している。それがあたかも蝋の溶けるように端から見えた。
上段に構えるのが、二神彦左衛門道之。
下段に構えるのが、岡林大五郎常光。
二人とも、若くして道場では師範代を任されている。
その事は、既に野次馬どもには知れ渡っていた。
野次馬の中に、二人と同じ道場に通う侍が、いたからだ。
二人は幼少の頃より、道場で、何百何千何万と立ち合っている。
互いに手の内は、知り尽くしている。
けれど今回は、真剣。
竹刀であれば、負けても次がある。
けれど真剣に、次はない。
故に、互いに手が出せない。
三
二神は、しかしこれまでの岡林との試合の経験が、いざ白刃の真剣勝負の場において、どれほど役に立つのか、半信半疑だった。
実を言うと、彼は真剣で、有機物を斬ったことがない。
彼が斬ったものと言えば、せいぜい竹に巻き付けた筵であったり、腐った畳であったり――要するに動かないものばかりだった。
もっとも、彼もお侍。
人を斬ってみたいという衝動は、常にあった。
けれど、その初めての相手がよもや、親友とは――。
彼は自問した。
本当にオレに、一つの命を、それも親友の岡林の命を奪うだけの覚悟はあるのか?
しかしその親友が、今まさに白刃を抜いて彼に対峙している。
ふと、彼は次のような考えに捕らわれ出した。
四
自分は、岡林を無二の友だと思っている。
しかし、岡林はどうだろう?
岡林は、オレの事をどう思っているのだろう?
以心伝心と思っていたが、もしかして、それはとんでもない思い違いで、本当は、同床異夢であるかもしれぬ。
しょせんオレは、岡林にとって、路上で切り捨てても良い対象に過ぎぬのではあるまいか?
もしもそうだとすると、何をオレはこうも悩まねばならぬ?
岡林は、オレを殺そうとしている。
敵である。
敵に過ぎない。
ふりかかる火の粉を払うのは、人として当然。
オレは、決して死に急ぎではない。
が、主君に命じられれば、たとえそれがどんなに理不尽な理由だろうと、オレは腹を切る。
それが侍。
きっとそうだ。
侍に殉じて腹を切れる。
が、岡林は、オレの主君でもなんでもない。
単なるオレの親友だ。
何をためらうことがある?
単なる?
親友に『単なる』なんてあるもんか!
岡林は、オレの大切な親友ではないか。
しかし、親友は片想いでは成り立たない……。
オレは言い切れる。
岡林はオレの親友だ、と。
が、こうは絶対には言い切れない。
岡林も、オレを親友だと思っている、と。
分からない。
分からない。
オレはどうすれば良いのか分からない。
もうオレたちは、取り返しのつかない状況に、追いやられてしまっている。
往来で、多数の目のある中で、侍が刀を抜いたという意味を、オレも岡林も、そうして無責任な野次馬どもも、心得てやがる。
クソ、こいつらさえ居なければ、オレたちは、笑って刀を納められるに違いないのに……。
なお――。
余談だが、これとほとんどおんなじことを、岡林も考えていた。
二人、紛ごうことなく親友である。
五
二人、微動だにせず対峙して、はや半時程経った。
そろそろ野次馬どもも、しびれを切らし始める頃。
「早くやれ!」
「さっさ斬り合いやがれ!」
「こちとら賭けてんだ!」
全く野次馬とは、無責任。
さて――。
天下泰平の世、お殿様は決まって退屈なさるもの。
その日も松山藩のお殿様は、ご天守から、いつもの退屈しのぎに、南蛮渡来の遠眼鏡を持ち出して、ご城下の様子を眺め出した。
するとキラキラ白光二つ、レンズ越しに、お殿様の目に差し込んだ。
これが、件の決闘である。
常日頃、ことあれかしよのお殿様。
格好の、退屈しのぎを発見し、大層ご満悦のご様子。
舌なめずりをして、早速現場に早馬の使いを送る。
これを、御前試合とした。
「なお――」と、ご使者。
たっぷり間を取ってから、
「殿は、血を好まぬ。故に立ち合いには、竹刀を用いよとのこと。以上!」
お殿様の名裁き?
何とも、『デウス・エクス・マキナ』な感じがしますが、印籠しかり、桜吹雪しかり、時代劇とは得てしてそういうものかな、と。