お殿様の名裁き?

 時代劇、かな?

 往来で、刀の鞘が触れ合った――。

 それだけで、切り合いたがるのがお侍。
 伊予松山藩十五万石、猫の額ほどに狭苦しいご城下で、若いお侍二人、白昼、それは起こる。

「無礼者、刀は武士の魂なるぞ!」
「無礼はどっちだ、居直りやがって! ぶつかってきたのは、貴様だろ!」

 二人、そこで顔を見合わせて、同じ道場に通う、竹馬の友と知る。

「何だ、お前かあ」
 二人の声が重なって、それから互いにあははと笑い、それでおしまいで構わない。

 ところが衆人環視の場において、武士のプライドが、それを許さない。

 まるで独楽の弾けるように、両者一間ほど後方に飛び下がりながら、抜刀した。

 白昼の下でである。

 悲鳴を挙げるもの。
 一瞥し、それきり興味を失って歩き出すもの。
 あるいは野次馬になってドーナツ状に人垣を形成するもの。
 様々いたが、誰も二人を止めるものはない。

 町人は素より、侍だってそう。
 侍なんてそんなもの――端から軽蔑してるのだ。
 勿論、対峙している二人だって……。

 八月で、セミの鳴き声ばかり良く響く。

 二人は、野次馬監視の中、ほとんど垂直に落ちて来る夏の日の光に、白刃をきらり輝かせながら、蝋人形のように微動だせず、対峙している。
 実際、二人は汗を滝のように流している。それがあたかも蝋の溶けるように端から見えた。

 上段に構えるのが、二神彦左衛門道之。
 下段に構えるのが、岡林大五郎常光。

 二人とも、若くして道場では師範代を任されている。
 その事は、既に野次馬どもには知れ渡っていた。
 野次馬の中に、二人と同じ道場に通う侍が、いたからだ。

 二人は幼少の頃より、道場で、何百何千何万と立ち合っている。
 互いに手の内は、知り尽くしている。
 けれど今回は、真剣。
 竹刀であれば、負けても次がある。
 けれど真剣に、次はない。

 故に、互いに手が出せない。

 二神は、しかしこれまでの岡林との試合の経験が、いざ白刃の真剣勝負の場において、どれほど役に立つのか、半信半疑だった。
 実を言うと、彼は真剣で、有機物を斬ったことがない。
 彼が斬ったものと言えば、せいぜい竹に巻き付けた筵であったり、腐った畳であったり――要するに動かないものばかりだった。

 もっとも、彼もお侍。
 人を斬ってみたいという衝動は、常にあった。
 けれど、その初めての相手がよもや、親友とは――。
 彼は自問した。

 本当にオレに、一つの命を、それも親友の岡林の命を奪うだけの覚悟はあるのか?

 しかしその親友が、今まさに白刃を抜いて彼に対峙している。
 ふと、彼は次のような考えに捕らわれ出した。

 自分は、岡林を無二の友だと思っている。
 しかし、岡林はどうだろう?
 岡林は、オレの事をどう思っているのだろう?
 
 以心伝心と思っていたが、もしかして、それはとんでもない思い違いで、本当は、同床異夢であるかもしれぬ。
 しょせんオレは、岡林にとって、路上で切り捨てても良い対象に過ぎぬのではあるまいか?
 もしもそうだとすると、何をオレはこうも悩まねばならぬ?
 
 岡林は、オレを殺そうとしている。
 敵である。
 敵に過ぎない。
 ふりかかる火の粉を払うのは、人として当然。

 オレは、決して死に急ぎではない。
 が、主君に命じられれば、たとえそれがどんなに理不尽な理由だろうと、オレは腹を切る。
 それが侍。
 きっとそうだ。
 侍に殉じて腹を切れる。

 が、岡林は、オレの主君でもなんでもない。
 単なるオレの親友だ。
 何をためらうことがある?

 単なる?

 親友に『単なる』なんてあるもんか!

 岡林は、オレの大切な親友ではないか。
 しかし、親友は片想いでは成り立たない……。

 オレは言い切れる。
 岡林はオレの親友だ、と。

 が、こうは絶対には言い切れない。
 岡林も、オレを親友だと思っている、と。

 分からない。
 分からない。
 オレはどうすれば良いのか分からない。

 もうオレたちは、取り返しのつかない状況に、追いやられてしまっている。

 往来で、多数の目のある中で、侍が刀を抜いたという意味を、オレも岡林も、そうして無責任な野次馬どもも、心得てやがる。

 クソ、こいつらさえ居なければ、オレたちは、笑って刀を納められるに違いないのに……。

 なお――。

 余談だが、これとほとんどおんなじことを、岡林も考えていた。
 二人、紛ごうことなく親友である。

 二人、微動だにせず対峙して、はや半時程経った。
 そろそろ野次馬どもも、しびれを切らし始める頃。

「早くやれ!」
「さっさ斬り合いやがれ!」
「こちとら賭けてんだ!」

 全く野次馬とは、無責任。

 
 さて――。

 天下泰平の世、お殿様は決まって退屈なさるもの。
 その日も松山藩のお殿様は、ご天守から、いつもの退屈しのぎに、南蛮渡来の遠眼鏡を持ち出して、ご城下の様子を眺め出した。
 するとキラキラ白光二つ、レンズ越しに、お殿様の目に差し込んだ。

 これが、件の決闘である。

 常日頃、ことあれかしよのお殿様。
 格好の、退屈しのぎを発見し、大層ご満悦のご様子。
 舌なめずりをして、早速現場に早馬の使いを送る。

 これを、御前試合とした。

「なお――」と、ご使者。
 たっぷり間を取ってから、
「殿は、血を好まぬ。故に立ち合いには、竹刀を用いよとのこと。以上!」

お殿様の名裁き?

 何とも、『デウス・エクス・マキナ』な感じがしますが、印籠しかり、桜吹雪しかり、時代劇とは得てしてそういうものかな、と。

お殿様の名裁き?

ご城下で、刀の鞘がぶつかった弾み、思わず抜刀してしまった若いお侍二人。 二人は、同じ道場に通う親友同士だった。 けれど衆人(野次馬)環視の中の抜刀で、お互い引くに引けなくなって……。 2405文字。

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-06-19

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