詩篇16 灰色と緑がもたらす憂鬱
今日は曇り空。
緑が混じったような灰色は何色というの。
それは、どこまでも憂と鬱で成り立っているかのよう。
憂鬱って一体何なのかよく分からないけれど。
どこからやってくるの、憂鬱。
勝手にわたしを支配しないでちょうだいよ。
だけどもわたしより憂鬱の遙かに方が強く、
完全にその支配下に置かれ、わたしは憂鬱の奴隷のごとく、
何もかもを憂鬱に運び込むよう精神を操作される。
もう息をするのさえ鬱陶しい。
呼吸って、何故こんなにも、鬱陶しいのでしょう。
吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて吸って吐いて・・・・・・
ずっとずっと止まることなく常に吸って吐いては繰り返されるのであって。
それに着目したが最後。
なんという面倒。
なんという圧倒。
死ぬまで続くこの活動のことを考えると気が遠くなるのです。
呼吸が止まった状態を体感してみたいけど、
それは無理な話なの。
死んだら何も体感できないという決まりがこの世にはあって、
(それはわたしが死んでいないから、もしくは死んでしまった人の意見を聞いたことがないから、勝手にそのような決まりを自分で付けているだけかもしれぬ、ということを忘れてはならない)
呼吸しないで生きていられる方法はないものか、と考えたりしもする、緑と灰の空の下。
生きている状態は認識できるのに、
死んでいる状態は認識できない。
ということは、死ぬということは本人ではなくて、
周りの人々のためにあるようなものではないですか。
葬儀はいつだって淡々と進む。
一体、死んでしまった人に、これはどのような意味があるのか説いてみたいなどと、思ってもよろしいですか。
巡る、巡る、めくるめく、巡る。
灰色は停滞する。
緑色は落ちゆく。
死と憂鬱は全くのイコールではないにしろ、何らかの繋がりを孕んでいる気がしてならない。
ああ、わたしの精神よ。
どうか憂鬱解放宣言を!!
詩篇16 灰色と緑がもたらす憂鬱